花・伊太利

日々の生活に関する備忘録です。

阿部寛さんの笑顔

2009-06-24 21:28:36 | Weblog
 昨晩、リビングで本を読んでいた時、ママはドラマ「白い春」を観ていました。最終回だったようで、最後を盛り上がらせるために、阿部寛さんはナイフで刺されて死に、大橋のぞみちゃんはその死を悲しみました。このあたりは本を読むのを止めて、ママと一緒に観ていましたが、最終回に主人公が死ぬのは、「ちょっと安易な終わらせ方じゃないの」と思いながら観ていました。すると、阿部さんの死でドラマが終わったすぐ後、阿部さんとのぞみちゃんが笑顔で出てきて、「白い春」のDVDをニコニコしながら紹介していました。「あれー、さっき死んだばかりなのに。日本のどこかには、きっと涙した人もいただろうに。涙も乾かないうちに生き返って笑ってるなんて」と思いました。私は思い入れをもって観ていた訳ではありませんが、それでも死んだ人が数十秒後に笑って出てくるのには違和感を覚えました。例えば、ハムレットの舞台が終わった後、カーテンコールの時にハムレット役の役者さんは笑ったりしないと思います。大昔のことになりますが、私が観たハムレットでは、役者さんは悲痛な表情のまま拍手に応えていました。こんなことを考えるのは、オヤジだからでしょうか。

適量の飲酒

2009-06-17 20:43:52 | Weblog
 今日、偶々手にした英字紙に次のような文章がありました。

It may be that moderate drinking is something healthy people do, not something that makes people healthy.

 「適量の飲酒は健康な人のすることだろうが、適量の飲酒が人を健康にする訳ではない」という意味だと思いますが、アメリカのエグゼクティブの考え方である「自分をコントロール出来る人は過度の食事は摂らないので肥満にはならない。だから、肥満でない人は自分をコントロール出来る、すなわち仕事が出来る」を連想してしまいました。また、「天国へ行ける人の行いは善い行いだが、善い行いをした人が天国へ行ける訳ではない」と信じていた、初期のプロテスタントの人たちの考えと、善い性質を持った人はその善い性質が善い行動となって現れるものだというロジックにおいて、相通じているようにも思えます。もし、この命題が逆で、「適量の飲酒は健康をもたらす」が真だったら、酒呑みはどんなに心強いだろうと思います。でも、英字紙の言い分が真である方が、緊張感を維持出来て健康を心がける上では良いのではないかと思います。ただ、ついつい過ちを犯すのが人間の常であることも、私の経験が証明していることではあります。

「1Q84」は楽しめました

2009-06-15 23:01:54 | Book
 あるところに大変流行っているレストランがありました。大勢の固定客がいて繁盛していました。このたび、7年振りに新しいメニューを出すことになりました。固定客の期待は、それはもう凄い盛り上がりようです。それらを考慮すると、大きな冒険も出来ませんでした。従来の味付けを踏襲しつつ、新しい素材を使うなどして新味を出し、新作料理を提供しました。変わらない部分と変わった部分のバランスが絶妙で、これまた人気メニューとなりました。

 これは、村上春樹さんの「1Q84」を読んだ感想です。行き帰りの地下鉄の中で、1000ページを超える長編を楽しむことが出来ました。

 天吾はため息をついた。「あまり明るい見遠しがあるようには僕には思えません。しかしいずれにせよ、もう後戻りはできないようですね」
 「もし後戻りができたとしても、もとの場所には戻ることはむずかしかろうね」と先生は言った。

 とか、

 「お客さん、そういえばどことなく、その頃のフェイ・ダナウェイに雰囲気が似てるんじゃないですか」
 「どうもありがとう」と青豆は言った。微笑みが口元に浮かんでくるのを隠すために、努力がいくらか必要だった。

 のような、村上さんならでは言い回しも健在でした。登場人物は多彩で、ディテールの描写が凝っているので、ひとりひとりが魅力的です。「サハリン島」や「猫の町」など小物類の存在感もバッチリです。ただ、味付けの妙や素材の豊富なバラエティが仇となってしまったのでしょうか。物語として見た場合、私には前作の「海辺のカフカ」の方が、胃の腑にすとんと落ちました。

雨と漱石

2009-06-11 21:27:22 | 季節/自然
 気象庁によると、昨日(6/10)、関東甲信越地方は梅雨入りしたそうです。その梅雨入り宣言を待ってましたとばかりに、今日の午前中は雨でした。これからしばらくは、すっきりしない空模様の日が多くなることでしょう。さて、雨の季節に入って私が思い出すのは、夏目漱石の「それから」の一節です。主人公の友人の妻が、ある雨の日に夫には内緒で主人公の家を訪ねた時の一場面です。もちろん、二人の関係は、石田純一さんが「文化」とおっしゃった種類のものです。「雨は依然として、長く、密に、物に音を立てて降った。二人は雨の為に、雨の持ち来す音の為に、世間から切り離された。同じ家に住む門野からも婆さんからも切り離された。二人は孤立のまま、白百合の香の中に封じ込められた。」 個人的には何となく漱石っぽくない文章のような気もしますが、人目を忍んで会っている男女の間の緊張感が感じられるところや、「白百合の香の中に封じ込められた」の表現が気に入っています。石田さんとは違った意味の「文化」を感じます。こういった文章を知っているお陰なのでしょうか、朝起きて、雨がしとしと降っていても、そこに鬱陶しさだけを思わずに済みます。