花・伊太利

日々の生活に関する備忘録です。

粉飾大臣

2020-01-29 21:30:16 | Weblog
 国の年度収支で余剰があった場合、財政法ではその半分以上を借金の返済に充てると定めているそうです。ところが、2018年度の剰余金を2020年度予算案に繰り入れることで歳入をかさ上げし、公債発行額を減らしたかに見せているとして、1月28日の衆院予算委員会で国民民主党の前原誠司議員は麻生財務相に説明を求めました。翌29日付の朝日新聞朝刊からそのやり取りを拾ってみると、

 前原氏 13兆円のうちの9兆円強は消費税だ。剰余金を予算に繰り入れ、それで「公債発行が減らせた」は粉飾だ。
 麻生太郎財務相 おっしゃることはもっとも。少なくとも当初予算では赤字発行額を減らす姿勢を示した。マーケットに与える影響は極めて大きい、我々はマーケットと仕事してますんで、野党と仕事しているんじゃない。

 朝日新聞の記事には、「野党と仕事しているんじゃない」の発言について、麻生財務相は衆院財務金融委員会で謝罪したとも書いてあります。「両議院は、全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する」と憲法にありますが、「野党と仕事しているんじゃない」とは国民の代表を相手にしないと言っている訳で、つまりは国民を軽視していることに他なりません。謝罪は当然でありますが、謝れば済むものでもありません。そもそも資質に欠けていると言っても過言ではないでしょう。

 それから、「マーケットに与える影響は極めて大きい、我々はマーケットと仕事してますんで」の方にも問題はあります。麻生財務相は前原議員の質問に対して、先ず「おっしゃることはもっとも」と剰余金のからくりを認めています。と言うことは、マーケットへの影響を考えて「操作」を行ったことになります。「粉飾」と前原議員に言われても仕方がありません。上場企業が株価対策で決算をごまかすと、粉飾決算の咎を問われます。それなのに「マーケットうんぬん」とは、正しい情報を与えなくても良しとされたマーケットも見くびられたものです。この点でも資質の欠如は明らかではないかと思います。

 このような方が「全国民を代表する選挙された議員」であることは大変残念です。と同時に、「君らを代表してますんで」と思っているとしたら、「それはちょっと」と言いたくなります。新聞を読みながら、そう思いました。

健脚商売

2020-01-14 22:15:49 | Weblog
 令和になって最初の成人の日、通勤本を買おうと渋谷へ出ました。この日は新成人を祝福するかのような快晴で、風もなく気温は3月並みとのことでした。東急百貨店本店にある丸善&ジュンク堂で本を買った後、あまりの天気の良さに散歩がてらちょっと歩いてみるかと思いました。東急を出て裏に回ると、百貨店の駐車場から出てくる車は超高級車ばかり。さすが松濤や富ヶ谷といった高級住宅地が控えているせいだろうかと思いつつ、先ず「奥渋谷」と言われている人気エリアの方へ足を向けました。ここでも、歩く横を通り抜けるのは超高級車。さながら輸入車ショーの趣きでした。地方なら中古の家くらい買えそうな値段の車たちを見ていて、ふと思いました。奥渋谷から代々木公園、明治神宮を抜けて新宿へ、さらには明治通りに沿って池袋あたりまで歩いたとしても、自分にとっては何てことないだろう。何時間歩いてもへっちゃらなこの脚は“Priceless”、つまりお金では買えない価値があると。半ば貧乏人の強がりかもしれませんが、まんざら見当違いでもないような気がします。ある意味“Diversity”につながっていると言えるでしょうか。

古聖前賢の教を大切に

2020-01-04 21:21:18 | Weblog
 幸田露伴は小説「運命」(岩波文庫)の出だしのところで、次のように語っています。「かつや人の常情、敗れたる者は天の命を称して歎じ、成れる者は己の力を説きて誇る。二者共に陋とすべし。事敗れて之を吾徳の足らざるに帰し、功成って之を数の定まる有るに委ねなば、其人偽らずして真、其器小ならずして偉なりというべし。」

 失敗は自分の力が及ばなかったからであり、成功は天運が味方したとする態度、この謙虚さが必要だと説いているのでしょう。そして、謙虚さを養うためには、「仮令数ありとするも、測り難きは数なり。測り難きの数を畏れて、巫覡卜相の徒の前に首を俯せんよりは、知る可きの道に従いて、古聖前賢の教の下に心を安くせんには如かじ」と述べています。

 ところで品性乏しく、厚かましいのを何とも思わない、ただただ我が身可愛いおとっつあんたちの跋扈ぶりを新聞で読むにつけ、「あーあ」とため息が出ます。変な人たちが妙にのさばるのは、私の不徳の致すところかもしれませんし、あるいはいつの世にもあることなのかもしれません。ただ思うのは、天の上から露伴先生に「陋」なりと言われないためにも、古聖前賢の教に耳を傾け、おかしな連中とは一線を画していかねばということです。「しょうがない」はグルへの一歩と戒めながら。