今朝の朝日新聞にエッセイスト・岸本葉子さんの投稿が載っていました。題して「日本人の劣化」。「世代を超えて支えあうのが、市民としての義務」との考えから「国民年金を払い続けてきた」岸本さんは、年金問題に対して怒りの声をあげます。「政治家や官僚のトップでなしに、一般職員の層でまで、腐敗が進行していたのが、ショックでした」と語る岸本さんですが、その怒りの源は、これまで信じていた「仕事への良心」やプロジェクトXに出てくるような「労苦をいとわず貫徹する態度への素朴な信頼感」が裏切られたことでした。そして、岸本さんの怒りの対象は社会保険庁の怠慢にとどまらず、日本人全体の劣化に及びます。「給食費を払えるのに、払わない親」、「食品の偽装問題」など、「日本社会で進みつつある公徳心の薄れ」を、情けないと嘆いています。そんな中で、「コンビニやファストフードで働く若者が、いつも、元気なあいさつをしてくれ」ることに、「マニュアル通りとか、心がこもっていないとか、言う人もある」のを承知の上で、彼ら彼女らの一生懸命働く姿に「感動してしまう」そうです。そして、「07年、約束を守る、ごまかさないといった「型通り」のことができなかった大人たち」へ、「あの子たちを、見習ってみませんか」と呼び掛けています。
そう言えば、山崎正和氏の「社交する人間」(中央公論社刊)に、作法に従うことでこころの中身が育まれていくと述べてありました。ありていに言えば、背筋をピンと伸ばすと、こころが引き締まるようなものでしょうか。で、あるならば、「型通り」のことがちゃんと出来る人たちが増えると、「だれも見ていなかったら何をしてもいい」といった人たちが少なくなるかもしれません。もっとも、岸本さんを感動させたのは、「型通り」の「いらっしゃいませ、コンバンワ」のあいさつそれ自体ではなく、若者たちの一生懸命な姿です。わが身にひるがえると、「日本人の劣化」を食い止めるために、自分自身、一生懸命に当たり前のことをやっているかどうか、そこににらみを利かせたいと思います。最近、子供と話している時に、「ウン」と返事をすると、「ウンじゃなくてハイ」と注意されます。差し当たり、明るく元気な声で「ハイ」と答えるところから始めてみましょう。来年からではなく今日から。
そう言えば、山崎正和氏の「社交する人間」(中央公論社刊)に、作法に従うことでこころの中身が育まれていくと述べてありました。ありていに言えば、背筋をピンと伸ばすと、こころが引き締まるようなものでしょうか。で、あるならば、「型通り」のことがちゃんと出来る人たちが増えると、「だれも見ていなかったら何をしてもいい」といった人たちが少なくなるかもしれません。もっとも、岸本さんを感動させたのは、「型通り」の「いらっしゃいませ、コンバンワ」のあいさつそれ自体ではなく、若者たちの一生懸命な姿です。わが身にひるがえると、「日本人の劣化」を食い止めるために、自分自身、一生懸命に当たり前のことをやっているかどうか、そこににらみを利かせたいと思います。最近、子供と話している時に、「ウン」と返事をすると、「ウンじゃなくてハイ」と注意されます。差し当たり、明るく元気な声で「ハイ」と答えるところから始めてみましょう。来年からではなく今日から。