昨日の朝日新聞朝刊の投書欄に、「口答えせずに、息子よ勉強を」と題した投書が掲載されていました。投書の主は山口市のお母さんです。口答えばかりしてなかなか勉強しない子供に対して、このお母さんは次のように訴えかけています。「結局勉強が嫌いなんだよね。でも、母だって嫌なことを毎日やっているんだぞ。本当は家事なんて好きじゃない。でもアレルギーが心配だから掃除はする。汚い服を着せていてはかわいそうだから洗濯もする。育ち盛りにバランスを考えた食事は欠かせないから炊事もする。だからといってそれが生きがいなんてあり得ない。それでも世の中は好きな物事ばかりで占められているわけではないことは知っている。好きなことはもちろんしたいが嫌いなことだってしなきゃいけない時もある。大人だっていろいろ悩んでいるんだぞ。毎日根を詰めてやれとは言わない。母だって手を抜くこともある。そんな母の子だ、無理は言わない。だから君たち、そこそこには勉強しなさい。」
私はこれを読んである小説を思い出しました。森鴎外の「カズイスチカ」です。この中に鴎外自身がモデルと思われる主人公が、父に対する思いを述べる箇所があります。「初めは父がつまらない、内容の無い生活をしている」と思っていた主人公だが、ある時熊沢蕃山が「志を得て天下国家を事とするのも道を行うのであるが、平生顔を洗ったり髪を梳ったりするのも道を行うのである」と書いているのを読んで、父への見方を変えるようになります。「父はつまらない日常の事にも全幅の精神を傾注しているということに気が附いた。宿場の医者たるに安んじている父の re'signation(諦念)の態度が、有道者の面目に近いということが、朧気ながら見えて来た。そしてその時から遽に父を尊敬する念を生じた」、と思うようになります。
投書のお母さんに、「口答えをしていても、きっとお母さんの背中を見てるって」、そう声を掛けたいです。
私はこれを読んである小説を思い出しました。森鴎外の「カズイスチカ」です。この中に鴎外自身がモデルと思われる主人公が、父に対する思いを述べる箇所があります。「初めは父がつまらない、内容の無い生活をしている」と思っていた主人公だが、ある時熊沢蕃山が「志を得て天下国家を事とするのも道を行うのであるが、平生顔を洗ったり髪を梳ったりするのも道を行うのである」と書いているのを読んで、父への見方を変えるようになります。「父はつまらない日常の事にも全幅の精神を傾注しているということに気が附いた。宿場の医者たるに安んじている父の re'signation(諦念)の態度が、有道者の面目に近いということが、朧気ながら見えて来た。そしてその時から遽に父を尊敬する念を生じた」、と思うようになります。
投書のお母さんに、「口答えをしていても、きっとお母さんの背中を見てるって」、そう声を掛けたいです。