花・伊太利

日々の生活に関する備忘録です。

偏差値17からの青春と全国3位からの青春

2018-01-28 18:13:53 | Weblog
 日曜日の朝日新聞には若者へ向けた対照的なインタビュー記事が掲載されていました。ひとつは「受験する君へ」と題した俳優・六角精児さんの記事です。六角さんは高校の時の国語の偏差値が17、本人曰く「(偏差値に)17ってあるんですよ」。大学受験に失敗し予備校へ通うようになりますが、「電車が混んでいるのが嫌」といって喫茶店に入りびたり、大学に入ってからはパチンコと麻雀で80万円の借金を作るありさま。でも、バイト先で言われた「人にはそれぞれ能力とやり方があるから、それを否定するのはおかしいと思う」の言葉に勇気づけられます。また、浪人中から劇団に所属し、6年目になった時自らが主役を務めるお芝居が紀伊国屋ホールで公演されることになり、役者としての道が開けたと感じ大学を辞めます。そのような青春時代を送った六角さんは受験生に次のように語り掛けます。「いま、夢や希望がなくても、焦る必要はないと思います。結果が出なくても、頑張ったことを否定する必要もない。人生には無駄な時間なんてないんだから。私は大学にはほとんど行かなかったですが、自分が何者でもない時にたくさんの人に出会って、自分がどんな人間なのか考えることができたのは良かったと思っています。目標がないときに出会う人って、大切ですよ。」
 一方、「未来ノート―202Xの君へ―」というタイトルの記事に登場したのは、リオ五輪で銅メダルに輝いたバドミントンの奥原希望さんです。奥原さんは小学校3年生の時に初めてバドミントンに関する目標を立てます。「全国大会ベスト8」の目標を掲げた娘に対してお父さんは、「だいたいみんな『ゆる~い』目標を立てるけど、希望は違う。自分でハードルを上げる」と驚きます。そして結果は全国3位。以来、高校3年生で怪我をした時以外は目標を達成しているそうです。「毎年、目標を達成する秘訣はなにか」と聞かれた奥原さんは、こう答えています。「ただ目標を書くだけじゃない。『そのために』何をすべきかをいつも考えさせられた」、「そのために、を考えるから、日頃やるべきことがパッと思いつく」。
 目標が見いだせず無為の日々を送っていた時に、人との出会いから自分の方向性を見出した六角さん、小さい頃から打ち込むものがあり、目標を立てると同時になすべきことをも見定めていた奥原さん、人それぞれの青春があるなぁと思いながら新聞の1面を見ると、対照的な二人を包括するような言葉出ていました。この日の鷲田清一さんの「折々のことば」は湯浅誠さんの著書から。それは、「『ない』ものではなく『ある』ものに注目する、『できない』ことではなく『できる』ことに注目する」というものでした。結局、人はみな、自分の人生に如何に向き合うかが問われているのだなと思いました。

後悔先に立たず

2018-01-20 14:14:20 | Weblog
 「後悔先に立たず」の意味をデジタル大辞泉で見てみると、「してしまったことは、あとになってくやんでも取り返しがつかない」と書いてあります。「後悔先に立たず」とは「取り返しがつかないから、後悔しないように注意しましょう」と戒める言葉でしょうが、私は違う捉え方もあるのではないかと思います。後悔は先に立たない、つまり後悔するのは何か失敗やヘマをしでかした後です。そこで、「覆水盆に返らず」とあきらめたり、「取り返しがつかないことをしたなぁ」と嘆いてばかりいては、またほぞをかむことになってしまいます。後悔は必ず後からやってくる、じゃぁ後悔した時には、今この時点から何をすべきか考えれば良いじゃないかと、後悔を前向きな意味に受け止めれば、その後がだいぶ変わってくるのではないかと思います。「あの時・・・していれば」と昔のことを話す人がいます。その時何かを変えようとする気がなかったのなら、単に自分を慰めているだけに聞こえてしまいます。

ひとりワイン

2018-01-03 18:32:02 | Weblog
 2018年元日の朝日新聞朝刊は矢沢永吉さんの記事が1面を飾っていました。題して「一瞬のハッピーがあれば、人はまた走れる」矢沢さんはサクセスとハッピーは違うとして、次のように語っています。「20代で長者番付に出たけど、心がちっとも温かくない。『神様、成功したら寂しさ、悲しさは消えるんじゃなかったの』と聞いたら、神様が指さした。見るとサクセスとは違う、もう一つのハッピーというレールがあった。成功と温かくなることは別だったんだ」この言葉を自分なりに解釈してみました。長者番付に出たり、武道館を満員にしたりすることをサクセス呼ぶ時、サクセスは数量的に表せます。いくら稼いだ、コンサートに何万人動員したといった具合に。しかし、数量的な評価が続いてくると、いつの間にか稼いだ額、動員した人数が独り歩きしだし、数字の裏に含まれている意味がスリップしてしまい、やがて矢沢永吉個人とは別の意味を持つようになってしまうのではないでしょうか。矢沢永吉の個性とは離れたところで数字が意味を持つようになると、他者との区別は数字の差でしかなくなります。その時、当の本人は自分のかけがえのなさについて虚ろな思いを抱くことになるのかもしれません。矢沢さんの「サクセスとは違うところにハッピーのレールがあった」という言葉には、おそらくそのような思いがあったのではないかと思います。
 今、矢沢さんは「ひとりワイン」にハッピーを感じているそうです。「ツアー全26公演、完走。肩も腰も手首も痛めてる。いまはもう体力を気遣って、飲みに出ない。こないだも山口県の周南の小さなホテルで、お湯で割って飲むワイン。せいぜい2杯、3杯くらいかな」そのひとりワインのさ中、「その日のことも何日か前も、インターネットでズラーッと分かる。熱い感想がバンバン来る。ファンから、初めて聴いたという若い世代から」、自身に対するネット上の投稿に目を通していると記事は書いています。「部屋でひとり。ゆっくりと、酔いながら」ひとりワインの時間を大切にしていると。
 新年早々、まだお屠蘇を飲む前から、いい記事を読んだなぁと、何か心にしみるものがありました。