花・伊太利

日々の生活に関する備忘録です。

神宮で野球観戦

2010-05-31 23:39:04 | Sports
 「神宮球場と東京ドームの違いは?」、と問われれば、屋根のあるなしはもちろんですが、その屋根のあるなしがもたらす遠近感の存在をあげてみたいと思います。5月最後の日曜日、子供と一緒に神宮の外野スタンドで野球観戦をしました。密閉された東京ドームに比べて、神宮の方が視覚上の遠近感があることは当然です。レフト側外野席からは、先ず内外野の選手の動きが目に入り、その向こうには一塁側スタンドの応援風景、さらに遠くへ目をやれば六本木ヒルズなどのビルがあり、それぞれが異なるパースペクティブを与えてくれます。その一方で、この日、私が感じたのは音の遠近感でした。ドーム球場では、音の強弱は感じても、あまり遠近感を感じることはありませんでした。全体がひとつの鳴り物であるかのような感じです。一方、神宮では音の遠近感が顕著でした。子供が「何か飲み物を買ってきてもいい?」と聞くささやき声が最も近く、同じレフト側スタンドで野球観戦を楽しんでいる人たちの話し声や歓声、ビール売りのお姉さんの声、このあたりは近い音です。バットがボールを弾き返す乾いた音は、少し距離が離れるだけでなく、音に方向性が加わり、遠近感が三次元的になります。一塁側の応援団の声や音楽は、ボールの音のような鋭さはなく、また細部にわたる明瞭さもないものの、ダイヤモンドを越えてmassiveな重量感を伝えてきます。見通しが利くことがもたらす開放感は、それだけの時よりも、遠近様々なところから聞こえてくるいろんな音が行き交うことで、その伸び伸びとした感覚がより一層強まるようです。ママに告げ口されるのが怖かったので、やや遠慮気味にビールを飲んでいる私の横で、子供は大きな声で「かっ飛ばせー」と叫んでいました。

モンシロチョウを放つ

2010-05-23 17:19:03 | 季節/自然
 水曜から土曜にかけて、4匹のモンシロチョウのさなぎが羽化し、我が家から飛び立っていきました。蝶が羽化する様子を見てみたいと思い、頻繁に水槽の中を覗き込んでいましたが、ほんのわずかの隙を突かれてこっそりと羽化していました。朝、起きてさなぎを見た時は、さなぎの薄い皮を通してモンシロチョウの羽が透けて見えていて、もうすぐ羽化だと思いながら朝ごはんを食べた後、また水槽を見ると、なんとモンシロチョウが羽を伸ばしていたりするといった早業でした。
 ベランダからモンシロチョウがゆらゆらと舞い上がっていくのを見ながら、寂しく思ったのか、子供はすこしウルっときていました。「きっと、この間、卵を見つけた菜の花のところに戻って、卵を産むから、次はあの蝶々の子供を育てようよ」と話しました。今度は、羽化する瞬間に立ち会いたいものです。

 「ひらひらと風に流れて蝶ひとつ」 子規

さなぎの思い出

2010-05-14 22:23:22 | Weblog
 モンシロチョウのさなぎを見ていて思い出したことがあります。村上春樹さんの「1Q84」に出てくる空気さなぎではありません。学生の頃、同じ学年にいた女の子のことです。その子は、何と言いますか、fascinateな子ではありませんでした。口の悪い後輩がいまして、彼が歯に衣着せぬ非常に直接的な言い方で彼女を評した時、心優しい私の同級生が、「お前、そう言うな。蝶だってさなぎの時期があるじゃないか。今はまださなぎなのかもしれないぞ」と言うと、「先輩、そうは言っても、さなぎのまま腐って死んでしまうのもいますよ」と、さらに輪を掛けた悪口ぶりに、私たちは唖然としてしまいました。その後、幾星霜を経て、口の悪い後輩はアジアを股に掛けて活躍するビジネスマンになりました。かつては舌の上に牙が生えていたのが、最近では牙がやや丸みを帯びてきたようです。ビジネスの修羅場が彼を成長させたのでしょう。一方、後輩の毒舌にかかった女の子の方は、会う機会もありませんが、蝶になったともさなぎのまま腐ったとも聞いていません。家庭のことだとか、子供の教育のことだとか、そんな蝶ださなぎだといったこととは全然無関係なことで、日々、一生懸命頑張っていることでしょう。

モンシロチョウのさなぎ

2010-05-13 23:47:23 | 季節/自然
 朝、モンシロチョウの幼虫の小松菜を替えようと水槽をのぞいたら、やけに食いが落ちていました。いつもなら、ズタズタビリビリに破けたビニール凧みたいな情けない姿になっている小松菜が、比較的葉っぱの形のまま残っていました。「ややっ、死んでしまったか」と思いましたが、よく見ると水槽の端っこの方にさなぎになってへばりついているではないですか。食べっぷり、垂れっぷり、寝っぷりも良いですが、変わりっぷりもまた見事と感心しました。

モンシロチョウの幼虫

2010-05-12 00:24:47 | 季節/自然
 4月の下旬に子供と散歩をしていたら、菜の花のまわりをモンシロチョウが飛んでいたので、「モンシロチョウが卵を産んでいるかもしれないから、調べてみようか」と言って、菜の花の葉っぱを何枚か裏返して見てみると、薄黄色の卵がいくつか生みつけられている葉っぱがありました。葉っぱを付け根のところから折取って、失敬して家へ持ち帰り、水を入れた小瓶に差して水槽に入れておいたら、数日後糸くずのような幼虫が何匹かうごめいていました。持って帰った菜の花の葉っぱが黄色くしなびてきたら、スーパーで買ってきた小松菜を小瓶に差しておきました。最初、糸くずみたいだった幼虫は日を追うごとに大きくなり、孵化から半月ほど経った今、実にふてぶてしいありさまで小松菜をむしゃむしゃ食べるまでになりました。見てるそばから、小松菜に空いた穴が幼虫に食べられて大きくなるのを見ると、あのちっちゃな卵から孵った糸くずのような幼虫だとは思えません。それから、うんちの量も半端じゃありません。水槽の下に敷いた紙にボトッボトッと、うんちが落ちてきます。大きさはメダカの餌から金魚の餌くらいまでの大きさです。あれだけ食べれば、これくらいのうんちはするだろうなと思いますが、人間で言えば、自分の身体と同じくらいの量を1日で食べて、自分と同じくらいのうんちをするちいったところでしょうか。ちょっとびっくりです。また、幼虫を観察していると、ひたすら食べている時間と、死んだようにじっとしている時間があります。ちょうど、大相撲の五月場所が始まりましたが、お相撲さんと一緒で食べて寝ることで身体を大きくしているのでしょう。子供と一緒に、幼虫がぐんぐん大きくなるのを見ながら、そのうちひらひらと舞う蝶々になることを楽しみにしていますが、綺麗な姿のその陰にはむしゃむしゃ小松菜とボトボトうんちと死んだような一直線寝があることを忘れることはないと思います。