花・伊太利

日々の生活に関する備忘録です。

子規庵

2014-03-31 20:53:00 | Weblog
 3月も終わりに近いある日、台東区根岸にある子規庵を訪ねました。俳人正岡子規が若すぎる晩年を過ごした住居跡で、戦災で焼けたのを再建したものです。玄関を上がってすぐの部屋の左隣にある六畳間は、子規にとって「病床六尺、これが我世界」の部屋です。病臥する子規は「蒲団の外へまで足を延ばして体をくつろぐ事も出来ない」ながら、驚異の健啖ぶりを示します。その子規の食事を再現したミニチュアが展示されていましたが、健康な者でもこんなに食べるかなといった品数の多さ、量の多さに目を瞠りました。「仰臥漫録」で子規の食事について読んではいたものの、ミニチュアとはいえ実際に目にすると旺盛な食欲に今さらながらびっくりさせられました。一例をあげれば、

朝:粥三椀、佃煮、瓜の漬物
昼:めじのさしみ、粥四椀、焼茄子、梨二つ
間食:梨一つ、紅茶一杯、菓子パン数個
夕:鶏肉、卵二つ、粥三椀余、煮茄子、若和布(ワカメ)二杯酢かけ

と、粥だけで一日に十椀です。
 ドナルド・キーンさんは著書「正岡子規」(新潮社刊)の中で、病魔に侵されながらも「非凡な精力を子規に与えたのは、子規の胃腸の力にほかならなかった」と書いています。子規の命を奪った脊椎カリエスを病んだほかの人と比べて、胃腸の力故に子規がいくらか命を長らえさせることが出来たとしたら、そしてその長らえた命のおかげで一句、または文章の一行が書かれたとしたら、子規の胃腸の力は病気が与えたタイムリミットを延長させたばかりでなく、私たちに大きな恵みを与えたことにもなります。
 この日、港区の大門にある新亜飯店で夕食を食べました。ここのチャーハンはふわっと軽やかで、しかもやわらかい感じがして好きなのですが、子規の健啖ぶりに倣って5個入りのシューマイも頼みました(それと生ビール2杯)。食べ終わってお店を出た時、どっしりと胃袋に伝わる重さに自分の胃腸の力の程を思い知りました。

越前竹人形

2014-03-23 17:00:00 | Book
 某日、焼酎の三岳を飲んで少しいい気分になり、ゴロっと横になったら半時ほどうたた寝をしてしまいました。目が覚めた後お風呂に入ると、今度は目が冴えてなかなか寝付けなくなり、少し本でも読むかと思い水上勉著の「越前竹人形」(新潮文庫)を読み始めました。
 これは悲しいお話です。幼くして母を亡くした主人公は竹細工職人の父に育てられ、自身も同じく竹細工を生業とするようになります。その父が他界して天涯孤独の身となってからしばらく経った時、美貌の女性が父親の墓参りに訪ねてきます。しばらくしてその女性は父のなじみの娼妓であることが分かりますが、顔も覚えていない母親に似ているとの隣人の言葉に主人公は女性への思いを募らせ、やがて結婚します。主人公は女性への献身と竹細工、特に竹で作った人形の制作に全霊を傾けます。ある時、女性は昔娼妓であった頃の客と過ちを犯し、子どもを身ごもってしまいます。夫である主人公にそのことを告げられず、日ごとに大きくなるおなかを隠しながら、どうしたものかと途方に暮れる日々を送ります。子どもをおろすつもりで京都へ行きますが、処置してくれる医者は見つからず、ひとまず叔母の下へ行って相談しようと渡し舟に乗った時流産してしまいます。主人公に子どものことを気づかれずに済んでほっとしてからは、竹人形作りに精を出す夫を支え、夫の方はなお一層竹人形作りに精を出し、ふたりは至福の時を過ごします。しかし、それは長く続かず肺を病んだ女性は父の墓の隣に葬られることになります。そして、抜け殻となった主人公は竹人形作りをやめ、首を吊って自ら命を絶ちます。
 突然現れた女性と一緒に生活するようになり、幸せな毎日を送っていたのが、やがてまた突然女性が姿を消してしまい悲嘆に暮れる昔話があります。例えば、「雪女」、そして「鶴の恩返し」。「越前竹人形」とシチュエーションこそ違え、女性が現れて幸せになり、女性との別離により不幸になるといった構図は同じです。谷崎潤一郎は「『越前竹人形』を読む」(岩波文庫「谷崎潤一郎随筆集」所収)の中で、「竹取物語」とイメージを重ね合わせています。「竹取物語」もまた女性との別離のお話であります。そんなことを思いつつ「越前竹人形」を読み終えました。
 以下は蛇足ながら「越前竹人形」でもったいないなぁと思ったことです。京都の美術商に竹人形の素晴らしさを認められ、主人公の前途が一躍開けるやに思われたところで、「玉枝の人生の大きな転機になろうとは、このとき誰も気づかなかった」とあります。この先の展開を安易に示す一文は昼メロのナレーションチックで、ちょっと興醒めしました。思った通り女性(玉枝)は魔がさして、不倫の子を身ごもることになりました。あの文章はとても残念でした。