花・伊太利

日々の生活に関する備忘録です。

そんな役目があったのか!?

2011-11-29 23:38:01 | Weblog
 最近、ある先輩の家にご不幸があり、私が香料を取りまとめることになりました。その方の実家が遠方ということもあり、会葬御礼は後日宅配便で会社へ届けられることになっていました。会葬御礼がそろそろ届こうかというある日、私の同期がやって来て「会葬御礼は届いた?」と聞くので、「まだだけど、どうして?」と問い返せば、「冠婚葬祭の出費は小遣いとは別勘定になっているから、会葬御礼を見せると立替えた分のお金がもらえるんだよね」との返事でした。「いくら包んだからって言えばいいんじゃない」と聞いたら、彼の答えは「それでもいいけど、会葬御礼が領収書代わりなんだ」ということでした。世間一般では常識なのかもしれませんが、私は会葬御礼が香料の領収書の役目を果たしていることを知らなかったので、ちょっと新鮮な驚きでした。ちなみに、私は千円だろうが二千円だろうがお小遣いが余ると、せこくへそくっていて、結婚以来それなりの年月の間にそれなりの額になっているので、冠婚葬祭はそのへそくりで対応します。金額が大きくなる結婚式はだいぶ前に予定が分かるので、昼ごはんのランクを落とすなどして長期的に資金を作ります。さて全くくだらないことですが、会葬御礼に包んだ金額は書いてないので、奥さんからお金をもらう時に多めに申告すれば、懐が潤うのにと思いました。でも、この時の同期はまじめな性格なので、さすがにそんなことは言いませんでした。

朝の出会い

2011-11-17 23:03:55 | Weblog
 オートロックのマンションには新聞配達の人が入って来られないので、1Fのポストまで新聞を取りに行かなければなりません。この秋、東京の最低気温が10度を下回った水曜の朝、新聞を持って階段で部屋へ帰る途中、一面を見ていたら、吉野家の広告に目が止まりました。期間限定で牛丼の並が270円という内容でした。通常がいくらか知りませんが、相当安いんだろうなと思いました。家で新聞をめくっていたら、今度は山川出版社の本の広告に目が止まりました。本のタイトルは「イタリアの中世都市」です。イタリアのコムーネと呼ばれる都市の形態に興味があったので、「フィレンツェ・ジェノヴァ・ヴェネツィアを中心に、中世イタリア都市の政治制度や商業システム、都市民の姿を描く」のコピーに気が引かれました。
 お昼になって、さてどこにごはんを食べに行こうかと考えている時に、朝見た吉野家の広告を思い出しました。数ある広告に中で記憶に残っているだけでも、何かの縁があるのかなと思い、270円の牛丼を食べました。一方、「イタリアの中世都市」の方は、区の図書館の蔵書にはなかったので、会社の帰りに本屋に立ち寄り購入しました。こうやって牛丼を食べたり、本を買ったりすることは、朝、新聞を読んでいる時の予期せぬ出会いによるものです。思いがけず何かを発見したり、幸運に巡り会ったりすることを「セレンディピティ」と呼ぶそうですが、私の水曜の朝の出会いもセレンディピティと言って良いかもしれません。もっとも、牛丼を食べることは「発見」でも「幸運」でもないので、「イタリアの中世都市」に期待したいものです。

備えあれば

2011-11-16 07:17:22 | Weblog
 土曜日、プールに行こうと思っていたら水着が見つからなかったので、代わりに散歩に行くことにしました。家は出たもののさてどこへ行こうか思案していると、「新宿で飲んで電車がなくなり、タクシー代も飲み切ってしまった時のために、家まで歩くとどれくらい掛かるか、試しに歩いてみよう」と、そんな考えが頭に浮かびました。特に理由もなく、副都心線(明治通り)に沿って歩いてみることにし、雑司ヶ谷、西早稲田を経て新宿まで歩きました。約1時間半。歩いて歩けないことはなさそうです。新宿でビールを飲んで電車で帰っても良かったのですが、新宿まで来たら渋谷までも歩けるだろう、渋谷で飲んで終電がなくなることも決してないとは言えないしと、今度は渋谷へ向かいました。代々木から明治神宮を突っ切って原宿に出て、渋谷へ下りました。勢いが付いたのか、ここまで歩いたのだから帰りも歩こうと思い、246を赤坂見附まで歩き、四谷から外堀通りを通って家へ帰りました。全部で4時間を少し超えるくらい掛かりました。
 さて、「備えあれば憂いなし」と言いますが、中には余計な備えもあるかもしれません。例えば、銀座で飲んでいて、そこで帰れば良いものを、新宿で飲み直し、それでも電車のある時間に帰ればまだしも、「新宿から歩いて1時間半だからな」と、ダラダラ飲み続け、本当に歩いて帰る羽目になり、次の日、ボロボロとなってしまえば、「憂いなし」なんて言ってられません。「技癢(ぎよう)」という言葉があります。自分の腕前を示したくなる気持ちの意味です。「技癢」に相通ずる人間の性として、変に備えをしてしまうと、備えを必要としないのに、敢えてその局面を作ってしまう誘惑に駆られてしまいそうです。特に酔って前頭葉が機能していない時はなおさらです。

読書欄

2011-11-08 21:54:19 | Book
 日曜日の新聞で楽しみなのは読書欄です。本に関する記事はもちろんですが、記事の下の広告も本の広告で、4頁にわたってたっぷり本の情報が詰まっています。読書欄を見てすぐさま書店へ飛んで行くようなことはめったにないものの、それでも何か面白そうな本はないかと、毎週楽しみにしています。11月最初の日曜日、朝日新聞の読書欄を見ていると、先日亡くなったアップルの創始者、スティーブ・ジョブズの伝記が取り上げられていました。発売から数日でミリオンセラーになったと新聞の記事に出ていたこともあり、きっと波瀾万丈の人生が綴られた面白い本なんだろうなと思って書評を読んでみました。すると、のっけから「基本線では目新しさの余地がない」とあり、全体的にネガティブ・トーンの書評でした。この本が面白いのか面白くないのかはひとまず置くとして、一般紙の読書欄は、「こんな面白い本がありますよ」といった前向きなものであって欲しいと思いました。活字文化の大きな担い手である新聞社は、みんなが文章に触れたくなるような気持ちを作る使命があると思います。仮に今話題の本をつまらないと思っても、つまらないという記事を載せるのではなく、面白い「別の本」を紹介するべきではないでしょうか。新聞には文化欄があります。本の善し悪しや論評はそちらに任せて、読書欄では、本を読もうとする気持ちにドライブを駆けるような紙面作りを心掛けて欲しいと思いました。