花・伊太利

日々の生活に関する備忘録です。

日本庭園における中年兄弟の小宴

2012-10-30 23:32:31 | Weblog
 10月最後の土曜日、弟と都内の日本庭園へ行きました。弟から「鮒寿司があるので一緒に食べないか」と誘いがあり、日本庭園で景色を楽しみながら鮒寿司を賞味することになったからです。鮒寿司ならやはり日本酒は不可欠。そこで弟と落ち合った後、成城石井のお酒コーナーへ行きました。鮒寿司だから滋賀県のお酒があればと探していたら、東近江市の喜多酒造で作っている「喜楽長」がありました。鮒寿司と喜楽長を持って日本庭園へ。庭園の造作を楽しむのももどかしく、先ずは落ち着けそうなベンチがないかと目をあちこちへ走らせたところ、紅葉にはまだ随分早く、しかも閉園まであと1時間ほどでしたから、そもそもそんなに人は多くなく、結局、あたりの雰囲気に比較的違和感なく溶け込めそうな松林があるあたりのベンチに腰を下ろして、鮒寿司の包みを開けました。チーズのような酸っぱいにおいが鼻につき、「これ、これ」と期待感が高まってきました。喜楽長の口を切ってそれぞれの紙コップに注ぎ、準備整ったところで鮒寿司を一切れ口に入れました。つーんとする酸味が口の中に広がり、噛みしめるとさらに濃厚な酸味、ねまったような味が噴出してきました。唾液がどっと出てきて、「やっぱ、来るなぁ」と思いながら、続けてガジガジと噛み込みます。固い皮の部分が最後まで残り、それを飲み下してしばらくすると、最初のインパクトはだんだん収まってきます。それがやがて余韻となる中で、次の一切れに箸を伸ばしたくなります。癖になるというやつです。喜楽長の辛口で舌を洗って、また一切れ放り込みます。但し、酸味が強烈なので、この珍味を味覚として味わうのも三切れ、四切れまででしょうか。だんだん舌がバカになってきます。弟と「そのまま食べるのは三切れまでで、ここからはお茶漬けにしたいとこだよね」と話し合いました。それでも米粒の形が失われてじゅちゃじゅちゃになったごはんや卵巣の一部が、鮒の身から器にこぼれたのを箸で集めて口に入れては、喜楽長のおかわりをしました。そうこうしているうちに、鮒寿司はにおいだけ残して跡形もなくなりました。閉園時間が近づき、人影はいよいよまばらになり、食べ始めた時にはまだ青みが掛かっていた空は、今や黒に近い灰色に変わっていました。庭園の隣にあるドーム球場からは、その日に始まる日本シリーズの観戦に集まったファンの応援の音が聞こえ始めてきました。「ぼちぼち」と声を掛け、腰を上げ庭園を出ました。庭園の風流を愛でる心を持たず、ただ飲み意地だけの中年の兄弟は、やや無表情な面持ちで神楽坂へ向かいました。そして、すっぽんスープのうどんすきを食べながら、ビールとワインを飲みました。

ある意味良かったこと

2012-10-11 23:51:41 | Sports
 プロ野球レギュラーシーズンが終わり、何人かの大物選手が引退します。タイガースの金本選手と城島選手、ホークスの小久保選手です。長く球界の顔を務めてきた選手のプレーが見られなくなるのは寂しいことですが、でも、ある意味良かったとの思いもあります。働きと処遇の乖離が大きくなった時、自らユニフォームを脱ぐ姿は、プロの世界の厳しさを示しているからです。それは勤め人の私の周りでは見られないことだからです。惜しむらくは、引退を余儀なくさせる若手の台頭がタイガースにはなかったことです。体力の限界だけが引退の引き金だとしたら、それは野球ファンとしてちょっと寂しいことです。

地球も生きている

2012-10-10 23:34:01 | Weblog
 9月30日は北海道から東京へ帰る日でした。この日はまた、台風17号が日本に上陸した日でもありました。台風の影響が出る前に、ギリギリ東京へ戻れると思っていましたが、台風は日本に近づくにつれて速度を上げ、30日朝の天気予報では「ヤバイかも」といった感じでした。お昼に札幌郊外の月寒へ冷凍ではない生のラム肉のジンギスカンを食べに行ったあたりまでは、「まぁ、大丈夫だろう」と高をくくっていましたが、でも繰り上げられるなら便を繰り上げてもらおうと、早めに空港へ向かいました。しかし、空港に着いてみると、「17時以降に羽田を離発着する便は全て欠航」の表示が出ていました。「空港で夜を明かすことになっては大変だ」と、ホテルの手配に取り掛かりました。みんな札幌方面に殺到するだろうと思い、逆方向の苫小牧で探し、宿はすんなり確保出来ました。今度は東京へ帰る便です。カウンターには既に長蛇の列が出来ており、2時間半並んでようやく自分の番になった時には、翌10月1日の羽田行きは全便満席。本州へ飛ぶ便で空席のある一番早い便は、17時半発の福島行きとのことでした。さらに一泊して2日に帰るよりも、何としても1日に帰りたかったので、福島空港から郡山に出て、新幹線で帰る腹を決めました。苫小牧のホテルにチェックインしたのは20時半頃。北海道もだんだん雨脚が強まって来る中、苫小牧駅近くの居酒屋で北海道の地酒の「国稀」や「北の譽」を飲みながらの夕餉となりました。欠航と知った時は、「仕事はどうなるんだよぉ」と焦り気味に、長蛇の列の中であちこちへ電話を掛けていましたが、酒が入れば気持ちも落ち着いてくるものです。「台風が来るということは地球が生きているということさ。台風の無い星じゃぁ、人間も生きられない」と達観したようなことをのたまい、「あっ、お姉さん、お酒お代わりね」と言いながら、氷下魚をかじっていました。さて、翌日の昼頃、予約した便の発券のため、千歳空港でまた長蛇の列に並んでいると、羽田行き臨時便のアナウンスが聞こえてきました。ほかのメンバーに臨時便の様子を見に行ってもらったら、うまいこと席が確保出来、結局、予約した福島便が飛び立つ頃に、羽田空港へ帰ることが出来ました。みんなで脳天気に、「福島空港へ行くチャンスだったのにね」と笑いながら解散しました。

山は生きている

2012-10-08 17:34:37 | 季節/自然
 9月末に北海道へ行ってきました。ある火山に登るためです。その火山は登山の対象とはなっていませんが、今年の夏前に、火山を研究されている方に同行して一緒に登りませんかと誘われました。一生に一度あるかないかの機会なので、二つ返事で同行させて頂くことにしました。鍵の掛かったゲートから山に入り、しばらくは木や草の中の道を歩きます。今から30年ほど前、修学旅行でこの山の麓を訪れた人がいて、「その時は木など生えておらず、麓まで裸の赤茶けた山だった」と言っていました。もうさらに30年もすると、全体が緑の山となり、パッと見には火山だとは分からなくなるかもしれません。林を抜けると、山肌から白く蒸気が立ち上っているのが目に入りました。だんだん火山らしい雰囲気が身近に感じられるようになってきて、硫黄のにおいもしてきました。所々で立ち止まり、説明を受けました。山が煉瓦色となっているのは、溶岩の隆起で持ち上げられた地面の土が熱で焼けたためだそうです。溶岩の色かと思っていたのが、土が焼けた色であることを知りました。途中、丸い石が転がっている箇所がありましたが、これは元々川だった場所が隆起したところで、河床の石がそのまま残っているとのことでした。刺々しい感じの火山岩の中で、つるつした丸い石があるのはちょっと不思議な感じがします。崩落した大きな岩の塊を避けながら、山腹をぐるっと回り込んで登り口のちょうど反対側に来ると、水蒸気が盛んに立ち上る場所に出ました。地面に触れると手のひらにしっかりと伝わる熱に、「山が生きている」ことが実感出来ました。冬には暖を求めて野生動物が集まる場所でもあるそうです。このあたりからは頂上への道が見えてきます。頂上に近づくにつれ、海蘭(ウンラン)の可憐な花が目につき始めます。海岸の砂地に生える植物ですが、栄養の少ない砂地で鍛えられた生命力が火山地でも発揮され、新たに分布域を広げてきたのでしょう。この日、天気予報は思わしくなかったものの、何とか雨に降られずに天気が保ったといったところでした。そのため「展望抜群、眺望絶佳」とは言えませんでしたが、北海道の雄大な景色が360度に広がってました。登山隊一同で記念写真を撮って、地球の息遣いが未だ生々しい山の頂を後にしました。