花・伊太利

日々の生活に関する備忘録です。

酒の仕込みを見に行く

2015-03-22 15:54:28 | Weblog
 ひと月ほど前になりますが、ある日本酒の酒蔵を見学させて頂く機会がありました。有名な銘柄の蔵元なので大きな蔵だろうと想像していたところ、思いのほかこじんまりとしていました。蒸した酒米を運んだり、桶の中で酒米をかき混ぜたり、酒造所の方々が働いている姿を見ていると、日本酒造りは家内制手工業なんだなあと思いました。この日、残念ながら搾りをやっていなかったので、搾りたては飲めませんでしたが、製造工程に沿って蔵をひと通り案内してもらった後、生酒、濁り酒、大吟醸と試飲させてもらったすべてが美味しく、大満足の酒蔵見学でした。お土産に買ったいろいろなお酒を宅配便で自宅に送りました。後日、家に届いたお酒のうち、生酒の口を切り飲んだところ、美味しくて一気に全部飲んでしまいました。家族の冷たい目を感じたので、「手間暇かけて一所懸命造ってくれた職人さんたちの気持ちに応えたくて、つい飲み過ぎてしまった」と言い訳すると、子どもから「お酒を造った人への感謝の気持ちと飲み過ぎることは結びつかない」言われました。
 さて、お土産のお酒の中には昭和63年製造の古酒がありました。27年前のお酒です。先日、このお酒を持って実家を訪ねました。古酒は濃いめのお屠蘇、あるいはハンガリーのトカイワインのような色合いで、とろっとした感じの濃厚なお酒かなと思いひと口含むと、まろやかすっきりとした味だったのは意外でした。酸っぱくなっていず、余程保存に工夫がされているのだろうと思いました。雑味が感じられず、「熟成」という言葉がぴったりのお酒でした。ただ、このお酒で一番有難かったのは、「こんな珍しいお酒が手に入ったよ」とお酒を飲む格好の口実が出来たことでした。酒好きはいろんな口実を作ってお酒を飲むものですが、それが楽しい語らいの場を設けるきっかけとなれば、お酒造りに励む職人のみなさんもきっと喜んでくれるだろうと思います。

過去と向き合わない人

2015-03-17 22:18:48 | Weblog
 今朝、朝日新聞朝刊にびっくりする記事が載っていました。それは見落としそうな小さな記事でしたが、私に与えたインパクトは大きなものでした。記事によると、自民党の三原じゅん子参院議員は参院予算委員会において、太平洋戦争中に戦争を正当化するためのスローガンとして使われた「八紘一宇」を「日本が建国以来、大切にしてきた価値観」とした上で、「八紘一宇の理念のもとに、世界が一つの家族のようにむつみあい、助け合えるような経済、税の仕組みを運用することを確認する崇高な政治的合意文書のようなものを、安倍総理こそが世界中に提案していくべきだと思う」と述べたそうです。「世界が一つの家族のようにむつみあい、助け合えるような」と言えば聞こえは良いですが、「八紘一宇」における家族とは現在の民主的な家族ではなく、天皇を頂点とする上下関係に支配される人間関係です。かつて丸山眞男さんは天皇との距離(近さ)によって人間の価値が決められることを、ニーチェの言葉を使って「へだたりのパトス」と呼びましたが、「八紘一宇」はそのような価値観に基づいたものでした。歴史性などまったく無視した三原議員の乱暴な発言に本当にびっくりしてしまいました。この歴史認識の欠如ぶりからすると、「大東亜共栄圏はWin-Winの関係を目指したものだった」なんてことも言い出しかねないと思いました。

過去と向き合う

2015-03-10 22:52:33 | Weblog
 今日の朝日新聞朝刊にメルケル独首相が浜離宮朝日ホールで行った講演の全文が掲載されていました。その中で、戦争に対する歴史認識について次のように述べています。「悲惨な第2次世界大戦の経験ののち、世界がドイツによって経験しなければならなかったナチスの時代、ホロコーストの時代があったにもかかわらず、私たちを国際社会に受け入れてくれたという幸運です。どうして可能だったのか? 一つには、ドイツが過去ときちんと向き合ったからでしょう。そして、全体として欧州が、数世紀に及ぶ戦争から多くのことを学んだからだと思います。」 これを読んで、先日、友人がつぶやいたことを思い出しました。つぶやきは、文官が武官よりも優位に立つ文官統制を定めた防衛省設置法12条の改正に関するものです。中谷防衛相が記者から「文官統制は軍人の独走を許した戦前の反省に基づく規定だが」と問われた際、防衛相は「その法律は、私が生まれる前に出来たものだから、当時の趣旨は知らない」と答えたそうです。友人はこの発言に触れ、「法律の趣旨を知らずに法律の運用、解釈は出来ないのに、ましてやその条文を改正しようなどとは・・・」と驚きを隠さず、「何という言葉の軽さ」と憂い顔でした。さて、メルケル首相はこうも語っています。「(独仏の)和解は、今では友情に発展しています。しかし、隣国フランスの寛容な振る舞いがなかったら、可能ではなかったでしょう。ドイツにもありのままを見ようという用意があったのです。」 過去ときちんと向き合おうとしない防衛相の発言を隣国の人たちがどのような気持ちで聞いたかを思うと、私も友人と同じ憂いを感じずにいられません。

当たり前の事になる

2015-03-09 21:32:14 | Weblog
 本日の朝日新聞夕刊にドイツのメルケル首相来日に関する記事が載っていました。浜離宮朝日ホールでの講演で女子学生から苦労について尋ねられ、「私はたくさんの人に支えられてきた。最初は大変だったが、一回踏み出すとそれが当たり前の事になる」と答えたことが紹介されていました。「一回踏み出すとそれが当たり前の事になる」、これはとっても良い言葉だと思います。新しいこと、面倒くさそうなこと、辛そうなことに直面した時、先延ばししたり回避したくなるのは人情ですが、そういう時に「やってやろう」と自らを鼓舞して取り組むと、想像していたよりどってことなかったりすることがままあります。多少面倒くさかったり、辛かったりしたとしても、次からは普通のことになっています。私はこのようなことを「こころの閾値が上がる」と呼んでいます。自分の中で普通のことが増える、つまり大変だと思うこと、嫌だと思うことが減り、こころが動じなくなります。
 ところで、朝日新聞の記事を読んでいて変なことを思い出しました。山登りの最中、経験の浅い仲間が「んこ」をしたくなったことがありました。蒼白な顔で「結構限界、もれそう」と切羽詰った様子です。「見ないから、そこらの木の陰でやってこいよ」に、「トイレ以外でしたことないから・・・。」表情からすると麓までのあと1~2時間我慢出来そうにも見えなかったので、「もらすと取り返しがつかなくなるぞ。帰りの電車に乗れないし、他の連中に知られれば、会社に来られなくなる。ちょっと山をやってる連中はみんな平気でするもんだ」と半ば脅すように、半ば励ますように言うと、少し間を置いてから意を決したように登山道を離れて樹林の中に消えて行きました。そして、しばらくたってすっきりした顔で戻ってきました。この時、彼は「こころの閾値が上がった」のではないかと思います。帰りの電車の中でビールを飲んでいたら、声を落として「お蔭さまで山でんこが出来るようになりました」と、はにかみながら、でもどことなく嬉しそうに話し掛けてきました。「当たり前の事」が増えることは、それだけ逞しくなることを意味します。

氷瀑を見に行く

2015-03-03 22:18:15 | 季節/自然
 明日から3月という日、最後に冬らしい景色を見ようと凍った滝を見に行きました。ある登山道の途中にある滝は冬季凍ることを聞き、会社の山仲間と出掛けました。この日の天気予報はあまり良くなく、雨が降りだしたら途中で引き返そうかと思いながら家を出たのですが、空はバッチリ晴れ渡っていました。ただ、今年は冷え込みがそんなに厳しくなかったのと、2月と言ってもほとんど3月みたいなものだし、滝が凍っているかどうかを心配しました。山頂でカップ麺と紅茶ウィスキーのブレイクをとった後、目指す滝がある下山路に入りました。途中の沢らしきところは枯れていたので、仮に寒さが厳しくてもそもそも水がなければ滝は凍らないよなぁと、期待感がだんだん薄れていった時、樹林越しに白いレースのようなものが付いた岩肌が見えました。思わず足取りが速くなり近くに寄ってみると、滝に大きなツララがたくさん付いていました。氷の巨壁として迫ってくる八ヶ岳は硫黄岳の氷瀑は見ごたえがありますが、ポタポタ滴を垂らすツララの滝も冬っぽさと春っぽさが相俟って、かわいいながらいいものだと思いました。滴やツララが落下して砕け散る氷の欠片をよけながら滝を見上げていると、飛行機雲がさあーっとまっすぐに伸びていきました。あまりのタイミングの良さ、飛行機雲の見事なくっきりすっきり具合に、「春の予感はいいことがありそうな予感」と手前勝手な色気を覚えるほどでした。仲間たちも大いに喜んでいて、下山後、5時に始まった宴会は8時になっても9時になっても誰も帰ろうと言わず、10時半頃まで続いたのは満足度の高さを物語っていると思いました。