花・伊太利

日々の生活に関する備忘録です。

保護・規制・モラル

2012-11-29 00:17:08 | Weblog
 11/28の朝日新聞朝刊にかつて米国連邦準備制度理事会(FRB)議長を務めたポール・ボルカーさんのインタビュー記事が載っていました。銀行から投棄的活動を分離しようとする「ボルカー・ルール」に関連した発言に次のようなものがありました。「銀行は重要な公共サービスを行っているがゆえに世界中どこでも保護されている。規制されていると同時に、政府の安全網の中に入っており、支援も受けている」「銀行は貸し出しを通じてリスクを取り、それによって社会に便益をもたらし、経済は成長する。だから銀行は政府から保護される」
 要するに、銀行は社会に貢献する活動を行っているがゆえに、その活動が円滑に行われるよう保護を受けているのであって、保護を受けて有利な立場にあるから、それを利用してどんな荒稼ぎをしても構わないとはならない、ということを言っています。確かにその通りだと思います。銀行に限らず、社会的な使命を理由に保護されている業界があります。この記事を掲載した朝日新聞をはじめとするマスコミもそのひとつでしょう。ですが、その保護にも関わらず、使命をないがしろにすることがないよう、自ら厳に戒めることを忘れてはいけないと思います。それは安全網の中で支援を受ける者のモラルだと思います。
 ボルカーさんは、「資本主義経済、競争がしっかりある状態を望んでいる。一方、政府には市場が公平に運営され、競争が確保されているか監督する役目がある。・・・(中略)・・・金融市場は、規制が少なすぎる状態になったが、過剰な規制もよくない」とも語っています。規制が少なすぎる状態になった結果が、「当局は、住宅市場や金融取引での過度な投機を防げな」くなり、リーマンショックに至りました。モラルが欠如すると、最終的に大きなつけを払わせられることを、私たちは肝に銘じなければならないと思います。

長生きの秘訣

2012-11-18 17:28:08 | Weblog
 「GLOBE」は隔週の日曜日に発行される朝日新聞の別刷です。今日折り込まれていた「GLOBE」に、余命9ヶ月の宣告から35年以上も生き、現在97歳(本人は102歳と主張)となり、いまだかくしゃくとされている方の記事が出ていました。
 ギリシャからアメリカへ移住していたモライティスさんは、60歳代半ばに肺がんで余命9ヶ月と告げられます。そこで、モライティスさんは最期の時を過ごすために故郷へ帰ることにしました。モライティスさんの故郷は、トルコの西約50キロメートルのエーゲ海上のイカリア島です。面積260平方キロメートル、人口1万人の島です。島へ帰ったモライティスさんは、そこで最期を迎えると思いきや、逆にだんだんと元気が戻ってきて、なんとそれから35年がたち、今は97歳になっています。
 イカリア島の住民が90歳に達する確率はアメリカ人の2.5倍、男性については4倍近いそうです。また、がんや心臓血管の病気になってから死亡するまでの期間は8~10年も長く、うつ病や認知症も少ないとのことです。
 記事ではイカリア島の長寿の理由をいくつも挙げています。①夜更かし、朝寝坊、昼寝、②肉や乳製品の飽和脂肪の摂取量が少なく、心臓病のリスクが低い、③オリーブオイルで悪玉コレステロールを減らし、善玉コレステロールを増やす、④ヤギのミルクは必須アミノ酸が含まれている、⑤ワインは抗酸化力を持つフラボノイドの吸収を促進する、⑥コーヒーは糖尿病、心臓病、パーキンソン病のリスクを下げる、⑦自然そのままの野菜は身体に良く、島の野菜の中には赤ワインの10倍の抗酸化物質を含むものもある、⑧仕事に追われず、家族や友だちと楽しい時間を過ごす、などです。
 記事の最後に、「肺がんが治ったのはなぜか?」の質問に対するモライティスさんの答えが紹介してあります。いわく、「島に戻って25年ほどたったころに一度、その理由を聞きにアメリカに戻ったことがある。だけど、私をみてくれた医者はみんな死んでしまっていたよ」イカリア島は確かに長寿の島かもしれませんが、97歳、あるいは102歳でなおモライティスさんが元気にお暮しの一番の理由はユーモア豊かな心があるからではないかと思います。

良い機会だと思って

2012-11-17 10:43:47 | Weblog
 2009年の夏、自民党政治の継続か、それとも新しい政治スタイルを掲げる民主党に賭けてみるか、この選択において民主党が多数の支持を得て政権につきました。それから3年、野田内閣の目下の支持率が示す通り、見かけ倒しの体たらくに「裏切られた」との思いを持っている人は多いと思います。朝日新聞が行った世論調査(11/13付朝刊)によると、「次の衆院選後の政権の形は」に対する答えでは、「民主党でも自民党でもない政党が中心の政権」が32%と一番多く、時計の針を逆に戻すことをみんなが望んでいないことも明かです。野田総理が自棄のやん八気味に打って出た今回の解散総選挙、民主、自公、第三極、果たしてどこが主導権を握ることになるのか、見当がつきませんし、残念ながら期待を寄せたい政党もありません。世の中全般で見ても、永田町劇場の茶番劇に失望のあまり、「選挙?、興味ないね」といった人もかなりいることでしょう。しかしながら、12月4日から始まる選挙戦を私は楽しみにしています。何だか訳の分からない選挙ということは、それだけ悩めるということです。悩めるということは、取りも直さず、いっぱい頭を使えということです。日本の政治にとって何がベストの選択かを見極める自信はありませんが、少しでもましな答えに至るため、自分の一票に何らかの意味を与えるために、大いに悩んで、大いに考えてみようと思います。難問にチャレンジする良い機会です。そう思うと、12月16日の投開票日まで、ああだろうか、こうだろうかと頭を悩ませるのが楽しみです。

昔は大変だったんでしょうね

2012-11-12 23:38:23 | Weblog
 今日、気まぐれで会社へ歩いていくことにしました。6時50分に子どもと一緒に家を出て、バス停で子どもを見送ってから会社へ向かいました。やじうまワイドで依田さんが「雨はもうじき上がります」と言っていたのに、小糠雨が降っています。傘をさそうか迷いましたが、依田さんを信じて折りたたみ傘を鞄にしまったまま歩きました。しかし、お茶の水あたりではっきりと雨粒を感じるようになったので、とうとう傘をさすことにしました。ほどなくまた霧雨に戻りましたが、会社につくまで結局雨が完全に上がることはありませんでした。
 さて、どこからどう出たのか、「ひょっとしてこの道を、江戸時代のお侍さんたちも登城するために通ったのではないか」と、思いました。昨夜の強い雨に引き続くこのぐずついた天気では、きっと当時は道がぬかるんで歩きにくかったことでしょう。今のように舗装されている訳ではないので、泥水がわらじから足袋へと染み込み、跳ね上がった泥で袴の裾は汚れたに違いありません。泥水でぐしょぐしょになった足袋ではお城の畳に上がれないので、替えの足袋を持って行かなければならなかったかもしれません。汚れた足袋や泥の跳ねた袴を洗う奥方も大変だったでしょう。袴はきっとつまみ洗いです。お侍さんは雨の日の勤めはさぞ嫌だったろうなぁ、それに比べて今は、と思いました。
 東京駅から皇居へ続く銀杏並木が色づき始めていました。霧雨とも靄ともつかぬ霞すんだ中で、銀杏の黄色い葉っぱが濡れそぼっているさまは、晩秋の風情を漂わせています。お侍さんの頃はこの銀杏並木はなかったでしょうから、その点でも自分は恵まれているなと思いました。依田さんの天気予報が当たっていたら、こんな感慨に耽ることもなかったかもしれません。

波紋の大きさ

2012-11-09 01:40:46 | Weblog
 相当昔のことですが、小学生の頃、遠足の道すがらに肥だめがありました。しばらく使われいなかったのか、表面が乾いてワニの背中のようになっていました。見た感じとても固そうだったので、どれくらいの厚さで固まっているのか試してみようと両手で持ち上げるくらいの石を放り込んでみました。ひびが入るくらいかと思っていたのが、意外や意外、見た目の割には全然厚みがなく、ワニ背中はあっけなく粉々になり、どっぽ~んと石が沈んだ反動であたりに勘弁してもらいたいものが飛び散りました。機敏に飛び退いたつもりでしたが、飛沫を全て避けることは出来ず、みんなの鼻つまみ者になってしまいました。
 文部科学大臣の新設大学に関する一連の騒動を見ていて、ふと過去の失敗が思い出されました。波紋の大きさが読めなかった点で共通しているからです。一方は今となっては笑い話で済まされますが、もう片方は済まされません。与える影響が読めない人に権力を持たせるとどうなるか、同じ過ちが繰り返されそうで怖いです。