花・伊太利

日々の生活に関する備忘録です。

プーチンを生んだもの

2022-03-26 11:34:29 | Weblog
 「共和国的ではない体制では、戦争は世界の日常茶飯事の一つとなる。それは国家の元首が国家の一員であるのではなく、国家の所有者だからである。戦争を始めたところで、元首は食卓の楽しみも、狩猟のような娯楽も、離宮の建造や宮廷の祝典のようなぜいたくも、戦争のためにごくわずかでも損ねられることはないのである。だから元首は戦争を一種の娯楽のように考え、それほど重要ではない原因で開戦を決意するのである。そして体裁をつくろうために、いつでも待機している外交使節たちに戦争を正当化させるのである。」

 これは18世紀の哲学者カントが「永遠平和のために」(光文社古典新訳文庫)の中で述べた言葉です。今読めば、ある人の顔を思い浮かべざるを得ません。

 また、カントは共和的な体制が戦争に対してブレーキを掛ける理由としてこんなことを言っています。戦争になれば人々は自ら兵士とならねばならず、戦費のツケを負わされ、戦禍のつぐないをしなければならない。割に合わない選択はしないと。

 ロシアが民主的な国ではなく、権力の集中に歯止めを掛けられなかったことが、このたびの戦争の根っこのところにあるかと思います。

 では、ロシアのみに責があるかと言えば、そうでもないような気がします。グローバリズムという名のエゴイズム、そのグローバリズムが協調なき利益追求の貫徹を許している世界のありさまに、「俺も一丁」と思ったのなら、プーチンを生んだのはロシア国民だけではないことになります。

 カントは「永遠平和のために」で、「平和条約は休戦条約に過ぎない」とも書いています。ウクライナの戦火が一日も早く終息することを願うのはもちろんです。ただ、ロシアが引き上げて良かったでとどめず、戦争を起こさせない世界の枠組みを作るにはどうすれば良いか、200年以上も前の哲学者が考えた問題を、さらに私たちも自分の時代の問題とすることを避けられません。

シュンラン2022

2022-03-15 03:09:03 | 季節/自然
 季節の階段を2段飛ばしで駆け上がったような暖かさだった週末、子どもと春を感じに山へ出掛けました。お目当てはシュンラン。白く透き通ったジェルで出来たレースの衣をまとった姿が陽光を浴びた姿は、春の息吹が感じられ浮き立つような気持にさせてくれます。

 ところが、今年は冬の寒さが厳しかったせいか、ほとんどのシュンランはまだ葉っぱのみでした。花が咲き揃うには、あと2週間ほど掛かりそうです。丹念に探しながら歩いて蕾が認められたのはほんの数株、そして咲いたと言って良いかためらわれそうな咲き始めが2株でした。

 瑞々しいシュンランの花を子どもに見せたかったのですが、残念ながらそれは叶いませんでした。しかし、咲いていると期待したものが咲いていなかった、それでも特に日当たりの良い場所でやっと花のはしりが見られたことが、逆に季節の動きを印象づけたようでした。

 行けばいつも絶景や満開の花が待っているなんて思うのはそもそも期待過剰ですが、当てが外れてがっかりした様子はなく、それなりに楽しんだ風に見えました。帰りに途中下車して立ち寄った蕎麦屋で、私が反省会と称してお酒を飲むのに嫌な顔もせず付き合ってくれました。

小さな薪でも、くべ続ければ火は消えない

2022-03-10 20:25:00 | Weblog
(※朝日新聞朝刊連載「折々のことば」風に)

「小さな薪でも、くべ続ければ火は消えない」

 精神的にマイナスな状況下に長く置かれているうちに「何をやってもムダだ」と思うようになることを、心理学では「学習性無力感」と呼ぶ。臨床心理士のみたらし加奈さんは、差別や偏見が世の中からなくならない中、「無力なんて学習しなくていい。小さな薪でも、くべ続ければ火は消えない。じんわりとでいい。連帯の輪を広げていきたい」とメッセージを送る。差別や偏見にとどまらず、人権や命すら軽んじられ、目をそむけたくなるような出来事が絶えない。「それはおかしい」と思うこころの火を、「どうせ・・・だから」で消さない、あきらめの悪さを持ちたい。

2022年3月9日付 朝日新聞朝刊 「ひと」欄から