年の瀬、古本屋を覗いたら福永武彦著「ゴーギャンの世界」(新潮社刊)が目に留まりました。ゴーギャンは30歳半ばで株の仲買人としての安定した生活や家族を捨て画家に転じた後、タヒチに渡り住み独自の画風を花開かせました。このことは良く知られていますが、ではゴーギャンを突き動かしたものは何だったのか、そこを知りたいと思っていました。何か良い評伝はないかと探していた時、「ゴーギャンの世界」を知りましたが、既に絶版になっていて、「そのうちに」と今に至っていました。ここで出会ったのも何かの縁と、年越しで読もうと買い求めました。
大掃除の合い間に少しずつ読んでいますが、タヒチから妻へ宛てた手紙に書かれた次の言葉が引かれていました。「希望する、それは殆ど生きることだ。」ゴーギャンは、まだ見ぬ自分、あるべき自分、それを追い求めることに人生を掛けたのでしょうか。今ある自分に飽き足らない姿がそこにはあります。
先日訪れた開高健記念館には、「明日、世界が滅びるとしても 今日、あなたはリンゴの木を植える」との言葉がありました。今日とは違うものを明日に期待する気持、ふたつの言葉はこの点において共通するものを持っているように思います。
さて、来年をどんな年にしていけるか。希望を持って、生きていきたいものです。
大掃除の合い間に少しずつ読んでいますが、タヒチから妻へ宛てた手紙に書かれた次の言葉が引かれていました。「希望する、それは殆ど生きることだ。」ゴーギャンは、まだ見ぬ自分、あるべき自分、それを追い求めることに人生を掛けたのでしょうか。今ある自分に飽き足らない姿がそこにはあります。
先日訪れた開高健記念館には、「明日、世界が滅びるとしても 今日、あなたはリンゴの木を植える」との言葉がありました。今日とは違うものを明日に期待する気持、ふたつの言葉はこの点において共通するものを持っているように思います。
さて、来年をどんな年にしていけるか。希望を持って、生きていきたいものです。