花・伊太利

日々の生活に関する備忘録です。

越年本2018-2019

2018-12-31 12:10:30 | Weblog
 年の瀬、古本屋を覗いたら福永武彦著「ゴーギャンの世界」(新潮社刊)が目に留まりました。ゴーギャンは30歳半ばで株の仲買人としての安定した生活や家族を捨て画家に転じた後、タヒチに渡り住み独自の画風を花開かせました。このことは良く知られていますが、ではゴーギャンを突き動かしたものは何だったのか、そこを知りたいと思っていました。何か良い評伝はないかと探していた時、「ゴーギャンの世界」を知りましたが、既に絶版になっていて、「そのうちに」と今に至っていました。ここで出会ったのも何かの縁と、年越しで読もうと買い求めました。
 大掃除の合い間に少しずつ読んでいますが、タヒチから妻へ宛てた手紙に書かれた次の言葉が引かれていました。「希望する、それは殆ど生きることだ。」ゴーギャンは、まだ見ぬ自分、あるべき自分、それを追い求めることに人生を掛けたのでしょうか。今ある自分に飽き足らない姿がそこにはあります。
 先日訪れた開高健記念館には、「明日、世界が滅びるとしても 今日、あなたはリンゴの木を植える」との言葉がありました。今日とは違うものを明日に期待する気持、ふたつの言葉はこの点において共通するものを持っているように思います。
 さて、来年をどんな年にしていけるか。希望を持って、生きていきたいものです。

オセロ

2018-12-20 22:42:15 | Weblog
 実力差が離れている二人がオセロをした時、強い方は要所要所をきっちり押さえ、弱い方は打ちたくはないけれども、そこにしか打てないようにだんだんと追い込まれてしまう、そんな展開になることがままあります。そして、弱い方はついに打てるところさえなくなり、パス、パスで悲惨な負け方をする破目に陥ります。人の世でも似たようなことがないでしょうか。力がある人は優位なポジションを占め、打つ手がことごとく当たり、さらに優位になっていきます。その逆に、弱者は思いとは異なることを仕方なしにさせられたり、いろいろな機会から閉め出されて、ただただ不遇をかこつことになりがちではないでしょうか。世知辛い世の中だと言ってしまえば、身も蓋もありません。もしかするとルールを変えることで、力を発揮出来る人が増えたりすれば良いな、と思ったりします。今、ニュースになっている外国人労働者。この人たちが、四隅を押さえられたオセロを強いられることがないように願いたいです。

月の戒め

2018-12-08 13:46:52 | Weblog
 出張帰りの新幹線でふと窓外へ目をやると空には三日月が浮かんでいました。月を眺めては北雪のワンカップをチビチビやりました。太陽と月と地球の位置関係で月の形(実際には月が光っている部分)が変わって見えることは、小学生でも知っています。それを知っていながら、私たちは三日月だの満月だのと言って、月の形が変わるように感じています。この時に見ていた月は三日月でしたが、見えていない部分もしっかりとある訳です。その意味では、「今日の月はやせてるなぁ」とか、「立派な満月だ」などと印象が変わるのは、月が変わるせいではなく私たちが勝手に思いを変えているに過ぎません。このことは、人に対しても当てはまる場合がありそうです。「この人はああだ、こうだ」と言っていても、その実、見ていない部分が相当にあって、「群盲象をなでる」の状態に陥っていないとは言い切れません。北雪を飲む手をしばし止め、深まりつつある闇の中で白い光を放つ三日月を見ていると、お月さまの戒めが聞こえるような気がしないでもありませんでした。