花・伊太利

日々の生活に関する備忘録です。

ポルトガル版アサリの酒蒸し

2012-08-18 23:13:05 | Weblog
 秋田では鍋のことを貝焼き(かやき)と言うそうです。大きな貝を鍋替わりにしていたからだと、旅行で訪れた際に教わりました。ポルトガルにはカタプラーナと呼ばれる鍋料理があります。カタプラーナとは貝の形をした鍋を指すので、秋田と同じくポルトガルでもその昔は貝を鍋として用いていたのかもしれません。
 さて、以前、ポルトガル料理のゴジドー・ポルトゲーズに挑戦して大敗北したことがありました。そのうちまたポルトガル料理にチャレンジしてみたいものだと思っていたので、今日、アサリの酒蒸しのポルトガル版を作ってみました。鍋とは趣が違いますが、現地では例の貝の形をした鍋で作るので、これもカタプラーナの仲間に入ります。また、失敗すると家族の大顰蹙を買うところですが、妻も子どもも田舎に帰省中でプチ単身生活の身としては、思いっきりトライ出来ます。
 作り方はいたって簡単です。みじん切りした玉ねぎとニンニク、ベーコンとサラミソーセージをオリーブオイルで炒めます。そこにアサリを加えてワインをかけて蒸すだけです。さぁ、出来上がりは如何に。結果はいまいち。アサリに比べてサラミソーセージの量が多すぎて、サラミのワイン蒸しといった感じになってしまいました。それでも、ガタオという微発泡性のポルトガル産ワインに助けられ、それなりに食べられました。

姜さん、甘いんじゃないですか?

2012-08-16 23:44:56 | Weblog
 朝日新聞朝刊にいじめに関する著名人からのメッセージが連載されていますが、8月16日には政治学者の姜尚中さんが、「いじめられている君へ」、「家出をしよう」と呼び掛けていました。姜さんは自分の体験に基づきながらこう言っています。「僕は中学時代の夏休み、同級生と2人で1カ月間、家出した。真夜中に家を抜け出し、熊本から夜行列車で東京に向かった。カバンに数日分の下着と、親の財布からこっそり「前借り」したお金を持ってね。前年に東京五輪もあり、東京がどんな世界なのか、どうしても見てみたかったんだ。新聞販売所に住み込みで働きながら、新宿、上野、銀座といろいろ回った。初めて食べたカツ丼の味に感動した。東京タワーから街を見下ろすと、すべてがちっぽけに見えた。家に帰って、母親からすごく怒られたけれど、もう以前の自分ではなかった。ひとまわり大人になったのが、自分でも分かった。」そして、「いじめられている君へ」の処方箋です。「君にも『今いる世界がすべてじゃない』と気づいてほしい。そのために家出をしよう。遠くへ。最低でも1カ月。どこへ行ってもコンビニはあるし、夏なら野宿もできる。保護されそうになったら、そこはうまく切り抜けて。1カ月も君が行方をくらませば、学校も親も級友も大騒ぎする。そして君がいなくなった原因を考えるはずだ。帰ってきたら、きっと何かが変わっている。君自身も『家出の原因はいじめだった』と堂々と言えるようになっているはずだ。君にはどうしても生き延びてほしい。人生最初の大人になるいい機会だと思って、家出をしよう。」
 これを読んで、「姜さん、ちょっと甘いんじゃないですか?」と、私は思いました。1カ月も家出出来るような子なら、いじめで自殺したりしないでしょう。そこまで追い込まれる前に、いじめられなくする手立てを考える力があるはずです。それから、「保護されそうになったら、そこはうまく切り抜け」られるといいのですが、警察に家へ送り帰されたりした日には、みっともなくてもっといじめられることになります。本人も「大人になるいい機会」どころか、いいさらし者です。いじめで自殺するような子は姜さんのようにタフではなく、もっと弱いことを念頭に置くべきです。

あなたは困らないかもしれないけれど

2012-08-15 23:43:03 | Weblog
 8月15日の朝日新聞朝刊に、韓国の李明博(イミョンバク)大統領が天皇に謝罪を求める発言をしたとの記事が載っていました。李大統領は教員を相手とするセミナーで、「(天皇は)韓国を訪問したがっているが、独立運動で亡くなった方々を訪ね、心から謝るなら来なさいと(日本側に)言った」そうです。天皇の戦争責任はセンシティブな問題なので、李大統領の発言の中身はひとまず置くとして、私は、「日本にいるたくさんの韓国の方は大丈夫だろうか」と、この発言の与える影響が心配になりました。国と国との間で軋轢が生じた場合、軋轢の当事者ではなく、謂われなき弱者が被害を受けることは世の常です。李大統領の発言を「けしからん」と思う人はきっといるでしょう。その人たちの怒りの矛先が、発言とは何ら関係のない在日韓国人に向かわなければ良いが、と思います。また同時に、当然波紋が予想され、しかも微妙な時期にあえてした発言に、「思慮がなさ過ぎじゃないか」とも思いました。ロンドン五輪で韓国の男子サッカーチームが3位になった時、観客から手渡された竹島領有問題に関するメッセージを掲げて、表彰式に出られなかった選手がいました。これにしても、政治色に敏感な五輪の場でそんなことをすればヤバイということは分かりそうなのに、メッセージを手渡した人が無思慮でした。自分は良いと思っていても、その結果、ほかの誰かが迷惑を蒙る恐れがあれば、そのような言動は慎むべきです。まして、一国のリーダーであればなおさらです。

健闘を讃える

2012-08-14 23:49:37 | Sports
 大英博物館のニール・マクレガー館長は博物館の所蔵品から100の展示品を選び、そのひとつひとつに関する歴史研究の成果を踏まえながら、モノを通じて見えてくる歴史 ―その時代で担った役割や、その後の人類の歩みに与えた影響― を、「100のモノが語る世界の歴史」(筑摩選書)として著書にしています。100あるモノのうち38番目に紹介されているのは、西暦100~500年頃、メキシコあたりでスポーツ競技に際する儀式で使われていた石製のベルトです。スポーツ競技とはゴムのボールを腰や尻で撥ね返しながら相手の陣地に入れる球技で、石のベルトでは素早く動くことが出来ないことから、また、石のベルトに彫られたヒキガエルが幻覚を招く物質を分泌することや、大地の女神と考えられていたことから、儀式的に使われていたのではないかと推測されています。
 今を遡る1500年以上も前に行われていた球技に対して、著者はこう述べます。「団体競技には歴史を通して驚くべき特徴が見られる。その一つが、文化的差異や社会的区分をだけでなく、政治不安ですら超越する潜在能力だ。聖と俗のあいだの境界線を超えて、スポーツは社会を見事に統一もするし、分裂もさせる。現代社会でわれわれが一丸となって関心を寄せる対象は、ほかにはほとんどない。このメキシコの儀式用ベルトは、どんな社会もいかに組織的な団体スポーツを楽しみうるのかを表す強力なシンボルとなっている。」
 つい、先日まで世界中の人びとの関心を集めていたロンドン五輪も、まさしく「われわれが一丸となって関心を寄せる対象」でした。しかしながら、私たちははるか昔のメキシコの人間のままではありません。スポーツが「社会を見事に統一」することは善しとしても、「分裂」につながるものであってはならないことを知っています。「健闘を讃え合う」と言いますが、高い水準で全力を出し切る試合を見れば、勝者も天晴れながら、敗者もまた天晴れです。敗れはしても勝者に肉薄する力量を持つ選手には、勝者に匹敵する尊敬の念が生まれます。その意味では、五輪の場は各国の選手全体を讃え合う機会になったかと思います。そもそも、スポーツはたった一人では成り立ちません。同じ土俵で競い合う相手の存在を前提としています。それは、競り合える相手がなければ、観衆に、そしてもちろん競技者自身にも感動が生まれないからです。

無気力試合

2012-08-02 23:29:20 | Sports
 ロンドン五輪の女子バドミントン・ダブルスにおける無気力試合が物議をかもしています。既に決勝進出を決めている4つのペアが、決勝トーナメントでの組み合わせを有利にするために、それぞれわざと負けるようにミスをし続けた挙句失格となりました。それも戦略だと是認する人がいます。なでしこジャパンだって南アフリカ戦は引き分け狙いだったじゃないかと言う人もいます。一方、フェアプレーの精神への冒涜だ、けしからんと言う人がいます。全力を出さないなんて、スポーツマンシップに反するとの声もあります。戦略とフェアプレーのどっちが大事かといった、あれかこれかの議論になれば甲論乙駁になってしまいますが、テレビの映像を見れば答えは明らかだと思います。失格した4ペアはやり過ぎたのです。あからさま過ぎたのです。全世界が注目する五輪の場にあまりにもふさわしくなかったから、失格も当然だろうと思います。