花・伊太利

日々の生活に関する備忘録です。

東京のいいところ

2013-07-31 23:05:56 | Book
 東京に住んでいて良かったと思うのは、神保町の古書店に行けることです。数日前から何となく源実朝の「金槐和歌集」が読みたくなり、岩波文庫で出ていたものは絶版と知って、休日、神保町の古書店へ出掛けました。こうやって簡単に古書店へ行けるのは、東京のいいところだとつくづく思います。さて、岩波文庫の品揃えが良く、「ここならきっと見つかる」と当てにしていた古書店で空振りし、他でも結局見つからず、「いずれどこかで出くわすのを待とう」と思いながら自転車を漕いで帰りました。何件か古書店を回りましたが、どこでも岩波文庫の赤版や青版に比べて黄版の点数は明らかに少なく、古本として出回る数が少ないのか、あるいはあんまりニーズがないのか、意外に思いました。夕方、子どもと行った近所の区立図書館には「金槐和歌集」が置いてあったので、借りて帰りました。休みの日は飲み始める時間が早くなりがちで、この日も「金槐和歌集」の頁をパラパラとめくりながら安いワインを飲みました。その後風呂上がりにヱビスビールを飲んだら、すっかりいい気持ちになってしまいました。気がつけば、リビングでクッションを枕にすっかり寝込んでしまっていて、「今日は風が涼しくて寝苦しくないなぁ」と思っていたのは、扇風機の風が当たっていたからでした。源実朝の次の歌とはおよそ風情が異なる、夏の日の夜でした。

 「夏ふかみ思ひもかけぬうたたねの夜の衣に秋風ぞ吹く」

美の解放

2013-07-19 22:16:00 | Weblog
 横浜美術館で開催されている「プーシキン美術館展」はサブタイトルの「フランス絵画300年」が示す通り、フランス絵画の変遷が楽しめる展示になっています。絵画を美の表現とするならば、何を「美」とするかの意識の変遷でもあるかと思います。宗教的な題材や肖像画が中心の時代では、おそらく題材や対象となる人物の中に美があり、画家はそれを写し取ることが求められたのでしょう。その後時間が過ぎ、印象派の時代になると、美の表現はまさしく画家の心の内にある印象を描くことになります。さらに、現代絵画では美は思想性すら帯びてきます。その変遷はパトロンのために描く絵から、広く世の中に自分の絵の美しさを問うといった、画家を取り巻く環境の変化と無縁ではないように思えます。
 写実一辺倒から脱却し心象を筆色分割の技法で描き出したモネやルノワール、農民の働く姿やタヒチの人々にそれぞれ美を見出したミレーとゴーギャン、その他ゴッホの力強い色使い、シャガールの幻想性、寓話的なルソーなど、300年の間に美の領域はかくも拡がったかと思わせる「プーシキン美術館展」でした。この美術展を見終わった後、なぜか藤原定家の「見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ」の歌が頭に浮かびました。思うに、花や紅葉といった華やかなものとは無縁な、寂れた掘立小屋の夕暮れに美の対象を発見した定家と、フランス絵画の巨匠たちの美に対する営みに、何か相通ずるものがあるような気がしたのかもしれません。

朝蝶

2013-07-10 23:48:15 | 季節/自然
 朝、登校する子どもをバス停へ送っていった後、湿気をまぶしたような水色の空を見上げて、今日も厳しい暑さになるぞと確信させられながら家へ戻る途中、おそらく散歩の犬のおしっこにかけたと思われる水が道路で光っていました。よく見ると、そこに一匹のモンシロチョウが止まっていました。空梅雨に続く連日の酷暑で、きっと蝶々も水が恋しいのだろう、でも、犬のおしっこにかけた水とは可哀相にと思ってみていたら、ゆらゆらと舞い上がってどこかへ飛んでいきました。
 家に着いて朝日新聞朝刊を開いたら、天声人語はビールに関する話で、「ビールにとって最高の引き立て役は『暑さ』に尽きる」とありました。確かに会社帰りのまとわりつく暑湿を振り払って、エアコンが効いた我が家へ入り、ゴクリと飲むビールは格別ですが、ビールが美味しいのは元気な証拠。夏バテしていては、グビグビゴクゴクの爽快感も今ひとつです。程よい暑さが虫のいい願いなら、美味しいゴクリをバロメーターにしながら、真夏日、熱帯夜の朦朧となりそうな暑さを凌いでいきたいと思います。