2月最後の日曜日は陽射しが暖かでした。穏やかな陽気に後押しされて、外出先から戻る時、ひと駅分歩きました。途中、妻がとある民家の庭にふきのとうを見つけました。ひとつふたつではなく、雑草に混じって五つ六つくらいは顔を出していました。里山の近くならいざ知らず、幹線道路にほぼ面した住宅の庭なので、自然に生えたものではなく、わざわざ植えたものかもしれません。ふきのとうの天ぷらは苦みがあって、お酒のつまみにもってこいです。どんなお酒が合うだろうか、佐賀県の矢野酒造の蔵心はどうだろうかなどと、昼間からお酒のことを考えながら行き過ぎました。で、ふと気になったことは、さっきのふきのとうは随分大きくなっていたなぁ、もうちょっと小さいうちが美味しいだろうに、ということでした。あのふきのとうはほったらかしになっているのだろうか、ひょっとしてノンベエのお父さんが亡くなって、顧みられなくなったのではないか、あるいは家の人が寝たきりになって摘むひとがいないのではないか、そういえばかなり古いお家だったなぁ、などと大きなお世話的なことを想像してしまいました。勝手な想像はさておき、3月を目前にすっかり春模様、もうひと月もすると桜の季節、桜と言えば桜えび、桜えびで日本酒の磯自慢が飲みたいなぁと、やっぱりこころはお酒から離れることが出来ませんでした。
いつからか 摘むひともなき ふきのとう
摘むひとの なきまま伸びた ふきのとう
いつからか 摘むひともなき ふきのとう
摘むひとの なきまま伸びた ふきのとう