花・伊太利

日々の生活に関する備忘録です。

日々これ初日なり

2021-08-25 19:50:13 | Weblog
 ちょうど一年前の今日、ジャズ・トランぺッターの沖至(おき いたる)さんが、1974年から活動の拠点としてきたパリで亡くなりました。享年は78でした。パリ移住を表明した時、深代惇郎さんは天声人語に沖さんのことを書いています。その中で、「うまく吹けないときにも拍手、拍手なので不安になるんです」と、沖さんの言葉を紹介しています。それを承けた深代さんの弁は、「生の演奏や演技の良さとは受け手のお客と感応し合う中で、一回きりのものだということは分かる」でした(「最後の深代惇郎の天声人語」朝日文庫)。

 一回一回の演奏を一期一会の真剣勝負と捉える気魂が感じられますが、私は沖さんの求道者の如き姿勢に強く打たれました。「まだまだこんなものじゃない、もっと上がある」、そこには自分に対する妥協しない厳しさがあります。移り気な聴衆ではなく歴史を観客とすることを選び、スタジオ録音を重ねたグレン・グールドと、根っこのところでどこか通じずるものがあるのような気がします。自分の理想をしっかりと持ち、納得のいく演奏をあくまで追求する者同士で。沖さんの一周忌に献杯。

一年でも長く生きていたい

2021-08-14 16:59:43 | Book
(※朝日新聞朝刊連載「折々のことば」風に)

 「未練のようだが一年でも長く生きていたい」

 小田原にある山県有朋の別邸古稀庵でのこと。庭木がよく茂っていることを客人に褒められた際、「こうなると」に続けて山県老は冒頭の言葉を洩らす。元老中第一の権勢を誇り、栄耀栄華、位人臣を極めた彼だが、その故にこそ成功に比例して失うものも大きくなる。望月の欠ける日を思い、心安らかではない老人の姿が目に浮かぶ。

 亡くなる前日の一月三十一日、小田原は雪であった。病状を診る医師に「雪が降って寒いだろう」と呟いたとか。二月九日、日比谷公園にて国葬が執り行われ、品川沖の軍艦から十九発の弔砲が轟いた。ただ、高官の中には不参列の者が多く、場内は寂しかったそうだ。

 岡義武著 「山県有朋」(岩波文庫)から

朝日新書「新型格差社会」 ~コミュ強~

2021-08-09 17:08:00 | Book
 社会学者・山田昌弘さんの「新型格差社会」を読んで、本筋とは離れたことですがこんなことを思いました。以下は同書からの抜き書きです。「世の中が工業型社会から情報やサービスを中心とする第三次産業中心の社会へ移り変わるにしたがって、働く人にコミュニケーション能力が求められるようになっていきます。就活に取り組む学生たちの間でも『<コミュ強>(コミュニケーションに強い人)が有利である』という認識が広がり、多くの他人と円滑に関係を取り結べる人が、高い評価を得る社会が到来したのです。」

 「コミュ強が有利」ということで、もし意図してそのように振舞おうとするなら、アピール力やパフォーマンスに磨きを掛けるようになるでしょう。アピール力やパフォーマンスはその場その時の状況に合わせなければならないので、その場限りの受け狙いになりがちです。そういった面に優れた人たちばかりが評価されるようになり、組織の大勢を占めるようになった場合、組織は脆弱性を抱えることになりはしないでしょうか。思考の射程が短くなり、意識は組織の内、内へと向かい、コミュ強が本来の強みを発揮しなくなるからです。やっぱり多様性やバランスが大事なんじゃないかと、そう思います。

朝日新書「新型格差社会」 ~キャバクラ~

2021-08-08 15:04:00 | Book
 社会学者の山田昌弘・中央大学教授は、「新型格差社会」で日本社会の格差の広がりがコロナによって加速していると論じています。格差拡大の実態が「家族」、「教育」、「仕事」、「地域」、「消費」のそれぞれの面から分析されてます。乱暴な要約が許されるなら、夫婦のうち片方がお金を稼ぎ、もう片方が家庭を守り、所得は年功序列で年々上がっていく、そんな旧来の家族のあり方は限界にきていて、そのため従来型の生き方では社会階層を転げ落ちてしまう。また、社会の変化に対する適応力が経済力に左右され、貧富の差が固定化しそれぞれ次の世代に引き継がれていく、といったところにまとめられるでしょうか。

 ところで、この本で「へぇー」と思ったのはキャバクラのセーフティーネット的な側面に関する説明です。DVに遭った女性や、離婚した相手に資力がなく十分な慰謝料や養育費が得られないシングルマザーが、生活のためキャバクラで働くようになり、そこへ通ってくるのが配偶者との間に愛情がない寂しい男性なのだそうです。山田教授の言葉を借りれば、「家族に頼れない女性と、同じく家族がいない、もしくは、家庭に居場所がない男性の需要と供給が、そこでうまくマッチングしていたのです。」

 キャバクラ通いが止められないお相撲さんが出場停止になっています。「コロナ下に何て不謹慎な」と同情の余地なしと思っていましたが、当の本人にとってはキャバクラは居間みたいなもので、明日への活力を養う場だったのかもしれません。でも、やっぱり立場が立場ですからねぇ。