何週間か前の雑誌AERAにママカーストの記事が載っていました。これは、誰かを格下扱いしないと生きていけないお母さんたちを、カースト制にたとえて特集したものです。昨今、かまびすしく言われている格差だの勝ち組・負け組だのは、比較されるもの同士の間に圧倒的な懸隔がありますが、ママカーストでは挌上・格下を分けるものは細微を極めています。AERAからいくつか例をあげてみます。海外へ行く機内で子供がぐずって困るとこぼしながら、その実頻繁に海外旅行をしていることを暗に自慢してしているママに対して、「私はファーストクラスだから、子供がぐずってもCAがあやしてくれる」と内心相手を低く見ている、資産家の家に生まれた母親。予算5千円~1万円のランチに、主人に悪いと渋った主婦とリュックを背負って来たワーキングマザーは、次から階層が違うと誘われなくなった。マンションのどの階に住んでいるかで部屋のグレードを比較され、みんなよりちょっと高い部屋だったので無視されるようになった、などなど。1泊の温泉旅行にも行けず、昼飯は社員食堂でいつもざるそばといった身からすれば、そんなのどうでもいいじゃないという気がしますが、ママカーストではそうはいかないようです。「優れていると思えることが一日ひとつはないと、やっていけない」と、記事に登場するある母親は言っています。
いったんカースト制にはまってしまうと、カースト制の存在が自己のレゾンデートルを保つための絶対条件となります。ランクアップしようと思って努力した結果は、カースト制の中でしか評価されないので、序列の階梯がなくなってしまっては困ります。自分が蹴落とそう、あるいは追いつき追い越そうとする人が、身近に居なくてはなりません。妬ましいと思ったり自分より格下だと見下したりしても、その人が自分をうらやんでくれないと優越感を得られないので、決して排除することは出来ないでしょう。むしろ、自分が評価しない人がいることによってこそ、一層自己の評価は高まるのです。そうなると、ママカースト制とは非常に緊張感があり、持続的で、精神的疲労を伴う人間関係の一形態だと思います。今時のお母さんはパワーがあるわぁ、と感心します。
いったんカースト制にはまってしまうと、カースト制の存在が自己のレゾンデートルを保つための絶対条件となります。ランクアップしようと思って努力した結果は、カースト制の中でしか評価されないので、序列の階梯がなくなってしまっては困ります。自分が蹴落とそう、あるいは追いつき追い越そうとする人が、身近に居なくてはなりません。妬ましいと思ったり自分より格下だと見下したりしても、その人が自分をうらやんでくれないと優越感を得られないので、決して排除することは出来ないでしょう。むしろ、自分が評価しない人がいることによってこそ、一層自己の評価は高まるのです。そうなると、ママカースト制とは非常に緊張感があり、持続的で、精神的疲労を伴う人間関係の一形態だと思います。今時のお母さんはパワーがあるわぁ、と感心します。