花・伊太利

日々の生活に関する備忘録です。

逆効果

2008-03-31 22:57:27 | Weblog
 このところ給料日までまだ間があるのに懐具合が寂しくなることが続き、給料日1週間くらい前になると、飲み誘いが入ったらどうしようかとビクビクする始末でした。また、ちょっと先ですがお目出度い席に出ることになっていて、お祝い分をキープしとかなきゃという思いもあり、収支が安定するまで小遣い帳をつけることにしました。と言っても、わざわざ小遣い帳を買ってきた訳ではなく(買うお金もなく)、エクセルで簡単な表を作っただけです。それでも、前もって分かっている支出を打ち込んでおくと、月末のだいたいの残金が分かり、節約の励みになります。パスモに千円チャージとか社員食堂でいくら使ったかなどを入力していましたが、そのうちあまり入力がないと何かを入力したい衝動に駆られるようになりました。でも、それでは小遣い帳をつける意味がなくなってしまうので、あらぬ妄想を振り切ろうと頑張ってみました。でもでも、お金が貯まらない星の下に生まれついたのか、はたまた方角か名前の画数が悪いのか、ついに衝動の虜となってある本を買ってしまいました。それも、私にとってはかなりexpensiveな。でも、その本は上下2段組で600頁くらいあります。この本を読み終わるにはだいぶ時間が掛かりそうなので、その間新しい本を買わなければtotal cost はいい感じに収まるのでは、などと甘い考えがないでもありません。でも、買った本屋さんの方角が悪ければ、給料日前にはやっぱりひーひー言ってるのかもしれません。でも、まぁ、とどのつまりは自業自得ということになるのでしょう。

role play

2008-03-26 23:13:58 | Weblog
 またゲーム好きの若者が事件を起こしました。土浦での事件です。青少年による凶悪犯罪が起こり、加害者がゲームにはまっていたことが報じられることは、これまでも何度かありました。そしてそのたびに、ゲームが青少年のこころを歪める元凶のような言い方がされてきました。 きっと今回の事件についても、ゲームの影響を論じる識者の方がいらっしゃることでしょう。私は自分がゲームをしないし身近にする人もいないので、ゲームがこころに何らかの悪い影響を与えるのかどうかは分かりませんが、自分の子供の頃の遊びや、まだまだゲームをする年齢ですらありませんが、自分の子供にせがまれて一緒に遊んだりしていることと比較してみて思うのは、ゲームには役割期待が働いていないということです。普通、友達と遊んだり仲間で集って何かをする時には、必ず役割期待が存在します。それは、まだまだ幼い私の子供でも同じです。例えばままごとには、自分のなりきりと同時に相手への要求がありますし、当然相手からの要求もあります。子供は小さい頃から、遊びや集団活動の中で役割期待をされたり、それに応えようとしたり、あるいは期待される役割との葛藤を経験したりしながら、だんだんと社会性やアイデンティティといったものを身につけていくのだと思います。ところが、ゲーム遊びでは役割を期待されることがありません。ひたすら指先の反応速度や正確性を高めることと、ヴァーチャルな世界で自己を肥大させていくだけのように思えます。世に流布しているゲーム悪玉論みたいになってしまうのは避けたいところですが、少なくともゲーム遊びに熱中すればするほど、役割期待を受ける機会を失うことになります 。それはとりもなおさず、社会性やアイデンティティを育てる契機を奪われることにもなります。土浦の事件の報道に触れて、私たちが当たり前のように経験し、また今も日々経験している役割期待に、彼は充分にもまれてきたのだろうかと思いました。

どにち

2008-03-17 22:44:01 | 季節/自然
 土曜日:秩父へハイキングに行ってきました。3月、そろそろ暖かくなってくるので、行動中はフリースを脱いでも平気です。でも普通なら、お弁当を食べる時などは、やはりフリースを羽織らないと肌寒く感じます。ですが、この土曜日は日差しが強く、気温はG.Wを思わせるほどで、お弁当中も全くフリースは必要ありませんでした。また、暖かな陽気にスギ花粉の飛散が凄まじく、よく花粉症対策の商品コマーシャルに出てくる煙立つような黄色とも白とも言えるような花粉の舞い上がりが見られ、CMの映像ってCGじゃなかったんだ、と思いました。つまり、2008年3月15日は正真正銘、由緒正しき春の一日だった訳です。但し、いくらフリース要らずのポカポカ陽気でも、山火事もどきのスギ花粉放散日和であっても、2月の寒さが厳しかったせいでしょうか、花の姿を楽しむにはまだ早かったようです。でも思ったのですが、「カタクリの葉っぱが出てきたな、来月の今頃はピンクがかった薄紫の花が見られるだろうか」とか、「山ツツジが蕾を出してるじゃないか、5月の初めあたりになればこの一帯は綺麗だろうな」とか、「アセビは今月中には咲きそうだ」などと、来るべき山の姿を頭に描きながら歩くのも、なかなかワクワク感があっていいなぁと思いました。確かに花の盛りに山を訪れるのは、山歩きの大きな楽しみのひとつですが、「来月の今頃は・・・」なんてことを考えながら歩くのも、移ろいゆく季節に思いが馳せられて、新鮮な気分がむふふと味わえます。
 日曜日:この日は2008年のF1開幕の日でした。開催地はオーストラリアのメルボルン。銀座での買い物を早めに切り上げて、夕方4時からテレビで観戦しました。思考回路が単純なものですから、観戦するならやっぱりオーストラリア産のシラーズ種のワインと、晩ごはん前からいい気分になってしまいました。毎年、F1GPの第1戦が催される3月のこの時期になると、「いよいよ本格的に今年になったなぁ」と感じます。私ひとりの勝手な感覚なのでしょうが、1月、2月は助走期間のような気がして、まだいくらか前年の余韻が残っているように思われます。F1が始まる頃になって、やっと紛れも無く今年なのだと思えるようになります。ともあれ、この土日で私の頭の中にくっきりと春のタイムスタンプが押されました。

チーム・バチスタの栄光

2008-03-07 21:16:34 | Weblog
 ママと娘がディズニーランドへ行った木曜日、「パパ、晩ごはん食べて来てね」の言葉に、それなら仕事帰りに映画でも観てみようと思い、「チーム・バチスタの栄光」を観てきました。新聞広告の内容や、成功率60%の心臓バチスタ手術を26例連続して成功させた奇跡のチームで3連続術死、犯行現場は半径10cm、犯人はチームの7人の中に、といった設定からすると、てっきりミステリーと思っていましたが、ちょっと違うかなといった感じでした。もし、まだ観ていない人から「どうだった?」と聞かれたら、「謎解きを期待して観ない方がいいよ」と答えるかもしれません。
 この映画で象徴的なのは、手術の失敗が連続したことをうけて調査に乗り出した竹内結子が、バチスタ・チームのメンバーのヒアリング結果を記録する時、それぞれのメンバーを動物に例えるところです。リーダーの吉川晃司はワシ、井川遥は巻貝、ココリコの田中はヤギ、こんな具合にひとりずつ生きものに当てはめていきます。そして、俳優のみなさん、そのかなりカリカチュアされた人物設定に忠実な演技をされていらっしゃいます。つまり、「チーム・バチスタの栄光」は謎解きミステリーではなくて、個性的なキャラを持つ登場人物の面々を紹介していく映画のような気がします。ですから、人物描写をたっぷりやった後は、事件解決のために厚生労働省からやって来た阿部寛が、高速3倍モードで真相を究明します。例えば、真犯人が分かって、竹内結子が犯人に犯行の動機を尋ねた時、阿部寛は「そんなこと聞いたって無駄だ。こいつは人間じゃないんだから」みたいなことを言って、ハイおしまいです。ミステリー映画では動機の解明は大事です。金田一耕助なら絶対そんなことは言いません。でも、次から次へと癖のあるキャラが入れ替わり立ち替わり出てくるので、謎解きだと思わずに人物紹介劇だくらいに思って観れば、なかなか面白い映画だと思います。
 ところで、バチスタ手術で患者が亡くなったのは手術の失敗によるものではなく、犯人がある方法で脳に損傷を与えたためでした。阿部寛がその手口を披露してくれましたが、なぜいつも手術の同じ手順のところで患者に死がもたらされたのでしょうか。脳に損傷が及ぶスピードに個人差はないのかなぁと思いました。