花・伊太利

日々の生活に関する備忘録です。

ターナー展

2013-10-31 23:06:31 | Weblog
 上野の東京都美術館で開催されている「ターナー展」を鑑賞しました。展示作品とともに掛けられていた解説を読んで、ターナーについて3つのことを学びました。①当時、風景画は歴史画に比べて低く見られていたので、風景の中に歴史的な情景を盛り込んだ絵を描いたこと。②ナポレオン戦争に対する戦意高揚のため、戦闘の場面を描いたこと。③ターナーが国内外各地の風景を描いたのは、旅先で絵を描くことを評価する当時の風潮と関係があること。ターナーの絵を観る機会はこれまで何度かありましたが、この3点については日頃の勉強不足のせいで知りませんでした。さて、ターナーの数々の作品を観ながら思ったことは、次のようなことでした。都市化、工業化の中で英国の風景が変わりゆく中、ターナーは失われていく美しい風景を、あるいは都市の汚れた姿と対極にある風景を残しておきたかったのではないか。それはひょっとすると、日本の古くから伝わる習俗を、近代化の過程で失われてしまう前に記録しようとした宮本常一の精神とも相通ずるものがあるのではないか。さらなる飛躍を許してもらえるならば、ハインリヒ・ハイネが「流刑の神々」や「精霊物語」でキリスト教によって排除された古来の神々、特にアニミズムの神々を慈しんだこころの奥底には、ターナーや宮本常一と同じ気持ちがあったのではないか。全く持って単なる思いつきの域を出ませんが、ふとそんなことを思いました。

高尾路 後編

2013-10-24 21:11:36 | Weblog
 小仏峠から一足で城山。時間が遅いのと雨が降ってるのとで、城山の広い頂上も春美茶屋のあたりもひっそりとしていました。春美茶屋、きっと女将さんの名前が春美なのでしょう。もし女将さんが最近見られる「結愛」とか「樹利亜」とか「莉緒」といった名前なら、雰囲気は随分変わるなぁと思いました。城山からの道は踏み固められたツルツルの道です。雨水が浮いて滑りやすくなっていたので、飲み会に泥々の服で行く羽目にならないよう慎重に歩きました。F1でウェット・コンディションになると途端に車のスピードが落ちるのと同じだと思いました。17:00に高尾山到着、あたりはもう真っ暗になっていました。飲み会の前に高尾山に登ると言っていた友人と山頂で落ち合うことになっていましたが、携帯電話に「雨のため薬王院から引き返したのでケーブルカー駅で待っている」と連絡がありました。ケーブルカー駅でその友人と合流。暗くて足元がよく見えないので、そろりそろりと参道を下りました。ケーブルカー駅からは約30分で高尾山口。京王電車で八王子へ出ました。残りの仲間とはお店で合流。アサヒビールのエクストラ・コールドで乾杯しました。(おわり)

高尾路 前編

2013-10-20 13:20:31 | Weblog
 大学時代の仲間と八王子で飲むことになりました。八王子に行くことは滅多にないので、折角行くのなら待ち合わせの時間まで山を歩こうと思いました。JR藤野駅からバスに乗り、終点の和田で降りたのが13時30分頃。そこから陣馬山を目指して歩き始めました。ちょうど一汗かいたくらいで陣馬山頂に到着。曇り空のため富士山は見えず、では日本に向かっている台風27号は見えるかと目を凝らしましたが、もちろん見える訳はありません。山頂でテルモスの紅茶を一杯飲んでから、明王峠に向かいました。明王峠、堂所山を経て影信山に至ったあたりから小さくポチポチと雨が落ち始め、木々に頭上を覆われているので傘をさすほどではありませんでしたが、雨脚が強まる前に出来るだけ先へ進もうと歩みを速めました。小仏峠に差し掛かった頃から本降りになり、傘を取り出しました。(つづく)

去る者は日々に疎し

2013-10-13 10:24:27 | Weblog
 「去る者は日々に疎し」、何とも寂寥感のある言葉です。これは見送る側に立った言い方ですが、去った人がみんなからだんだん忘れられていくということは、去った人もみんなをだんだん忘れていくということです。どっちもどっちなのかもしれません。人はある環境から離れることによって、こころの中に居場所をもっていた「ひと」、「もの」、「こと」が棚卸しされ、新しい「ひと」、「もの」、「こと」に場所を譲ると言うことも出来ます。そう考えれば、「日々疎し」くなる一方で「日々親し」くなるものもある訳で、「日々に疎し」の言い方は一面的な見方であることが分かり、そんなに寂しい言葉でもなくなってきます。そんな中、最後まで忘れない「ひと」、「もの」、「こと」として何が残るか、それを楽しみとしたいところでもあります。