花・伊太利

日々の生活に関する備忘録です。

二日酔いもさまざま

2011-08-29 23:17:16 | Weblog
 8月のとある日曜日、夜遅い電車に乗込んで空いてる席に腰掛けた後、カバンから本を取り出して読み始めました。岩波新書の「憲法講話」です。これはかなり古い本で、現憲法を明治の欽定憲法と比較しながら、現憲法が人間尊重の精神に基づいたものであることを解説した本です。もうだいぶ読み進めていたので、その日の電車の中で読み終わるつもりでしたが、文章がさっぱり頭に入ってきません。同じ行を何度も何度も読んでしまうありさまで、「今日は結構飲んだな」と認めざるを得なくなりました。実はこの日、昔からの仲間と1年ぶりに飲んだのでした。翌朝は、しっかりと前日のお酒が残っていました。所謂、二日酔いというやつです。でも、いつもの「やってしまったか」という後悔はありませんでした。頭はガンガンでも、胃の腑に落ちていくお酒とシンクロしながら、心地よく流れていった時間の余韻がまだまだ鮮明だったからです。二日酔いとひと口に言っても、思うにいろいろな二日酔いがあって、極々稀には手応えのある二日酔い、会心の二日酔いと言えるようなものもあるのかもしれません。

無銭飲食は詐欺罪

2011-08-16 09:32:10 | Weblog
 先の土曜日、プールへ泳ぎに行った帰りに、とある食堂で昼ごはんを食べていた時のことです。いつの間にやら警官が現われて、無銭飲食の人を尋問していました。無銭飲食と言っても200円くらいの所持金はあるようで、食べた分に足りないので警察に通報されたみたいでした。警官は、「自宅に連絡出来るのか?」とか、「お金は持って来てもらるのか?」などと訊いていますが、無銭飲食氏はうなだれたままで、「いや」、「ええ」、「はぁ」と相づち的に間投詞は発するものの、はっきりとした言質を与えようとしません。そんなこんなの最中、警官の「詐欺になるんだよ」との言葉に、無銭飲食が詐欺に当たることを知りました。それまで何となく、無銭飲食は食い逃げ、食い逃げは泥棒のイメージがあり、窃盗だと思いこんでいたので、「へぇ、そうなんだ」と思いました。思うに、飲食店での注文は、料理の提供と代金の支払いに関するお店と客の合意に基づく契約行為で、然るべき代金分の所持金がないのを知ったうえで客が注文をすれば、契約を履行する気がないのに契約を結んだことになり、それはすなわち詐欺に該当するのだと、冷麺を食べながら自分なりに解釈してみました。私が勘定を済ませて店を出ようとした時、無銭飲食のおじさんは数枚のコインが並べられたテーブルに向かって、相変わらずうなだれていました。3日間くらい剃っていないと見られる無精髭には、白いものが目立っていました。「3日、ちょうど空腹が我慢出来なくなる頃なんだろうな」と思いながら店を出ると、強烈な陽射しが目に射しこんできました。

本を買うきっかけ

2011-08-10 22:36:29 | Book
 今年生誕500年となるイタリアの芸術家のジョルジョ・ヴァザーリが、ルネサンス期の美術家たちについて書いた「芸術家列伝」が白水社から刊行されました。ルネサンス期の美術を語るうえで古典中の古典の、その筋では有名な本だそうですが、私はモンタネッリとジェルヴァーゾの「ルネサンスの歴史」(中公文庫の上下巻)を読むまで、ヴァザーリ自身すら知りませんでした。「ルネサンスの歴史」の中では、芸術家を論じた箇所で必ずと言っていいくらいヴァザーリへの言及があるので、名前が頭に残っていました。
 そんなところに、朝日新聞朝刊の1面にヴァザーリの「芸術家列伝」の広告が載っているのが目に留まりました。会社の帰りに本屋に寄ってみると、「芸術家列伝」は3巻本で、2巻にはボッティチェルリやラファエルロとならんでティツィアーノが取り上げられていました。以前、何かの本で見たティツィアーノの絵が印象的だったので、ティツィアーノの本がないかと探したことがありましたが、ティツィアーノ単独の画集などはないようで、その時は仕方なく手元にある美術史の本の中でティツィアーノの絵を拾って見るにとどまっていました。こんな背景があったので、何となく気になっていたヴァザーリの本に、これまた何となく気になっていたティツィアーノの評伝が載っていると知り、この本を買おうかどうしようか、心の中の秤が右に揺れ左に揺れしだしました。つん読になっている順番待ちの本が何冊かあるので、決心しかねていたある日、通勤本をかばんに入れ忘れて家を出てしまいました。本なしで落ち着かない気持ちを、行きはなんとかしのぎましたが、帰りも本なしでは辛いなと思っていたところ、たまたま所用で社外に出たので、途中本屋に寄って「芸術家列伝2」を買いました。「今朝、本を忘れたのは神のご配慮なのだ」と屁理屈をこね、自ら背を押して片方の秤に分銅を置いたのです。 
 早速、帰りの電車で冒頭のボッティチェルリの章を読みました。ボッティチェルリはなかなかの悪戯好きであったとの記述があったりして、絵画の作者としてしか知らなかった人物が、当然のことながら、やはり生身の人間の面を持っていたことがとても新鮮に思えました。読み始めたばかりですが、同じルネサンスの時代を生きた著者ならではの、エピソード豊富で時代の雰囲気をよく伝える読み物のようです。朝、家を出る時、かばんの中をしっかり確認して、しばしの車中でルネサンス人の生き生きとした姿に触れたいと思います。

2011-08-01 23:15:48 | 季節/自然
 朝、弱った蝉がマンションの階段でもぞもぞ動いていました。虫好きの子どものため、蝉を拾い上げて家へ戻ろうとしたら、蝉は注射針状の口を私の指に刺し込もうとしてきました。樹と間違えたのでしょうか。固い樹に刺し込める口なので、私の指を刺し通すことなど簡単なことです。樹液の代わりに蝉に血を吸い上げられる自分と、蝉は飛び立つ前におしっこをすると言いますから、真っ赤なおしっこを降りかけられる自分の、ふたりの自分が脳裏をよぎりました。「ゲゲッ」と思い手を振ると、蝉は意外としっかり羽ばたいて飛んでいき、子どもに蝉を見せられませんでした。
 毎夏、蝉の抜け殻が落ちているのを見ると、「夏が本格化してくるな」と思います。それからしばらくして裏返った蝉を見る頃くらいから、ミーン、ミーンとやかましい蝉の声も徐々に櫛の歯が抜けるようにして、気がつけば声が聞かれなくなってきます。今日から8月です。蝉の世界でも少しずつ季節が動いているのでしょう。