goo

岡崎市図書館の9冊

918.6『小松左京全集完全版47』起原3000年へ挑む/巨大プロジェクト動く/教養

332.1『「エイジノミクス」で日本は蘇る』高齢社会の成長戦略

454.5『山岳』SCIENCE PALETTE

007.5『スキルアップ! 情報検索 基本と実践』

321.1『国家の哲学』政治的責務から地球共和国へ

318.3『ブラック役場化する職場』知られざる非正規公務員の実態

35.4『ベルクソニズム』

167『クルアーン的世界観』近代をイスラームと共存させるために

913.6『もはや宇宙は迷宮の鏡のように』【白樹直哉シリーズ完結篇】
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

OCR化した7冊

2017年09月27日(水) OCR化した7冊

『住むたい街を自分でつくる』

 暮らしやすい街--賢い土地利用と新しい交通手段

  ついに脱・自動車--自転車に乗る

  カーシェアリング

  土地利用の仕方と環境問題

  ……そして解決方法は? エコな街づくり

  公共の交通機関があり、すべてが徒歩圏内の街

  革新的な土地利用--イサカ・コモンズ

  エコシティー・イサカの未来に向けた三つの展望

『ぼくは13歳、任務は自爆テロ』

 ギャングからテロリストヘ

  暗躍するテロ組織のリクルーターとファンドレイザー

  ギャングとテロ組織のつながり

  テロ組織に正面から挑む

  テロ組織に加わった若者にどう対応するか?

 テロを止められない6つの理由

  理由① これまでの戦争のルールが通用しないから

  理由② テロリストになる背景やテロへの考え方が多様化したから

  理由③ テロが手段としてつかわれるから

  理由④ グローバル・ジハードでテロがネットワーク化しているから

  理由⑤ 国際社会の介入が新たなテロを引き起こすから

  理由⑥ 武力だけで抑えることはできないから

『世界No.1プレゼン術』

 1人歩きするプレゼンの「核」の作り方

  優れたプレゼンには「心に残る核」が含まれている!

  人に伝わる「いい核」とはどういうものか?

  プレゼンを聴く人たちに「持ち帰って欲しいもの」

  どうしたら「最適な言葉」に落とし込めるのか?

  最大のコツは「あるあるを集めて、否定する」

  「長期的展望」を語るのか 「短期的解決策」を提案するのか

  プレゼンの「核」は最後の最後まで吟味する!

『才能を引き出した情報空間』

 小さな数学者たちの対話の場 結城浩

  結城さんの幼少期の読書

  ルビはえらい

  『数学ガール』の原型

  『数学ガール』で図書室が舞台になったわけ

  対話と学び、およびそれを成立させる条件

  チュウカイの重要性

  図書館で資料を探したりとかは?

  なぜ結城さんは図書館に自著が入ることを歓迎しているのか

  本を書くことを通じて知る喜び

  結城浩の考える、図書館に求めること。

  白いウサギを追いかけて

『世界情勢を読み解く10の視点』

 宗教を知れば、世界が見える アラブの春から「イスラム国」へ

 現代は宗教興隆の時代

 「イスラム教」と「アラブ」というキーワード

 欧州列強による第1次世界大戦の戦後処理が問題を生んだ

 しぶとい国家、エジプト

 「アラブの春」のキーワードは、「尊厳」

 もろい国家、シリア

 グローバル化の鬼り子「イスラム国」

 イスラム色の強まるトルコ

 欧州で頻発するテロ

 テロリストが生まれる背景

『資本論と社会主義、そして現代』

 世界史の頁をめくったロシア革命からソ連崩壊までの総括

  新自由主義の対極が復活の要素に

   ロシア革命のもたらした衝撃

   資本主義の対応策の一環としての社会保障

   ソ連経済の停滞、改革は試みたが……

   一九九一年にソ連邦は活動停止、非効率な生産体制と「科学技術大国」  を残して

『地図で見る中国ハンドブック』

 大国の課題
 新興国の社会的矛盾
 領土の緊張関係と地域の統合
 経済成長から世界の主役へ
 遺産
 中華帝国から…
 皇帝が築いたもの
 西洋の脅威
 中国のグローバル化
 たえまない両構成
 …中華人民共和国へ
 国民国家づくり
 行政区分
 目に見えない都市?
 治水
 水利、文明の要
 大がかりな水利事業
 3つの目的
 移住させられた人々と地域の発展
 長江の水を北部地方へ流す
 環境問題
 壁、われわれと他者
 伝統的な家
 境界としての万里の長城
 「内」と「外」
 人間関係とネットワーク
 文化的価値観
 孔子の教え
 アジア的価値観から愛国的文化へ
 中国文化の構成要素
 道教あるいは生の力
 仏教の復権?
 宗教
 国家の指導
 イスラム教、多様な存在
 カトリックと主権争い
 発展するプロテスタント
 遺産としての毛沢東思想
 都市住民の管理
 文化大革命
 現代中国の毛沢東思想観
 先途他言に向けて
 人口過多?
 計画出産政策
 人口転換の終わり
 目下の問題
 日常生活の激変
 包括的単位から契約の仕事へ
 所有者になる
 新しい食習慣
 未来に向けての教育
 公共サービス
 高等教育
 中国の研究の近代化
 健康、社会の選択
 ばらつきのある医療保険制度
 野心的な公共プログラム
 都市部の病気
 エイズ
 SARSと鳥インフルエンザ
 社会的指導と政治的抑圧
 近隣住民の指導
 天安門の鎮圧
 強制労働収容所
 メディアと映画の検閲
 インターネット利用者への抑圧
 法輪功
 犯罪と国内の緊張状態
 改革の結果としての汚職
 移住と都市の不安定さ
 麻薬
 犯罪組織の増加
 社会の欲求不満と暴力の爆発
 余暇と観光の時代
 休暇
 余暇社会に向かって
 中国の観光旅行の急激な発展
 グローバル化した領土
 毛沢東以後の過渡難(1978-1992年)
 地方レベル
 発展の立役者である政治家
 農村の工業化と空間の変化
 段階的な開放
 現代の再編成(1992-2001年)
 急進的な改革
 新しい都会人
 中国の台頭に貢献する3つの大都市
 グローバル化経済(2001年以降)
 経済の外向性
 グローバル化する国土
 改革以後の中国、あるいは不安の時代?
 国土のつながりを両建する
 大きな地域格差
 国土整備政策
 農村社会の分散
 生産責任制
 農作物の市場開放
 農村分散の要因である都市
 環境についての懸念
 生態学的災害
 森林伐採と浸食作用
 水資源
 水と空気の汚染
 環境問題
 中国の都市
 加速する都市化
 都市に支配される社会
 時代の変化と・・・。
 ・・・空間の変化
 自転車から自動車へ
 中国における都市のアイデンティティ
 都市の近代化
 公共の庭園や公園
 高級ホテル、外国から入ってきて地域で利用される都会的なもの
 パブリックスペースの増加
 商業と都会生活
 北京、皇帝の都
 はめこまれた方形
 社会主義的近代牝
 過去を水に流そう!
 上海、近代都市
 かつて租界があった都市
 復興
 多中心型の都市
 香港、アジアの十寧路
 狭くて分断された地区
 小龍から地域の拠点へ
 香港と中華人民共和麟
 中国南部の中心都市
 周辺地域
 さまざまな道筋をたどった歩数民族
 民族とはなにか
 3タイプの少数民族
 少数民族、地政学的課題
 新疆ウイグル自治区、多様なレベルの問題
 中央アジア
 中国の占有
 ウイグル問題
 だれのための発展か?
 チベット自治区、アジアの高地をその手に
 アジアの給水塔
 支配された地域
 言葉とアイデンティティ
 都市と漢族による植民地化
 亡命チベット、ラサの中国
 台湾、ますます複雑化する関係
 渇望される島
 小龍の台頭
 独立論者の挑戦
 グローバル化の主役
 アジアの経済大轍
 グローバル化と大都市化
 アジアのあらたな経済バランス
 東南アジアのパートナー
 あらたな地政学的中心
 国境、大幅に解決された問題
 上海協力機構
 北朝鮮の核問題
 軍事力の近代化
 人民のゲリラ戦
 軍隊の近代化
 近代戦争
 なにを危惧すべきか
 視界の資源を求めて
 増大する依存関係
 石油問題
 中国の大石油企業グループ
 ソフトパワーとハードエコノミー
 あらたに定義しなおされた大国
 中国の威光
 中国のあらたな普遍主義へ?
 華僑
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

本棚システムを最新に状態にした

本棚システムを最新に状態にした

 本棚システムは未唯宇宙の構成物質になりうる。

本棚システムを図書館システムにする

 コンテンツをNDC番号順にすることで図書館そのものに出来る。大分類、中分類、項目と細目も本の数だけ出来ます。そうすれば、集合として、未唯空間とつながります。

 逆にそこから図書館の本を探っていきましょう。興味のNDCの棚をリアルな図書館の本棚から補完します。

 さらに未唯空間そのものを目次とか仕様に出来る。ちねみに図書館システムのコンテンツの数は4226冊です。

4000冊の専門図書館

 4000冊の専門図書館が出来ました。すごいですよね。それも単にカネで買ってきたわけではなく、全部、手づくりです。10年は掛っています。金曜日に収集して、土日でデジタル化して、アップを繰返してきた。本のDNAも実感しました。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

壁、われわれと他者

『地図で見る中国ハンドブック』より

壁、われわれと他者

 中国的空間は視覚をさえぎるもの(ついたて、幕)と壁(北京の胡同、紫禁城、北京皇城、万里の長城)で構成されている。それは中立、同等、同形のものではない。それは個人、家族、コミュニティ、民族を区別する手段である。社会から介入してくる規範の圧力に直面すると、自立や私生活を主張するのはむすかしいが、中国的空間は、それに対して自由でいられる手段をあたえる。

伝統的な家

 家庭空間は人間関係のきわめて序列化された概念を反映している。伝統的な家のなかでは、それぞれが社会的・空間的な場所をもっている。中国北部の、方形の中庭のある家(四合院)には、家を隠す壁があり、公共空間と接続する部分で家を特色のないものにしている。ファサードという考え方はそこにはない。開口部は内部に向けた光の井戸であって、外部に面した窓ではないのである。視覚をさえぎるもの(幕、石、壁)が入口の扉の後に置かれ、家族にとってのよそ者を受け入れる庭に行くためには、それをよけて通らなければならない。次に、家族の豊かさに応じて、別棟や居間のある中庭がいくつか続くこともある。それは応接の場と、もっと内部の私的空間とを対置させるものであり、選別的・段階的に私的空間に近づくよう派生したのかもしれない。家族は年齢や性別によって配置されている。次男の庭の次に、奥まったもっとも近づきにくい庭がある。それは家長夫婦のための庭である。長男が自分の中庭をもたない場合は、家長夫妻のすぐそばに長男家族がいる。

境界としての万里の長城

 同様のやり方で、万里の長城は漢民族の世界と「蛮族」の世界の境界を示している。その高さによって、北方民族の侵入に対する物理的な障壁の役割を果たしていたにちがいない。しかし、その役割はかなり象徴的なものであり、ところどころにある門は、民族同士が接触したり交易したりする場であり、また争う場でもあった。

 万里の長城は歴史のなかで建てられたさまざまな城壁からなっている。初期のものは紀元前5~3世紀に建てられた。明は15~16世紀に、すでにあったいくつかの城壁のあいだの区間をつなぐよう命じている。そして現在の万里の長城が築かれ、その全長は約3000キロメートルで、潮海から中央アジア付近まで横切る地域の地形とみごとに一致している。

「内」と「外」

 万里の長城はとりわけ政治的な空間の概念を具体化したものだ。場所は対等なものではなく、社会の構造的序列が土地に反映されている。万里の長城のこちら側の土地はたんに中国の境界をなすだけではなく、「われわれ」つまり中国文明の親密な内部領域である「nei (内)」を示し、「他者」つまりよそ者(蛮族)の外部領域である「wai (外)」と対置されている。

 帝国の制度では、こうした階級的な区別がいくつもの段階で存在し、さまざまな身分を識別していた。皇帝は中心を体現し、最初の円(万里の長城によって範囲を定められている)は漢民族をひとつにまとめていた。第2の円は貢ぎ物を納めて中国の優越を認める異邦人であり、それより大きい円は、文明化した世界とまったく無縁の蛮族たち(夷秋)のところまで広がっていた。

 このように中国はごく早い時期から、自国の政治=領土システムのなかで外国人にも位置をあたえていたが、それは決定的に「われわれ」の外の地位をあたえるものであったり、文化の違いをとがめて距離を置いた序列に組み入れたりするものであった。時がたつにつれて(そして世代をへるにつれて)、外国人がそれぞれの身分で漢文明に同化するのは自由にまかせていた。このロジックは、中華人民共和国のなかでの国籍、自治区創設の際、その後、1980年代に沿海地方を(経済的な面で)開放する際にも見られた。沿海地方の開放は地理的にかぎられたものであり、外国にあたえられた場所をふくんでいた。

 かつては世界の中心であり世界そのものだった帝国の、20世紀における大きな変化は、国民国家になったことだ。これからは平等な領土という原則にもとづく近代的な境界線を越えて、隣国と対等に交渉していかなければならない。

人間関係とネットワーク

 内部の中国社会は「内」と[外]の対置によって構成されている。その関係性にはおもに3つのタイプがある。ひとつは血縁関係で、すべてが共有される。もうひとつはフランスの心理学者が空白の関係とよぶような関係である。この関係では相手と無関係で、おたがいに相手を見きわめることができない。最後に、特別な個人間の「関係」(guanxi)は、贈り物とお返しの原理にもとづくネットワークの根源になっている。

 社会的関係は、特別な個人関係によって築かれている。それは「外」を排除する「内」の秩序である。こうした考え方は空白のコミュニケーション手段に頼るのを制限する。他者との接触は相手を特定できない名簿(電話帳、リスト)を使・Jておこなうことはできない。もしある「関係」がわたしを推薦して、わたしに価値や信頼性をあたえ、共通の知人であることを証明してくれなければ、わたしは知らないだれかと接触することができない。「関係」によってわたしは匿名性から脱することができる。「関係」はこのように共通の知人のネットワークによって築かれる。ここでは、関係を築くための名刺のような道具が大きな役割を果たすのは、使用可能なネットワークや、その具体的価値が明らかな場合に限られるc

 社会的関係の基礎にあるのはふたつの考え方、つまり信用(xinyong)と面子(mianzi)である。対話者はわたしを紹介してくれた人を信頼しているので、わたしは対話者の前でその恩恵を受けることができるのである。関係を築くのは、わたしのもともとの関係への信頼を担保としている。もしわたしが約束を守らなければ、わたしは面子を失い、わたしを紹介してくれた人の面子をつぶし、ふたりとも信用を失う。そのかわり、こうしたネットワーク構造のなかでは、接待や贈答が避けがたいものとなる。

 このような構造は、個人に対するコミュニティの重圧となってあらわれがちである。個人は公然と独立を主張することも、ほかと異なる意見を言ったり、私生活を守ったりする自由権を要求することもできない。したがって個人は、なんであれ視線をさえぎるもの(壁、幕など)の決定的な役割で占有空間をととのえることによって間接的に集団から身を守りながら、同時に、行動範囲を広げるためにコミュニティの連帯も動員しようとする。

文化的価値観

 国家は神聖な役割をつとめていた。皇帝はその正当性を天から得ていたのであり、人間の秩序と世界の秩序は一体となっていた。政治家は宗教的活動を認め、そして自分の利益のために用いた。宗教的活動は、時がたつにつれて中国文明の基礎となり、20世紀にはさまざまな運命をたどったとはいえ、つねに現実的意義をもっていた。儒教、道教、仏教という3大宗教にくわえて、家族や共同体のしきたりもある。

 中国の文化的アイデンティティを構成するさまざまな宗教的活動は、人間の多様な欲求にこたえながら、たがいにしりぞけあうことなく調和している。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

中国の課題 中華帝国から中華人民共和国へ

『地図で見る中国ハンドブック』より

大国の課題

 もはや中国は加速度的な変化をとげているだけではない。経済面や政治面で、世界的な大国のひとつにもなった。今後、中国の現状を理解するためには、この大陸国家の国内の課題と、グローバル化し相互依存の関係にある世界のなかでの役割とを、完全に結びつけることが必要となる。ブラジルやインドのようなほかの新興大国よりも明確に、拠点としての存在を示している中国は、世界的規模の商業、財政、外交、軍事の均衡に大きくかかわっている。

 いまでは中国の主役をになう人々の関心もきわめて多様になっている。共産党は依然として専制的で、経済情勢の中心的役割を果たしているが、新しい勢力の出現にも注目すべきである。たとえば中国の大企業

 内陸の大都市、中間層の台頭や最新の通信技術の発展とともに表面化してきた世論、過激で暴力的な反対派の台頭、そして世界にちらばるさまざまな層の華僑が占める地位などだ。中国はつい最近まで範囲をきっちりと限定された開放区によって保護されていたが、今日ではグローバル化のプロセスやそのロジック、脅威に全面的にさらされている。このように中国は、国内の矛盾や国外の影響を反映して、かつてないほど多元的になっている。

新興国の社会的矛盾

 近年、30年にわたる中国の改革によってもたらされた変化が、ふたつの動きによって明らかになった。

 2000年代末は、世界的な金融危機と、毎年10パーセントを超えていた成長が終わりを告げた時期でもあったことから、一大転機を画した。それ以後は社会・経済・環境の問題が最重要なものとなったのである。それはもはや毛沢東主義の破綻からくる問題ではなく、改革そのものの問題だった。「改革以後」の中国はいま、不平等や社会の欲求不満、当局の営利主義、地域格差、環境破壊、そしてあらゆる代価を払っての経済成長から生じた公衆衛生上のリスクに対応しなければならなくなっている。経済成長は1970年代末に、政府が政権を維持するために国民とかわした暗黙の合意であった。もうひとつの動きは、国家の都市化にあらわれている。フランスのある社会学者[アンリ・マンドラ]が論じたような「農民の終焉」とまでは言えないにしても(絶対的価値観に照らせば、とてもそれどころではない)、中国の多くは都会的になった。いまでは発展戦略と近代性の価値観が都市社会から展開されている。都市の中間層は、所有権の取得や経済活動の第3次化、若い世代の職能向上とともに、個性を示すようになっている。こうした人々はいまや不動産や余暇、健康の権利、法的要求の表明など、具体的な利益を主張している。現政権とのあらたなバランスの種が芽吹きつつあり、現政府の利益となるように展開されている「調和のとれた」社会というスローガンや、腐敗幹部の表向きの追求では満足しないだろう。

領土の緊張関係と地域の統合

 中国の最大の課題は長期にわたるものでもある。領土の広大さは発展の不均衡をもたらし、改革がそれをいっそう悪化させた。沿岸地方は当初、鄧小平の決然とした選択の恩恵を受けて発展の拠点となり、その後は発展を地方に広げていくことになった。しかし中国政府は、人口密度も民族もさまざまで、発展のしかたもまちまちである地域を、あらためて全国的に統合する手段をすぐに講じなければならなかった。1990年代から大規模な国土整備計画が実施され、大河川である長江での三峡ダムの建造や、西部開発政策が開始される。2000年代になると、高速鉄道のインフラや、全国レベルの大都市建設に重点が移った。

 現在の中国の地域構成は、地域的規模と大陸的規模を考慮に入れたものになっている。それは近隣諸国との結びつきができたおかげであり、とくに連雲港の沿岸から口ッテルダムやアントウェルペンまで、カザフスタンやロシア、ドイツを経由する大陸横断路線ができたことによるものである。このように中国は、陸のシルクロードをふたたび作りなおして、マラッカ海峡をとおる海路に依存せずに商品輸送ができる手段を得ようとしている。

経済成長から世界の主役へ

 中国の影響力はけたちがいになっている。貿易の飛躍的発展、地政学的な立場、現在の財政力、軍事力の近代化などのおかげで、急速にアジアの中心的な位置を占めるようになった。日本やインドはこれほどそろった切り札をもってはいない。

 経済成長に欠かすことのできない鉱物資源やエネルギー資源の探求、さまざまな部門での市場の独占、産業への投資や買収、そしてふたたび活発化しているアジア大陸から世界各国への移動の波などによって、中国はここ15年間で世界の大国として認められるようになった。外交的な、そしてときには軍事力による国際問題への関与には、文化の伝播という戦略もともなっている。その最たるものが中国語と中国文化を教える孔子学院である。

 このように中国は「ハードパワー」でも「ソフトパワー」でも、経済大国のあらゆる属性をそなえている。決定的なパートナーとなった中国は、ほかのどの国よりも「南北問題」という解釈をうち破っている。だからこそ、変化しながらわれわれも変化させ、われわれの将来に全面的に関与しているのである。

中華帝国から…

 紀元前3世紀から紀元後19世紀まで幅をきかせていたのは、帝国を世界全体とみなす考え方である。中国は文化や宇宙論だけでなく政治によっても、統一的理想を支えていた。次々に領土を統治下に組み入れてきた中国は、アジア世界の中心を占めるようになった。しかしアヘン戦争のあとに作り出された西洋とのあらたな勢力関係は、中国の初期のグローバリゼーションを終結させた。

皇帝が築いたもの

 帝国は紀元前221年に始皇帝によって築かれたが、帝国のイデオロギーが確立するのは漢王朝の時代である。それは天命(tianming)という宇宙論的な法制と、中央集権的な全体主義、法家の刑罰の厳格さ、儒教の倫理、道教の観念を統合したものである。

 中国の政治は神聖な任務をつとめていた。社会的秩序と宇宙の秩序を同一視し、皇帝を天と人の配置の中心に置いていた。唐の時代にはおもな3つの宗教的活動(儒教、道教、仏教)が識別され、地方の信仰や、家族による祖先崇拝も認められていた。

 中国の王朝は文官を養成するシステムをしだいに確立した。隋の時代からは科挙という官吏登用試験が実施され、清朝末期に廃止されるまで1300年以上続いた。

 仏教も、元や清といったモンゴルや満州の王朝も、イスラム教や産業革命前のヨーロッパとの接触も、中国の帝政を変えることはなかった。

西洋の脅威

 第1次アヘン戦争は決定的な時代の幕開けとなった。人口急増ですでに弱体化していた帝国は打撃を受け、経済的・社会的・政治的危機におちいった。そしてテクノロジー、生産性、軍事力が産業革命による革新でまさっていた西洋世界と対決することになる。中国への外国人の入植が増加し、マカオや香港などは植民地の形をとるようになった。植民地化は港や都市の開放となってあらわれ、上海や、現在の武漢や天津で租界がつくられ、急速に都市の大部分を占めるようになった。こうした外国の存在は結局アジアに、ヨーロッパや日本の延長である広大な勢力圏を生み出した。たとえば満州では口シアと日本が競いあい、長江の中・下流域はイギリス、インドシナに隣接する中国南西部はフランスの影響下に入った。中国の現在の国境は、西洋の植民地列強が当時押しつけた境界線上にある。

 租界は1940年代はじめに返還されたが、共産主義政権によれば、「恥辱の世紀」が終わるのは、中華人民共和国が成立した1949年になってからのことである。

中国のグローバル化

 中国はこうして3つの形のグローバル化を受け継いできた。いずれも中国を中心とするが大きく異なっていて、たがいに重なりあい、それぞれに接点がある。

 帝国的概念あるいは中華思想は、中国が宇宙論的中心であり、国家の首都や北部の平原から世界の文化や政治をつかさどるものとみなしている。

 ネットワーク的思想は、とくに広東省や福建省や浙江省のような南部の地域を、組織網によって、東南アジアの19世紀末に誕生した新国家にある華僑共同体や、西洋のチャイナタウンに結びつけている。今日、長江下流域や東北部、さらには中川令体からの大陸移動をあらたに増やしているのは、強力な華僑のネットワークである。

 以後に、沿岸都市によるグローバル化は、主要都市と沿岸をかけあわせた概念である。上海や香港のようにかつての租Wや外国の植民地の後継者であることが多い沿岸の大都市は、中国全体と世界システムを同化させる偏光装置の役割を果たしている。このような世界との同化をになう領土モデルは、じつはすでに古くから存在していたが、近代になってから日立つようになった。

たえまない両構成

 受け継がれた3つのグローバル化の形は、西洋中心のグローバル化によってあやうくなっている。グローバル化し競争原理が働いている世界のなかで、中国はみずからこの3つの概念をたえまなく組み立てなおさなければならなかった。こうした世界のなかでは、国家間の関係は国際的な組織によって規定され、大国はもはや唯一の文化や政治の規準に一致するものではなくなり、アジアにおけるアメリカやロシアがそうであるように、しばしば外部の大国がその地域にかかわろうとする欲求によって複雑になる。

 中国のグローバル化は今後、近隣諸国やパートナー国との外交や貿易のあらたな関係を考慮に入れなければならない。したがって中国の力の再確認はまず、現代の大国とはなにか、そして中国がアジアや世界でどのような位置づけをみずから定めているのかを再定義することからはじまる。

 逆説的になるが、中国と中国社会はグローバル化のなかに、領土や経済や人間を一体化する新たな手段を見いだしているのである。

…中華人民共和国へ

 中華人民共和国の行政区分は長い歴史の延長上にある。地域の編成には手直しがくわえられているが、省や県は明やその前の時代にまでさかのぼることができる。つまり地方の主体性が、中国の広大さとしっかりとつりあっているのである。20世紀には近代化によって中国が国民国家として再定義されることになるが、それは共産主義政権のもとできわめて繊細な行政区分となってあらわれている。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

玲子さんとの2回目のスタバでのおしゃべり

本棚システムのオープン

 グーグルに置いておいて、ユーザー検索を追加すれば、それでオープンできる。そういう意味ではシステムは出来上がっている。やること、やりたいこととつながっています。

玲子さんとの2回目のスタバでのおしゃべり

 スマホを奥さんが選んだ理由。

 新刊書からのDNAの抜き出し。

 グーグルのDocumentの優位性

 YouTubeが勝手にTVに出力される。それに対しての奥さんからのクレーム。

 玲子さんの姪のサチの読書好き

 ギリシャ人街とギリシャ人の個性

 (35分経過)話の途中でのスポイル発生

 紙をなくした図書館システムの構想

 アマゾンのコンテンツ送付システム

 モータースポーツ「無限」の人へのサポートと奥さんのロンドン訪問

 ペテルスブルグの話

 ローマの食事

 (1時間10分経過)博子登場 玲子の症状と発生タイミング

 スマホ購入のいきさつ

 家族は私を無視している

 今のアテネの家には駐車場がある

 コペンハーゲンの図書館のやさしさ

 モトは奥さんにすり寄っている。1280えんのうなぎ。三等分

 博子のスマホとLINE設定しようとしたが失敗。

 アーちゃんはモトになついている

 次が女の子ならナノ(n)という名前

 ドクハラで追い出されようとなったこと

 サチの司書観を変えたい。次はサチも含めたおしゃべり?
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

ソ連経済の停滞、改革は試みたが……ソ連崩壊

『資本論と社会主義、そして現代』より 世界史の頁をめくったロシア革命からソ連崩壊までの総括 新自由主義の対極が復活の要素に

一九五三年に、長い期間にわたってソビエト権力の頂点にいたスターリンが死亡した。その直後にはマレンコフが地位を継いだが、ペリヤという、党内で恐れられ、嫌われていた人物が後ろにいるということで極度に警戒され、九日後には共産党第一書記の座を、フルシチョフと交代させられた。

フルシチョフは、一九五六年二月のソ連共産党第二〇回大会において、スターリン批判を行った。それは秘密報告として行われたので、公然化するのはやや後だが、内容は急速に世界に広まった。フルシチョフ自身の行動も、この報告に反しないように民主的なものでなければ、党員にも国民にも納得されないのは当然であった。実際、この時期に言論が活発になり、多くの青年が政治的発言をした。この時期に成長した人たちが、後のゴルバチョフ時代にかなり活躍したという事実も指摘されている。

だが、フルシチョフは激情家であり、同志たちへの暴言も少なくなかったので、「敵」が多かった。「米ソ対立」の時代の一方の旗頭として、世界政治の中で必要な役割を果たしたし、党の組織活動の民主化・近代化にも一定の貢献をしたが、一九六四年一〇月に、自らの意志に反して第一書記の地位を退任させられた。

代わって党の最高指導者(呼び方は「書記長」に戻した)になったのがブレジネフで、閣僚会議議長(首相)のコスイギンとのコンビになった。このコンビはどちらも粗暴なところはなかったが、その代わりに、何時も慎重に言葉を選んで発言するようで、面白みもなかった。またこの頃には、中国共産党との対立・論争が公然化した(一九五九年の中国共産党第八期八中全会からと言われている)ので、そちらに備えるためにも、発言に慎重さを求められていたのだろう。

ソ連経済は六〇年代以降、しだいに停滞、下降の局面に入った。公表される数値では、目立った停滞にはならなかったが、停滞という評価がしだいに定着し始めた。後に統計の改京が指摘されたが、その評価はしだいに信憑性を帯びてきた。私はソビエト連邦という巨大な機構の至るところに、小さな〝目詰まり〟、あるいは目に写りにくい〝空隙〟のようなものが生じて、その一つ一つは取り出して論じるほどのものではないが、その集積は統計の数字を見誤らせるほどになっていたのではないかと推測している。当初、ソ連政府は、そういう(停滞、統計数字の誤りなどの)批判は「CIAのデマ宣伝である」と反論していた。しかし後には、その大部分は事実であると認めざるをえなくなった。

『ソ連経済と統計』という本がある(島村史郎著・東洋経済新報社刊)。この本は八七年にセリューニン(ソ連の経済学者)、ハーニン(同経済アカデミー候補)の共同で発表した論文「佼滑な数字」に依拠しながら、統計数字の改京を指摘している。両名はたとえば五五頁の「表四-二」でいろいろな数字をあげているが、国民所得でいうと、一九五一~六〇年に公式統計では平均一〇・三%の伸びであったが、実際は七・二%、七一~七五年には公式統計は五・七%だが、実際は三・二%、七六~八〇年には公式統計は四・三%だが、実際は一・〇%、八一~八五年には公式統計は三・六%だが実際は〇・六%となっている。つまり、以前から改宣の事実はあったが、七六~八○年以降は、ほとんど経済成長していないのに、それなりの成長があったように、公式統計が操作されていたのである。両名があげる数字も、当然、推計の部分が多いから、実際の経済とのずれはあるだろう。だが現実のソ連の崩壊過程を見ると、この表の数字が示す傾向はだいたい納得できる。

この本にはアメリカCIAの推計値もついているが、大差はない。つまりアメリカも、ソ連経済の停滞、崩壊過程をつかんでいたのである。一九七〇年代にはソ連の社会主義経済は、資本主義を越えるどころではないことが、見抜かれていたのである。

ブレジネフ体制と呼ばれる党・政府の幹部層は、この停滞の実情をどの程度把握していたのか。知らないはずはないのだが、知っていて黙っているとしたら、発言はより慎重で、重苦しいものにならざるをえない。当時のソ連幹部の発言を思い出すと、そういう気がする。そして、実情より少し良いように数字上の成長をとなえてはいたが、現実の経済・社会を改革しようとした努力は、ほとんど見られなかった。そういう動きをすれば、現実の停滞ぶりとの違いが表面化するわけだから、何らかの論争が起ったはずである。しかし、そういう論争はほとんど起らなかった。「ブレジネフ時代」と言われる時代は、内部論争のない時代であった。言い換えれば、内部からの改革の問題提起もない時代であった、ということになる。

当時、世界は「米ソ対立」の時代とも言われていた。実際、世界のあらゆる勢力を自陣営に取り込もうとして、双方が懸命に工作していた。大国だが貧しかったロシアで権力を握って、豊かなアメリカと対抗するように世界的な勢力を築くには、相当な努力を必要としただろうが、その点ではソ連の人々は奮闘したと思われる。力が足りないのに弱みを見せまいとしたので、余計に「お堅い」印象になったのだろう。今なら、その点に同情もできる。

その間に中ソ論争もあった。というよりもこちらの方は、日本でも大論争として報道された。最近では、アメリカ側か「ロシアを牽制するために中国を利用した」ということも、語られるようになっている。今日ではまたまた、「中国を牽制するためにロシアに接近する」というこども囁かれている。そんなことは難しい理屈を研究しなくてもわかる話だが、当時のソ連共産党指導部、そして現在の中国共産党指導部は、あまりよくわかっていないようである。

そして一九七二年に、「ニクソン訪中」があった。ソ連と厳しい論争を行っていた中国へ、二クソン米大統領が訪問して、毛沢東、周恩来と会談したのである。この訪中は、ソ連に「恥」を掻かせることにはなったが、実質上の打撃はなかった。しかし、ソ連共産党、及び世界の「ソ連派」の人々は、かなり気分を害した。正直に言えば「ソ連派」のはしくれにいた私も、やや気分を害した。こんなことは、「小さな政治的演出」だと整理しておけばよかったのだが、世界のソ連派は、そういう気分ではなかったのである。現在の中国共産党やその支持者たちは、「二度目」なのだから、米口が仲の良さそうなシーンを見せても、「またやっているな」と、笑って見ていてほしい。

この頃には、ベトナム戦争が世界の注目の的であり、この点では中・ソともに、南ベトナム民族解放戦線とそれを支持・支援する北ベトナムを、世界的な支援の輪のなかで、中心的な役割を果たしながら支えた。アメリカに支援された南ベトナム政府の劣勢はしだいに明らかになり、七五年には崩壊した。この敗北以降、アメリカをはじめとする先進資本主義諸国は、世界各地の発展途上諸国との交易において、「対等平等な話し合い」の態度を表明せざるをえなくなり、露骨な搾取と収奪はできなくなったのである。

ベトナム解放闘争の支援と同様に、ソ連、中国をはじめとする社会主義諸国は、世界の発展途上国の反帝国主義闘争を支援しながら、アメリカを先頭に世界支配を続けようとする帝国主義勢力の行動を強く規制していた。社会主義諸国に支援された世界の反帝国主義・民族解放の運動は、各地で芽を伸ばした。欧米の資本主義諸国による世界の支配は、諸民族の強力な抵抗を抑えることができなくなった。植民地支配というものは、基本的に、存続不可能になったのである。部分的には、まだ旧時代的な支配が残っているところもあるが、民族の自覚の高まりがあれば、その存続は不可能になる。

この事態は、帝国主義諸勢力にとって、経済的な打撃が小さくないだけでなく、国連などでの政治的力関係にも大きな変化をもたらしている。発展途上諸国の大勢に逆らうような決議は、もはや国連の場ではできなくなっているし、国連関連の国際会議でも、事実上、不可能になっているのである。

当時まだ、ソ連の軍事力は強大であったが、社会主義体制としては経済的な弱さ、陣営内の「タガ」の緩みなどが明らかになり、アメリカをはじめとする資本主義陣営にとって、この頃には脅威感はあまり切迫したものではなくなっていたと言える。こういう状況を見て、一九八一年にアメリカの大統領になったレーガンはソ連批判を強め、また軍拡競争を仕掛けた。ソ連はそれをまともに受け止めて、莫大な資金を軍事という非生産的な部門に投入して、崩壊過程を早めてしまったのである。経済の停滞と、政治、文化の停滞とはやや次元が異なるのであるが、この時期以降、反体制派の動きや、民族的不満が従来以上に強まったのも当然である。

ゴルバチョフが共産党書記長に就任した一九八五年には、ソ連経済の回復はかなり困難になっていた。今でも、ソ連共産党の残党というべき人々の中には、「ゴルバチョフがソ連を崩壊させた」という説が多いが、私はそうは思わない。ゴルバチョフはいろいろと改革に関する演説をした、その限りで改革の対象となる欠点の指摘はしたが、具体的には、改革も破壊もしなかった。ただ、ソ連の国内に根を張る諸問題点について、改革が説かれながら、その具体的な取り組みが起こらなかったのである。改革の芽が摘まれていたとも言えるが、党の書記長が問題点を指摘しながら改革を起こすイニシアティブをとって党をその方向に動かすことをしなかったのだから、責任があるとは言える。しかし私が見るところ、当時のソ連国民には、よほど粘り強く組織しなければ、改革に向かう子不ルギーが、大きなうねりをつくる状況にはなかったと思う。そういう〝うねり〟をつくりだすのが書記長の責任と言えば、その通りである。しかし、ソ連に存在する問題点を指摘しない、というよりもその点で無自覚であった多くの党幹部に比べれば、ゴルバチョフの責任は軽いと見るべきではないかと思われる。

だが、この期間のソ連が、全く良いところの無い、大きいが停滞しているだけの存在であったかと言うと、そうではない。

「タガ」はゆるみ、生産は停滞してしまったが、科学技術の基礎的な力が急に落ちるわけではない。かつての鉄鋼生産を基礎にした重工業の育成が、第二次世界大戦でドイツ軍を打ち破る力をもたらした、と述べた。ソ連では、そういう基礎的なところからじっくり力を養うのは得意とするところで、大学教育の充実から、研究者、技術者の育成、幅広い分野での研究・開発体制の強化を続けた。

『科学技術大国ソ連の興亡』(市川浩著・勁草書房)という本がある。この本の中で、ソ連が鉄鋼だけでなく、化学、エネルギー、原子力など、必要・重要な分野に研究者、学者・技術者の育成を進めたことが書かれている。良いところだけを書いてあるのではなく、軽工業・消費財生産の軽視や、環境問題の軽視による国民の犠牲にもふれている。そういう部分も含めて実態を的確に受け止めるのは重要であると思われる。ロシア革命当時は、もっぱら腕力にものを言わせる存在であったが、幅広い裾野を持つ「科学技術大国」をつくったのは、ソ連の実績である。

ソ連の崩壊の後、研究・開発体制の主要な部分は、ロシア連邦に継承されているようである。現在のロシアも、研究・開発の成果を、生産に生かし、国民生活の向上に結び付けるような、落ち着いた経済の育成にはなっていないかもしれないが、その可能性は残っていると言えるだろう。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

しぶとい国家、エジプト もろい国家、シリア

『世界情勢を読み解く10の視点』より 宗教を知れば、世界が見える アラブの春から「イスラム国」へ

しぶとい国家、エジプト

 「アラブの春」の最大の焦点はエジプトでした。

 エジプトは、中東地域の大国の一つです。

 エジプトは、石油資源はそれほどありません。その歴史、人材の厚み、国際政治での重要性から、中東の雄国なのです。

 「アラブの春」という変革の時期に、エジプトが経た変遷は、次のようなものでした。

  ・北アフリカ・チュニジアに端を発した反体制デモがエジプトに飛び火した。

  ・約30年間、この国の卜ップに立っていたホスニ・ムバラク大統領が失脚した。

  ・軍が統治した。その下で、民主化のプロセスが進行した。

  ・民主的選挙で、ムスリム同胞団のムハマンド・ムモルシが大統領に当選した。

  ・軍がクーデターで、モルシ大統領を失脚させた。

  ・軍の中心人物のアブドルファタハ・シシ前国防相が、大統領選で当選し、就任した。

 中東諸国の人口の年代別構成を見ると、日本に比べて若い層の割合がはるかに大きいのです。教育水準はあがってきた、しかし就職はなかなかできない。抗議活動が広がった背景には、そんな不満がありました。

 活動に参加した若者たちは、インターネットを利用しました。たとえばフェイスブックでデモや集会を呼びかけたのです。

 若者に続いて声をあげたのは、イスラム教の信仰に基づき社会活動を行う組織です。エジプトではムスリム同胞団という組織が強力でした。ムバラク大統領は、この組織が力を持つことを警戒して取り締まっていました。それでも、合法・非合法の両面で活動を広げていました。

 選挙をして分かったのは、ムスリム同胞団の組織力が他の政党や組織を上回っており、同胞団が勝利するということでした。

 「アラブの春」の激動の中で、エジプトは2回憲法を改正しました。

 ムスリム同胞団出店モルシ大統領が在任していた2012年と、シシ将軍による事実上のクーデターの後である2014年です。

 2014年の憲法、すなわち現行憲法の英訳を読んで前文に圧倒されました。

 「エジプトは、ナイル川のエジプト人への賜物であり、エジプト人の人類への贈り物である」

 なんという自信でしょうか。前文は、古代から現代に至るエジプトの歴史を叙述していますが、自国の文明に対する強烈な自負心に貫かれています。

 調べてみると、2012年の憲法の前文にも自国の歴史に対する誇りが表明されていました。

 ある日本の中東専門の外交官から聞いた話です。

 「アラブの人は、かつて自分たちが世界の中心だったという誇りを持っている。日本人が持っていない誇りだ」

 この誇りは歴史に根ざしたものです。歴史家、ウィリアム・H・マクニールの『世界史』(中公文庫、2008年)の上巻207頁にこう書いてあります。

 「紀元前五〇〇年から、紀元一五〇〇年までの約二千年間には、世界の文明生活の中心地のどれかひとつだけが、一頭地を抜きんでるということはまったくなかった。それ以前には中東が第一位を占めていて、近隣の諸地域や、さらにその先の諸地域にも、時には遠い距離を越えて影響を及ぼしていた」

 エジプトは、「アラブの春」で権力のありかが、軍→ムスリム同胞団→軍とめまぐるしく変わりました。それでも国家が崩壊することはありません。

 その理由は、軍の存在感が大きいことです。もう一つは、過去の偉大さに関する集団記憶が国民を結びつける糊として働いているからです。

 「視点その4」で紹介した言葉がありました。「欧州を真に団結させているのは、諸帝国の色あせた記憶なのだ」というものでした。

 欧州が15世紀に始まる「大航海時代」に、言い換えれば近代に飛躍的な発展を遂げる前には、欧州は中東のような文明の中心地ではありませんでした。

 それなのに、近代に欧州との関係が逆転します。中東の多くの地域は、イギリス、フランスの支配下に置かれます。

 現代の中東の人々が、ョーロッパ、アメリカを見る時の心の底には、こういう思いがあるでしょう。本当は、というのは何世紀か歴史を遡ればということですが、自分たち中東のほうが上だったのに、今では連中が威張っている。

 本当は自分だちより下のはずの人間が、自分だちより上に立っている。こう感じた時に生まれる屈辱感は強力です。ねじれがあるだけに巻かれたバネのようなエネルギーを持っているのです。

もろい国家、シリア

 シリアの大統領は、バッシャール・アサドです。父親のハフェズ・アサド大統領の代から40年以上続く独裁です。「アラブの春」が飛び火して、2011年3月頃に各地で反アサドのデモが始まりました。アサド政権は、軍を動員してデモを弾圧しました。

 内戦が始まりました。いろいろな勢力が、それぞれ武力を用いて、それぞれ支配地域を持つ。勢力同士で交戦するという状態になったのです。

 前頁の図を見てください。2014年6月現在のシリアの情勢です。

 一目見るだけで、これは分からないよと思ったのではないでしょうか。いかにも複雑です。そして始末の悪いことに、情勢は流動的で変わっていきます。この図は、ある時点の状況を切り取ったものに過ぎません。それぞれの勢力が支配している地域は、大きくなったり小さくなったりします。

 それでもこの図に付き合うことには意味があるのです。

 先のいくっかの章で、国家、民族をキーワードにして、世界で起きていることについて考えてきました。もう一つ、「宗教」という要素を加えなければなりません。

 図には、アサド政権が支配している地域が示されています。シリアという国家が存続しているのです。

 クルド勢力の地域があります。クルドは民族です。

 そして過激派組織「イスラム国」の地域もあります。この過激派は、イスラムの教えに基づく国家を作ると称しています。実態は暴力を肯定する過激派ですが、宗教を実践しているのだと主張しています。

 反体制組織の地域があります。反アサド政権の勢力です。

 アサド政権と反体制の対立というのは、片方に国家があり、もう片方は、独裁者を倒して国家権力を握ろうという勢力の対立です。

 この対立も宗教と結びついています。

 アサド政権はイスラム教シーア派の政権です。より正確に言えば、シーア派の一派であるアラウィ派の政権です。大統領がアラウィ派の信徒であり、アラウィ派の人材を重用しています。

 一方、反体制派はイスラム教スンニ派からなっています。

 シリアでは、もともと人口比では、スンニ派が多数派で、アラウィ派が少数派でした。しかし、政権はアラウィ派に基盤を置いていました。国家のタガが緩むと、スンニ派の不満が反体制派という形で現れたのです。

 やはり複雑です。シリアは中東情勢の縮図です。その地図に取り組むことは知的訓練になります。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

コンテンツの整理

万年筆は紙を選ぶ

 万年筆は紙質によります。紙を選びます。このノートではうまく書けない。そういう時はボールペンに切り替えます。

コンテンツの整理

 スマホアプリの前にコンテンツの整理をしておきましょう。本棚システムをベースにテキストの分割ができたら、テキスト自体も分割させます。そして、分割したものがつながること。それで別のものになること。別のカタチになること。

FBへのわがままな入力

 FBの入力に意味は他とは異なります。雑記帳に落とすための、完全なメモです。これを理解できる人は誰もいないでしょう。それでいいんです。私のためにあるんですから。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

結城浩の考える、図書館に求めること

『才能を引き出した情報空間』より 小さな数学者たちの対話の場 結城浩

本を書くことを通じて知る喜び

 --結城さんは難しい論文読んで本に落とし込むチュウカイ者であるというのは、ごほうびを常にもらっているということになりますね。

 結城 そうですね。自分が考えて「ああ、そういうことだったのか」を読者に伝えるわけですから。自分自身が喜びを感じないのに、読者に喜びが伝わるわけないですよね。

 無茶をすると失敗するんですよ。背伸びして何かをやろうとすると、ものすごく苦しいんです。自分が「なるほど」と思ったことを書けばいいんです。それが、自分の身の丈に合った本になるわけですよ。そして、そのとき初めて読みやすい本になる。自分が理解できないことを書こうとすると、難しい本とか、わかりにくい本になる。当たり前ですね。著者がわかってないから(笑)。

 そのときに一番邪魔になるのは自意識です。自分をえらく見せたいとか、あるいは失敗しちやいけないとか。それが一番邪魔で。野心こそが一番の邪魔です。

 --それって、結城さんがクリスチャンであることと関係ありますか?

 結城 それはもちろんそうですね。というか、全般的にそうじゃないですか?自分が考えていることで、これがあるべき姿だとか、こういうふうに生きることがよいという、基本原則が信じていることの中にあるわけなので。自分が生きたいと思う人生を生きられる人は少ない。普通はやっぱりズレるわけですよね。だからそこのズレで、人間は悩む。自分はこうしたいのに、こういう本を書きたいのに、理想とのズレで悩みがあるわけですね。

 でも、それは貴重な経験なんです。読者のことを考えて書こう、と『数学文章作法』に書きましたが、対話を成り立たせるものとしての愛とか、リスペクトというのが、何より大切になるんですね。自意識よりも。

 --結城さんに今回のインタビューの企画書をお見せした際に、「読者は誰ですか」と真っ先に  聞かれました。

 結城 そう、そこです。企画書を見るときに、私はパツと一点を見るんです。つまり、読者はだれと書いてあるか。企画を立てる人がこの本を大事だと思っているなら、必ず読者のことを書いてあるはずなんですね。逆に、読者が誰かがわかってない、あるいは自明のものとして企画を立てると失敗するんです。

 --勉強になりますね(笑)。

 結城 勉強になるでしょう(笑)。

結城浩の考える、図書館に求めること。

 --今後の図書館はどういうふうになったらハッピーでしょうか?

 結城 それは、図書館がハッピーになる、それとも、利用者がハッピーになる?

 -利用者が。あるいは、例えば図書館側が結城さんをこういうふうにサポートしたら結城さんがハッピーというのでも。

 結城 難しいな。パッと思いつくのは当たり前のことばかりですね。本がたくさんあって、静かで、勉強なり作業なりができる空間であってほしいなと思うんです。私の本の中に「双倉図書館」というのが出てくるんですよ。それは、私の理想の図書館です。そこは天井がドーム状になっていて、レストランもついてて、いろいろ部屋が分かれていて、会議もできる。もちろん本もたくさんあって、誰でも自由に出入りできる。その双倉図書館というのが、理想と言えば理想の図書館ですね。

 さっきの話に戻るんですけど、私は自分で学ぶ人をサポートするような場所が欲しいんですね。図書館で自習させないというのはナンセンスだと思うんです。それは、図書館が提供する大きな機能の一つのような気がするんです。自主的な学びの場だと。

 学ぶ楽しみ、自分の知を磨く楽しみ、その場所として、図書館的な何かはあってほしいし、そういう場所ぱ若い人にもお年寄りにも開かれた場所であってほしいなと思いますね。

 --self-helpという概念があるみたいですね。自分自身で自分自身を助く、みたいな。海外の図書館では、セルフヘルプができるような人になってもらうのが、図書館のミッションだと言っているところもあります。

 結城 面白い。その気持ちはよくわかります。

 --資格試験や受験はゴールがあって、それに向かって勉強する形が基本ですよね。でも、『数学ガール』ではゴールを目指す学びはしていなくて。主人公が自分の部屋の中で「何か面白いことはないか」 って探す描写がものすごくグッときたんです。締め切りがない。ゆっくり学べる。そこがポイントかなというふうに思ったんです。

 結城 そうですね。大きなポイントではあり圭すね。初めは、何が問題かもわからないんですよ。もしかしたらこれって、考えるに値する問題じやないか、と考えることは重要で。特に研究者はそう。

 --問いを見つけろ、ですね。

 結城 研究者として重要なのは「問うに値する問い」を見つけられるかどうか、新たに問うに値する問いと判断できる能力だと思うんです。一方、高校生などは、既に解かれている問題かどうかはさておき、問い自身にチャレンジするわけです。私は「小さな数学者」とよく言うんですけど。いまそのような高校生が解こうとしている問題は、何百年か前に、だれかが解いているかもしれない。でも、そんなことは関係ない。本人にとっては初めての問題に挑戦している。そこに非常に重要な何かがあるような気がする。

 資格に合格する、受験に合格するというのも大きな目的です。でも、自分の力で考えるというのは「これは面白いな」と思ったときに出てくる力。役に立つ、立たないじやなくて、突き進む何か。作中で、登場人物が先生から、単に数式だけが書いてあるカードをもらうシーンがあります。その与えられた数式から、自分で問題を作るところから始める。そこが面白いんですね。それって、私は学ぶことの本質じやないかと思うんです。

白いウサギを追いかけて

 編集 今、Webで検索すれば情報はパツと出るじゃないですか。それと図書館の棚で見るのと。どちらがVisibilityが高いのでしょうか。

 結城 面白い現象があって、私の『数学ガール』の本って、どこの棚にあるのか、探すの難しかったりするんですよ。数学書なのか、小説なのかわからなくて。本屋に行って探したけど見つからなかったという読者さんがよくいるんですね。もしもその本を手に入れたいのなら、例えばAmazonで調べるとか、本屋の店員さんに聞けばいいんですね。でも、そういうのをやらない人がとても多いんです。なぜかと言うと、自分で本を見つけたいんですよ。つまり、本棚を歩いてたら「あっ、これ何?」に出会いたいんですね。本との出会いを求めている。検索したくない気持ち。本棚の中を歩いて見つけたい。そういう気持ちがやっぱりある。

 --ブラウジング。

 結城 そうですね。本文を読むんじゃなくて、背表紙を読むんです。タイトルが並んでる。キーワードがあり圭すね。「ああ、こういう分野ではこういうことが研究されているんだ」あるいは「こういうことを考えている人がいるんだ」というのがわかる。

 そこには大切なものがあると思い圭すよ。検索して見つけてクリックすれば買えるというのとは違う。書棚を歩いて、この本と私は「出会ったんだ」という体験は、非常に重要なんじゃないでしょうか。

 --これまで図書館は、本への道標をわかりやすくしましょう、見つけやすくしましょう、という方向性だったんです。でも、偶然の発見という視点からすると、ある意味では、利用者を突き放すことも必要かとお話を伺って思いました。

 結城 そうですね。人はおそらく、本を生きてるものだと思ってるんですよ。本との出会いはウサギをつかまえるみたいなもの。そのプロセスが大事なんですよね。

 --不思議の国のアリスみたいだ。

 結城 そういう人にとっては、現在の電子書籍はつまらないんです。広い空間に本を並べているようなイメージで見せるようなUIを、何か工夫してほしいと思うんですけど。

  こういう本だったら電子書籍でもいいけど、こういう本は紙じゃないと困るという区別が心のなかには何となくありますよね。

 --ウンベルト・エーコは『もうすぐ絶滅するという紙の書物について』のなかで紙は滅びない。とも言っていましたよね。一方で電子書籍も否定していなくて。

 結城 図書室は、空間を利用する場所ではあるんだけど、そこに物体として本があることが重要なんですよ。そこからインスピレーションを受けたり、興味の向くま圭背表紙をながめたり。自分の知っているものも、知らないものも、たくさんあるということを意識する。そんな空間があることが重要なんだと思います。たくさん本棚が並んでいるだけ、というのは違う。広い空間があって、その中を自分が泳いでいく、そのような場所がいいんですよね。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 前ページ 次ページ »