『ハンナ・アーレント 全体主義の起原』 100分de名著 悪は「陳腐」である
アーレントが見たアイヒマンは、自らが「法」と定めたヒトラーの意向に従っただけの、平凡な官僚でした。たまたま与えられた仕事を熱心にこなしていたにすぎず、そこには特筆すべき残忍さも、狂気も、ユダヤ人に対する濠るような憎しみもなかったのです。
その後の歴史学者も、多くはアーレントの考察に賛同し、アイヒマンをはじめとするホロコーストの実行者たちが、もし反ユダヤ主義的な情熱に駆られていたとしたら、強制収容所への移送や殺人をあれほどシステマティックかつ大量にこなすことは不可能だっただろうと指摘しています。
アイヒマンは沈着に裁判に臨み、被告としての責務を淡々と果たしました。命を奪う職務と良心との狭間で葛藤したわけでも、葛藤がなかったことに疑問や後ろめたさを感じていたわけでもないアイヒマンの姿を、アーレントも淡々と記録しています。
アーレントによる裁判レポートは、死刑が執行された翌年の一九六三年二月から三月にかけて『ザ・ニューヨーカー』誌に連載されました。しかし初回の記事が掲載された直後から、彼女は大きな批判にさらされます。そこに描かれたアイヒマン像が、人々の予想を大きく裏切るものだったからでしょう。
極悪非道の素顔が暴かれ、どれほど酷い人間だったかが明らかになる--という大方の期待に反し、アイヒマンは「どこにでもいそうな市民」であり、「犯罪的な性格」を持っていたとは言い難いとアーレントは結論しました。そのことに落胆しただけでなく、読者のうちの多くが猛然とアーレントを批判した理由の一つは、怒りの矛先を失ったからでしょう。
人が他人を心置きなく糾弾できるのは、自分(あるいは自分たち)は「善」であり、彼(もしくは彼ら)は「悪」だという二項対立の構図がはっきりしている場合に限られます。相手に悪を見出せなければ、攻撃する理由がないばかりか、問題の矛先が自分自身に向けられることにもなります。悪が自分たちと同じ「どこにでもいそうな市民」だとしたら、自分もアイヒマンのような人間になる可能性がある、ということだからです。
日本の犯罪報道やスキャンダル報道においても、事件が起こると、犯人の生い立ちや「素顔」を詳しく報道し、その人がいかに歪んでいたかということにスポットを当てようとします。報道する側も、それを受け取る側も、自分たちと悪との圧倒的な「違い」を探しているのです。
アイヒマンに悪魔のレッテルを貼り、自分たちの存在や立場を正当化しようとした(あるいは自分たちの善良性を証明しようとした)人々の心理は、実はナチスがユダヤ人に「世界征服を企む悪」のレッテルを貼って排除しようとしたのと、基本は同じです。
アイヒマン裁判で問題になったより広汎な論点のなかで最大のものは、悪を行う意図が犯罪の遂行には必要であるという、近代法体系の共通の前提だった。おそらくこの主観的要因を顧慮するということ以上に文明国の法律が自らの誇りとするものはないだろう。
悪は平凡なものではなく、「悪を行う意図」を持った非凡なものであるという思い込み、期待、あるいは偏見。近代の法体系すら、それを前提としているとアーレントは指摘しています。
アイヒマンがいかに陳腐で、どこにでもいそうな人間だったとしても、彼を死刑にすること自体にはアーレントも反対していません。ただ、彼を死刑に処すべき理由は、彼に悪を行う意図があったかどうか、彼が悪魔的な人間だったかどうかということとは関係なく、人類の「複数性」を抹殺することに加担したからだと主張しています。
或る〈人種〉を地球上から永遠に抹殺することを公然の目的とする企てにまきこまれ、そのなかで中心的な役割を演じたから、彼は抹殺されねばならなかったのである。
人間は、自分とは異なる考え方や意見をもつ他者との関係のなかで、初めて人間らしさや複眼的な視座を保つことができるとアーレントは考えていました。多様性と言ってもいいでしょう。アイヒマンが加担したユダヤ人抹殺という「企て」は、人類の多様性を否定するものであり、そうした行為や計画は決して許容できないというわけです。アーレントはこうした立場から、アイヒマン裁判において、判事は次のように被告に呼びかけるべきであった、と『エルサレムのアイヒマン』のエピローグを締め括っています。
「君は戦争中ユダヤ民族に対して行われた犯罪が史上最大の罪であることを認め、そのなかで君が演じた役割を認めた。しかし君は、自分は決して賤しい動機から行動したのではない、誰かを殺したくなったこともなかったし、ユダヤ人を憎んだこともなかった、けれどもそうするよりほかはなかったし、自分に罪があるとは感じていないと言った。われわれはそれを信じることはまったく不可能ではないまでも困難だと思う。(中略)君が大量虐殺組織の従順な道具となったのはひとえに君の不運のためだったと仮定してみよう。その場合にもなお、君が大量虐殺の政策を実行し、それ故に積極的に支持したという事実は変わらない。というのは、政治は子供の遊び場ではないからだ。政治においては服従と支持は同じだ。そしてまさに、ユダヤ民族および他の多くの国の人民たちとともにこの地球上に生きることを拒む--あたかも君と君の上官がこの世界に誰が住み誰が住むべきではないかを決定する権利を持っているかのように--政治を君が支持し実行したからこそ、何人からも、すなわち人類に属する何人からも、君とともにこの地球上に生きたいと願うことは期待できないとわれわれは思う。これが君が絞首されねばならぬ理由、しかもその唯一の理由である。」
アイヒマンがヒトラーという「法」に服従しただけだったとしても、「政治においては服従と支持は同じ」であり、特定の民族や国民との共存を拒み、人類の複数性を抹殺しようとしたヒトラーを支持し、計画を実行した人間とは、もはや地球上で一緒に生きていくことはできない。それが彼を絞首刑に処す「唯一の理由」であり、それ以上のこと(彼の内面的なことなど)は追及できない--。
アイヒマンを「ホロコーストという悪」の象徴と考えていた人々にとって、確かにこれは承服しがたい結文だったでしょう。しかし、アーレントに向けられた轟々たる非難の理由は、それだけではありませんでした。
本書のなかでアーレントは、イスラエル政府と法廷について、かなり批判的な意見を述べています。また、中欧や東欧におけるユダヤ人移送に、同胞であるユダヤ人評議会が協力していたことにも言及しました。移送に関与したユダヤ人が、移送されるのは自分たちとは違う種類のユダヤ人と見なして(蔑んで)いたことも指摘しています。
こうした言説がユダヤ人社会の反発を招くことは、アーレントも分かっていたはずです。しかし、ユダヤ人社会や大戦後に建国されたイスラエルを覆っていた「ユダヤ人は誰も悪くない」「悪いのはすべてドイツ人だ」というナショナリズム的思潮に目をつぶるという選択肢は、彼女にはありませんでした。そのような極端な同胞愛や排外主義は、ナチスの反ユダヤ主義と同じ構造だからです。
「ナチスが犯した罪を軽視し、アイヒマンを擁護している」「ナチス犯罪の共同責任を、ユダヤ人に負わせるつもりか」と、イスラエルやニューヨークのユダヤ人社会から激しく非難され、アーレントは多くの友人を失いました。古くからの親しい友人たちから突きつけられた絶縁は、相当にこたえたようです。
しかし、そうなる可能性も引き受けた上で、彼女はありのままを、歪めることなく伝える決断をした。それを支えたのは、アーレントの強い危機意識と知的誠実だったように思います。
アーレントが見たアイヒマンは、自らが「法」と定めたヒトラーの意向に従っただけの、平凡な官僚でした。たまたま与えられた仕事を熱心にこなしていたにすぎず、そこには特筆すべき残忍さも、狂気も、ユダヤ人に対する濠るような憎しみもなかったのです。
その後の歴史学者も、多くはアーレントの考察に賛同し、アイヒマンをはじめとするホロコーストの実行者たちが、もし反ユダヤ主義的な情熱に駆られていたとしたら、強制収容所への移送や殺人をあれほどシステマティックかつ大量にこなすことは不可能だっただろうと指摘しています。
アイヒマンは沈着に裁判に臨み、被告としての責務を淡々と果たしました。命を奪う職務と良心との狭間で葛藤したわけでも、葛藤がなかったことに疑問や後ろめたさを感じていたわけでもないアイヒマンの姿を、アーレントも淡々と記録しています。
アーレントによる裁判レポートは、死刑が執行された翌年の一九六三年二月から三月にかけて『ザ・ニューヨーカー』誌に連載されました。しかし初回の記事が掲載された直後から、彼女は大きな批判にさらされます。そこに描かれたアイヒマン像が、人々の予想を大きく裏切るものだったからでしょう。
極悪非道の素顔が暴かれ、どれほど酷い人間だったかが明らかになる--という大方の期待に反し、アイヒマンは「どこにでもいそうな市民」であり、「犯罪的な性格」を持っていたとは言い難いとアーレントは結論しました。そのことに落胆しただけでなく、読者のうちの多くが猛然とアーレントを批判した理由の一つは、怒りの矛先を失ったからでしょう。
人が他人を心置きなく糾弾できるのは、自分(あるいは自分たち)は「善」であり、彼(もしくは彼ら)は「悪」だという二項対立の構図がはっきりしている場合に限られます。相手に悪を見出せなければ、攻撃する理由がないばかりか、問題の矛先が自分自身に向けられることにもなります。悪が自分たちと同じ「どこにでもいそうな市民」だとしたら、自分もアイヒマンのような人間になる可能性がある、ということだからです。
日本の犯罪報道やスキャンダル報道においても、事件が起こると、犯人の生い立ちや「素顔」を詳しく報道し、その人がいかに歪んでいたかということにスポットを当てようとします。報道する側も、それを受け取る側も、自分たちと悪との圧倒的な「違い」を探しているのです。
アイヒマンに悪魔のレッテルを貼り、自分たちの存在や立場を正当化しようとした(あるいは自分たちの善良性を証明しようとした)人々の心理は、実はナチスがユダヤ人に「世界征服を企む悪」のレッテルを貼って排除しようとしたのと、基本は同じです。
アイヒマン裁判で問題になったより広汎な論点のなかで最大のものは、悪を行う意図が犯罪の遂行には必要であるという、近代法体系の共通の前提だった。おそらくこの主観的要因を顧慮するということ以上に文明国の法律が自らの誇りとするものはないだろう。
悪は平凡なものではなく、「悪を行う意図」を持った非凡なものであるという思い込み、期待、あるいは偏見。近代の法体系すら、それを前提としているとアーレントは指摘しています。
アイヒマンがいかに陳腐で、どこにでもいそうな人間だったとしても、彼を死刑にすること自体にはアーレントも反対していません。ただ、彼を死刑に処すべき理由は、彼に悪を行う意図があったかどうか、彼が悪魔的な人間だったかどうかということとは関係なく、人類の「複数性」を抹殺することに加担したからだと主張しています。
或る〈人種〉を地球上から永遠に抹殺することを公然の目的とする企てにまきこまれ、そのなかで中心的な役割を演じたから、彼は抹殺されねばならなかったのである。
人間は、自分とは異なる考え方や意見をもつ他者との関係のなかで、初めて人間らしさや複眼的な視座を保つことができるとアーレントは考えていました。多様性と言ってもいいでしょう。アイヒマンが加担したユダヤ人抹殺という「企て」は、人類の多様性を否定するものであり、そうした行為や計画は決して許容できないというわけです。アーレントはこうした立場から、アイヒマン裁判において、判事は次のように被告に呼びかけるべきであった、と『エルサレムのアイヒマン』のエピローグを締め括っています。
「君は戦争中ユダヤ民族に対して行われた犯罪が史上最大の罪であることを認め、そのなかで君が演じた役割を認めた。しかし君は、自分は決して賤しい動機から行動したのではない、誰かを殺したくなったこともなかったし、ユダヤ人を憎んだこともなかった、けれどもそうするよりほかはなかったし、自分に罪があるとは感じていないと言った。われわれはそれを信じることはまったく不可能ではないまでも困難だと思う。(中略)君が大量虐殺組織の従順な道具となったのはひとえに君の不運のためだったと仮定してみよう。その場合にもなお、君が大量虐殺の政策を実行し、それ故に積極的に支持したという事実は変わらない。というのは、政治は子供の遊び場ではないからだ。政治においては服従と支持は同じだ。そしてまさに、ユダヤ民族および他の多くの国の人民たちとともにこの地球上に生きることを拒む--あたかも君と君の上官がこの世界に誰が住み誰が住むべきではないかを決定する権利を持っているかのように--政治を君が支持し実行したからこそ、何人からも、すなわち人類に属する何人からも、君とともにこの地球上に生きたいと願うことは期待できないとわれわれは思う。これが君が絞首されねばならぬ理由、しかもその唯一の理由である。」
アイヒマンがヒトラーという「法」に服従しただけだったとしても、「政治においては服従と支持は同じ」であり、特定の民族や国民との共存を拒み、人類の複数性を抹殺しようとしたヒトラーを支持し、計画を実行した人間とは、もはや地球上で一緒に生きていくことはできない。それが彼を絞首刑に処す「唯一の理由」であり、それ以上のこと(彼の内面的なことなど)は追及できない--。
アイヒマンを「ホロコーストという悪」の象徴と考えていた人々にとって、確かにこれは承服しがたい結文だったでしょう。しかし、アーレントに向けられた轟々たる非難の理由は、それだけではありませんでした。
本書のなかでアーレントは、イスラエル政府と法廷について、かなり批判的な意見を述べています。また、中欧や東欧におけるユダヤ人移送に、同胞であるユダヤ人評議会が協力していたことにも言及しました。移送に関与したユダヤ人が、移送されるのは自分たちとは違う種類のユダヤ人と見なして(蔑んで)いたことも指摘しています。
こうした言説がユダヤ人社会の反発を招くことは、アーレントも分かっていたはずです。しかし、ユダヤ人社会や大戦後に建国されたイスラエルを覆っていた「ユダヤ人は誰も悪くない」「悪いのはすべてドイツ人だ」というナショナリズム的思潮に目をつぶるという選択肢は、彼女にはありませんでした。そのような極端な同胞愛や排外主義は、ナチスの反ユダヤ主義と同じ構造だからです。
「ナチスが犯した罪を軽視し、アイヒマンを擁護している」「ナチス犯罪の共同責任を、ユダヤ人に負わせるつもりか」と、イスラエルやニューヨークのユダヤ人社会から激しく非難され、アーレントは多くの友人を失いました。古くからの親しい友人たちから突きつけられた絶縁は、相当にこたえたようです。
しかし、そうなる可能性も引き受けた上で、彼女はありのままを、歪めることなく伝える決断をした。それを支えたのは、アーレントの強い危機意識と知的誠実だったように思います。