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悪は「陳腐」である アーレントに向けられた批判

 『ハンナ・アーレント 全体主義の起原』 100分de名著 悪は「陳腐」である

 アーレントが見たアイヒマンは、自らが「法」と定めたヒトラーの意向に従っただけの、平凡な官僚でした。たまたま与えられた仕事を熱心にこなしていたにすぎず、そこには特筆すべき残忍さも、狂気も、ユダヤ人に対する濠るような憎しみもなかったのです。

 その後の歴史学者も、多くはアーレントの考察に賛同し、アイヒマンをはじめとするホロコーストの実行者たちが、もし反ユダヤ主義的な情熱に駆られていたとしたら、強制収容所への移送や殺人をあれほどシステマティックかつ大量にこなすことは不可能だっただろうと指摘しています。

 アイヒマンは沈着に裁判に臨み、被告としての責務を淡々と果たしました。命を奪う職務と良心との狭間で葛藤したわけでも、葛藤がなかったことに疑問や後ろめたさを感じていたわけでもないアイヒマンの姿を、アーレントも淡々と記録しています。

 アーレントによる裁判レポートは、死刑が執行された翌年の一九六三年二月から三月にかけて『ザ・ニューヨーカー』誌に連載されました。しかし初回の記事が掲載された直後から、彼女は大きな批判にさらされます。そこに描かれたアイヒマン像が、人々の予想を大きく裏切るものだったからでしょう。

 極悪非道の素顔が暴かれ、どれほど酷い人間だったかが明らかになる--という大方の期待に反し、アイヒマンは「どこにでもいそうな市民」であり、「犯罪的な性格」を持っていたとは言い難いとアーレントは結論しました。そのことに落胆しただけでなく、読者のうちの多くが猛然とアーレントを批判した理由の一つは、怒りの矛先を失ったからでしょう。

 人が他人を心置きなく糾弾できるのは、自分(あるいは自分たち)は「善」であり、彼(もしくは彼ら)は「悪」だという二項対立の構図がはっきりしている場合に限られます。相手に悪を見出せなければ、攻撃する理由がないばかりか、問題の矛先が自分自身に向けられることにもなります。悪が自分たちと同じ「どこにでもいそうな市民」だとしたら、自分もアイヒマンのような人間になる可能性がある、ということだからです。

 日本の犯罪報道やスキャンダル報道においても、事件が起こると、犯人の生い立ちや「素顔」を詳しく報道し、その人がいかに歪んでいたかということにスポットを当てようとします。報道する側も、それを受け取る側も、自分たちと悪との圧倒的な「違い」を探しているのです。

 アイヒマンに悪魔のレッテルを貼り、自分たちの存在や立場を正当化しようとした(あるいは自分たちの善良性を証明しようとした)人々の心理は、実はナチスがユダヤ人に「世界征服を企む悪」のレッテルを貼って排除しようとしたのと、基本は同じです。

  アイヒマン裁判で問題になったより広汎な論点のなかで最大のものは、悪を行う意図が犯罪の遂行には必要であるという、近代法体系の共通の前提だった。おそらくこの主観的要因を顧慮するということ以上に文明国の法律が自らの誇りとするものはないだろう。

 悪は平凡なものではなく、「悪を行う意図」を持った非凡なものであるという思い込み、期待、あるいは偏見。近代の法体系すら、それを前提としているとアーレントは指摘しています。

 アイヒマンがいかに陳腐で、どこにでもいそうな人間だったとしても、彼を死刑にすること自体にはアーレントも反対していません。ただ、彼を死刑に処すべき理由は、彼に悪を行う意図があったかどうか、彼が悪魔的な人間だったかどうかということとは関係なく、人類の「複数性」を抹殺することに加担したからだと主張しています。

  或る〈人種〉を地球上から永遠に抹殺することを公然の目的とする企てにまきこまれ、そのなかで中心的な役割を演じたから、彼は抹殺されねばならなかったのである。

 人間は、自分とは異なる考え方や意見をもつ他者との関係のなかで、初めて人間らしさや複眼的な視座を保つことができるとアーレントは考えていました。多様性と言ってもいいでしょう。アイヒマンが加担したユダヤ人抹殺という「企て」は、人類の多様性を否定するものであり、そうした行為や計画は決して許容できないというわけです。アーレントはこうした立場から、アイヒマン裁判において、判事は次のように被告に呼びかけるべきであった、と『エルサレムのアイヒマン』のエピローグを締め括っています。

  「君は戦争中ユダヤ民族に対して行われた犯罪が史上最大の罪であることを認め、そのなかで君が演じた役割を認めた。しかし君は、自分は決して賤しい動機から行動したのではない、誰かを殺したくなったこともなかったし、ユダヤ人を憎んだこともなかった、けれどもそうするよりほかはなかったし、自分に罪があるとは感じていないと言った。われわれはそれを信じることはまったく不可能ではないまでも困難だと思う。(中略)君が大量虐殺組織の従順な道具となったのはひとえに君の不運のためだったと仮定してみよう。その場合にもなお、君が大量虐殺の政策を実行し、それ故に積極的に支持したという事実は変わらない。というのは、政治は子供の遊び場ではないからだ。政治においては服従と支持は同じだ。そしてまさに、ユダヤ民族および他の多くの国の人民たちとともにこの地球上に生きることを拒む--あたかも君と君の上官がこの世界に誰が住み誰が住むべきではないかを決定する権利を持っているかのように--政治を君が支持し実行したからこそ、何人からも、すなわち人類に属する何人からも、君とともにこの地球上に生きたいと願うことは期待できないとわれわれは思う。これが君が絞首されねばならぬ理由、しかもその唯一の理由である。」

 アイヒマンがヒトラーという「法」に服従しただけだったとしても、「政治においては服従と支持は同じ」であり、特定の民族や国民との共存を拒み、人類の複数性を抹殺しようとしたヒトラーを支持し、計画を実行した人間とは、もはや地球上で一緒に生きていくことはできない。それが彼を絞首刑に処す「唯一の理由」であり、それ以上のこと(彼の内面的なことなど)は追及できない--。

 アイヒマンを「ホロコーストという悪」の象徴と考えていた人々にとって、確かにこれは承服しがたい結文だったでしょう。しかし、アーレントに向けられた轟々たる非難の理由は、それだけではありませんでした。

 本書のなかでアーレントは、イスラエル政府と法廷について、かなり批判的な意見を述べています。また、中欧や東欧におけるユダヤ人移送に、同胞であるユダヤ人評議会が協力していたことにも言及しました。移送に関与したユダヤ人が、移送されるのは自分たちとは違う種類のユダヤ人と見なして(蔑んで)いたことも指摘しています。

 こうした言説がユダヤ人社会の反発を招くことは、アーレントも分かっていたはずです。しかし、ユダヤ人社会や大戦後に建国されたイスラエルを覆っていた「ユダヤ人は誰も悪くない」「悪いのはすべてドイツ人だ」というナショナリズム的思潮に目をつぶるという選択肢は、彼女にはありませんでした。そのような極端な同胞愛や排外主義は、ナチスの反ユダヤ主義と同じ構造だからです。

 「ナチスが犯した罪を軽視し、アイヒマンを擁護している」「ナチス犯罪の共同責任を、ユダヤ人に負わせるつもりか」と、イスラエルやニューヨークのユダヤ人社会から激しく非難され、アーレントは多くの友人を失いました。古くからの親しい友人たちから突きつけられた絶縁は、相当にこたえたようです。

 しかし、そうなる可能性も引き受けた上で、彼女はありのままを、歪めることなく伝える決断をした。それを支えたのは、アーレントの強い危機意識と知的誠実だったように思います。
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「世界観」が大衆を動員する 国民国家の瓦解と全体主義の台頭


 『ハンナ・アーレント 全体主義の起原』 100分de名著 「世界観」が大衆を動員する

 国民国家の瓦解と全体主義の台頭

  アーレントが『全体主義の起原』の第一巻、第二巻で考察したのは「国民」と「国民国家」のあり方でした。これを受けて第三巻では、国民国家を一応の基盤としつつも、その枠組みを突き崩すような「運動」として姿を現した「全体主義」の実体を明らかにしようと試みています。

  近代ヨーロッパの主要な国民国家は、互いの境界線を守ることによって均衡を保っていました。しかし、十九世紀末に勃興した「民族」的ナショナリズムは次第に人々の「国民」意識を侵食し、国民国家を支えていた階級社会も資本主義経済の進展によって崩れていきます。ほころびが目立ち始めた国民国家を、文字通り瓦解させたのが全体主義だったのです。

  第三巻「全体主義」のキーワードは「大衆」、「世界観」、「運動」、そして「人格」です。アーレントはまず、かつては階級というそれぞれの抽き出しに収まっていた人々が「大衆」となって巷にあふれ出したこと、そこに提示されたのが強い磁力をもつ「世界観」だったと指摘します。

  「世界観」とは、この世界のあり方を捉えるための系統だったものの見方、考え方を意味します。たとえばナチス・ドイツの場合には、第一巻で見た反ユダヤ主義や、第二巻で指摘された優生学的人種思想を巧みに取り入れながら構築された、「ユダヤ人が世界をわがものにしようとしている」という陰謀論的な物語のことです。こうした虚構によって人心を掌握した全体主義国家は、いわば砂上の楼閣です。砂上の国体は、つねに手を加えっづけなければ、その輪郭と権力を維持することはできません。つまり全体主義は、立ち止まることが許されない「運動」だったということです。

  第二巻では、ヨーロッパの人々が信奉してきた「人権」概念が無国籍者の出現によって大きく揺らいだことが指摘されていました。しかし、先鋭化した全体主義「運動」は、権利のみならず、人間から「人格」まで奪い去ってしまいます。第三巻の第三章でアーレントは、ユダヤ人の大量虐殺が行われた強制収容所・絶滅収容所の問題に触れ、何百万もの人間を計画的かつ組織的に虐殺しつづけることが可能だったのは一体なぜなのか、また、なぜナチスにはそこまでする必要があったのかという問題を提起しています。

 「大衆」の誕生

  全体主義とは何だったのか。数多ある政党と全体主義政党との違いを、アーレントはまず「大衆」との関係で論じています。

   全体主義運動は大衆運動である。それは今日までに現代の大衆が見出した、彼らにふさわしいと思われる唯一の組織形態だ。この点で既に、全体主義運動はすべての政党と異なっている。(『全体主義の起原』第三巻、以下引用部はすべて同様)

  ヨーロッパ社会に「大衆」の存在が浮上し、その特質が論じられるようになったのは十九世紀の終わり頃からです。そこで強調されたのは、「市民」との違いでした。国民国家で「市民」として想定されたのは、自分たちの利益や、それを守るにはどう行動すればいいかということを明確に意識している人たちです。彼らは自分たちの利益を代表する政党を選び、政党は市民間の利害を調整して、その支持を保っていました。

  「市民」社会における政党が特定の利益を代表していたのに対し、何か自分にとっての利益なのか分からない「大衆」が自分たちに「ふさわしい」と思ったのが全体主義です。全体主義を動かしたのは大衆だったということです。

   全体主義運動は、いかなる理由であれ政治的組織を要求する大衆が存在するところならばどこでも可能だ。大衆は共通の利害で結ばれてはいないし、特定の達成可能な有限の目標を設定する固有の階級意識を全く持だない。

  労働者階級、資本家階級など、自分の所属階級がはっきりしていた時代であれば、自分にとっての利益や対立勢力を意識することは容易でした。逆に言うと、資本主義経済の発展により階級に縛られていた人々が解放されることは、大勢の「どこにも所属しない」人々を生み出すことを意味したのです。

  アーレントはこれを、大衆の「アトム化」と表現しています。多くの人がてんでんバラバラに、自分のことだけを考えて存在しているような状態のことです。大衆のアトム化は、十九世紀末から二十世紀初頭にかけて、西欧世界全般で見られました。

  かつては一部の人しか持ち得なかった選挙権が、国民国家という枠組みのなかで、多くの人にもたらされたことも、「大衆」が社会で存在感をもつことにつながりました。選挙権は得たものの、彼らは自分にとっての利益がどこにあるのか、どうすれば自分が幸福になることができるのか分からない。そもそも大衆の多くは、政治に対する関心が極めて希薄でした。

   「大衆」という表現は、その人数が多すぎるか公的問題に無関心すぎるがゆえに、共通に経験され管理される世界に対する共通の利害に基づく組織、すなわち政党、利益団体、地域自治体、労働組合、職業団体等のかたちで自らを構成することをしない人々の集団であればどんな集団にも当てはまるし、またそのような集団についてのみ当てはまる。大衆は潜在的にすべての国、すべての時代に存在し、高度の文明国でも住民の多数を占めている。ただし彼らは普通の時代には、政治的に中立の態度をとり、投票に参加せず政党に加入しない生活で満足しているのである。

  階級社会では、同じ階級に属する誰かが自分の居場所や利益を示してくれるので、政治や社会の問題に無関心であっても生きていくことができました。これに対して、階級から解放されると、自由である反面、選ぶべき道を示してくれる人も、利害を共有できる仲間もいなくなってしまうのです。

  誰に(あるいは、どの政党に)投票すればいいのか分からない「大衆」は、どの時代の、どこの国にもいるし、高度な文明国においてすら政治に無関心な大衆は「住民の多数を占めている」と、アーレントは耳の痛い指摘をしています。投票率から言えば、日本人の半数は「投票に参加せず政党に加入しない生活で満足している」大衆だということになります。

  しかし、平生は政治を他人任せにしている人も、景気が悪化し、社会に不穏な空気が広がると、にわかに政治を語るようになります。こうした状況になったとき、何も考えていない大衆の一人一人が、誰かに何とかしてほしいという切迫した感情を抱くようになると危険です。深く考えることをしない大衆が求めるのは、安直な安心材料や、分かりやすいイデオロギーのようなものです。それが全体主義的な運動へとつながっていったとアーレントは考察しています。

   ファシスト運動であれ共産主義運動であれヨーロッパの全体主義運動の台頭に特徴的なのは、これらの運動が政治には全く無関心と見えていた大衆、他のすべての政党が、愚かあるいは無感動でどうしようもないと諦めてきた大衆からメンバーをかき集めたことである。

  「愚かあるいは無感動でどうしようもない」とは直截な表現ですが、階級社会の崩壊で支持基盤を失った政党も、アトム化した大衆の動員を狙っていたということです。党是を理解できないような人であっても、とにかくたくさんのメンバーをかき集めて支持基盤を築きたかったのです。こうした動きは、第一次世界大戦後のヨーロッパで広く認められました。しかし、実際に大衆を動員して政権を奪取できたのは、ドイツとロシアだけだったことにもアーレントは注目しています。

   政党の勢力はその国内での支持者の割合に比例するから、小国における大政党ということもあり得るが、これに反して運動は何百万もの人々を擁してはじめて運動たりうるのであって、その他の点ではいかに好条件であっても、比較的少ない人口の国では成立が不可能である。

  確かに、ある程度の規模の「大衆」が存在しなければ、社会を大きく動かすような運動にはなり得ません。ヨーロッパ大陸で最も人口が多かったのが、ドイツとロシアであり、しかも第二巻で考察されていた通り、この両国には全体主義へと発展しやすい民族的ナショナリズムも広がっていました。
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ハンナ・アーレント 帝国主義が生んだ「人種思想」

 『ハンナ・アーレント 全体主義の起原』 100分de名著 帝国主義が生んだ「人種思想」

 我々も彼らも同じ「民族」だという意識が、文化的ルーツを分かち合おうという次元に留まっているうちは、さしたる問題にはなりません。しかし、これが政治的な主張になり始めると話は別で、にわかにきな臭くなってくるのです。

 国民国家は同一性を前提としているので、その領土には最初からある程度の制約が課されています。周囲の国々がそれぞれに同一性を担保し、なおかつ、それなりの国力・軍事力をもっていれば、むやみに国境線を破って侵略していこうとはしないものです。

 しかし『ドイッの歌』に謳われたように、そこもかしこも「もともとはドイッ民族の土地」なのだから、取り戻さなくてはならない、と考えるようになると、国民国家としての国境線は、もはやどうでもよくなってしまう。均衡を保っていた国境を越え、国民国家の枠組みを壊して、侵略を容認することになります。

 とはいえ「民族」という概念は、そもそもの定義が曖昧で、支持者を集めたり彼らを熱狂させたりするにはパンチが足りません。

  民族的な同族意識は最初から現実には存在しない架空の観念を拠りどころにしており、それを過去の事実によって立証することさえ一切試みることなく、その代わりそれを将来において実現しようと呼びかける。(中略)伝統、政治的諸制度、文化など、自国民の目に見えるあり方に関わる一切を基本的に「血」という虚構の尺度に照らして測り断罪することが、民族的ナショナリズムの特徴である。

 民族的ナショナリズムを正当化するために彼らが持ち出したもの--それは「血」でした。これも虚構にすぎないとアーレントは指摘していますが、我々はどこかで「血」がつながっている血族であり、これこそが唯一にして最も重要なのだと主張し始めたわけです。

 ドイツ民族の土地を拡大解釈する汎ドイツ(汎ゲルマン)主義が勃興したように、ロシアでも汎スラブ(実際には汎ロシア)主義が台頭。ロシアは、自分たちこそビザンツ帝国の正統な後継者だと主張し、スラブ民族とロシア文化を神聖視する思想をつくり上げていきました。

 イギリス、フランスなど、海を越えて版図の拡大を図った「海外帝国主義」に対し、ヨーロッパからアジアに至る地続きの大陸で帝国建設を目指したドイツやロシアは「大陸帝国主義」と呼ばれます。二つの大陸帝国主義の煽りを受けたのが、多民族国家であるオーストリア・ハンガリー帝国。ドイツ人もスラブ人も多かった同国では、汎ゲルマン主義と汎スラブ主義が同時に発展したとでアーレントは指摘しています。

  政治的に見れば民族的ナショナリズムの特徴は、自分の民族が「敵の世界に取り囲まれて」、「一人で全てを敵とする」状態に置かれているという主張である。この見方からすれば、この世界には自分自身と自分以外の他の全てとの間の区別以外にはいかなる区別も存在しない。民族的ナショナリズムはつねに、自分の民族は比類なき民族であり、その存在は他の諸民族が同じ権利をもって存在することとは相容れないと主張する。

 オーストリア・ハンガリー帝国以外にも、ドイッ系の人々が住む「飛び地」は東欧各地にたくさんありました。ドイッ系とはいっても、飛び地に暮らす人々は、すでにドイツとは異なる文化を形成しています。ドイッ国民としてカウントするのはかなり無理がありますが、民族レベルで考えれば「仲間」にできる。ドイツ人は、飛び地の仲間は敵に囲まれて大変な苦労をしていると(勝手に)解釈し、彼らを守ってドイッ民族の「血」を保存しないといけないと発想したわけです。

 飛び地はオランダ、デンマーク、イタリアにもありましたが、とくに広がりをもっていたのがロシアや、大戦後に独立したポーランドなど、スラブ人が住んでいた地域です。そこはユダヤ人が住んでいる地域でもありました。なかでもポーランドには数百万人ものユダヤ人が暮らし、人口の一割近くを占めていたといわれます。ドイツは歴史的にも、地政学的にも、民族的ナショナリズムが反ユダヤ主義と結びつきやすかったのです。

 さらに第一次世界大戦における敗北も、反ユダヤ主義を道連れに「汎ドイツ主義」思潮を後押しする結果となりました。敗戦によってドイツは海外植民地をすべて没収され、本国の領土も十三パーセント失っています。ドイツと同盟したオーストリア・ハンガリー帝国でも、国内の諸民族が次々と独立。ルーマニア、チェコスロヴァキア、さらにはハンガリーも分離・独立することになり、オーストリアの領土はかつての約十五パーセントにまで縮小してしまいました。

 アーレントが「敵の世界に取り囲まれて」と表現した通り、独立した国々に取り残されたドイツ系の人々は、次第に孤立を深めていきます。かつては自分たちが他民族を押さえつけていたのに、立場が逆転したわけですから、相当に恐々としていたと思います。

 仲間が苦しんでいる。自分たちも領土を奪われ、狭いところに押し込められている。しかも、とくにドイツは賠償金問題で経済的にもかなり追い詰められていました。

 ドイツ人には、戦勝国である資本主義の国々が自分たちを圧迫しているという感覚があったと思います。その資本を思いのままに動かしているのがユダヤ人だという発想の短絡があっても不思議ではありません。ユダヤ人を焦点にした人種主義的思潮を操作することによって、ドイツ人の心情や世界観をうまくまとめていくことができそうな状況が生まれてきたわけです。
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異分子排除のメカニズム ナポレオン戦争によって芽生えた「国民」意識

 『ハンナ・アーレント 全体主義の起原』 100分de名著 異分子排除のメカニズム

 『ヴェニスの商人』は、ユダヤ人を利用しながら、都合が悪くなると悪魔呼ばわりするヨーロッパ社会の身勝手を表した作品だと指摘する人もいます。重要なのは、当時の社会に通奏低音のように響いていたユダヤ人への憎悪や嫌悪感が、文学作品に描かれるほど浸透していたということです。

 この漠然とした憎悪が、十九世紀に入ると次第に「政治的」「イデオロギー的」な色合いを帯びていきます。その背景としてアーレントが注目したのが、絶対君主制から「国民国家」への移行でした。

 国民国家とは、英語で言うと「nation state」です。国家と訳される「state」は、法律が整備され、官僚組織や警察、軍隊などを備えた「統治のための機構」を指します。「nation」は通常「国民」と訳されていますが、日本語のニュアンスとしては「民族」に近い--厳密に言うと、「国民」と「民族」は異なりますが、それについては第2回にお話しします。語源であるラテン語のナチオ(natio)は「生まれ」という意味で、「nation」は生まれを同じくする、文化的アイデンティティ(同一性)を共有している、ということを含意します。さらに言えば、文化的アイデンティティ--具体的には言語や歴史など--を共有する人たち、フランス人とかドイツ人、イギリス人、ロシア人といった人々の共同体が、自分たちで自分たちを治めるべきだという自治の意識をもったとき、それが「目9已になります。

 こうした文化的アイデンティティや自治の意識は、近代になって顕在化したものです。それまでは、自分が住んでいる土地をたまたま治めている領主がいて、その人に従属していることは意識されても、領民同士の仲間意識、連帯感は希薄でした。

 ところが十九世紀の初頭から中盤にかけて、人々の間に「国民」意識が急速に広まります。きっかけとなったのは、ナポレオン戦争でした。

 ナポレオン率いるフランス国民軍が周辺の国々に侵攻し、ヨーロッパの大半を支配下に置くと、支配された人々の間に「自分たちはフランス人ではない」という認識と、「フランス人に支配されるいわれはない」という対抗意識が芽生えてきました。十九世紀初頭には数十の領邦国家に分かれていたドイツでも、ナポレオン戦争に敗北し、フランスの支配下に入ったことをきっかけとして「国民」の連帯や、統一された国民国家が必要だという意識が一気に広まりました。

 有名な「ドイツ国民に告ぐ」という講演がなされたのは、ちょうどこの頃です。強烈な「共通の敵」が出現すると、それまで仲間意識が希薄だった人々の間に強い連帯感が生まれ、急に「一致団結」などと叫ぶようになるー。これは、今でも(意外に身近なところで)見られる現象です。
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OCR化した12冊

 『日中戦争全史』

  日中戦争はどのような戦争だったのか

   国民政府「潰滅」をめざした大作戦の展開--一九三八年
   南進・北進への衝動と勝利なき二つの戦場での戦い--九三九~四〇年
   日中戦争からアジア太平洋戦争開戦ヘ--一九四一年
   アジア太平洋戦争の総兵姑基地化とその破綻--一九四二~四五年

  重慶爆撃--世界戦史上空前の長期かつ大規模な都市無差別爆撃

   重慶国民政府の潰滅をめざした空爆作戦
   百一号作戦

  「零戦」の登場--大きく動いた日米開戦への歯車

  「満州国」経済の破綻と関東軍の空洞化

   満州植民地経済の破綻
   関東軍の空洞化

 『ユダヤ人問題からパレスチナ問題』

  第二節 むすびに代えて

  ユダヤ人国家イスラエルの建国

  アメリカ・シオュスト運動

  パレスチナ問題の構造

 『テュルクの歴史』

  イスラームと帝国--セルジューク朝からモンゴル帝国まで

 『誰が何を論じているのか』

  「悪の凡庸さ」

  ロシアとウクライナ

  中東、西欧、タイ

  少子化

  ソーシャル・キャピタル

  EUと「イスラム」

 『トウガラシの歴史』

  世界への伝播

  コロンブス交換

  ヨーロッパ

  スペイン

  イタリア半島

  ハンガリー

  中東

  アフリカ

 『ハプスブルク帝国』

  フランス革命とナポレオン戦争

  フランス革命

  ナポレオン戦争

  ウィーン会議

 『フィンランド 育ちと暮らしのダイアリー』

  市民のリビング図書館

   初めて作る自分専用のカード
   保育園でも身近な図書館の本
   学校に図書館はないけれど、地域図書館と連携
   声も音楽も響くにぎやかさ

  エスニック・マイノリティ

   サーミ人
   ロマ人
   ユダヤ人とタタール人

  移住・移民と社会保障

   フィンランドヘの移住
   フィンランドからの移住

 『図書館年鑑2017』

  公共図書館

   図書館業務の外部化に抗して

    指定管理者制度を導入する館
    制度導入への反対運動
    相対的に低い導入率
    トップランナー方式の見送り
    図書館協議会
    「ツタヤ図書館」への批判

   図書館サービスの発展のために

    寄贈の呼びかけ
    ネーミングライツ
    企業版ふるさと納税
    公立図書館の整備充実についての要望
    地域総合計画に図書館政策を
    障害者サービスの進展
    赤ちゃんタイム
    ロポットと読書介助犬
    ポケモンGO
    電子資料の提供サービス
    都道府県立図書館サミット2016
    地方創生レファレンス大賞
    マイナンバーカードと図書館
    公共施設の複合化・集約化

   図書館職員の能力の向上を求めて

    非正規職員の増大
    学習会・研修会

   図書館の危機に備えて

    熊本震災
    地震・落雷・水害
    図書館の自由の危機

   全国公共図書館協議会

    平成27年度理事会
    平成28年度理事会・総会
    全国公共図書館協議会事業
    調査・研究事業

  図書館統計・資料

   [豊田市中央図書館への指定管理者制度導入をめぐる要望・陳情等と回答]

   【陳情理由(陳情要旨)】

    制度上の課題
    設置者側からの課題
    利用者側からの課題

   【陳情事項】

   陳情について(回答)

 『後悔しない「産む」×「働く」』

  「婚活」以前にまず、恋をしよう

   今どきの日本人は恋愛低体温
   恋人がいなくても平気?
   待ち受け×待ち受け

 『天皇の戦争宝庫』

  国民と国家の関係を変えた日清戦争
  日露戦争の辛勝

 『グローバル時代の「開発を考える』

  「自分の世界」から踏み出してみる

   この本をふりかえってみる
   「外の世界」と「自分の世界」
   「外の世界」とつながり、
   「自分の世界」から踏み出してみる

   視点が変わった若者たちのはなし

 『インバウンド地域創生』

  飛騨高山のユニバーサルツーリズム

   飛騨高山の概要

   飛騨高山の観光への取り組み

    住民主導の町並み保全
    民間活力の導入による観光客誘致
    インバウンド誘致

   飛騨高山のユニバーサルツーリズム

    ユニバーサルツーリズムとは何か
    飛騨高山のユニバーサルツーリズムに向けた取り組み
     ハード整備
     ソフト施策
    ユニバーサルツーリズムの効果

   7.4 まとめ
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10時以降は書き起こし時間

10時以降は書き起こし時間

 目次で項目部分の説明を入れないといけない。自分からの単純な疑問に応えられるように。今あるものを捨てていくとなると、この部分だけでも大変です。言葉で言っていこうか。それを10時以降の入力にしていく。

項目の両面性を生かす

 項目の部分は上からは目次との関係、下からは構成との関係になります。そのために、構成のある部分を目次に引き上げます。あの小さな表から仕様と項目との関係を述べます。それが新しい観点での再構成につながる。
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