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主権国家システム 帝国システム--主権国家システムは過渡的な存在

『閉じ込めてゆく帝国と逆説の21世紀経済』より

資本が利潤を得ることのできる「空間」が消滅寸前である--。この「歴史の危機」に、国民主権国家と資本主義の組み合わせでは対応することができません。国民に配るパイが減ってしまえば、中産階級が没落し、国民主権国家は維持できないからです。

そこで、二〇世紀の最後に、アメリカと欧州が選択したのが「帝国」化でした。「長い一六世紀」の終わりを告げるウェストファリア条約で成立したとされる主権国家システムは、主権をもつ諸国家がそれぞれ対等だという建前の上で成り立っています。建前では、すべての主権国家は平等です。

しかしながら、主権国家の平等性は国内秩序を維持できても、国際秩序や、さらにはその上位概念である世界秩序が安定しません。そこで、世界秩序に責任をもつ』「非公式の帝国」が登場します。

「非公式の帝国」が世界秩序に責任をもつのは、富(あるいは資本)を自国に集めることが容易になるからです。

いつの時代も「富」(一三世紀以降は「資本」)を「周辺」から「中央」に「蒐集」するシステムが存在します。

古代と中世は、「陸の国」の時代でしたから、「すべての道はローマに通じる」という言葉は、「富がローマに蒐まる」という意味でした。「海の国」の時代、つまり近代に入ると「七つの海を通じてロンドンに富が蒐まる」ようになったのです。そして、二〇世紀になると「すべての富はウォール街に蒐まる」仕組みが構築されました。そうした富を蒐集するシステムを構築できる国が「帝国」や「覇権国」となったのです。

しかし、主権国家システムと帝国システムには決定的な違いがあります。それは国境線を認めるか否かです。

国境線を認める主権国家システムは、市場や人の行き来を通じて国家間の相互作用を認めます。一方、帝国システムはつねに命令を通じてモノや情報の流れが「中央」から「周辺」へと一方通行になります。

国家間の相互作用は一回きりで収束することは稀です。一度、大きなショックが生ずると、他国に多大な影響を及ぼし、それがまた自国にはねかえってきます。そうした相互作用が反復されて起きるのです。空間が無限であるときは、そのショックはその後の成長で取り戻すことができるのですが、空間が閉じれば、大きなショックは他国に打撃だけが残り、経済は疲弊するだけとなります。その象徴的な例がリーマン・ショックでした。

この違いを押さえると、帝国と覇権国の違いもわかります。帝国は「周辺」に対して内政についても外交についても、すべてに影響力を行使し、支配をしています。これに対し、覇権国は、他国の外交には影響を与えますが、内政には干渉しません。他国の内政にまで干渉すると、主権国家システムと相容れなくなるからです。

ここまでが理論上の話です。しかし、肝心なことは、主権国家システムのなかにある覇権国家であっても、いともたやすく「帝国」に変身できるということです。「公式」であれ、「非公式」であれ、帝国はいつの時代においても「中心」と「周辺」が存在するのです。

主権国家システムを維持したまま、「蒐集システム」の一形態であるグローバリゼーションを推進すれば、「公式」であれ「非公式」であれ必然的に「帝国」化することになるのです。古代・中世・近代を通じて根底に「蒐集システム」が貫徹しているのですから、蒐集するために内政にも外交にも影響力を行使しようとするのは当然です。

この観点から見れば、主権国家システムは過渡的なものにすぎません。価値判断を差し控えて言えば、帝国システムのほうが主権国家システムよりも、普遍性を有しているのです。

従来の帝国研究は、「『帝国』の存在をある特定の歴史的段階と結びつけて規定しようとしていること」に特徴がありました。「すなわち『前近代的』政治体制としての帝国、あるいは『近代的』資本主義段階としての帝国という把握」です。

しかし、最近の帝国研究は、主権国家システムの近代に「非公式の帝国」の概念を導入することで、古代、中世、近代を通じて国家の本質に迫るようになったのです。

その意味で、一九九五年に完成したアメリカ金融・資本帝国も「非公式の帝国」と言えます。金融のグローバリゼーションを通じて、各国に金融の自由化や規制緩和を強制的に導入させ、他国の貯金で自国の経済がまわるような仕組みを構築した。これは、内政干渉をしながら、世界の富をウォール街に集めるための帝国なのです。

一方で、EU帝国は「公式の帝国」の性格を色濃くもっています。というのも、アメリカ金融・資本帝国は、表向きには国民国家として主権国家システムの一員を装い、他国を自国と同等の主権国家として扱っているかのように行動しているのに対して、EU帝国は、ブリュッセルにあるEU本部が、条約をもとに加盟する国家の主権に大きな制限を加えているからです。

つまりEU帝国は、表向きにも、主権国家の枠組みを超えているのです。

このような「帝国」化は、アメリカとEUだけではありません。ロシアはプーチンが二〇〇〇年に大統領に就任して以来、彼に権力が集中し、ロマノフ王朝(一六一三~一九一七年)の再来と言われています。

中東はどうでしょうか。現在の中東混乱の原因は、一〇〇年前の「サイクス・ピコ協定」(一九一六年)にあると言われています。一〇〇年という時間軸は、中東という人類の文明が誕生した地においては極めて短いものですが、クルド人政治学者カマラン・マンテックが述べているように、今の状況は「あえてその時間軸で考えるなら、オスマン帝国統治の時代、つまり、協定以前の状況に逆戻りする途上と言える」でしょう。

オスマン帝国は一二八一年から一九二二年まで六世紀半近く中東を支配したのであって、「今なお真のイラク人は生まれていない」と彼は言います。そうであれば、国民国家が主導した平和を取り戻すことは困難でしょう。

中国においても二〇一六年一〇月に権カ者である習近平総書記が「核心」の称号を得て権威を高めるなど、権力の集中が進み、帝国化しています。「核心」の称号を得たのは、過去には毛沢東と鄧小平、江沢民の三氏だけでした。

このように、二〇世紀末から現在にかけて多くの地域で「非公式の帝国」化か進行しているのです。
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一九三九年秋、外国人たちは志願兵となる

『私にはいなかった祖父母の歴史』より 一九三九年秋、外国人たちは志願兵となる

一九三九-四〇年の志願者名簿(「薄皮」という上手な名前が付けられていて、すぐに破れてしまうトレーシングペーパーのような紙でできている)にはあらゆる国籍が現れている。スペイン人、イタリア人、ポーランド人、ユーゴスラヴィア人、チェコスロヴァキア人、ハンガリー人、ルーマニア人、ドイツ人、ロシア人、ブルガリア人、ギリシア人、トルコ人、またルクセンブルク人さえいる。奇妙なことだが、マテスは「中央セーヌニ七五三番」と「一三六四一番」という二つの登録番号で識別されている(おそらく最初の志願は戸籍証書がないために延期されたのだろう)。リストの中でマテスの名前は何十人かのポーフンド人の間に埋もれていび。こうした戦友はおそらく全員ユダヤ人だろう。九月末以降、カトリックのポーランド人は亡命政府に送られているからである。外人部隊を選択するのは、自分の祖国にもう必要とされてはいないか、反ユダヤ主義の士官たちの命令の下で戦うことを忌避する人たちだけである。

こうした一切の手続きが終わって、マテスは外人部隊一九三九年兵士の個人手帳を受け取る。彼は今やEVDG、「戦時志願兵」になったのである。この志願が自由な同意からなされたことであれ、仕方なくサインされたことであれ、これは事態を明らかにしてくれる。すでに述べたように、マテスが共産主義から遠ざかるのかどうか、私には謎のままである。しかし確かなことは、ブルジョワ国家の軍隊で兵籍に入ることで、彼は頁をめくったということである。彼がそのために生き、そのために死ぬ理想は、もはや革命ではなく、ナチズムとの戦いである。彼は脅かされた民主主義国家の兵士であり、もはやインターナショナル・プロレタリアではない。なぜなら共産主義者は戦争を拒否するからだ。一九三九年九月、あらゆるュダヤ人組織はヒトラーと戦うことを呼びかけ、募集事務所を開設する--しかし共産主義組織だけは違う。『ナイェ・プレッセ』の同志たちの前でグロノフスキは独ソ協定を正当化し、一九三九年八月末日まで『ナイェ・プレッセ』は言い逃れを続ける。フランス共産党は戦争予算に賛成票を投じたが、ソ連の敗戦主義的方針をとっている。すなわちこの帝国主義的戦争は共産主義者には関係がない(一九一七年のように革命を産み出さない限り)。非合法の『ュマニテ』は不服従とサボタージュを呼びかけて、モロトフの演説を掲載する。それはすでにドイツがパリ上空でばらまいたビラに印刷したものである。「西欧列強の戦争目的、すなわちヒトラー主義の絶滅は、[……]まさしく犯罪なのである。」ル・ヴェルネー収容所に入れられたアーサー・ケストラーは、この新たな変節を嘲弄している。彼とともに収容されていた共産主義者たちにとって、ファシズムに反対して団結することなどもはやまったく問題外なのだ。プロレタリアの義務は今や国の内部でブルジョワという敵と戦うことであって、彼らのために肉弾として役立つことではない。九月二六日、フランス共産党は解体される。モリス・トレーズは逃げ出す。何十人かの代議士がパリや地方で逮捕される。市町村で公職を務める三百人以上の共産党員は職務を停止される。

したがって、私の祖父の中でこの志願は良心の危機に重なっているに違いない。というのも、彼にとって一九三九年秋の一連の出来事は幸せなものであり、同時にまた恐ろしいものであるからだ。一方で、ポーランド東部へのソ連の侵攻、それに続くそのソヴィエト化は一九三三年の彼の切なる願いを叶えるものである(「ソヴィエト・ポーランド共和国万歳!」と彼の横断幕には謳われていた)。スターリンはバルチック海に艦隊を展開し、バルト諸国とフィンランドを「保護」しようとしている。それに対し、マテスにはパルチェフから動けない両親からの便りがなく、ドイツ国防軍は非武装都市の爆撃や難民の列への銃撃を繰り返すなど、ブク川の西でポーランドを荒廃させている。しかし、彼らを助けに行き、ヒトラーとの戦いに身を投じ、野蛮と反ュダヤ主義を打ち砕くことは、フランスの立場、すなわち、反ファシズムの難民に敵対的ではあるが、リッツトシミグウィ元帥の反ュダヤ主義ポーランドを救うために戦闘に入ろうとするこの「受け入れ国」の立場を認めることを前提とする。一九三九年一一月にサインをする人は、結局、ソ連に背を向け、フランス・ブルジョワジーやポーランドの将軍たち、蛙通りのハシディストたちと同じ陣営で戦うことを受け入れることになるのである。

何万人ものポーランド系ュダヤ人が志願兵となる。犠牲の精神! フランスヘの愛! 私はこうした言葉の発せられ方が好きではない。意気揚々と歩む「法と正義の戦闘員」を示す黄金伝説は苛立たしい。またこれとは正反対の主張もあり、こうした志願に、身分証明書を求める不法者たちの日和見主義しか見ないのだ。これもまた戯画的である。アルノルド・マンデルの『不確かな時代』(一九五〇年)の中で、語り手の一人は皮肉な状況にひどく苛立ちながらもベルヴィルのフランス共和国友の会本部に赴く。そこには募集事務所が即席で開設されている。募集係は勲章をいっぱいつけた禿の老人だ。志願者たちの書類を調べながら、金切り声を上げる。「シニエイ、あるいは次!」列の中で一人の男が弁じ立てる。「我々ベルヴィルのユダヤ人は、自由、平等、友愛のために、そして身分証明書のために戦うことになるのだと言って欲しい。我々はみんな、旧戦闘員ということで労働許可付きの正規の身分証明書をようやくもらえると期待しているんだから。」

しかしマテスも身分証明書を最後には取得できるという約束にどうして敏感でないことがありえよう。彼の外人部隊志願証書には、二年ほど前に彼の額に刻印された滞在拒否番号「E・九八三九二」が記載されている。絶望させた後で誘い込むテクニックに長けた政府は、以後、志願者に身分証明書の免除証明を与えたり、滞在許可証の有効期限を延ばしたり、国外退去命令を停止したり、迅速な帰化をちらつかせたりする……。一九三九年一一月一五日、マテスが兵籍に入って一週間後、共和国大統領は、セーヌ県軽罪裁判所が五月に課した百フランの罰金を返却する。一九四〇年春、息子の誕生のすぐ後、「外人部隊臨時部隊」、第四三中隊、登録番号五一三二、二等兵ヤブウォンカ・マテスは六か月の兵役を根拠に、彼の妻に依然としてかかる滞在拒否「E・一一四五六〇」を取り消してもらえるよう内務大臣に申請する。妻の身分の正規化がもはや目的それ自体ではなく、今後の目標は子供たちの帰化である。数日後、内務省は警視庁とゴルヴィッチ委員会に、「事情に鑑みて」、イデサは「場合によっては更新可能な」四半期猶予を受けると通知している。外人部隊兵士の妻を国外退去にはしないのである。
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1年前購入のキンドルオアシスの状況

1年前購入のキンドルオアシスの状況

 キンドルオアシスが普通に立ち上がらない。ドウしようもないので、他っておいたら、翌日になったら、立ち上がっていた。

 前に買ったキンドルが生きているし、バージョンが同じなので、いざという時には切り替える。このバージョンなら、新品を8千円で購入できる。コンテンツが自前なので、入れ替えるだけ。

 三千冊の本棚システムもインストールできる。

 アマゾンはなかなか様相が変わらないのでありがたい。コンテンツを売るためのインフラと考えているのでしょう。
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