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しぶとい国家、エジプト もろい国家、シリア

『世界情勢を読み解く10の視点』より 宗教を知れば、世界が見える アラブの春から「イスラム国」へ

しぶとい国家、エジプト

 「アラブの春」の最大の焦点はエジプトでした。

 エジプトは、中東地域の大国の一つです。

 エジプトは、石油資源はそれほどありません。その歴史、人材の厚み、国際政治での重要性から、中東の雄国なのです。

 「アラブの春」という変革の時期に、エジプトが経た変遷は、次のようなものでした。

  ・北アフリカ・チュニジアに端を発した反体制デモがエジプトに飛び火した。

  ・約30年間、この国の卜ップに立っていたホスニ・ムバラク大統領が失脚した。

  ・軍が統治した。その下で、民主化のプロセスが進行した。

  ・民主的選挙で、ムスリム同胞団のムハマンド・ムモルシが大統領に当選した。

  ・軍がクーデターで、モルシ大統領を失脚させた。

  ・軍の中心人物のアブドルファタハ・シシ前国防相が、大統領選で当選し、就任した。

 中東諸国の人口の年代別構成を見ると、日本に比べて若い層の割合がはるかに大きいのです。教育水準はあがってきた、しかし就職はなかなかできない。抗議活動が広がった背景には、そんな不満がありました。

 活動に参加した若者たちは、インターネットを利用しました。たとえばフェイスブックでデモや集会を呼びかけたのです。

 若者に続いて声をあげたのは、イスラム教の信仰に基づき社会活動を行う組織です。エジプトではムスリム同胞団という組織が強力でした。ムバラク大統領は、この組織が力を持つことを警戒して取り締まっていました。それでも、合法・非合法の両面で活動を広げていました。

 選挙をして分かったのは、ムスリム同胞団の組織力が他の政党や組織を上回っており、同胞団が勝利するということでした。

 「アラブの春」の激動の中で、エジプトは2回憲法を改正しました。

 ムスリム同胞団出店モルシ大統領が在任していた2012年と、シシ将軍による事実上のクーデターの後である2014年です。

 2014年の憲法、すなわち現行憲法の英訳を読んで前文に圧倒されました。

 「エジプトは、ナイル川のエジプト人への賜物であり、エジプト人の人類への贈り物である」

 なんという自信でしょうか。前文は、古代から現代に至るエジプトの歴史を叙述していますが、自国の文明に対する強烈な自負心に貫かれています。

 調べてみると、2012年の憲法の前文にも自国の歴史に対する誇りが表明されていました。

 ある日本の中東専門の外交官から聞いた話です。

 「アラブの人は、かつて自分たちが世界の中心だったという誇りを持っている。日本人が持っていない誇りだ」

 この誇りは歴史に根ざしたものです。歴史家、ウィリアム・H・マクニールの『世界史』(中公文庫、2008年)の上巻207頁にこう書いてあります。

 「紀元前五〇〇年から、紀元一五〇〇年までの約二千年間には、世界の文明生活の中心地のどれかひとつだけが、一頭地を抜きんでるということはまったくなかった。それ以前には中東が第一位を占めていて、近隣の諸地域や、さらにその先の諸地域にも、時には遠い距離を越えて影響を及ぼしていた」

 エジプトは、「アラブの春」で権力のありかが、軍→ムスリム同胞団→軍とめまぐるしく変わりました。それでも国家が崩壊することはありません。

 その理由は、軍の存在感が大きいことです。もう一つは、過去の偉大さに関する集団記憶が国民を結びつける糊として働いているからです。

 「視点その4」で紹介した言葉がありました。「欧州を真に団結させているのは、諸帝国の色あせた記憶なのだ」というものでした。

 欧州が15世紀に始まる「大航海時代」に、言い換えれば近代に飛躍的な発展を遂げる前には、欧州は中東のような文明の中心地ではありませんでした。

 それなのに、近代に欧州との関係が逆転します。中東の多くの地域は、イギリス、フランスの支配下に置かれます。

 現代の中東の人々が、ョーロッパ、アメリカを見る時の心の底には、こういう思いがあるでしょう。本当は、というのは何世紀か歴史を遡ればということですが、自分たち中東のほうが上だったのに、今では連中が威張っている。

 本当は自分だちより下のはずの人間が、自分だちより上に立っている。こう感じた時に生まれる屈辱感は強力です。ねじれがあるだけに巻かれたバネのようなエネルギーを持っているのです。

もろい国家、シリア

 シリアの大統領は、バッシャール・アサドです。父親のハフェズ・アサド大統領の代から40年以上続く独裁です。「アラブの春」が飛び火して、2011年3月頃に各地で反アサドのデモが始まりました。アサド政権は、軍を動員してデモを弾圧しました。

 内戦が始まりました。いろいろな勢力が、それぞれ武力を用いて、それぞれ支配地域を持つ。勢力同士で交戦するという状態になったのです。

 前頁の図を見てください。2014年6月現在のシリアの情勢です。

 一目見るだけで、これは分からないよと思ったのではないでしょうか。いかにも複雑です。そして始末の悪いことに、情勢は流動的で変わっていきます。この図は、ある時点の状況を切り取ったものに過ぎません。それぞれの勢力が支配している地域は、大きくなったり小さくなったりします。

 それでもこの図に付き合うことには意味があるのです。

 先のいくっかの章で、国家、民族をキーワードにして、世界で起きていることについて考えてきました。もう一つ、「宗教」という要素を加えなければなりません。

 図には、アサド政権が支配している地域が示されています。シリアという国家が存続しているのです。

 クルド勢力の地域があります。クルドは民族です。

 そして過激派組織「イスラム国」の地域もあります。この過激派は、イスラムの教えに基づく国家を作ると称しています。実態は暴力を肯定する過激派ですが、宗教を実践しているのだと主張しています。

 反体制組織の地域があります。反アサド政権の勢力です。

 アサド政権と反体制の対立というのは、片方に国家があり、もう片方は、独裁者を倒して国家権力を握ろうという勢力の対立です。

 この対立も宗教と結びついています。

 アサド政権はイスラム教シーア派の政権です。より正確に言えば、シーア派の一派であるアラウィ派の政権です。大統領がアラウィ派の信徒であり、アラウィ派の人材を重用しています。

 一方、反体制派はイスラム教スンニ派からなっています。

 シリアでは、もともと人口比では、スンニ派が多数派で、アラウィ派が少数派でした。しかし、政権はアラウィ派に基盤を置いていました。国家のタガが緩むと、スンニ派の不満が反体制派という形で現れたのです。

 やはり複雑です。シリアは中東情勢の縮図です。その地図に取り組むことは知的訓練になります。
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