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結城浩の考える、図書館に求めること

『才能を引き出した情報空間』より 小さな数学者たちの対話の場 結城浩

本を書くことを通じて知る喜び

 --結城さんは難しい論文読んで本に落とし込むチュウカイ者であるというのは、ごほうびを常にもらっているということになりますね。

 結城 そうですね。自分が考えて「ああ、そういうことだったのか」を読者に伝えるわけですから。自分自身が喜びを感じないのに、読者に喜びが伝わるわけないですよね。

 無茶をすると失敗するんですよ。背伸びして何かをやろうとすると、ものすごく苦しいんです。自分が「なるほど」と思ったことを書けばいいんです。それが、自分の身の丈に合った本になるわけですよ。そして、そのとき初めて読みやすい本になる。自分が理解できないことを書こうとすると、難しい本とか、わかりにくい本になる。当たり前ですね。著者がわかってないから(笑)。

 そのときに一番邪魔になるのは自意識です。自分をえらく見せたいとか、あるいは失敗しちやいけないとか。それが一番邪魔で。野心こそが一番の邪魔です。

 --それって、結城さんがクリスチャンであることと関係ありますか?

 結城 それはもちろんそうですね。というか、全般的にそうじゃないですか?自分が考えていることで、これがあるべき姿だとか、こういうふうに生きることがよいという、基本原則が信じていることの中にあるわけなので。自分が生きたいと思う人生を生きられる人は少ない。普通はやっぱりズレるわけですよね。だからそこのズレで、人間は悩む。自分はこうしたいのに、こういう本を書きたいのに、理想とのズレで悩みがあるわけですね。

 でも、それは貴重な経験なんです。読者のことを考えて書こう、と『数学文章作法』に書きましたが、対話を成り立たせるものとしての愛とか、リスペクトというのが、何より大切になるんですね。自意識よりも。

 --結城さんに今回のインタビューの企画書をお見せした際に、「読者は誰ですか」と真っ先に  聞かれました。

 結城 そう、そこです。企画書を見るときに、私はパツと一点を見るんです。つまり、読者はだれと書いてあるか。企画を立てる人がこの本を大事だと思っているなら、必ず読者のことを書いてあるはずなんですね。逆に、読者が誰かがわかってない、あるいは自明のものとして企画を立てると失敗するんです。

 --勉強になりますね(笑)。

 結城 勉強になるでしょう(笑)。

結城浩の考える、図書館に求めること。

 --今後の図書館はどういうふうになったらハッピーでしょうか?

 結城 それは、図書館がハッピーになる、それとも、利用者がハッピーになる?

 -利用者が。あるいは、例えば図書館側が結城さんをこういうふうにサポートしたら結城さんがハッピーというのでも。

 結城 難しいな。パッと思いつくのは当たり前のことばかりですね。本がたくさんあって、静かで、勉強なり作業なりができる空間であってほしいなと思うんです。私の本の中に「双倉図書館」というのが出てくるんですよ。それは、私の理想の図書館です。そこは天井がドーム状になっていて、レストランもついてて、いろいろ部屋が分かれていて、会議もできる。もちろん本もたくさんあって、誰でも自由に出入りできる。その双倉図書館というのが、理想と言えば理想の図書館ですね。

 さっきの話に戻るんですけど、私は自分で学ぶ人をサポートするような場所が欲しいんですね。図書館で自習させないというのはナンセンスだと思うんです。それは、図書館が提供する大きな機能の一つのような気がするんです。自主的な学びの場だと。

 学ぶ楽しみ、自分の知を磨く楽しみ、その場所として、図書館的な何かはあってほしいし、そういう場所ぱ若い人にもお年寄りにも開かれた場所であってほしいなと思いますね。

 --self-helpという概念があるみたいですね。自分自身で自分自身を助く、みたいな。海外の図書館では、セルフヘルプができるような人になってもらうのが、図書館のミッションだと言っているところもあります。

 結城 面白い。その気持ちはよくわかります。

 --資格試験や受験はゴールがあって、それに向かって勉強する形が基本ですよね。でも、『数学ガール』ではゴールを目指す学びはしていなくて。主人公が自分の部屋の中で「何か面白いことはないか」 って探す描写がものすごくグッときたんです。締め切りがない。ゆっくり学べる。そこがポイントかなというふうに思ったんです。

 結城 そうですね。大きなポイントではあり圭すね。初めは、何が問題かもわからないんですよ。もしかしたらこれって、考えるに値する問題じやないか、と考えることは重要で。特に研究者はそう。

 --問いを見つけろ、ですね。

 結城 研究者として重要なのは「問うに値する問い」を見つけられるかどうか、新たに問うに値する問いと判断できる能力だと思うんです。一方、高校生などは、既に解かれている問題かどうかはさておき、問い自身にチャレンジするわけです。私は「小さな数学者」とよく言うんですけど。いまそのような高校生が解こうとしている問題は、何百年か前に、だれかが解いているかもしれない。でも、そんなことは関係ない。本人にとっては初めての問題に挑戦している。そこに非常に重要な何かがあるような気がする。

 資格に合格する、受験に合格するというのも大きな目的です。でも、自分の力で考えるというのは「これは面白いな」と思ったときに出てくる力。役に立つ、立たないじやなくて、突き進む何か。作中で、登場人物が先生から、単に数式だけが書いてあるカードをもらうシーンがあります。その与えられた数式から、自分で問題を作るところから始める。そこが面白いんですね。それって、私は学ぶことの本質じやないかと思うんです。

白いウサギを追いかけて

 編集 今、Webで検索すれば情報はパツと出るじゃないですか。それと図書館の棚で見るのと。どちらがVisibilityが高いのでしょうか。

 結城 面白い現象があって、私の『数学ガール』の本って、どこの棚にあるのか、探すの難しかったりするんですよ。数学書なのか、小説なのかわからなくて。本屋に行って探したけど見つからなかったという読者さんがよくいるんですね。もしもその本を手に入れたいのなら、例えばAmazonで調べるとか、本屋の店員さんに聞けばいいんですね。でも、そういうのをやらない人がとても多いんです。なぜかと言うと、自分で本を見つけたいんですよ。つまり、本棚を歩いてたら「あっ、これ何?」に出会いたいんですね。本との出会いを求めている。検索したくない気持ち。本棚の中を歩いて見つけたい。そういう気持ちがやっぱりある。

 --ブラウジング。

 結城 そうですね。本文を読むんじゃなくて、背表紙を読むんです。タイトルが並んでる。キーワードがあり圭すね。「ああ、こういう分野ではこういうことが研究されているんだ」あるいは「こういうことを考えている人がいるんだ」というのがわかる。

 そこには大切なものがあると思い圭すよ。検索して見つけてクリックすれば買えるというのとは違う。書棚を歩いて、この本と私は「出会ったんだ」という体験は、非常に重要なんじゃないでしょうか。

 --これまで図書館は、本への道標をわかりやすくしましょう、見つけやすくしましょう、という方向性だったんです。でも、偶然の発見という視点からすると、ある意味では、利用者を突き放すことも必要かとお話を伺って思いました。

 結城 そうですね。人はおそらく、本を生きてるものだと思ってるんですよ。本との出会いはウサギをつかまえるみたいなもの。そのプロセスが大事なんですよね。

 --不思議の国のアリスみたいだ。

 結城 そういう人にとっては、現在の電子書籍はつまらないんです。広い空間に本を並べているようなイメージで見せるようなUIを、何か工夫してほしいと思うんですけど。

  こういう本だったら電子書籍でもいいけど、こういう本は紙じゃないと困るという区別が心のなかには何となくありますよね。

 --ウンベルト・エーコは『もうすぐ絶滅するという紙の書物について』のなかで紙は滅びない。とも言っていましたよね。一方で電子書籍も否定していなくて。

 結城 図書室は、空間を利用する場所ではあるんだけど、そこに物体として本があることが重要なんですよ。そこからインスピレーションを受けたり、興味の向くま圭背表紙をながめたり。自分の知っているものも、知らないものも、たくさんあるということを意識する。そんな空間があることが重要なんだと思います。たくさん本棚が並んでいるだけ、というのは違う。広い空間があって、その中を自分が泳いでいく、そのような場所がいいんですよね。
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