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テロを止められない6つの理由のうちの3つ

『ぼくは13歳、任務は自爆テロ』より テロを止められない6つの理由 ⇒ 理由④ グローバル・ジハードでテロがネットワーク化しているから 理由⑤ 国際社会の介入が新たなテロを引き起こすから 理由⑥ 武力だけで抑えることはできないから

理由① これまでの戦争のルールが通用しないから

 ぼくたちが学校の歴史の授業で習ったように、人類は2度の世界大戦を体験することで、「戦争」の怖さや残酷さを学んできました。

 2度の世界大戦の前の戦争は、ドイツ対フランスのように国同士の争いで、国家の正規軍が正面で戦っていました。しかし、世界大戦になると各国は国家をあげた総力戦を戦うことになり、国民から戦費を集め、国民皆兵制を強いて国民を戦場に駆り出しました。非戦闘員にも数えきれないほどの死傷者が出ました。

 このような歴史的な体験から、戦争をする際にも、戦時国際法や国際人道法などといった最低限守らなければならない国際ルールが生まれました。たとえば、一般市民(非戦闘員)を攻撃してはいけない、捕虜を虐待してはいけない、学校や病院などを無差別に攻撃をしてはいけないなどです。

 しかし、第2次世界大戦後に出現した冷戦とその終結以降、世界を1つにするという「グローバリゼーション」のひずみが「新しい戦争」を生み出しました。この戦争は、2つの世界大戦とはちがう新しいタイプの戦争で、国家対国家の争いではなく、民族や氏族の武装勢力、テロ組織の武装部隊など非国家主体の武装組織が武力を行使する戦いです。従来とはちがうこのタイプの戦いは、「戦争」とは呼ばず、一般的には「紛争」や「内戦」と呼ばれています。

 また、大小・実力はともかく、国家と国家という対等の関係と比較して、国家と非国家というアンバランスな関係から「非対称性の戦争」とも呼ばれています。この「新しい戦争」では、せっかく世界大戦後に決められた国際ルールがいとも簡単に破られていきました。民族浄化や大量虐殺、無差別テロといった非人道的な手段が取られ、無実の民間人の犠牲が増加したのです。

 また、「新しい戦争」はこれまでの戦争よりも長期化する傾向があります。従来の戦争では、どちらか一方の勝利、敗北の受け入れで戦争が終わるケースが大半でしたが、「新しい戦争」では、紛争当事者の数があまりに多く、だれかが負けたからといって、内戦が終わるわけではありません。

 直接の紛争当事者も多数で、その利害関係も複雑に絡み合っています。その紛争当事者の背後にいる途上国に権益を持つ大国の存在もあって、紛争の構造はきわめて複雑で多層性を持っています。日本の戦国時代のように「OOの合戦」で勝敗が決まり、戦争が終わるというケースはないのです。また、戦争の影響は一国だけにとどまらず、周辺国や世界にも大きな影響を及ぼします。アル・シャバーブといった、テロ組織との戦いもまさしくこのような「新しい戦争」の1つなのです。

 こうした「新しい戦争」の定義に対してはいくつかの反論もありますが、「新しい戦争」という新たな名称が提唱された理由の1つには、従来のような戦争に対する考え方では現代の紛争に対処することができないという現実があります。これまでの対話を通じた和平プロセス構築といった紛争解決の手法が機能しないうえ、新しい戦争が発生している国だけではその紛争に対処することも困難で、かといって国際社会が放置しておくと多くの市民が犠牲になってしまいます。

 「新しい戦争」の定義は、グローバルな時代において、世界の国ぐにで協力し、事態を正確に分析し、個々の紛争に有効に対処していこうというスタンスに立脚したもので、その決意を示す重要な提言であると考えています。国家という枠組みを超え、一般市民を突如として犠牲者にするテロの防止は、それこそ世界中で協力して取り組まないといけない緊急性の高い課題なのです。

理由② テロリストになる背景やテロへの考え方が多様化したから

 テロ組織とは、文字どおりテロ行為をおこなう組織ですが、その目的や性格は多種多様です。たとえば、あるテロ組織は領土の奪還や独立を目的としていますし、ある政治的、宗教的、民族的集団がより大きな集団から分離・独立しようとするとき、圧倒的な力の差を乗り超える手段としてテロ行為に訴えることもあります。またある政治的組織は現政権をひっくり返すために戦い、ある組織は思想や宗教的な主張を達成するためにテロ行為をおこなうこともあります。

 ひとくちにテロ組織といってもさまざまな組織がありますが、近年とくに注目されているイスラム教を背景とするテロ組織に加入する若者の多くは、経済的困窮や社会・世界への怒り、イスラム教徒としてのジハードヘの参加意識が大きな要因になっています。ソマリアを拠点とするアル・シャバーブでも同じ傾向が見てとれます。

 ただし、イスラム系のテロリストというと、どことなく「貧乏なうえに教育にも恵まれなかった人」と一般的に認識されていますが、実際のテロリストはもっと多様でさまざまな背景を持っています。「裕福な家庭の生まれで、高学歴の人」もいて、テロ組織の幹部クラスになるとこのような出身階層の人が多いのです。

 たとえば、アメリカ同時多発テロ(9・11)の実行犯であるモハメド・アタは、エジプトの裕福な家庭に生まれ、大学も優秀な成績で卒業し、ドイツヘの留学や国際交流プログラムヘの参加もしていました。政治や世界情勢に敏感であり、世界の現状をしっかりと分析したうえで、世界と戦う必要性を痛感しました。その過程で暴力的過激主義に出合って共感し、航空機の操縦方法をマスターして、ハイジャックした飛行機で世界貿易センタービルに突撃したのです。熟考の結果のテロ行動の選択といわざるを得ません。

 その一方で、テロ組織に命令されたり脅されたり、あるいはお金に釣られて組織に加わった人もいます。あるいは、生き延びるためにテロリストになった人も多くいます。

 また、テロリストとしての過激さの度合いにも幅があります・残虐な殺し方や拷問などに反対しているテロリストもいますし、そもそも無実の人びとを殺すのは良くないと考えるテロリストだっています。その一方で、とにかく残虐な事件を起こして世界から注目を集めるべきだと考え、武力闘争で世界をイスラム化することを目指すグループも存在します。

 ひとくちに「テロリスト」と呼ばれる人びとにもかなりの多様性があり、どうしてテロリストになったのか? どんなテロリストなのか? の問いに共通する答えは存在しません。不確かなイメージで対応策を考えても、ときに逆効果を生み出さないともかぎりません。彼らの多種多様さに則して対応をしなければ効果は期待できないのです。

理由③ テロが手段としてつかわれるから

 そもそも、テロ組織は、関係のない人びとを巻き込む非人道的なテロをなぜおこなうのでしょうか。その理由は大きく分けて2つあります。

 1つ目は、テロリズムという単語の語源であるテラー(Terror:恐怖)が示すとおり、強烈な威嚇により、人びとに不安や恐怖を植えつけるためです・社会の注目を集め、自分たちの主義主張を世のなかに伝え乱という目的があります。また、甚大な被乱を生むことによって、社会を混乱させることを目的にしています。

 テロ攻撃でもっとも多くつかわれる手段の1つに自爆テロがありますが、「意思を持った爆弾」の殺傷能力は非常に高く、広範囲にわたって大きなダメージを与えることができます。たとえ、爆薬の量が少なくても、駅やコンサートホールなど大勢の人がいる場所で爆発させれば、大きな被害を出すことができます。たった1人の行為でも世界を震撚させることができるほど、テロ行為は強烈なのです。

 また、テロは恐怖だけではない影響を世界中の人びとに与えています。最近フランスやアメリカ、イギリスなどの先進諸国で、テロ組織の主義主張に共感した人がテロを実行するケースが頻発しています。ホームグロウン・テロリズムといわれ、先進諸国にいる自分がなにかやらなくてはと考えていくのです。

 2つ目は、「非対称的戦争」を戦うための手段としてテロ行為を利用していることです。一方の力がもう一方よりもさまざまな側面で圧倒的に大きいので、弱者はあらゆる手段をとっても許されると考えるのです。

 たとえば、中東やアフリカでは、反政府武装勢力に対して、国際社会は空爆をおこないます。武装勢力の拠点を破壊する、リーダーの殺害を目的としたピンポイント攻撃などと弁明していますが、空爆される側からしたらたまったものではありません。空からの攻撃は防御しようがありません。「誤胤」といって片付けられてしまう市民の被害も、「非対称的戦争」を戦う武装勢力への支持を強固にします。

 テロは単に個人の狂気から生まれる行為ではありません。テロ組織が緻密な戦略設計をしたうえでテロを指令しているのです。
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イサカ・カーシェアリング

『住むたい街を自分でつくる』より 暮らしやすい街--賢い土地利用と新しい交通手段

私たちの大きな助けになっているのは「イサカ・カーシェア」だ。この革新的なカーシェアリングというプロジェクトは、毎日二四時間いつでも、メンバーに車を貸すというシステムである。

北米には、成功しているカーシェアが五〇ほどあり、三二万人もの人が七五〇〇台の車をシェアしている。イサカのもそのうちの一つである。このイサカのカーシェアは、今のところ、人口が三万人というもっとも人口の少ない都市で成功している例である。

カーシェアリングは、輸送に関する、まったく新しい考え方の始まりかもしれない。車社会の米国では、どのような車を所有するかが個人の重要なアイデンティティーの一つになっている。カーシェアリングは、個別の車に対する所有欲を取りはらってくれる。そして、車に乗るのは、ある場所からもう一つの場所に行くのがそもそもの目的だということに、気づかせてくれる。

ロサンゼルスのあるジャーナリストは、カーシェアリングがさかんになっていることについて、こう述べている。「車そのものが重要ではないことに人々は気づいた。目的地に着くための手段にすぎない。輸送のための道具であり、インターネットによって可能になったシステムの集合体だ」と。

カーシェアリングは利用方法も容易だ。メンバーとして参加したら、街のあちこちに駐車してある車をネット上で選び、電子キーを使って車にアクセスすればよい。新しい、手入れの行き届いた車を、好きなところどこにでも運転して行くことができる。時間までにもとの場所にもどせばいいだけだ。 私は愛車の「タンゴ」を気に入っていたが、新しくて、信頼でき、いつもきれいで、ガソリンも満タンになっている車を運転するのは楽しい、ということを認めざるを得なかった。

私たちは今では、カーシェアを当たり前のように利用しているが、じつはイサカのカーシェアリングには、長い準備期間が必要だった。しかし、イサカの輸送部門でもっとも成功したプロジェクトだと言えるだろう。

イサカ・カーシェアは、もともとはイサカ大学とエコビレッジ・イサカが補助金を得て始めたプロジェクトから生まれたものだ。このプロジェクトの担当者、ダン・ロースが、二〇〇六年一月にカーシェア・サミットを開いた。このサミットには郡や市、コーネル大学およびイサカ大学から、交通や輸送に関する専門家が参加しただけでなく、イサカ市長も顔を出してくれた。

コロラド州ボルダーとサンフランシスコでは、それぞれカーシェア・プログラムが成功しているが、この二都市から担当者が参加し、そこに集った一〇〇人以上の人々に対して勇気づけるようなスピーチをした。その場は、同じような思いをもった者同士の高揚感で盛り上がった。彼らができるなら、自分たちだってできるはずだと。

イサカの住人たちはほかのプロジェクトと同様に、非営利で地元主導のカーシェアのサービスを始めたいと考えていた。カーシェアをしているほとんどの都市では、当時カーシェアをビジネスにしていた二つの会社、フレックスカー社かジップカー社のどちらかを使っていた。だが独立的な機運が旺盛なイサカでは、カーシェアの担当者たちが州に補助金の申請をし、一七万七二〇〇ドル(約一七〇〇万円)を受け取って、独自のプログラムをスタートさせたのだ。力ーシェア・サミットが開かれた、その同じ年にである。

最初は少しずつ始めようということで、二〇〇七年二月に二台の車をエコビレッジ・イサカに用意し、これでなんとかやっていこうとした。それでうまくいくと思われたが、残念なことに、保険という問題が立ちはだかってしまった。

保険会社は複数のドライバーを相手に、どう対処していいかわからなかったのだ。関心を示してくれた保険会社もわずかに存在したが、ニューヨーク市内の混雑した道で強引に運転する夕クシー運転手にかけるのと同じような保険率を提示してきた。それでは、私たちにはとても割に合わなかった。

この企画を停止させうる、こうした問題があったにもかかわらず、スタッフも理事も代案を探しつづけた。そしてついに二〇〇八年のアースデー〔訳注‥地球環境を考える日として四月二二日に設定された記念日〕に、イサカ・カーシェアは、メンバーの募集をする準備ができたと発表した。

担当者のジェニファー・ドットソンは、勝利宣言とも言える声明を出した。保険会社が二月一四日にバレンタインのプレゼントとして、自動車保険を提供してくれたこと、それは金額的に妥当なもので、しかも一八歳からの参加が可能だと。最初のサミットから一年半で、イサカ・カーシェアが正式に発足したのだ。

今では、このプログラムはうまく機能していて、とても人気がある。六台の日産ヴァーサから始まったが、二年のうちにそれが九台に増え、そのほかにもホンダ・フィットが二台とサイオンXBが一台、トヨタ・タコマ・ピックアップトラックー台が加わった。

「あなたにとっても、地球にとってもよい」というスローガンを掲げているが、イサカ・カーシェアのサイトでは、どうしてこれが環境によいのかを、次のように説明している。

 *研究によると、カーシェアの車が一台使われることで、一五台の車が運転されずにすむ。

 *カーシェアのメンバーはよく歩き、自転車に乗り、バスを使う。

 *「車の所有という習慣をなくすこと」をしながら、カーシェアは車の使用と化石燃料の使用、温室効果ガスの放出も減らす。

 *カーシェアは交通混雑を減らし、地元の空気をきれいにする。

このほかにも、カーシェアには重要な利点がある。夫と私は、出かける際に、一回でいくつもの用事をすませようと計画を練るようになったし、車を所有しないことで、もっと生活が豊かになってきたことに気づいた。

たとえば、ダンスのイベントに行ったときのことだ。これは音楽とダンスのフェスティバルで、五〇〇〇人もの人々が集まる。せっかく車を使うならと、ふだんなかなか会う機会のない二人の友だちを誘っていっしょに行ったのだ。会場までの四時間の道のりではおしゃべりに興じ、会場ではおいしい食事をいっしょにとって、とても楽しかった。来年も誰かといっしょに車で相乗りをしていこうと、もうすでに計画しているくらいだ。
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本がしっくりこない理由

本がしっくりこない理由

 昨日借りた本はどうも手にしっくりこない。未唯空間で先が見えてきたので、他愛のない本に構っていられなくなったんでしょうか。それならそれでさっさと済ませましょう。

TRC図書館でハロウィン

 豊田市図書館でハロウィーンパーティー! これはTRCが故か? 参加費が高いし、ナースの服は持っていない。

あんこのおはぎしかない

 歩いてえぷろんまでおはぎを買いに行ったけど、奥さんのきなこ、ゴマがなかったので、似ている井村屋の水羊羹にした。奥さんから、どこが似ているのかと言われた。
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