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OCR化した15冊

『専門図書館の役割としごと』

 情報の編集と資料のデジタル化

 情報に付加価値をつける

  活用に値する情報
  データの発生
  データから情報へ、そして知恵へ
  課題解決のための意思決定へ
  情報部門の役割

 書誌情報の編集・加工と情報分析

  抄録の作成

   抄録の目的
   抄録の種類
   抄録作成の留意点

  解題の作成

   解題の作成方法
   解題作成の留意点

  索引・リストの作成

   索引の作成
   索引リストの利用

  パスファインダーの作成
   パスファインダー作成の目的
   パスファインダー作成の留意点

  情報分析による付加価値サービスの提供

   これまでの情報提供
   総合的な情報の提供

 社内情報データベースの構築

  データベース構築のステップ

  データベース化と付加価値

  社内情報データベース活用時の留意点

  分析・解析の対象となる情報源

  分析・解析ツール

   動向
   種類
   特徴

  解析システムを活用したビジネス戦略提案の事例

 資料のデジタル化

  資料管理方法の変遷

  デジタル化の目的

  デジタル化の意義

  デジタル化の方法

『大人のための社会科』

 信頼--社会を支えるベースライン

  「渡る世間に鬼」はいないか

  信頼の低い日本社会

  「安心社会」から脱却できない日本?

  「信頼」とは何か

  新たな信頼社会の構築へ

『コトラーのマーケティング4.0』

 デジタル経済におけるマーケティング4.0

  伝統的マーケティングからデジタル・マーケティングヘの移行

   セグメンテーションとターゲティングから、顧客コミュニティの承認へ
   ブランド・ポジショニングと差別化から、ブランドの個性や規範の明確化へ
   4Pを売り込むことから、4Cを利益につなげることヘ
   顧客サービス・プロセスから、協働による顧客ケアヘ

  伝統的マーケティングとデジタル・マーケティングの統合

  まとめ--デジタル経済の中でマーケティングを再定義する

『ゴミを資源にまちづくり』

 自立する地域経済のために

  まちづくりへの思い

  縮小する日本

  コンビニという過酷な仕事

  富裕層がつくった貧困

  地域内乗数効果

  みやまスマートエネルギー株式会社

  理念を事業にする

  循環のまちづくり研究所

『統計は暴走する』

 他人の空似

  職務怠慢の摘発・注意喚起

  例題 最近の20年間で地球大気内の二酸化炭素は増加を続けているにもかかわらず、気温の上昇は頭打ちになっていることから、二酸化炭素を温暖化の主因とする見方は論理破綻している。

  ヒント パターン認識と相関に惑わされるな

  解答と解説 積極的なデータ・マイニングと消極的なデータ・マイニング

  教訓 地球環境の変化へのマルコフ性は容易に仮定できない

『100人の数学者』

 ガロワ

 リーマン

 デデキント

 クライン

 ルベーグ

 ヴァイル(英語圏ではワイルとも)

 ポントリャーギン

『入門 貧困論』

 貧困者を生まない社会保障は実現できるか--対貧困政策の国際的動向と展望

 求められるベーシックインカム

  現金給付のイノベーション

  ロボットが働く時代の失業--「技術的失業」は加速するか?

  ベーシックインカムによる社会革命

 税制を用いた所得再分配のしくみと課題

  負の所得税

  給付付き税額控除

  参加所得などの条件付き現金給付

  BI導入実験と財源確保

 海外の公的扶助はどうなっているか

  公的扶助の国際比較

  公的扶助の「レジーム論」

  海外の公的扶助とその周辺の「厚い制度群」

 所得とケアを保障する対貧困政策の充実に向けて

  生活保護をベーシックインカムに代える議論の危うさ

  個別的必要に応じる「ケア」はどうするのか

『境界線から考える都市と建築』

 トルコにおけるシリア難民の「統合」について

 シリア難民の概要とトルコでの受け入れ態勢

 シリア難民をめぐるEUとトルコの合意

 頭脳流出を防ぐ試み

『世界はなぜ争うのか』

 アブラハムを始祖とする三つの一神教--歴史的大変動と今日の挑戦

  不動の中核と基盤

  画期的大変化

  今日の挑戦

  普遍的倫理に貢献する三宗教

『大惨事と情報隠蔽』

 ドイツ軍侵攻に備えられなかったソ連赤軍(一九四一年、ソ連)

 侵攻以前の情報隠蔽

 トヨタ大規模リコール問題(二OOO年代、ァメリカ・日本)

 アメリカのシェールガス・オイル開発

『中国はなぜ軍拡を続けるのか』

 「中華民族」という現実逃避

  普遍的価値観から遠ざかるナショナリズム

  「想像の共同体」としての「中華民族」と「漢民族」

  「中華民族」ナショナリズムと排外主義

  ナショナリズムの限界と束縛

『明るく死ぬための哲学』

 私が死ぬということ

 「死」より重要な問題はない

 「無」という名の有

 根源的否定性としての過去

 明るいニヒリズム

『私たち、戦争人間について』

 「価値観の違い」で戦うのか

 トヨタ戦争

 ヒトラーの演説

 「群衆の中の個人は原始人に似ている」

 戦場に行った哲学者たち

 戦争をどう認識するかは人それぞれ

 一筋縄ではいかない「平和」

『帝国の復興と啓蒙の未来』

 イスラーム・コンプレックス

 キリスト教の神の国とイスラームのウンマ

 スンナ派とシーア派の対立の21世紀

『拡大自殺』

 拡大自殺の根底に潜む病理

 自殺願望は反転したサディズム

 自殺と他殺を分けるもの

 内なる〝悪〟の投影

 強い復讐願望

 怒りと被害者意識

 被害者意識が復讐を正当化する
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拡大自殺 被害者意識が復讐を正当化する

『拡大自殺』より 拡大自殺の根底に潜む病理 強い復讐願望

怒りと被害者意識

 復讐願望を抱いている人の胸中には、怒りも煮えたぎっていることが多い。第一章で引用したセネカが見抜いているように、「怒りとは、不正に対して復讐することへの欲望」だからである。

 見逃せないのは、怒りに駆られている人がしばしば「不正に害された」と思い込んでいることだ。大量殺人、自爆テロ、警官による自殺に走る人はもちろん、親子心中や介護心中に走る人も、自分だけが理不尽な目に遭っていると思い込んでいることが少なくない。

 もちろん、本書で取り上げた事例の多くが恵まれない家庭で育ったとか、予期せぬ不幸な出来事に遭遇したとか、何らかの失敗や挫折を経験したとか、経済的に困窮したとか、子育てや介護で疲れ果てたという事情を抱えており、追い詰められた末に犯行に及んだのだろうとは思う。また、筆者自身が同じ境遇に身を置いたわけではないので、その苦悩については推測するしかないという限界もある。

 ただ、中には、客観的に見ると乗り越えられないほどの大きな困難ではなく、別の選択肢もあったはずなのに、拡大自殺を選んだのは一体なぜなのだろうと首をかしげざるを得ない事例もある。

 その一因として、強い被害者意識があるのではないか。何でも被害的に受け止めると、「なぜ自分だけがこんな目に遭わなければならないんだ」と怒りを募らせやすく、当然復讐願望も強くなるからだ。

 問題は、こうした被害者意識が日本で最近強くなっており、「自分だけが割を食っている」と感じている人が年々増加しているように見えることだ。その背景には、個人的な要因だけでなく、社会的な要因もあると考えられる。

 まず、日本の貧困化か進んでいる。何しろ、手取り額が過去二〇年間で月七万円近く減少したのだから。その一因として、「国民総所得に占める家計の賃金・俸給の割合」が、新自由主義路線が世界の潮流になったばかりの一九八〇年度には四六・五%だったのに、二〇一五年度には四〇・五%にまで低下したこともあるのではないか(水野和夫『閉じてゆく帝国と逆説の21世紀経済』)。

 しかも、高齢化の影響で社会保険料が増大している。そのため、収入は減っているのに、負担が重くなっている状況である。当然、エングル係数も高くなっており、出費を削らざるを得ない家庭が増えている。

 たとえば、総務省統計局がまとめている家計調査には、お小遣いを含む「その他の消費支出」という項目があるのだが、一九九七年には九万四五四三円だったのに、その後減少の一途をたどり、二〇一六年には六万一五三三円と二〇年前より三万円近く削られている。衣服代も、二万二六四円から一万三一五三円に減少している。つまり、お小遣いを減らし、衣料品などを買い控えている家庭が多い。生活レペルを下げて我慢を強いられているわけである。

 当然、貯蓄に回す余裕もない。金融広報中央委員会の「家計の金融資産に関する世論調査」によると、一九九七年は一〇%だった「貯蓄なし世帯」は、アベノミクスが本格化した二〇一三年以降、三〇%を超える水準で高止まりしている。いまや、貯蓄のない世帯が三軒に一軒の割合で存在する。

 もっとも、総務省が二〇一七年五月一六日に発表した「家計調査報告(貯蓄・負債編)」によれば、二人以上の世帯における二〇一六年の一世帯当たり平均貯蓄額は、一八二〇万円だった。この数字に衝撃を受けた方が少なくないようだが、実は約三分の二の世帯がこの平均値を下回っていた。また、年齢階級別に見ると、七〇歳以上の世帯の純貯蓄額(貯蓄残高から負債を差し引いたもの)が二三五六万円と最も多かったのに対して、四〇歳未満の世帯では負債超過だった。しかも、四〇歳未満の世帯の平均貯蓄額は前年から五・六%減少して、五七四万円だったという。

 このような数字をみると、たんまり貯め込んでいる高齢者がいる一方で、若年層が割を食っているという印象を受けるが、経済的に困窮している高齢者も少なくない。第一章で紹介したように、高齢者が赤の他人を道連れにして拡大自殺を図る事件が最近目立つが、その背景に、「下流老人」という言葉に象徴される貧困にあえぐ高齢者の増加があることは否定しがたい。厚生労働省の調査でも、全国の生活保護受給世帯のうち六五歳以上の高齢者世帯が過半数を占めていることが判明している。

 もちろん、若年層の中にも高学歴・高収入のエリートはいる。逆に、パート・アルバイト、契約・派遣社員などの非正規労働者は、いまや全労働者の四割近くを占めているが、その七割が年収二〇〇万円に届かないことが、連合などのアンケートでわかっている。年収が低いせいで、結婚をあきらめたり、食事の回数を減らしたり、医者にかかれなかったりという話を耳にすることもある。

 要は、日本人がみな一様に貧しくなっているわけではないことだ。少数の大金持ちがいる一方で、食べていくだけで精一杯の貧乏人もいる。格差が拡大して、「一億総中流時代」と呼ばれていた頃の「平等幻想」はもはや崩壊してしまったのだ。

 また、お互いに自分こそ被害者だと思い込んでいる人が少なくない。たとえば、若者が、年金をたっぷりもらっている高齢者の犠牲になっていると感じているのに対して、高齢者は、長年真面目に年金を納め続けた割には支給額が少ないと感じている。あるいは、非正規社員が「正社員は高い給料をもらっているのに、ろくに働かず、面倒な仕事は全部われわれ非正規に押しつけている」と不満を漏らす一方、正社員は「非正規社員は、残業もしないし、仕事の責任も取らないから、ミスがあったら結局われわれ正社員が尻拭いするしかない」と愚痴をこぼす。どちらの言い分か正しいかはさておき、それぞれの立場でみんなが不満を募らせているのが、現在の日本社会である。

 さらに、小泉政権以降広がってきた自己責任論も見逃せない。被害者意識の強い人の増加と自己責任論は、一見相反するように見えるかもしれないが、両者は表裏一体である。自己責任論が幅を利かせるほど、被害者意識の強い人は増える。

 というのも、自己責任論は、ある意味過酷だからだ。自己責任論を突き詰めると、うまくいかないのはすべて自分のせいということになるが、それを認めるのは非常につらい。何よりも、自己愛が傷つく。だから、強い自己愛の持ち主ほど、自己責任を否認して、「自分に能力がないわけでも、努力が足りないわけでもなく、○○のせいでこうなった。自分はあくまでも被害者なのだ」と思い込もうとする。したがって、社会が自己責任を強く求めるほど、他人のせいにして保身を図る人、つまり被害者意識の強い人が増えるわけである。

被害者意識が復讐を正当化する

 このように被害者意識が強くなると、「自分はこんな理不尽な目に遭っている被害者なのだから、〈加害者〉に復讐するのは当然だ」と思い込む人が増える。ここでいう〈加害者〉とは、本人が主観的にそう思い込んでいるだけで、客観的に見ると的はずれなことも少なくない。

 たとえば、自分の生活が苦しいのは在日韓国人が生活保護を不正受給しているせいだと、何の根拠もないのに思い込んだ人が、在日韓国人を〈加害者〉とみなしてヘイトスピーチを繰り返すような場合である。

 こうした主観と客観のずれは、被害者意識が強くなるほど大きくなり、ときには被害妄想の域に入ることさえあるが、当の本人は気づいていない場合がほとんどだ。それどころか、被害者意識をよりどころにして、自分はあくまでも「正義の鉄槌」を加えようとしているのだと思い込み、〈加害者〉への復讐を正当化しようとする。

 イギリスの哲学者、ジョン・スチュアート・ミルが「功利主義論」で、「正義の心情には、二つの本質的な要素がある。加害者を罰したいという欲求と、一人またはそれ以上のはっきりした被害者がいるという知識または確信である」と述べているように、被害者意識が強くなるほど、〈加害者〉を罰したいという欲求も、自分の正しさへの確信も強まる。

 被害者意識が強くなっている日本で、絶望感と厭世観にさいなまれた人が、「自分の人生がうまくいかなかったのは、これこれの〈加害者〉のせいだ」と思い込んで、〈加害者〉を罰して復讐を果たし、なおかつ自らの人生に終止符を打とうとする拡大自殺がますます増えるのではないかと危惧せずにはいられない。
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スンナ派とシーア派の対立の21世紀

『帝国の復興と啓蒙の未来』より

イスラーム史においてシーア派の全盛期は10~11世紀にかけてであった。10世紀後半にはエジプトを本拠とするシーア派イスマーイール派のファーティマ朝がエルサレムやマッカ、マディーナの両聖地を支配下におさめ、またイランに生まれた12イマーム派のブワイフ朝が945年にバグダードに入場し、アッバース朝カリフから大アミールに任命され政治の実権を握った。

スンナ派が勢力を回復するのは1055年にセルジューク朝がバグダードを取り戻し1062年にブワイフ朝を滅ぼしてからであり、ファーティマ朝も12世紀には弱体化し1171年にはアイューブ朝を建てたサラディンによって滅ぼされる。

以後、1501年にタブリーズを首都に建国したサファヴィー朝が12イマーム派を国教に定めて以降、イランは住民の大多数がシーア派に改宗し、従来のレバノンや南部のシーア派の聖地ナジャフ、カルバラーに加え、イランのコム、マシュハドがシーア派の学問の中心になる。16世紀には中東のオスマン帝国、サファヴィー朝イラン帝国、インドのムガール帝国が鼎立することになり、現在のスンナ派とシーア派の政治、人口布置はほぼとの時代の状況を踏襲している。サファヴィー朝の創設者イスマーイール1世(1524年没)とオスマン朝のセリム1世が戦った1514年のチャルディランの戦いでセリム1世(1520年没)が勝利したことで、バグダードとシーア派の聖地ナジャフ、カルバラーはオスマン帝国の支配地となったが、オスマン帝国の滅亡後はイラク領となった。つまりシーア派が人口の多数派を占め政治的実権を握るのはイランのみであり、その他の地域ではスンナ派が多数派であり、シーア派は抑圧された少数派として存在していたのである。

既に述べたように20世紀のイスラーム世界の最大の対立軸は、イスラーム世界全域で抗争を繰り広げられるワッハーブ派を中心とするサラフィー主義者とスンナ派伝統主義者との間、スンナ派内部の内部対立にあった。ところが21世紀になると対立軸はスンナ派内部対立からスンナ派とシーア派の宗派閥対立にシフトすることになる。

シーア派にとっての最大の政治的転機は、思いもかけないところからやってきた。2003年、アメリカが指導する有志連合軍が大量破壊兵器の隠匿を口実にイラクに侵攻し、イラン・イラク戦争以来のイランの宿敵サダム・フセイン政権を崩壊させたのである。

バアス党(アラブ社会主義)のサダム・フセイン(元イラク大統領2006年没)は元来世俗主義者でありイスラームの教義には無関心であったが自らと同じエスニックなスンナ派を優遇しており、特にイラン革命の影響を受け南部のシーア派住民の間で反政府運動が高まり、湾岸戦争で多国籍軍に呼応して南部のシーア派が蜂起した後は、スンナ派色を強めていた。それゆえサダム・フセイン政権を倒したアメリカが2004年に主権を連合国暫定占領統治局からイラクに移譲し傀儡暫定政権を樹立した時、サダム・フセインとバアス党の独裁政権を追放したアメリカが頼れる政治勢力は、サダム・フセイン政権時代に海外に亡命し反体制運動を行っていたダウワ党や、イラク・イスラーム革命最高評議会など、イランの息がかかったシーア派の宗教政党の政治家しかいなかったのである。こうして漁夫の利を得たイラクのシーア派は、労せずして政権と、国際社会からの膨大な復興援助とを手に入れることになった。

イラクでシーア派が政権を握ったことは決定的な意味を持つ。シーア派が住民の多数派を占めるのみならず、政権を握る国家がイラン以外に生まれたのは、領域国民国家システムの誕生以来初めてであるばかりでなく、アッバース朝の首都であり、イスラーム世界の中核都市の一つバグダードがシーア派の政治的支配の下に置かれたのは、サーマーン朝がセルジューク朝に追われて以来であった。またイランのコムだけでなく、シーア派の聖地であり、シーア派イスラーム学の中心地でもあるイラクのナジャフとカルバラーがシーア派の支配に入ったことは、政治的弾圧を恐れることなく、シーア派がその教義を実践し発展させる自由を得たことを意味するからである。

一方、イラクの隣国シリアは、同じバアス党でありながら、サダム・フセイン元大統領とハーフィズ・アサド前大統領(2000年没)の確執から、イラン・イラク戦争ではイランを支援した。「異端」アラウィー(ヌサィリ-)派を出自とするシリアのアサド政権は、イラン支持の見返りに、イランの12イマーム派からアラウィー派が12イマーム派に属するとの認証を取り付けることができた。2011年、「アラブの春」がシリアに波及すると軍事的に劣勢に立だされたバッシャール・アサド政権はレバノンのヒズブッラー、イランの革命防衛隊への依存を深めていった。また「アラブの春」の余波で2011年にバーレーンでシーア派住民が反体制デモを起こすと、危機感に駆られたGCCは合同軍「半島の盾」を派遣してデモを力づくで鎮圧した。

イラクでは、歴代シーア派政権はスンナ派を権力から排除しただけでなく、アメリカにならったテロ対策の口実の下に、サダム・フセイン政権のシーア派弾圧への報復としてスンナ派住民を不当に拘束、暴行、殺害し、土地、家屋、財産を奪うなどの悪政を行っていた。その結果としてスンナ派の不満を背景に、2014年にはサラフィー・ジハード主義組織「イラクのアルカーイダ」から分派した「イラクとシリアのイスラーム国」がイラク第二の都市モスルを攻略し、シリアとイラクの国境の大半を支配下に置くとサイクス・ピコ協定を無効化し「イスラーム国」と改称し、指導者アブー・バクル・バグダとアィーをカリフに推戴し、カリフ制の復活を宣言することになった。「イスラーム国」の攻勢に対し為す術のないイラク政府は欧米に軍事財政支援を求めると同時に、シーア派民兵組織、イラン革命防衛隊への依存を強めることになった。

しかしイランの影響によるシーア派の伸長を決定づけた出来事は、2015年にイラン革命の影響を受けたイエメンのシーア派ザイド派の一派のフーシー派が首都サナアを攻略しハーディー大統領を追放し、ついで南部のアデンまで侵攻したことである。

これに対してサウジアラビアを中心とするスンナ派諸国は有志連合を組織しフーシー派に激しい攻撃を加えると同時に、イランの脅威に対抗してアラブ連盟の合同軍を創設すること決議した。

イラン・イスラム共和国を中心とするシーア派とスンナ派との中東における政治的対立は、シリア、イラク、イエメンが宗派間の武力抗争の戦場となることで決定的になったが、21世紀のスンナ派とシーア派の対立の深刻さはそれが政治の領域にとどまらないことにある。

パキスタンやアフガニスタンのように伝統的にスンナ派とシーア派のコミュニティーが混在し散発的抗争が常態であった地域ではなく、2012年以降、エジプトやインドネシアやナイジェリアのように従来シーア派がほとんど存在しなかった国々でもシーア派(12ィマーム派)の宣教が行われてスンナ派住民がシーア派に改宗することで、シーア派とスンナ派の間に軋蝶が生じ流血の抗争にまで発展しているのが、21世紀のスンナ派とシーア派の宗派閥抗争の特徴である。

伝統的にスンナ派4法学派は、教友、特に正統カリフ初代アブー・バクルと第2代ウマルを誹誇するシーア派を敵視してきたことは疑念の余地はないが、異端の背教者とまでみなすか否かについては学説が分かれており、サラフィー主義者、ワッハーブ派を除き、概して教友の誹誇問題から目を逸らし「寛容」に放置してきた。

ところが、近年になって、アラブ世界のスンナ派伝統派の牙城と目されるエジプトのアズハルまでもがシーア派を異端宣告し、反シーア派キャンペーンを繰り広げるようになり、その動きはマレーシアやインドネシアなど東南アジアのムスリム諸国にまで広がっている。

シーア派は、イマーム不在期にはイマームの代理人としてのイスラーム法学者の指導下に纏まるとの「イスラーム法学者の権威(ウィラーヤ・ファキーフ)」論を国是とするイランーイスラム共和国を中心に教勢を拡大してきた。スンナ派が、スンナ派法学が定める唯一の合法政体であるカリフ制再興の義務を蔑ろにし、シーア派の脅威を言い立てるばかりで、私利私欲に基づき野合するのみの現状から抜け出さない限り、スンナ派とシーア派が歴史的な敵対的共存の均衡関係を取り戻すことは難しいように思われる。
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私のために作られたスマホにどう応えるか

未唯宇宙をどう表現するか

 未唯宇宙、どのように表現するか、どう作るか、それによって何を表わすのか。

 それと本棚システムのオープン。人類が生き残るために必要なシステム、それが本棚システムです。

私のために作られたスマホにどう応えるか

 私のためにスマホができて、アプリが作られた。それに私が応えられるか。何を期待されているのか。まず、一番はスケジュール管理でしょう。

哲学で言うところの“今”

 哲学で言うところの“今”というのは、TVを見ているとき、ゲームをしているとき、スマホをしているとき、それが今なのか。

 “今”を感じているときが“今”なんでしょう。そう考えるとほとんどが“今”ではない。

お金がない

 あと5日間もあるのに、3千円では暮らしていくのは無理さんでしょう。
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