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「中華民族」ナショナリズムの限界と束縛

『中国はなぜ軍拡を続けるのか』より 「中華民族」という現実逃避 「中華民族」ナショナリズムと排外主義

「中華民族」の求心力

 ここ数年の度重なる「反日」デモをみれば、排外的・全体主義的傾向の強い昨今の「中華民族」ナショナリズムは中国社会に深く根を張ったかのようにみえる。しかし、いくら「中華民族」のエスニック性・原初性を強調しても、社会的平等をある程度実現できなければ、「中華民族」という「想像の共同体」は、大多数の民衆にとっては安寧の地とは成りえないだろう。

 歴史的にみれば、ネイションというものは、一定程度の平等性・公共性に裏打ちされていなければ、強力な求心力・凝集性を発揮できない。そして、今日の中国は、政治的にも、法的にも、経済的にも、文化的にも、平等性が著しく不足している。

 このような「極端な不平等」は、中国社会において公共性に関する意識がなかなか発達しないことの一因となっている。また、「極端な不平等」という環境下では、政権側がどんなに文化や外敵の共有を社会に対して強調しても(「上からのナショナリズム」)、その効果には限界がある。特に義務教育の崩壊が目立つようになっている農村部や、現体制から抑圧されているチペットやウイグルなどのエスニック・マイノリティーに対する「上からのナショナリズム」の浸透の度合いは決して高いとはいえない。

 ナショナリズムと「民主化」要求とは、本来であれば矛盾する概念ではなく、中国ではネイション意識を育む傾向の強い知識エリートこそが、「民主化」要求運動の主力および予備軍を形成してきた。

 共産党は、ネイション意識・愛国心・公共精神に富む知識エリートと良好な関係を維持し、理想的には完全なる吸収・一体化を図りたいが、独裁をどうしても放棄したくない。それゆえに愛国心の塊のような大学生たちが天安門広場に集まって「民主化」要求をした時には、これを暴力で黙らせた。また、この天安門事件をきっかけとして、ナショナリズムのコンテンツの差し替え、つまり普遍的価値観にもとづくナショナリズムから文化的フィクションに依拠したナショナリズムヘの転換を図り、なんとか「民主化」要求につながらないネイション意識の普及につとめようとしている。

 ところが、そうした新たなナショナリズムに染まって「反日」デモを企画したり、それに参加したりする民衆が中国各地で増加する一方で、「民主化」要求の火種そのものは消えていない。近年中東で顕在化した「アラブの春」と呼ばれる反独裁の動きに呼応しようとする中国国内の動き(「新公民運動」)も小規模ながらみられた。また、香港を舞台とした「民主化」要求運動も、絶望的な環境に屈することなくしぶとく続いている。

 「日本軍国主義」の脅威が繰り返し強調される愛国主義教育を長年受けてきたのにもかかわらず、自発的に日本に留学する道を選ぶ学生も後を絶たない。日本で学ぶ十万人前後の中国人留学生の存在は、外敵としての日本というイメージを強調する愛国主義教育運動が、かならずしも全ての若い世代の思考と心情を支配できていないことを物語っている。筆者の中国政治のゼミにもこうした留学生か集まってくる。

 また、愛国主義教育運動が展開されるようになったこの一一十数年間、群体性事件は大幅に増加し、社会は混迷の様相を強めている。外敵の存在を強調するナショナリズムの発揚は、中国社会における日本や米国のイメージ悪化には貢献しているものの、国内に充満するフラストレーションを緩和する特効薬になっているわけではない。

 共産党が「中国固有の伝統文化」に根付いたナショナリズムを強調している傍らで、キリスト教の非合法的「地下教会」が増え続け、いまや中国のキリスト教徒は一説によれば一億人を超えているという状況も注目に値する。

 読者のなかには、本書をここまで読み進めて、筆者が「軍拡」からだいぶ外れた議論をしているという印象を持つ方もいらっしゃるかもしれない。しかし、中国のこうした側面を把握していなければ、なぜ中国において大規模な軍隊と準軍事組織が維持されなければならないのかという問題の最も根本的な背景を見落とすことになる。

 中国は、一見強大な国にみえるが、実はまとまりに乏しい。前述したように、孫文は、中国の民衆を「バラバラの砂」と表現し、中国の民衆をまとめるために、「民権主義」(民主主義と同義語)・「民族主義」(ナショナリズム)・「民生主義」(格差是正と福利厚生の充実)が必要であると説いた。また、彼は、中国の政治的統一を達成するうえで軍隊の役割を重視し、政党直属の軍隊、すなわち「党軍」の建設に中国で最初に着手した。

 孫文の視座にもとづいていえば、現在の中国には実質的に「民権主義」が欠落しており、「民生主義」も極めて不充分であるため、中国をまとめるうえで「民族主義」と「党軍」への依存度が必然的に高まる。しかし、国内住民の大半が主権へのアクセスを望めない状態における「民族主義」の発揚は、約十四億の民衆をまとめるうえで効果的な処方箋になっているとはいいがたい。

排外主義と外交の硬直化

 「民権主義」の伸長、すなわち「民主化」は、一見効果的な処方箋のようにみえる。しかし、十四億もの人間からなる集団にそれを投与した場合、それはかえって分裂と混乱に拍車をかける毒となるおそれがある。だから、共産党は「民主化」という劇薬をなかなか飲むことができず、その代わりに、愛国主義教育運動という細胞の移植手術を繰り返して、なんとか中国社会に「反体制」という名の癌が蔓延しないようにつとめているように見受けられる。

 これによって中国国内の言論空間では、神話にもとづく自民族優位主義や排外主義が存在感を増している。しかし、自民族の優位性の強調や排外的感情の扇動が安定した統治を実現するための効果的な処方箋となりえないことは、日本の過去の経験に照らしても明らかであろう。一九三〇年代に日本が普遍的価値観や国際協調に背を向け、狭院な自民族優位主義や排外主義に傾いた結果は、破滅的なものであった。

 今日の中国にもそうした兆候をみいだすことができる。すなわち統治権力が社会統合を促進するために、意図的に排外主義と自民族優位主義を喚起することによって世論を操作しようとしたが、排外的となった世論に統治権力の方が束縛されてしまい、国際社会との協調が難しくなるというディレンマが今日の中国で表面化している。

 日本は、かつてそうしたディレンマを克服できなかった結果として第二次世界大戦に突入した。そして、敗戦によって普遍的価値観を強く意識した「主権在民」の国家体制へと移行し、民間社会に対する国家の求心力が高まるようになった(国家権力と民間社会の間の摩擦がなくなったわけではない)。それゆえに、戦後の日本では、国家が社会統合を促進するために文化にもとづく優越心や合理性を欠いた排外的情念を率先して煽る必要性が低減したといえよう。

 一方、中国ではいまだに「主権在民」が実質的に確立されておらず、ネイション・ステイトという枠組み自体は存在するものの、これまで述べてきたように、社会の平等性に重大な欠陥を抱えており、それを主要因として国家に対して常に一定の遠心力がかかっている状態が続いている。このため、国家権力(執政党)が求心力向上のために排外主義を煽るという悪習から脱却することができない。

 共産党が排外的ナショナリズムに依存する限り、国内の民衆の面前で外に向けてファイティング・ポーズをとらねばならなくなる。そして、これが日本を含めた周辺諸国との関係を歪めていき、そこから生じる外交摩擦がさらに排外的心情を燃え上がらせることになる。

 実際、ここ数年来、中国の外交当局は、周辺国に対して妥協こ讃歩をすることが極めて困難な状況に陥っている。たとえば、尖閣諸島問題を日中間の懸案リストから外すべく、二〇〇八年半ばに日中両政府が東シナ海における海底資源の共同開発に関して合意をしても、中国国内において政府機関や研究者も参加する形で世論が猛烈に反発したため、結局それを実行することができないという問題が現実に発生している。

 その後の展開は、多くの読者も御存知のとおりであり、尖閣諸島問題をめぐって日中は対立の度合いを深めることとなった。まさにそうした事態を未然に回避するために、日本政府と当時の胡錦濤政権は海洋資源の共同開発というワクチンを発明したのであるが、なんと中国世論がその接種を拒否してしまったのだから、手の施しようがない。

 中国外交部は、長年、共同開発に関して水面下で日本政府と交渉を続けていたものの、中国国内では海洋法をめぐる日本政府の立場を過激な言論を用いて批判し、ファイティング・ポーズをとり続けた。外交部の対日批判には、日本政府が国際法、戦後国際秩序、そして中国の主権に挑戦しているという扇動的な内容のものが実に多く含まれている。このため、いざ日本政府との間で国際法に則したフェアな合意に達しても、中国国内で前向きな反応が生まれず、逆に「日清戦争に敗北した時の下関条約以来の屈辱だ」などという極めて屈折した批判がネット言論を中心に噴出することとなった。

 こうした由々しき事態は、もはや日中関係の枠内にとどまらない。二〇一六年七月、ハーグの常設仲裁裁判所は、南シナ海をめぐる問題について判断を示し、そのなかで中国政府の南シナ海に対する主張に国際法的根拠が全くないということを明らかにした。これに対して、中国政府は、南シナ海問題で激高していた世論を仲裁裁判所の判断に依拠してなだめようとするのではなく、裁判所の判断を「紙くず」として無視する立場を宣言した。つまり、中国共産党は、自らが成長させた排外的ナショナリズムに圧倒されて、周辺諸国のみならず国際法との対立も余儀なくされているのである。

 中国の場合、共産党が新聞・雑誌・テレビ・ラジオといったマス・メディアを牛耳っているため、これらのマス・メディアが社会の声を政府にぶつけるという役割を充分にはたせていない。このため、共産党による管理がまだ完璧ではないネット空間での言論が社会で注目され、影響力を拡大している。

 また、共産党自身、新聞こ箱誌・テレビ・ラジオをほぼ完全に飼い馴らしてしまったため、社会の動静をうかがうためにネット言論に目を向けねばならなくなっている。したがって、ネット空間における言説は、デマも含めて、新聞やテレビの報道によって相対化されないまま社会に拡散しやすく、また政策決定現場にも直に伝わりやすい。

 共産党は、マス・メディアの健全な発展を阻害してきたため、世論の動向をはかるうえで、ネット言論に依存せねばならなくなった。そして、そのネット空間では、まさに共産党自身が奨励してきた自民族優位主義や排外主義の空気が充満している。それを目の当たりにして共産党は、対外協調に二の足を踏むようになっている。

 このようにして、自らが撒いた排外主義の種から大きなツタが生えて協調外交をがんじがらめにしつつあるなかで、近年の共産党は、独自の「党軍」を威嚇手段として用いて周辺国に譲歩を迫るという姿勢を強めている。すなわち自己を改めるのではなく、他者(周辺国との既存の国際秩序)を改めさせようとする傾向が顕在化している。

 外敵の存在を強調するナショナリズムは、一見、民衆を鳩合するうえで便利な手段にみえる。しかし、それによって民衆の目を外に向け、普遍的価値観に根ざした改革を先延ばしにしても、独裁に起因する国内矛盾そのものは解消されないまま蓄積し続けるため、国内から政権にかかる圧力は膨張していく。また、それは、社会において非常にネガティヴな対外認識をひろめるために、中国の発展に必要な周辺諸国との良好な関係の維持を難しくし、国外から政権にかかる圧力の増大をも招く。

 現実逃避をした先に桃源郷はないのである。
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アメリカのシェールガス・オイル開発 水圧破砕の環境への影響 進行中の情報隠蔽

『大惨事と情報隠蔽』より アメリカのシェールガス・オイル開発 非在来型ガス・オイル採掘の経済性と原油価格

アメリカのシェールガス・オイル開発 進行中の情報隠蔽

水圧破砕の環境への影響

 一九九〇年代末から二〇〇〇年代初め、油田開発サービス大手のハリバートンは、水圧破砕の技術をもとにシェール層から天然ガスと原油を採取する方法をさらに進化させた。当時のCEOはディック・チェイニーだった。チェイニーは一九九五年から二〇〇〇年までハリバートンのCEOを務め、その後、二〇〇一年から二〇〇九年まで、ジョージ・W・ブッシュ政権で二期にわたって副大統領を務めた(ちなみに、それ以前の一九八九年から一九九三年のブッシュ(父)政権では国防長官を務め、任期中の一九九〇年から九一年に湾岸戦争があった)。チェイニーは八年間の副大統領の任期中、NEPDG(国家エネルギー政策策定グループ)というエネルギー・タスクフォースを組織し、非在来型のガスやオイルの国内開発を促進した。要するに、チェイニーはハリバートン時代にCEOとして水圧破砕の技術を大きく進歩させ、副大統領になってからはその技術を駆使してシェール開発を推進したのである。

 チェイニーが創設したNEPDGは、二〇〇一年の報告書で水圧破砕法について次のように記している。「この技術は、ガス井の生産性を高めるために使用する一般的な方法である。ガス井を刺激することで、岩石に閉じ込められたガスをより多く採取できるようにするのだ。つまり、流体およびプロパントと呼ばれる物質(砂を使うことが多い)を注入してシェール層に亀裂を入れ、岩石の亀裂を自然に広げてガスを通りやすくしてやるのである。この水圧破砕によって、ガスの流出率が二〇倍も増大するシェール層もあるだろうとされている」

 だが報告書は肝心な点を述べていない。水圧破砕で使う水には、ガスを効率よく亀裂に通すため、五〇〇種類もの化学物質が加えられているのである。報告書の内容を多少補足すると、水圧破砕法とは水と化学物質を混ぜた流体を非常に高い圧力(九二〇気圧/一万三五〇〇psi)でシェール層に注入し、それによって地下四〇〇メートルから五二〇〇メートルのシェール層に亀裂を入れて、ガスを表面に出てきやすくするというものになる。そうして亀裂を作ったあと、プロパント(前述のように一般的に砂が使われる)を使って亀裂が閉じないように固定し、ガスが放出されつづけるようにするのである。

 水圧破砕時に注入される流体の成分は九九・五パーセントが水と砂だが、少量とはいえ加えられている化学物質(ハリバートンが考案し今も企業秘密とされている)は非常に環境に悪い。そのうちのいくつかは人体にも環境にも大きな害を及ぼすことが認められている。たとえば、エチレングリコールは腎臓を損なう可能性があり、ホルムアルデヒドはがんを誘発する物質として知られている。またナフタレンも発がん性が疑われている。

 またNEPDGの報告書には、水圧破砕が大量の水を消費することにも言及がない。コーネル大学の水圧破砕の専門家、アンソニー・イングラフィー教授によると、シェールガス田での天然ガス生産に必要な水量は、場合によっては従来のガス田で必要とされる水量の五〇倍から一〇〇倍以上にもなるという。消費される水量はシェール層によるが、たとえばテキサス州の典型的なシェールガス井の場合、複数回行われる水圧破砕で必要な水量は二万三〇〇〇トンである(一つのシェールガス井でのガス採取には約二〇回の水圧破砕がなされる)。これに対して、従来型のカリフォルニア州のガス田の場合は、約三〇〇トンから一〇〇〇トンですむ。ちなみに、シェール層は地層圧力が弱いため、最初の採掘だけでなくその後の数年間も生産性を高めるために水圧破砕が必要となるが、右の数字にはあとから使用される水量は含まれていない。

 もはやそれほど驚きはないだろうが、水圧破砕はアメリカの厳格な環境汚染基準に明らかに違反していた。当時副大統領だったチェイニーは、二〇〇五年のエネルギー政策法の規制事項から水圧破砕時の流体とシェール坑井による大気汚染の項目が除外されるよう、いくつかの条項を修正する方向で動いたという。アメリカ政府がシェール開発に関する環境規制を緩和した時期と、エネルギー資源価格が上昇した時期とが重なっているのは注目すべきことだろう。これはつまり、原油や天然ガスの価格が値上がりし、シェール開発の採算がとれるようになったとき、規制が緩和されたということを意味している。実際、二〇〇五年の原油価格は年間平均で一バレル当たり五四ドルという高水準であり、天然ガスも井戸元価格の年間平均で一〇○○立方メートル当たり二五五ドルを超えていた。こうしてエネルギー資源の価格上昇と環境規制の緩和を受け、アメリカでは二〇〇五年から二〇一三年にかけて、三一のシェールガス埋蔵エリアで八万二〇〇〇以上の坑井が掘削された。それと同時に、約一〇億トンの水が汚染され、一四〇〇平方キロメートル以上の土地が損害を受けた。

 水圧破砕の環境への影響は、化学物質による水質汚染のために大量の水資源が向こう数百年にわたって使えなくなることだけにとどまらない。シェールガスやシェールオイルの生産終了後しばらくしてから周辺地域が汚染される可能性もあり、これも大きな問題となっている。原因としては、生産が終了して坑井をふさぐ際、坑井壁のセメンティング作業に不備があったり、坑井閉鎖後数十年のあいだにスチール材が腐食し、坑井の状態が劣化するといったことが考えられる。

 これについてはまず、先例として過去の油田やガス田の状況を引いておきたい。一九九二年の米環境保護庁(EPA)の報告によると、当時アメリカでは約一二○万の従来型の油田やガス田が閉鎖されていたが、。そのうちの二〇万、つまり全体の約一六パーセントがきちんとふさがれていなかった。なかには周辺の環境を汚染していたものもあったという。それでも、これらの油田やガス田はシェール坑井に比べれば使用していた水量ははるかに少なかった。二〇〇三年のシュルンベルジェ・オイルフィールド・レビューはこう記す。「初期のガス井以来、石油・ガス業界では炭化水素の地表への流出が制御できないという問題にずっと直面してきた。(中略)これは世界の多くの資源埋蔵地域で坑井がもたらす重大な問題だ」

 では、シェール坑井の状況はどうか。ペンシルペニア州の統計では、二〇〇九年から二〇一一年にかけて掘削された新たなシェール坑井のうち、約六パーセントから七パーセントが構造的に完全な状態ではなかったという結果が示されている。米会計検査院は次のように述べる。

 「水圧破砕の流体が飲料水用の帯水層に直接混入するという事態は起きにくいだろう。というのも、一般に作業は地下六〇〇〇フィート〔約一八〇〇メートル〕から一万フィート〔約三〇〇〇メートル〕の深さで行われるのに対し、地下水脈は地下一〇〇〇フィート〔約三〇〇メートル〕のところにあるからである。

 (中略)シェール層への亀裂はほぼ垂直に入り、それから数百フィート横に伸びて、構造や強度の異なる別の岩にぶつかる前に止まる。(中略)たとえば、オクラホマ州のウッドフォード・シェールガス田の場合、二〇〇以上の亀裂を調べたところ、帯水層と標準的な亀裂の位置は七五〇〇フィート〔約二三〇〇メートル〕離れており、もっとも帯水層に近いものでも四〇〇〇フィート〔約一二○○メートル〕の距離があった。テキサス州のバーネット・シェールガス田の三〇〇〇の亀裂の場合も、帯水層と標準的な亀裂の距離は四八〇〇フィート〔約一五〇〇メートル〕あり、もっとも帯水層に近いものでも二八〇〇フィート〔約八五〇メートル〕は離れていた。だがそれでも、地下でガスや化学物質が漏れだして水質が汚染されるリスクはある。地下で漏れが起きると考えられるのは、坑井のケーシングやセメンティング作業が不適切だった場合、人工的に作られた亀裂が元からあったひびや断層と交差して亀裂が誘発される場合、枯渇した坑井や閉鎖された坑井がきちんとふさがれなかった場合などである。加えて、誘発されてできた亀裂が時を経て大きくなり、帯水層まで達する可能性も危惧される。(中略)また環状の坑井壁のケーシングの際、セメントの注入が不適切だったり、セメントに効果がなかったりする場合は、高圧力に耐えきれず割れたり壊れたりすることもあるだろう。ケーシングとセメンティング作業自体は、従来のガス田や油田でも行われているものだが、水圧破砕が用いられる非在来型の坑井には、従来型の坑井にはない特徴がある。たとえば、一度の採取のために破砕が何度も実施されるため高圧にさらされる期間が長期にわたる点である。さらに、生産量が大幅に落ちたり、生産量が推定埋蔵量より少なかったりしたときも、主に坑井の経済的寿命を伸ばすため、新たな破砕が行われうる」

 たいていの場合、平均的なシェールガス井には二五年間の保全保証期間があるが、この期間が過ぎたあと何か起きるのかは誰にもわからない。過去に注入された化学物質入りの水が漏れだしたり、あるいは逆流したりするかもしれない。また、閉鎖された坑井の古いパイプからメタンガスが漏れるかもしれない。実際、研究によると、地下にはひび割れや長く伸びた断層が存在するため、汚染物質は長時間かけて分散するらしい。堆積物が複雑に分布していること、地層ごとに水圧的特性が大きく違うこと、この二点が合わさると、汚染物質が通りやすい道と汚染物質が停滞する部分が混在するようになる。そしてその混在のせいで、汚染物質は変則的な移動をすることになるという。たとえば、ミシシッピ州のコロンブス空軍基地で行われた野外での広域分散実験では、汚染物質は主な分散から相当期間を経たあとも長い時間かけて到着しつづけることが示された。そこでは他の多くの実験や理論モデルと合わせ、ある一定の時間スケールで到着する汚染物質の量が減衰していくという見解にはあまり根拠がないのではないかと推定されている。要するに、汚染物質は何十年、何百年にわたって漏れる可能性があるのである。

 また、多くの独立研究やシェール埋蔵エリアの地域住民からの報告、土地所有者の証言によると、水圧破砕法は地下深くに水を注入するときだけでなく、使用した水を回収するときにも水源を汚染するという。水を逆流させるときに、化学物質やメタンガスが飲料水の水源に漏れだすのである。

 水質汚染に加え、メタンガスの漏洩による大気汚染も問題とされている。二〇一二年二月には、米大洋大気庁とコロラド大学ボルダー校が調査を実施し、デンバー近郊のシェールガス田で産出されたメタンガス(天然ガス)のうち四八Iセントが大気中に放出されていることが判明した。アメリカ地球物理学連合の報告によると、ユタ州のユインタ盆地では全生産量の九パーセントというさらに多量のメタンガスの漏れがあったという。対して、米環境保護庁(EPA)は二〇〇九年の全天然ガス生産量のうち漏洩したのは、二・四パーセントであるとした。研究によっては、メタンガス放出が地球温暖化に及ぼす相対的な影響は、二酸化炭素の七二倍に上るともいわれている。また次のような見解もある。「平均的なシェールガス田は生産終了まで、総生産量の三・六から七・九パーセントのメタンガスを大気中に放出する。従来のガス田のメタン放出量が一・七から六八Iセントと推定されることからすると、シェールガス田のメタン放出量は、少なくともこれまでのガス田に比べ三〇パーセント多い。場合によっては二倍以上だと思われる」
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ドイツ軍侵攻以前のソ連赤軍の情報隠蔽

『大惨事と情報隠蔽』より

冬戦争での戦死者数の歪曲

 大粛清の一方で、赤軍の近代化計画は精力的に進められていた。たとえば一九二〇年代には所有する戦車はわずか八〇輛、軍用機はヨーロッパから輸入したものが一三九四機という状態だったが、一九四一年には戦車は二万輛、軍用機は国内で設計、生産したものが二万二〇〇〇機にまで増大していた。どれだけ飛躍的な進歩をとげたかがわかるだろう。

 この近代化の成果を実戦で試すべく、一九三九年一一月、ソ連はフィンランドに侵攻した。いわゆる冬戦争である。フィンランドはかつて一八〇九年から一九一七年までロシア帝国の領土だったが、ロシアが革命で混乱しているあいだに独立を宣言していた。ソ連はこれを再び領土にしようと目論んだのだ。スターリンも軍の新執行部も、高度に近代化された装備をもってすれば勝利は間違いないと確信していた。ヴォロシーロフはフィンランド侵攻前、スターリンにこう報告している。「(軍事作戦の成功に向けて)万事順調、万事良好、準備は万全であります」

 しかし、予想に反して赤軍は苦戦した。最終的にはフィンランド領土の一一パーセントを得たが、スターリンが望んでいたフィンランドの再併合に比べれば大きな戦果とはいいがたかった。赤軍の攻撃に対して、フィンランド軍は粘り強く戦いぬいていた。地勢を生かし、的確な戦略を用いて部隊を展開させた。兵士の訓練も行き届いていた。そもそもフィンランド軍将校の多くはかつてロシア帝国軍に属していた軍人であり、大粛清で処刑された赤軍将校だちと同様、百戦錬磨だった。

 結局、一九四〇年三月に講話条約が締結され、ソ連は公式には冬戦争に勝利した。だが、実質的には目的遂行に失敗したも同然だった。

 そしてこの戦争中から、あらゆるレベルの赤軍司令官たちが上官に報告する際、現況を美化して伝えるようになりはしめた。たとえ機械化された豊富な軍備があっても、若くて経験の足りない司令官のもとで組織された軍では成果は出せなかった。だが、ぱっとしない戦績ではスターリンによって粛清されるかもしれない。誰もがそれを恐れたのである。

 現況の美化は特に戦死者数の歪曲に現れている。赤軍将校らはスターリンおよび参謀本部への報告で、味方の損害は少なめに、敵方の損害は大きく誇張して伝えようとした。その結果、政治局と最高会議が受けた報告では、冬戦争によるソ連側の戦死者数は四万八四七五人、負傷者数は一五万八八六三人、対してフィンランド軍の戦死者数は七万人以上、負傷者数は二五万人以上となっていた。しかしそれから数十年後、歴史家が示した数字はこれとは異なる。実際にはソ連軍の戦死者は九万五二〇〇人〔二〇万人以上ともいわれる〕、フィンランド軍は二万三五〇〇人だったという。いいかえれば、赤軍将校らは自軍の戦死者数を半分に、フィンランド軍のほうを三倍に改ざんして報告していたのである。

 冬戦争後、フィンランド軍は赤軍の弱点は主に指揮のまずさにあったと述べている。これは任務報告を受けた赤軍上層部も認識していた。各部隊は少ない装備に苦しんだのではなく、たくさんの装備を扱いきれなかったのである。歩兵連隊に戦車師団、空軍に海軍、どの司令官も互いに連携して効果的な作戦を展開するということができなかった。歴史家のボリス・ソコロフは著書のなかでこう述べる。「冬戦争によって(中略)赤軍の最大の弱点は司令官の熟練度であることが露呈した。彼らは配下の兵士を(中略)最大限活かすことができなかった」

 だがわかっていても、誰もスターリンや党の要人にこの事実を伝える勇気はなかった。ましてや「赤軍の指揮能力低下の主な原因は、上級将校のほとんどを粛清してしまったことにある」と表立って指摘する者はいなかった。皆、新たな粛清を恐れて萎縮し、耳に心地よい情報しかスターリンに届けなくなっていたのだ。赤軍の実態を正直拡伝える情報は届けないでいた。ちなみに、自分を批判しない者だけを周囲に置いたのはヒトラーも同様である。ヒトラーは一九三七年の秘密会議で領土拡大計画に反対した軍幹部らを排除し(ただしこちらはわずか六〇人で更迭か辞職ですんだ)、もはや止める者が誰もいないなか、第三帝国拡大という狂気へと突き進んでいった。

 赤軍の弱体化は、ヒトラーがソ連侵攻を決めた主な要因でもあった。一九四一年一月、ナチスドイツ軍の高官が集められた会議でヒトラーはこう述べている。「実際のところソ連軍は粘土でできた頭のない巨像のようなものである。だが、将来どうなるかを確実に予見することはできない。ソ連人を過小評価するべきではない。(とはいえ攻撃するなら今であり)攻撃の際にはあらゆる手段を用いてこれに臨まねばならない」。ナチスドイツ軍の参謀総長だったフランツ・ハルダーは、一九四一年五月の日記にこう記す。「ソ連軍の状態は非常に悪い。一九三三年時点に比べ、さらに悪くなっている印象だ。(一九三三年と)同じレベルに戻るには二〇年ほどかかるだろう」

 一方ソ連の側では、第二次大戦が終わり一九五三年にスターリンが死去してから同様の指摘が見られるようになった。ソ連邦元帥で一九四二年から四五年の参謀総長だったアレクサンドル・ワシレフスキーはこう指摘した。「もし一九三七年の赤軍大粛清がなかったなら、一九四一年のドイツによる侵攻もなかっただろう。ヒトラーがソ連への侵攻を一九四一年に開始すると決めたのは、赤軍司令部が壊滅状態にあったことが大きな要因である」

 冬戦争後、赤軍参謀本部は各隊に向けて訓練を強化し兵士個人の資質を高めるよう指示を出した。すると、各隊は実際にはお粗末な訓練成果しか出ていなくても、これをごまかす報告をしはじめた。司令部は司令部でこちらもスターリンを安心させるべく、もはや赤軍は冬戦争中明らかになった欠点を克服し、いかなる戦争に向けても準備が整っていると報告した。

 こうして美化された報告をもとに、一九四一年五月、スターリンは基本的に赤軍の再建は終わったとした。赤軍は今や三〇〇の師団をもち、各師団には一万人から一万三〇〇〇人が属し、しかも三分の一の師団は機械化されているという一大軍隊であると宣言したのである。

スターリンの自己欺瞞

 スターリンはヒトラーがソ連を攻撃するとは思っていなかった。その理由はいくつか挙げられる。

 第一の理由は、ドイツが戦線を二つに拡大することはないだろうと高をくくっていたことである。というのも、ドイツには第一次世界大戦で西部戦線と東部戦線を同時に戦って敗北したという経験があるからだ。一九三九年に始まった第二次世界大戦で、ドイツはイギリスと戦っていた。そのため、もしソ連を攻撃するにしてもヒトラーはまずイギリスの降伏を待つはずだというのがスターリンの予想だった。特に一九四〇年六月、ドイツがフランスをわずか1ヵ月半の戦いで降伏させたあとは、なおさらその予想を強めていた。

 攻撃を予期していなかった第二の理由には、スターリンが一九三九年に結ばれた独ソ不可侵条約(モロトフ=リッペントロップ協定)を信じていたことが挙げられる。これにより独ソは束ヨーロッパにおける相互の勢力範囲を決定し、互いに攻撃の意志がないことを宣言していた。

 第三の理由は、もし攻撃をしかけるつもりなら、ドイツ軍は冬の戦争を戦えるだけの準備をしているはずだと考えたからである。かつて一八一二年、無敵の軍隊を率いてロシアに遠征したナポレオンは、ロシアの長く厳しい冬を甘く見たせいで大敗を喫した。ドイツ軍もそれを知らないわけがない。だが一九四〇年から一九四一年にかけて諜報筋から届いた情報に、ドイツ軍が冬期装備の用意をしているというものはまったくなかった。スターリンは常に論理的なやり方を信じた。まさかヒトラーが夏の装備でソ連に侵攻するなどという無謀な行動に出るとは思いもしなかったのである。

 第四の理由は、赤軍の急激な軍備拡大と機械化にあった。これだけ立派な軍隊を前にすれば、相手も容易に攻撃しようとは思わないだろうという幻想ができていたのだ。ヨーロッパ諸国の軍隊と比べても赤軍は数で勝っていた。その事実が有利に働くと信じていたのである。

 第五の理由は、赤軍諜報部から「ドイツ軍がポーランドのソ連国境近くで不穏な動きをとっている」という報告が入りはじめても、スターリンはこれをヒトラーの挑発だととらえたからである。そして赤軍に対して何も行動を起こさないよう命令した。銃撃もドイツの偵察機を撃ち落とすことも控えねばならなかった。赤軍を動員しないことで、ドイツに開戦の口実を与えないようにしたのである。これは第一次大戦前の手痛い失敗を受けての命令だった。一九一四年七月=二日、ロシア帝国は同盟国セルビアがオーストリア=ハンガリー帝国の攻撃を受けたため、ロシア帝国軍を総動員した。すると、その翌日の八月一日、ドイツはロシア帝国に宣戦布告し、第一次世界大戦が始まった。この前例があったため、スターリンは開戦のきっかけをつくったと非難されないよう赤軍を動かさないほうがいいと判断したのである。

 侵攻を予測できなかった第六の理由は、いよいよ雲行きが怪しくなると、スターリンは今度はイギリスの諜報作戦だと思い込んだからである。一九四〇年末あたりから外国のどの諜報筋も「ヒトラーがソ連に大規模な侵攻を開始するかもしれない」という警告を送りはじめていた。だがスターリンはこれを、ドイツに苦戦しているイギリスがソ連とドイツとを戦わせ、事をイギリスに有利に運ぼうとする工作だと考えた。

 スターリンがどれほどまでにドイツの攻撃を信じていなかったか。それを裏づけるエピソードを一つ紹介したい。ドイツのソ連侵攻の約一ヵ月前、一九四一年五月一四日のクレムリンでの会議のことである。このとき赤軍参謀本部は政治局に対してドイツ軍がソ連国境近くに集結していることを伝え、侵攻の可能性が大きいことを示唆した。しかしスターリンはこれをきっぱりと否定して次のように述べた。

  「現在ドイツは西部戦線にかかりきりである。ヒトラーがソ連を攻撃してもう一つ戦線を増やそうとするとは思えない。わがソ連はポーランドやフランス、イギリスなどとはわけが違う。これらの国々を束にした以上のものである。ヒトラーもそれがわからないほど馬鹿ではあるまい。(中略)ところで、君たち(将校)は全軍の動員を求めているようだが、軍を動かしすべて西の国境に集めろというのか? それでは戦争だ! わかっているのか!(中略)ジューコフ同志、ドイツ軍が国境付近に展開しているという君の情報がなぜ正しいのか教えてくれたまえ」

 これに対して参謀総長のジューコフはこう答えている。「スターリン同志どの、すべての結論は航空偵察によって正確に導きだされたものであり、スパイ網を通じて確認されているのであります」。するとスターリンは皮肉な調子で尋ねた。「スパイ網? それはどこの国のものだ? わが国かそれともイギリスか? わが国のスパイは毎週新しいデータを送ってきては、戦闘が始まるかもしれないといってくる。しかし何も起こっていないではないか。(中略)君たちは戦争が始まるといってわれわれを脅すために来たのか? それとも戦争がしたいのか? 報償や称号に飢えているのか? これ以上くだらない話をするのはやめたまえ!」

 それから約一週間後の一九四一年五月二〇日、ドイツが連合国(イギリス、ニュージーランド、オーストラリア、ギリシャ)の軍事拠点だったクレタ島への攻撃を始めると、スターリンはそれ見たことかと自分の読みの正しさを赤軍参謀らに認めさせた。これに加えて、ヒトラーから親書まで届いていた。そこにはスターリンを欺くため、「ドイツ軍をポーランドに集めるよう命令したのは、ドイツやフランスがイギリスに爆撃されている現在、その損害を少しでも減らすためである」と書かれていた。
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ブログの連続記録には拘らない

ブログの連続記録には拘らない

 この際、ブログの連続記録に拘るのは止めましょう。自分に対してのモノだから、拘る必要はない。何しろ、そんな多くのことは考えていない。ここは私の世界ですから。

 きーちゃんは連続記録を絶ってから、おかしくなった。マチャリンはショールームの連続記録に生きている。ついに1万人まで行った。そのために、夜の12時までやっていて、翌朝の4時からやることをしている。それを応援する人が出てきている。

スタバ環境でチェック

 今日はスタバ環境でチェックです。そうなれば、時間は自由に使えます。集中できます。

 コンテンツはタブレットよりもスマホ用に出来ています。その為に、わざわざ出掛けてきています。

問題解決のための意思決定

 データから情報を得て、そして、問題解決のための意思決定。このプロセスは逆かもしれない。本来、逆でしょう。そうでないと、現実世界の大量データから抽出することは出来ません。

 データベースは構築するだけではダメで、情報の収集から活用まで通しです。元々、この資料を取った理由は未唯空間のデジタル化されたモノの活用のためです。

スマホはアプリで溢れている

 スマホはすごい。タブレットを超えてしまった。
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