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地中海諸国・アラブ世界から見た世界

『世界情勢地図』より ⇒ 将来の変革の核になるのは地中海連合だと思っている。ギリシャ、レバノン、トルコなどが中心

地中海諸国から見た世界

 海洋学、気候、地理学の面から地中海を定義し、この海を囲む国の一覧(27カ国、アドリア海と黒海を含む場合はさらに増える)を作るのは容易である。その反面ローマ帝国以降は、政治・宗教・言語・文化が国によって大きく異なり、対立関係にすらあることは一目瞭然だ最も大きな分裂の元となったのは、7世紀に、新しい宗教であったイスラムが地中海南岸と東岸を征服し、その後数世紀にわたりスペインのほぼ全土も支配したことである。分裂はいまだに続いているうえに、地中海世界のイスラム圏はトルコ人とアラブ人の国に分かれ、アラブ世界はさらに各国に分かれている。同じように「キリスト教」圏もカトリックの国と正教の国に分かれた。1948年以降は、イスラエルの存在も加えなければいけない。同国とアラブ諸国との国交は正常化されておらず、パレスチナ国家の建国を待つほかない状態が続く。

 地中海北岸のヨーロッパ諸国は、世界中でも最も発展した豊かな国々を含んでいる。南岸諸国は天然ガスと石油がある(アルジェリアとリビア。エジプトにも少々)かないかによって、国民総生産(GNP)の値はさまざまである。しかし、国連の人間開発指数によると、これらの国はまだ開発途上の段階にある。

 南岸諸国とかつての宗主国(フランス、英国、イタリア、スペイン)との関係をみると、表面上は争いは鎮静化し(フランスとアルジェリア間など)、両者の関心は未来へと向かっている。

 EU(欧州連合)は、ヨーロッパと地中海沿岸一帯の国々の間との経済的・人的相互依存の関係を認識しており、約30年前から地中海南岸に対して、支援政策や友好政策を展開し、さまざまな協定を結んできた。1995年以降は「バルセロナ・プロセス」と呼ばれる野心的な連携の取り組みを進めている。南岸諸国はこのプロセスによる財政支援を評価しているが、より条件付けの少ない支援を期待している。EU市場への参入拡大を求めるとともに、移住のほぼ全面的な自由を望む声も高まる一方だ。米国はとりわけ地中海をデリケートな地帯(イスラエルの安全保障問題、テロとの戦いなどから)だとみなしており、第7艦隊の監視下に置いている。

 ロシアは15年間の沈黙の後、再び地中海に自国の艦隊を配備するようになった。地中海に対する視線は多種多様である。

 主としてヨーロッパ諸国の、特にフランスのさまざまな組織が、国や地域相互の違いや困難を克服する壮大な「地中海政策」のために活動している。そうした活動には、地中海諸国全体を包括するものもあれば、ヨーロッパ側の地中海諸国に重点を置くものもある。2011年以降、「アラブの春」はチュニジア以外では暗転した。シリアの内戦は2015年に20万人以上の死者を出し、中東全体が崩壊の危機に瀕している。

アラブ世界から見た世界

 7世紀に出現し、8世紀にはすでに3大陸に広まっていたアラブ文明は、中世には、競争相手であるキリスト教文明よりも活発で影響力があった。肩を並べる水準にあったのは中国文明(国外には広まっていなかった)だけであったといわれる。

 ところが、15世紀にはヨーロッパから駆逐された。16世紀になると、オスマン帝国が中東を統治するようになる。アラブ人はある程度の自治を許されたとはいえ、その後4世紀にわたってオスマン帝国に支配されることになった。 19~20世紀にかけて、北アフリカはフランス、英国、イタリアの植民地にされた。第一次世界大戦中はオスマン帝国がドイツと同盟を結んだので、アラブの大部分は連合軍側につき、独立の実現を期待した。しかしその望みは叶わなかった。サイクス・ピコ協定に基づき、フランスと英国が保護国として中東を分け合い、1917年のバルフォア宣言によって、パレスチナにユダヤ人国家を造る道が開かれた。

 アラブはオスマン帝国による支配から、ヨーロッパによる支配へ移行した。裏切られたという思いに、屈辱感が加わる。第二次世界大戦後のイスラエル国家の樹立は新たな衝撃であり、アラブはヨーロッパの罪を肩代わりさせられているという意識を持った。そして、建国直後のイスラエルとの戦争(1948~1949年)に負けたことで、さらなる屈辱感を抱くようになったのだ。

 汎アラブ主義運動は、この時期から反西洋および(あるいは)反イスラエルを呼びかけるようになる。エジプトのナセル大統領は1956年にスエズ運河を国有化し、それに反発して出動したフランス軍と英国軍は、米国により有無を言わさず撤退させられた。この国有化と強制撤退は、西洋への報復とみなされた。だが、1967年の六日戦争(第三次中東戦争)の結果、アラブ軍は完敗し、さらなる屈辱を味わうことになる。ここから、アラブ・ナショナリズムの苦悶が始まった。ナショナリズムの失敗、社会とアイデンティティの危機、そして米国に迎合するエリート層の腐敗に対する非難を背景に、イスラム原理主義運動はこの時期から発展しはじめたのである。

 この地域の人々の大半が今日もなお、イスラム教徒の結束よりもアラブの結束を求めているにもかかわらず、アラブ世界の国々は互いの激しい競争意識に起因する大きな政治的分裂の最中にある。また、別の矛盾もある。米国は政治・軍事・財政の面でイスラエルと、イスラエルによるパレスチナの占領を支援しており、さらにイラク戦争の当事者でもあるため、アラブ社会には反米感情が蔓延している。しかし、アラブ諸国の政権のほとんどは、米国と安全保障の協定を結んでいるのだ。イスラエル・パレスチナ紛争の長期化と、パレスチナ国家の不在が、アラブ世界の世論を勢いづけてきた。また、この状況はかなり以前から、アラブのいくつかの体制によって、国内の民主主義の不在や社会問題を隠蔽する建前として利用されてきたし、イスラム主義者からも、別のやり方で利用されている。

 さらにイラク戦争が、過激化と不満の新たな原因を加えてしまった。外部から押しつけられた民主化は不可能でもあり無謀でもあったことが、明らかになった。チュニジアを除けば、「アラブの春」は尻すぼまりになるか、混乱を招く結果になった。イラク、シリア、リビア、イエメン、エジプトでは暴力が横行し、国力のかなりの部分が失われている。戦略上の衰退は長期に及ぶだろうか、それとも一時的なものだろうか? イスラム/イスラム主義の戦いが激化するなか、市民社会を取り戻すことはできるのだろうか? 独裁体制が至る所で再び生まれるのだろうか?
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