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社会的不平等を正すソーシャルワーカー

『これがソーシャルワークという仕事です』より 現代社会において必要なソーシャルワーク ⇒ 正儀の問題ではなく、ハイアラキーの世界では、自由と平等はトレードオフ。配置の世界へのゆっくりした革命が必要

 社会的不平等を正すソーシャルワーカー

  社会正義はソーシヤルワークを導く核心的な価値の1つです。この社会正義とは「社会の全てのメンバーが同様の権利、保護、機会、義務、社会的な利益をもつために不平等が確認され、是正されなければならないという考え方のことであリ、差別、抑圧、不平等に立ち向かい、抑圧された状況にある人々の権利を擁護する行動が含まれる」というものです。

  何だか難しいことが書かれていて、よくわからないと思います。実は、ソーシヤルワークにおけるこの分野の研究は必ずしも進んでいるわけではなく、社会正義の意味は広範囲におよび、かつ曖昧です。定説があるわけではありません。そこでここでは、ロナルド・ドゥウォーキンという哲学者(法哲学)の考えを参考にしながら説明を試みたいと思います。

  (1)不平等と正義

   平等の根幹には「等しいものは等しく扱う」という考えがあります。「等しい」とは「同じ」という意味です。これを人間にあてはめて考えると「同じ人間は同じに扱う」となります。こうした平等こそが「正義」ということです。逆に、不平等とは等しく(同じ)人間なのに等しく(同じに)扱わないことです。そして、不平等とは不正義ということです。
   これらの意味を考え合わせると、「社会的不平等とは、同じ人間なのに、社会の仕組みや対応が、等しく(同じに)扱っていない」ということになります。そして、ソーシヤルワークは社会的不平等(不正義)に対して、その不正を正す仕事ということになります。

  (2)不平等に対する理解

   ソーシャルワーカーは一人ひとりの身体的、または能力的な「違い」を「個性」として尊重します。ジョン・スチュアート・ミルが「ひとびとが個性的であれば、その営みも個性的になるので、同じプロセスをとおして人間の生活も豊かで多様になり、活気に満ちる。……中略……個性が発展すればするほど、各人の価値は、本人にとっても、ほかの人びとにとっても、ますます高くなる」というように、「違い」は「個性」であリ、その個性を発展(成長)させることが、その人の幸せ(価値)と社会の豊かさ・活気につながります。

   ソーシャルワーカーが問題とするのは、身体的、または能力的な「違い(個性)」ではなく、①その人の力ではどうすることもできない不利な状況(不運)、②その不運は社会の仕組みにより正すことができるのにしようとしないこと(不正)です。ソーシャルワーカーは、「社会的不平等」は「不運」と「不正」によって生まれていると理解します。だから、そうした不平等を正そうとします。

  (3)ソーシャルワーカーがめざす正義

   ソーシャルワーカーは正義をめざします。正義は社会がもっておくべき特質(根本にある規則)であリ、その中心にある性質が平等です。ドナルド・ドゥウォーキンは、市民がもっている権利のなかでもっとも根源的なものは、「平等な者として扱われる権利(treatment as an equal)」であリ、平等を「平等な配慮と尊重を受ける権利」と表現しました。人間は苦痛を感じたり失望を抱いたりする存在です。だから、国(政府)は、国民を等しく配慮を受ける権利がある者と扱わなければならず、その権利を保障する責務があります。また、人間は自らの意思に基づいて人生を切り拓いていく存在です。だから国(政府)は、そうした本人の意思や人生に対して、等しく尊重を受ける権利がある者と扱わなければならず、その権利を保障する責務があります。
   これを基盤にして考えると、ソーシャルワーカーがめざす正義は、「まず、一人ひとりがもっている潜在的な可能性(力)が発揮できる機会を等しく保障すること(平等な尊重)、次に、傷ついたときや困難な生活に陥ったときに一自ら生きていこうとする意欲や自尊心を失わないことに配慮しつつー、その生活困難に等しく対応すること(平等な配慮)」となります。

  (4)正義を支える考え方(根拠)

   ①「権利と責務(責任)」のネットワーク

   近現代社会では、私たち一人ひとりは自由意思をもち、それによって何らかの契約を行ったところに権利と責務(責任)が生じます。社会福祉のサービスにも契約制度といった、福祉サービスを契約によって生じる権利と責務(責任)ととらえる制度があります(その典型が介護保険制度です)。

   私たちは誰もが、ある社会のなかに生まれます。どのような環境に生まれてくるのかは、本人にはどうすることもできません(本人には責任がありません)。また、障がいをもって生まれたり、困難な生活環境に生まれるのは、まったくの偶然です。

   本人にはどうすることもできないのに そのことで著しい不利益を被るのはおかしなこと(理不尽)です。また、自分がそうなっていたかもしれないのです。そう考えると、国(政府)や私たちには、理不尽で偶然に被っている生活困難に対応する責務(責任)があることがわかります。

   社会とは、人と人との結びつきのことですが、その基盤には、権利と責務(責任)のネットワーク(網の目)があるのです。

   ②本人に原因がない偶然がもたらす不利や困難

   「本人に原因・責任がない、偶然がもたらす不利や困難」を、不運であるとか「仕方ない」ととらえる人がたくさんいます。

   困難を抱えている原因が当事者にあれば、それはその人のせい(自己責任)と考えることはできます。正義(正しいこと)には、「ものごとに比例して利益や負担を分配する」という考え(分配的正義)があります。その人に原因があれば、その度合いに応じて責任(負担)を求めることは「正しい」といえます。しかし、その人に原因がないのに、その人に責任(負担)を課すことは「正しい」とはいえません。ソーシャルワーカーはこうした考えに基づき、本人に原因がなく、偶然がもたらす不利や困難を正そうとします。

   ③生活困難に対応する責務(責任)

   ソーシャルワーカーは、本人に原因・責任がある生活困難でも、必要に応じて対応します。その理由は、①理由は何であれ、痛み苦しみに対して 「何とかできないか」という気持ちをもっているから、②人は誰でも判断ミスなどの過ちをしてしまうものだから、③人間一人ひとりは“重みのある”“かけがえのない”存在だから、④誰がいつ、同じような困難に陥るかわからないから(お互い様)、⑤以上で述べたことを理由に、私たちには、そうした困難に対応する責務(責任)があるからです。

 一人ひとりの尊厳と人権を平等に守るソーシャルワーカー

  ソーシャルワーカーは、社会の根本的なルールである正義を実現しようとします。ここでいう正義とは、一人ひとりが等しく配慮され、尊重される状態のことです。そして、「等しく配慮され、等しく尊重される」ことで一人ひとりの尊厳と権利を守ることがソーシャルワーカーの仕事です。ここでいう尊厳と人権とは、次のような意味です。

  (1)尊厳--比較不能な絶対的な価値、かけがえのなさ

   尊厳という言葉は日常では使われませんが、ソーシヤルワークを含めた社会福祉においてもっとも大切な言葉です。この言葉について哲学者の御子柴善之さんは「尊厳には、誰にも侵すことができないという絶対|生と、それを守らなければ毀損されてしまいかねない、という二重の意味が込められている」と述べています。

   誰にも侵すことができない絶対性とは、誰が何をしようとも損なわれることのない「比較不能な絶対的な価値」のことです。たとえば、能力と資産など、私たちが善いと思ったり大切と思ったりしていることのほとんどが相対的な価値です。それはほかの人と比べることができます。これに対して、比較不能な絶対的な価値とは、どちらが大切と比較することができない、とっても大切なもののことです。

   一方、それ(尊厳)を守らなければ毀損されて(壊されて)しまいかねないとは、尊厳それ自体は、誰が何をしようとも損なわれることのない「比較不能な絶対的な価値」ですが、それをみんなで互いに守らなければ、人間は尊厳という絶対的な価値を失い、著しく傷ついてしまう(壊れてしまう)ということです。

   具体的に説明します。尊厳を守らないということは、人間を能力のような相対的な価値でのみとらえる、言い換えれば、人間を奴隷のように、役に立つ道具としてのみとらえることを意味します。

   では、なぜ人間には尊厳があるのでしょうか。その理由は、一人ひとりの人が、その人の死とともに消滅してしまう“かけがえのない世界”を生きているからです。その世界はその人にしか経験できませんし、ほかの人が替わって生きることもできません。一度死んでしまえば、ゲームのように復活する(生き返る)こともありません。それは、本当に尊く厳かなものです。

  (2)人権--人間の尊厳を守るために、人カ注まれながらにもっている権利 人間一人ひとりは、その人の死とともに消滅してしまう“かけがえのない世界”を生きています。この世界に付与された絶対的な価値のことを尊厳といいます。しかし、尊厳はみんなで互いに守らなければ毀損されてしまいます。だから、そうならないように人間が生み出したのが人権(人間が生まれながらにもっている権利)という考えです。

   人間は各自の尊厳を守るために人権という考えを生み出し、法を創ることで、それを権利として保障しようとしているのです。

   ソーシャルワーカーは、一方では一人ひとりの尊厳と人権を守り、もう一方ではそうした尊厳と権利を守ることができるような「責任のネットワーク(支え合いの仕組み)」を創ります。

 だから、ソーシャルワークが必要です

  超高齢社会を迎え、年金収入の少ない人や介護を必要とする人が増えています。格差社会により所得格差や子どもの貧困が広がっています。家族や地域あるいは職場がこれまでもっていた機能が衰退しているため、居場所や支え合い・つながりが弱くなリ、虐待や暴力といった問題も生じています。しかしながら、社会的不平等やこれらの問題に対して、政府の対応は十分ではありません。この状態に対して、ソーシャルワーカーは一人ひとりを等しき重み(価値)をもつ存在と理解し、「平等な配慮と尊重の権利」を実現しようとします。

  社会的不平等のなかで、人としての尊厳が侵され、困難な生活を強いられている人がたくさんいます。ソーシヤルワークは、そうした人の尊厳を守り、支え合いの仕組みを創ろうとします。だから、現代社会にはソーシヤルワークが必要なのです。
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