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未唯への手紙

未唯への手紙

対フィンランド戦争戦訓検討会議

2012年10月21日 | 4.歴史
『独ソ戦争はこうして始まった』より

赤軍拙戦の原因究明の必要

 ともかくスターリンは、レニングラード防衛保全のための国境線の変更と、フィンランド湾防衛のためのハソコ島租借という当初の戦争目的は達成した。だが軍事的にはまったくのソ連側の惨敗であった。これまで何百万人ものウクライナ農民を餓死させてまでソ連の重工業化を強行したのも、また、ミハイル・トゥハチェフスキー以下三万人もの有為の軍人を無実の罪で粛清したのも、スターリソにしてみればすべてはソ連の軍備増強のためだった。そして対フィンランド戦争こそは、スターリンがいわば「手塩にかけた」新生赤軍の最初のテストケースだったはずである。それが最初のデビューで総動員数の三〇パーセントを越える損害をだすという体たらくだったことは、スターリンに深刻な動揺をもたらさずにはおかなかった。

 かくてスターリソは赤軍惨敗の原因を究明すべく、国防人民委員ヴォッロシーロフの名で中央軍事評議会拡大会議を開くよう勧告させ、四月十四日から十七日までクレムリンで「ソ連共産党中央委員会・対フィンランド戦争体験収集のための指揮官集会」が開催された。この「戦訓検討会議」の報告者は全部で四六人で、佐官級の部隊長から軍司令官、はては元帥クラスにまで及び、一人当たりの持ち時間は一五分とされた。そして連日、午前と夕方の二部に別れて開かれ、議長もしくは司会者として、始めはヴォロシーロフ、あとの大半は第一代理のクーリクが務めた。ただし、会議の終わりころにはクーリクさえも質問に答えねばならなかったため、モロトフが代わりを務めている。

 スターリンも出席して積極的に議論にくわわり、また会場からの姓名を特定しない参加者の発言も記録されており、相当に大規模な集会だったと推察される。また、赤軍幹部の多数を集めて四日間ぶっ通しで朝から晩まで会議を行うというのも、それだけスターリンの切迫感を反映したものだったと言える。そのことは開会にあたってまずスターリンが「欠陥を指摘すべし」と宣言し、議長としてヴォロシーロフが、「戦争での肯定的側面と同時に否定的側面、すなわち軍の編制、部隊指揮官(最上級の用兵法も含めて)について同志諸君は発言すべし」と述べたことで明らかだろう。会合での質疑応答をしるした議事録によって、当時の赤軍のかかえていた問題点か浮かび上がってくるとともに、スターリンにとって対フィンランド戦争がどのような意味をもっていたかもわかってくる。全部は紹介できないので、特にスターリンが問題視した主題について、どのような報告と質疑があったかを概観してみよう。

報告と質疑① 赤軍の装備、特に小火器について

 キルポノス第七〇狙撃師団長、バトフ第三狙撃軍団長 フィンランド軍は重砲はわずかだったか、十分な数の迫撃砲とスオミ短機関銃のおかげでわが方の歩兵に甚大な損害をあたえた。わが方には短機関銃がなく、軽機関銃は三脚が雪に埋もれて役に立たなかった。

 スターリン わが方の小火器はフィンランドに遅れをとっているのか?

 答 短機関銃は皆無だ。

 スターリン 迫撃砲もか?

 答 そのとおり。製造はやっと一九三九年になってからだ。

 プロスクーロフ諜報本部長 スオミ短機関銃についてはすでに一九三六年の報告にあり。一九三九年の書物には写真と詳細か掲載されている。われわれ自身が自動火器を軽視してきた。

 会場 スオミ短機関銃は一九三六年にわか国でテストされたというか、それは本当か?

 スターリン 短機関銃はアメリカのものが有名だが、それは警察の武器であると考えられ、軍では無視された。だか実際にはその逆のことが起こったのだ。しかもわが諜報部の報告は警察的見地からのみだ。

 クーリク国防相第一代理・兵器担当 自己批判すると、私は現職にある二年半のあいだ迫撃砲の支給も訓練も怠り、デグチャレフ短機関銃についても全然考慮せず。前線でみずからスオミ短機関銃を試してみてはじめて、それか有用なのに気がついた。森の中で囲まれて困惑した時、やっとデグチャレフのことを思い出した。

 スターリン 君がへまをやったのは事実だ。

ソビエト=フィンランド戦争とは

2012年10月21日 | 4.歴史
『独ソ戦争はこうして始まった』より

ソビエト=フィンランド戦争とは

 一九三九年十一月三十日に交戦がはじまり、一九四〇年三月十三日に講和となったソピエト連邦とフィンランド共和国との戦争は、歴史的名称として「ソビエト=フィンランド戦争」の用語が定着しているか、ソ連そして現在のロシアでは「冬戦争」と呼んでいる。また、ソ連とフィンランドは一九四一年の独ソ戦で再度交戦することになるので、それと区別するために「第一次ソピエト=フィンランド戦争」と呼ぶこともある。ここではあくまでソ連側、ことにスターリンの対処を取り扱うため「対フィンランド戦争」の呼称をもちいる。

 フィンランドも第一次世界大戦末期の一九一七年に革命に乗じてロシアから独立を宣言した国家だったが、独立の後押しをしたのは連合国側ではなくドイツだった。そのため第一次世界大戦後もずっとドイツ=フィンランド関係は親密であった。にもかかわらずヒトラーは浅はかにも、不可侵条約付属秘密議定書でフィンランドをあっさりとソ連の勢力範囲と認定してしまい、それがやがてはフィンランドをめぐる独ソ間ののっぴきならぬ対立を引き起こす原因になる。

 ポーランド東部侵入と併合、バルト諸国への駐兵がとんとん拍子に運んだところで、スターリンの次の目標はフィンランドということになった。そして十月の初めからモスクワでフィンランド側との間に、領土交換とフィンランド湾内の島の租借または割譲について交渉が行われた。この交渉でのソ連側の要求をまとめてみると、

  一、レニングラード保全のため国境をフィンランド側にあと二〇~二五キロだけずらす。

  二、フィンランド湾の保全のため重要ないくつかのフィンランド領の島をソ連に貸与もしくは割譲する。

  三、その代わりにソ連側は内陸の領土をフィンランドに割譲する。
 
 というものである。この、ソ連側の一方的な都合による領土交換要求にフィンランド側か応ずるわけもなく、十一月二十九日にソ連側はモロトフの名で国交断絶をつたえ、翌三十日早朝、ソ連軍は「フィンランド側からの砲撃に反撃するため」、一斉に空爆と砲撃にはいった。

 のちに国防人民委員第一代理グレゴリー・クーリクが証言しているように、レニングラード軍管区の部隊が対ポーランド作戦に参加しなかったのは後方の控えだったからではなく、次に予定した対フィンランド作戦の準備に専念するためだった。しかも軍管区司令官キリル・アファナショヴィッチ・メレツコフが準備の命令をうけたのは九月半ばというから、ソ連側の対フィンランド作戦はほぼ予定通りの行動だったといえよう。

赤軍の拙戦

フィンランド攻撃に投入された赤軍は、南側からカレリア地峡のフィンランド湾側に第七軍(ヤコブレフ指揮)、ラドガ湖側に第一三軍(グレンデル指揮)、ラドガ湖北方に第八軍(シュテルソ指揮)、さらにのちに第一五軍(はじめミ(イルーコヴッリフ、のちクルデューモフと交代)が新設される。中部フィンランドには第九軍(ヴァシーリー・チュイコフ指揮)、最北には北極海沿岸のニッケル鉱山の都市ペツァモ攻撃のため第一四軍(フロロフ指揮)が配置された。最初に投入された兵力は二一個師団と言われる。これら各軍の総指揮をとるのはレニングラード軍管区司令官メレツコフである。

だか喧伝された〝無敵赤軍〟とは裏腹に、赤軍部隊は随所で悪路と豪雪、そしてフィンランド側か構築した永久堡塁群と阻塞陣地帯にはばまれて撃退され、あるいは逆に包囲寸前の状態での退却が続出した。そして間隙を縫って行われるフィンランド軍のスキー部隊の狙撃兵による「ヒット・エンド・ラン」戦法に翻弄されてしまった。

もっとも極端だったのは、第九軍南下でフィンランド分断を狙って中部のスオミサルミヘと侵入した第四四狙撃兵(注一歩兵のこと。伝統的にこの名で呼ぶ)師団(ヴィノグラードフ指揮)で、ラーテ街道上に戦車、大砲、輸送車が一列縦隊をなして立ち往生し、そこを前後左右からフィンランド軍スキー部隊に攻撃されてほぼ全滅した。そして師団指揮官ヴィノグラードフと同師団の連隊長や大隊長はモスクワから派遣された赤軍最高政治委員メフリスの手で銃殺された。

もっとも南で最大の兵力が配置されたカレリア地峡では、赤軍は「マンネルヘイム線」と呼ばれるフィンランド側のコンクリート製永久堡塁群に前進をはばまれ、無駄な正面突撃を繰り返してはいたずらに損害を重ねるだけであった。これはフィンランド軍最高司令官カール・フォン・マンネルヘイム元帥が戦前から構築しておいた堡塁群で、ラドガ湖とフィンランド湾にはさまれたカレリア地峡を横断して約九〇キロにおよぶ。フィンランド側にしてみれば、すぐ南はレニングラードであり、ソ連側の攻撃がカレリア地峡に集中するであろうことは一目瞭然だった。しかしソ連側はこの要塞線の詳細をほとんど知らなかったことがのちに判明する。かくて数日間で終結するはずだった対フィンランド戦争は、年内にはとても決着せず、根本的な冬季戦準備の練り直しが求められる状況となった。

複雑性とポータル・コミュニケーション

2012年10月21日 | 5.その他
複雑性とポータル・コミュニケーション

 Hの経営者に言いたいことをイメージでまとめています。いくらスタッフに情報を渡す仕組みを作っても、発言しないことには、新しい世界は始まらないでしょう。それぞれの人が考えていることを発言を元に共有していくことです。そのベースです。それが3年前に提案したことです。

 2年前の富山はそれに対して、スタッフのごちゃごちゃ言っていることを経営者として、構っておられるかというところでした。

 その後に、チュニジア・エジプト革命が起き、3.11でローカルの重要性と政府のだらしないことが判明した。ファイスブックが日本でも展開されて、商品からのつながるをメーカーが仕掛けている。どうしていくのかという、日本の行き先がありません。

 企業から、マーケティングから変えていくしかない。そのためには、皆のために発言することです。それを聞くということ、それを渡すということ。あまりにも、商売を狭く考え過ぎです。ローカルのローカルから社会を変え、日本を変え、歴史を変えていく。そこまでの気概を持たないと。

 複雑性は単に売るだけでなく。売ることで、お客様に反応を起こして、次の施策に影響を与えます。それが複雑性の分野です。

豊田市図書館

 図書館に本を返しに行ったついでの、2冊借りてきた。だけど、あまり、ピンときません。31冊は今日で終わりそうです。

 皆、世の中の人への脅しだけです。内容がない。それと理念と理論がない。

 335.6『都市に村をつくる』「協同組合コミュニティ」に根ざした国づくりのために

 304『日本の現場』地方紙で読む 2012

岡崎図書館

 朝の9時ちょうどに到着。9月レベルの新刊書を借りてきました。

 309.0『共同研究 転向3 戦中篇 上』

 309.0『共同研究 転向4 戦中篇 下』

 367.9『愛と欲望のナチズム』

 675『スマートフォン対策完全ガイド』IT知識ゼロでOK! 売上アップ&業務効率化のための 中小企業が依頼できる制作・開発会社50社掲載 スマホ向けウェブサイト制作が得意な会社27社 スマホのアプリ制作が得意な会社18社 スマホでの業務効率化が得意な会社8社 

 918.6『帝国日本と朝鮮・樺太 哭』戦争文学

 B104『超訳「哲学用語」事典』すっきりわかる!

 I410.4『数学による思考のレッスン』

 304『盛衰 日本経済再生の要件』

 302.2『ロシア極東 ハンドブック』

 361.5『メインストリーム』文化とメディアの世界戦争

数学と思考

 老人ホームで『数学による思考のレッスン』を読んでいた。母親はベッドで寝ていたけど、栗欲しさに起きてきました。数学で考えるという、割とまともな本でした。

 考えることは簡単です。存在を考えることです。生きることは考えること。考えることは生きること。それ以外の考えることは、俗です。考えるに当たらないことです。

 『数学による思考のレッスン』の抜粋を図書室で行っていた。あとがきで、①思考とは断片しか見られない人間の、全体性回復への挑戦である。②思考とは時間的構造を空間化する、イメージ世界の自由なデフォルメである。いい線はいっています。ずっと、全体というモノに悩んできた。当初考えた、偶然=必然に戻って救われた。

ムハンマドと民主主義

 ムハンマドは、LL(ローカルのローカル)とGG(グローバルのグローバル)をつなげようとしたのではないか。それに対して、キリスト教はローカルとグローバルです。教会と国家です。だから、民主主義はムハンマドの方が究極に近い。それが民主主義と言えるかどうか。

エコットのセミナー

 12時半にエコット到着。13時半からのセミナーまでの間、岡崎図書館の本を読んでいた。

 セミナーは「世界を変える」だそうです。この時の世界は「内なる世界」なのか「外なる世界」なのか。概念的な世界を支援するということらしい。それなら、「内なる世界」です。そこに留めてほしい。なんか、講演するためのネタを作っている。世界は変わらない。

 私が言いたいものは、人間は小さいモノではない。内なる世界では、個人はその中に世界を抱えている。いくらでも変えられる。考えるは自分で空間を作れば、自分のモデルを作れば、何でもできます。

 小さな枠で、知ったかぶりでは、答にはならない。行動することで、世界が変わると思えない。考えることで、歴史は変わるけど。いかに多くの人がどのように生きていけるようにするかだけを考えればいいんです。

失意の楽観主義者

2012年10月20日 | 4.歴史
『かつての超大国アメリカ』より

アメリカとその未来について、私たちは悲観主義者ではない。私たちは楽観主義者だが、失望している。失意の楽観主義者なのだ。私たちの見解では、そのふたつの姿勢は両立する。私たちが楽観主義者なのは、自由に行動する精神、意見や才能の多様性、柔軟な経済、勤勉を旨とする労働倫理、創意工夫が大好きといった特徴をそなえたアメリカ社会が、私たちの暮らしているとてつもない難題に満ちた世界で繁栄するのに、申し分なく適しているからだ。私たちが楽観主義者なのは、アメリカの政治経済制度がきちんと機能すれば、国の人材やエネルギーを利用して、国が直面している難題に取り組むことができるとわかっているからだ。さらに、私たちが楽観主義者なのは、アメリカのこれまでの偉業の数々の記録が、現在の困難を乗り越えられることの充分な証左であるからだ。

だが、私たちが失望している理由もそこにある。アメリカの未来についての楽観もしくは悲観は、たんに偉業を成し遂げる能力や、偉業を成し遂げてきた歴史だけに関わるものではない。そうしたことをふたたび現実にやるという、私たちの意志に関わるのだ。現在も多くのアメリカ人がすばらしいことをやっているが、その規模は小さい。慈善事業、ボランティア活動、個人の野心的な計画。どれもすばらしいが、国がもっとも必要としているのは、大規模な一丸となった行動だ。

アメリカには、創造的で、才能にあふれ、勤勉に働く人々がおおぜいいるのだから、悲観的になってはいけない。しかし、どうしても失望せざるをえないのは、そういう人々の大多数が、国は彼らの必要とする労働力を教育していないし、彼らの求める活気あふれる移民を受け入れていないし、彼らが要望するインフラに投資していないし、先を見越した彼らの研究に予算を計上していないし、的確な税制や、競合する国がすでに実施している優遇策を取り入れていない、と感じているからだ。

ゆっくりした衰退には主な原因が四つあることを、論証していきたい。

一、冷戦終結後、アメリカ人、ことにアメリカの政治指導者たちは、公共政策の策定にとって重要なふたつの問いを自問することを、やめてしまった。すなわち「私たちが暮らしている世界はどのようなものであるのか?」という問いと、「その世界で繁栄するには、具体的になにをやる必要があるのか?」という問いである。

二、この二○年間、私たちは--国家として、最大の問題のいくつかと取り組むの怠ってきた--ことに教育、双子の赤字と負債、エネルギーと気候変動の問題だ。そして現在、それらが無視できないほどに悪化して、一丸となった行動や集団の犠牲がなければ有効な取り組みができないほどになっている。

三、さらに悪いことに、私たちはアメリカの昔ながらの偉大さの秘訣、建国の父たちの時代からあった秘訣に、自分たちの力を注ぎ込むのをやめてしまった。

四、これから述べるように、私たちが問題を解決できず、自分たちの力を再投資することができなくなったのは、アメリカの政治体制が麻揮し、価値観の体系が深刻に蝕まれているからだ。だが、最後に、私たちは楽観主義者として、こうした問題を乗り越える戦略を示すっもりでいる。

豊田市図書館の29冊

2012年10月20日 | 6.本
未唯へ

 本をスタバで読む時は、読んだ本を入れるバックを別に持っていきます。そのまま、図書館に返すことができます。今日は8冊を手で持っていきました。

 あさ、布団の中で読もうとしたが、ダメですね。寒すぎます。気今度準備しておきましょう。明日はパジャマとか用意します。

 奥さんは、壊れたからと言って、冷蔵庫と洗濯機を買いました。二つ合わせて、20万円以上です。私もスピーカーが壊れたからと言っているのに、反応を示しません。エイデンでスピーカーを見て回ったけど、ごついのとか無線のモノばかりです。以前、無印で買った、モバイル用を探しましょう。乾電池がもったいないことです。

豊田市図書館の29冊

 一応、フルで借りられました。どうにか29冊です。

 フリークのおばさんは4時15分に来ました。それまでに抜けられた。たはり、4時前に来ないとダメです。

 589.77『「枯れた技術の水平思考とは何か?』ものづくりのイノベーション

 319.38『独ソ戦はこうして始まった』

 913.6『共和制の樹立』小説フランス革命

 914.6『もっと地雷を踏む勇気』わが炎上の日々

 222『捏造だらけの中国史』中国人が死んでも認めない

 689.8『巡るサービス』なぜ地方の小さなビジネスホテルが高稼働繁盛ホテルになったのか

 302.53『かつての超大国アメリカ』どこで間違えたのか どうすれば復活できるのか

 674.53『手書きPOPの技とコツ』思わず買いたくなる 目立つ!売れる! 売り場を彩るお役立ちツール!!

 301『ソーシャル・リスクマネジメント論』

 379.7『すべての勉強は図!でうまくいく』今までの10倍「記憶力」「思考力」が強くなる

 210.4『一揆の原理』日本中世の一揆から現代のSNSまで

 290.93『クロアチア スロヴェニア』

 342.1『2013年 日本国破産から再生のシナリオ』日本はこうして復活する!

 304『この国はいつから米中の奴隷国家になったのか』

 290.87『世界ふしぎ ワンダーライフ SPOT50』なぜこんなところで?

 304『なぜ大企業が突然つぶれるのか』生き残るための「複雑系思考法」

 429.6『ヒッグス粒子から読み解く宇宙の謎』

 493.12『糖質制限完全ガイド』糖尿病患者・予備軍・家族のための食生活の本 血糖コントロールの新常識! 血糖値を上げないためのカロリー制限は不要だった!

 335.25『ビジョナリーカンパニー④自分の意志で偉大になる』

 414.12『直感で解く算数』

 913.6『覇者の戦塵1944 サイパン邀撃戦 上』

 316.82『ブータン「幸福な国の不都合な真実』

 361.16『ライフストーリー論』現代社会学ライブラリー

 361『社会(学)を読む』現代社会学ライブラリー

 336『経営の神髄 上』知識社会のマネジメント ドラッガー

 336『経営の神髄 下』知識社会のマネジメント ドラッガー

 336.49『明日会社に行きたくないときに読む本』

 591『退職貧乏父さんにならない6つの方法』仕事がデキる人ほど意外な落とし穴が!

 557.84『タイタニック百年目の真実』

ITと複雑系

 『なぜ大企業が突然つぶれるのか』では、ITと複雑系をかませています。複雑性のモットーは周辺から変わるということです。これは、未唯宇宙からすると、LL(ローカルのローカル)とG(グローバル)の関係で、説明できます。

 複雑性を新しい観点から見ていきます。複雑性は20年以上前に、エドガール・モランの「複雑性とは何か?」の徹底分析から入りました。多様性に対して、個人の分化も関係します。複雑性は多様性です。それを複雑なまま解析します。

 もっと、多くの人が社会で生きていける環境というのは、複雑性です。単純に一人が一人では難しいです。それと、LLがGとつながる時に、Gの役割は支配することでなく、影響を受けることです。

論理は言葉で

 『すべての勉強は図!でうまくいく』では、図解よりも言葉です。言葉をいかに論理的にしていくかです。そうでないと哲学ができません。概念を新しい言葉にすることとに特徴があります。

個人の分化と文殊の知恵

 個人の分化を使えば、3人寄らなくても、文殊の知恵が出ます。三つのグループに属している、3つの自分の間で議論すればいいです。私の「もう一人の自分」はこうしてできてきた。それが人格化して、μになったのは、イレギュラーですけど。自分の中では、3つにわけることはできないけど、外から考えればそれは可能です。

DB(ドイツ鉄道)のスマホ画面

2012年10月19日 | 6.本
ポータルの経営者ヒアリング

 2年半前のヒアリングした時の思いはきついものです。それでは売るしかできない。お客様とのつながりもできない。地域とのつながりもできない。それで、経営者と言えるのか、地域を変える人間になれるのか。

 現在との間に3.11クライシスがあり、メーカーからつながるがあった。日本にもフェイスブックが上陸しました。意見がましになっているかどうか不明です。

今は、怖いものなし。

 何しろ、内なる世界は2050年の歴史の究極まで行ってしまった。あとは、実世界をそこに合わせるだけです。合わなくてもいいし、そのための時間はありません。

DB(ドイツ鉄道)のスマホ画面

 私の中では、外付けされたお客様の情報をポータル経由で、スマホで見ればいい。この画面イメージはDB(ドイチェ・バーン)のスマホで見たものです。コンパクトでした。

 データベースと検索を分ければ、あとはポータル画面に出せばいいです。出す優先順位とか、汎用的に考える必要はありません。見たいものをどう見ていくのか、それを外部で見るときはどういう時なのか。

 DBでの使い方は、全体を見るのではなく、ICE10の運行状況を見えるようになっていた。ICE10がケルンに8分遅れで入って、8番線から6番線に変わったことが見えました。それだけが見えればいい。シンプルな画面だった。デジカメを撮っておけばよかった。

 単なる時刻表ではなく、現在の運行状況そのものです。ケルンからアーヘンに行く、ローカル線の車掌が同時進行で見えるということはすごいことです。

お客様データの徹底活用

 それを3年前に考え、Hの経営者にヒアリングして、メーカーに提案しました。お客様データをもっと気楽に、キッチリと使っていかないといけない。

 蓄えても、使っていかないと意味を持たない。そのために、外付けして、チャッターも含めて、現在の状況を加味していかないと、お客様が見えてこない。

 元々は、外部からのチャッターでもって、連絡するイメージです。店長にそれを披露すればいい。それがメールになっていて、ほかのスタッフも議論に参画させられるようにしていけばいい。SFDの機能をどこまで、パクれるかどうかです。

知識と意識のヒアリング

 去年の環境塾の最大の成果は、コミュニティで知識と意識をどう蓄えていくのかの手段です。これがない限りは始まらない。意識を集中して、ヒアリングしましょう

 H経営者へのヒアリングは、何をしたいのか、どういうコミュニケーションを店舗スタッフとか、お客様と取りたいのか、社会との関係をどうしたのか、地域との関係をどうしたらいいのか。

 元室長が山梨のHの社長をやっている。経営者の感覚とか意見を聞くためにアプローチをすることにしました。徳島はハイレベル、富山は中央レベルを聞くことができます。山梨はローレベルになるのでしょう。パートナーが去ってから、やろうとしたけど、まあ、しょうがないですね。

歴史の風景

 ジブラルタル海峡が破られて、大西洋から涸れた地中海に水が流れ込んできた。その風景はたぶん、見たことがあります。

販売店でのGG=LL

 販売店の場合に、グローバルのグローバルの一つはメーカーの経営者の思いです。ローカルのローカルはお客様がこうしたいという思いです。これが合うことで、うまくいくのです。

 グローバルのグローバルの一つはスティーブ・ジョブスの思いです。だから、お客様の思いにつながるのです。ジョブスの思いを進化させれば、お客様が変わります。同様に、お客様が変われば、ジョブスが進化します。

 その結果、ジョブスだけが存在して、お客様の思いは無になります。

未唯空間反映でのコメント

 言葉での空間:未唯空間は言葉でしか表現できない。それらを配置できるのは無限次元空間しかない。解析できる手法も作り上げる。無限次元だから、自由に生きられ、過去・今・未来、無と存在が共存する。

 歴史の最終形はGG=LLなのでしょう:GG(グローバルのグローバル)の最終は歴史です。LL(ローカルのローカル)の最終は分化された個人です。これがくっつくということは、個人が変われば、歴史が変わり、歴史が変われば、個人が変わる世界です。内なる世界では容易にイメージができます。これを2050年段階でどこまで具体的にできるかです。それぞれの内なる世界が作られれば、その総和としての歴史の最終形は可能です。

豊かさはテロを防げるか

2012年10月19日 | 3.社会
『137億年の物語』より 世界はどこへ向かうのか?

ごく最近まで、資本主義は、驚くほどの頑丈さを見せてきた。アラブ諸国がイスラエルを支援する国に石油を輸出しなくなったせいで起きたオイルショック(1973年)、ラテンアメリカ諸国の累積債務危機(1981年~1994年)、アジア諸国の通貨暴落による経済危機(1997年)、LTCMというヘッジファンドの倒産による巨額の損失(1998年)といった危機が起きたにもかかわらず、1944年にブレトンウッズに集まった銀行家たちが提唱した中央銀行による介入政策は、世界経済のシステムを再調整し、そのさらなる経済成長を支えてきた。

しかし、このシステムは、2008年に壊滅的な打撃を被った。引き金となったのは、家を買う余裕のない人にまでローンを組ませて膨らんできたアメリカの住宅市場が、多額の不良債権を抱えて崩壊したことだった。その影響で、大手の投資銀行リーマン・ブラザーズが2008年9月15日に倒産すると、世界中で、金融システムに対する信頼が失われた。1980年代以降、株式や為替取引の規制が緩和され、金融機関は互いに金を貸したり借りたりして利ざやを稼いできたが、その錬金術がついに破綻したのだった。

大きな銀行は「大きすぎて潰せない」と見なされる中、「最後の借り手」となったのが、国つまり納税者だった。税金の投入によって金融システムを必死に守ろうとしているが、リーマンショックにはじまる世界不況は、アイルランドやギリシャといった国家の財政の不健全さをあぶり出し、ギリシャショックに端を発する欧州危機(20n年)という第2幕に突入した。

西側の経済大国は、戦後最大の負債を抱えることになった。中でも最大の負債を抱えたアメリカは、債務超過を帳消しにし、国内の景気をよくするために、ドルを大量に発行するという経済政策をとっているが、その進捗ははかばかしくない。資本主義はいきづまるというマルクスの亡霊は、世界経済をまだ徘徊しているのだろうか。

グローバル化した経済の中で、貧富の差が激しく開き、特に経済の発展が遅れていた中東やアフリカの一部がテロの温床になっているという指摘もある。

絶望した人々は、なりふりかまわぬ手段に訴えるようになった。アフリカ中央部のコンゴ民主共和国や、東部のソマリアといった不毛な国々では、難民が大量に発生している。抑圧されている産油国のテロリストグループは、そんな難民を仲間に引き入れて、自爆テロの実行犯にしている。 2001年9月U日にアメリカで起きた同時多発テロで、世界貿易センターと国防総省に航空機3機を激突させた19人のテロリストのうち、14人がサウジアラビアの出身だった。彼らは、破滅的だがきわめて効果的な方法で、絶望する人々の悲鳴を世界に届けた。嫉み、人種差別、不平等によって力を得た国際的なテロ行為による破壊が深刻化する中、マルクスの警告はあたっているようにも見える。

しかし、資本主義ならではの技術革新が、こうしたテロや圧政をも打ち砕く力になると信じる人たちもいる。インターネットの普及、コンピューターが驚くほど廉価になったことと、その性能の向上は、テロリストだけではなく、豊かさを信じる人たちにも力を与えた。

2010年12月、チュニジアの街頭で青果を販売していたモハメド・ブウァジジという青年が、営業許可証を所持していないことを警察に咎められ、抗議のために焼身自殺した。彼の死に触発され、またたく間に、民衆のデモが北アフリカと中東全域に広がった。

20n年の初頭には、エジプトやイエメン、リビア、バーレーンといった中東地域の独裁者や君主は、インターネットのフェイスブックやツイッターで連携を深めた人々が、抗議のために街頭へくり出す姿を目の当たりにした。もはや国民は、政府高官たちが石油から上がる利益を独占し、西側諸国の不動産や儲かる事業に投資していることに、がまんできなくなっていたのだ。長く独裁を続けてきたチュニジアのジン・アビディン・ペンアリ大統領とエジプトのホスニ・ムバラク大統領。リビアのカダフィ大佐は、民衆の力の高まりによって、権力の座から引きずり下ろされた。これらの国の人々にも、平和的な抗議を行う基本的人権があるということを、先進諸国の政府は認めざるを得なくなった。その背景には、政治的な自由や人権を重視するバラク・オバマ米大統領の影響もある。

ムハンマド

2012年10月19日 | 4.歴史
『137億年の物語』より イスラームの成立と拡大

ムハンマドは西暦570年ごろにメッカで生まれた。彼の一族は、キャラバンを率いて塩、金、象牙、奴隷などの交易を行っていた。ムハンマドは、若いころから誠実で聡明な人物として知られていた。洪水で損傷を受けたカーバ神殿が再建されたときに、あるいさかいをうまく収めた話が伝えられている。

メッカに暮らす主な四つの部族は、だれが聖なる黒石を神殿に据えるかを巡ってもめたため、次に神殿に足を踏み入れた人に決めてもらうことにした。そこに入ってきたのがムハンマドだった。古代ユダヤの賢王ソロモンのごとく、ムハンマドはマントを脱ぐと、その中央に黒石を置き、4部族のリーダーに四隅を持たせて、石を運んだという。

ムハンマドはひとつところに落ち着かなかった。それは、父親を知らなかったせいかもしれない。父親アブドゥッラは、ムハンマドが生まれる半年前に交易の旅の途中で亡くなった。あるいは、6歳のときに母親のアーミナを病気で亡くしたからかもしれないし、商人としての人生に失望していたからかもしれない。いずれにせよ、ムハンマドは幸せな結婚生活を送っていたはずなのに、40歳ごろにその生活を捨て、近くにあるヒラー山の洞穴にこもったのだった。ムハンマドは、そこで劇的で鮮明な啓示を授かる。大天使ガブリエルが現れ、最後にして揺らぐことのない神の言葉を伝えたのだ。啓示はその後も、何度も授けられることになる。

大天使はムハンマドにこう告げた--神は唯一の存在であり、地上ではなく天におられる。神はこれまでにも、アダム、アブラハム、モーセ、ヤコブ、ヨセフ、エリヤ、イエスなど、50人以上の預言者に言葉を授けてきたが、人間は、あるときはやむをえず、またあるときは故意に、神の言葉を歪め、誤った結論を導いた。そうして誕生したのがユダヤ教・キリスト教である。それらは唯一の神という真理には基づいているが、間違った方向に進み、偽物の宗教になってしまったのだ。

大天使は、さらに続けた--ユダヤの民が、自分たちだけが神に選ばれた民族だと考えるのは誤りである。というのは、アラブの民も、アブラハムの子孫であったからだ。ただし、ユダヤ人は次男イサクの子孫だが、アラブの民は長男イシュマエルの子孫である。キリスト教徒が、イエスを神の子としたのも誤りである。なぜなら、聖なる神を、血肉を持つ人間の姿で表すことはできないからだ。神は、預言者を通して人間に語りかけてきた。その最後の預言者がムハンマド、そなたである。最後の審判のとき、イエスやその他のメシア(世界の救世主または解放者)が地上にふたたび現れることはない。そのようなことはあり得ない。神とは、天にいる唯一神アッラーだけで、アッラーだけが審判を下す存在なのだー。

ムハンマドが受けた啓示は、他の宗教の誤りを正そうとするだけでなく、生活のルールも教えた。イスラーム教の「五行」は、簡潔だが強力な戒律で、次の5つからなる。「アッラーの他に神はない。ムハンマドは神の使徒である」と唱え、アッラーヘの信仰を告白する。1日に5回、アッラーに祈りを捧げる。貧しい者に施しをする。ラマダーンに断食する。一生に一度はメッカのカーバ神殿に巡礼する。

613年ごろから、ムハンマドは、身内や友人に教えを説きはじめ、やがて、メッカに住む人々に広く布教するようになった。その簡雄でわかりやすい唯一神への信仰は、貧しい者や他民族も含め、多くの人を惹きつけた。信奉者が増えるにつれて、メッカの有力者たちは、ムハンマドがいずれ自分たちの権力を脅かすのではないかと恐れるようになった。その間も、ムハンマドヘの啓示は続き、620年には、大天使ガブリエルに「最も遠くのモスク」へ連れて行かれ、そこから天界へ昇ってこれまでの預言者だちと話をした。信徒たちは、そのモスクとはエルサレムのことだと考えた。

ムハンマドが天界に昇ったとされる場所には、687年から691年にかけて、ウマイヤ朝の第5代カリフ(預言者の代理人)、アブドゥルマリクによって「岩のドーム」が建てられた。これは、現存する世界最古のイスラーム建築である。

622年、ムハンマドは、イスラームの教えが根づきはじめていたオアシスの農業都市、メディナの指導者として招かれたため、メッカに暮らす自分の氏族と別れて、そこへ移り住んだ。メッカを出発するムハンマドに続く信徒の長い列は、彼のメッセージの力強さを示していた。アラブの人々は、長い間、家族や部族に対する義務に縛られて生きてきたが、ムハンマドの教えによってはじめて、地上ではなく天に存在する神を信じるようになったのだ。メディナにはュダヤ人の大きな共同体があったが、ムハンマドは、やがて彼らも自分たちの過ちに気づき、イスラームに改宗するだろうと考えていた。そして、彼らが改宗すれば、イスラームの教えが、民族や信条に関係なく、全世界の人にとって正しい宗教であることが証明される、と期待していた。

その後、10年にわたって、ムハンマドは忠実な信者を増やしていったが、ユダヤ人たちは、自分たちの伝統や聖典を捨てることを頑固に拒みつづけ、ユダヤ人でないムハンマドを、預言者として認めようとしなかった。

一方、アラブの伝統を重んじるメッカの部族集団と、ムハンマドが率いるメディナのイスラーム教徒とのあいだで、何度も戦争が起きた。 627年の「ハンダクの戦い」では、ムハンマドのいとこのアリーが、メッカの最も有名なリーダーで戦争の英雄だったアムル・イブン・ウードを倒し、勝利を収めた。この戦いでメッカの連合軍は、メディナに住むュダヤ教徒との連携を試みたが、交渉は決裂し、その協力は得られなかった。しかし、イスラーム教徒は、ュダヤ教徒を裏切り者と決めつけ、ある部族の男たちを殺害した上、女性や子どもを奴隷として売り飛ばした。

エルサレムはユダヤ人にとって、古代イスラエル王国の時代から続く「聖なる都」であったが、イスラーム教徒にとって払ムハンマドがガブリエルに導かれて天界に昇った「聖地」だった。また、ュダヤ人は、あらゆる信仰をひとつの宗教にまとめるというムハンマドの希望を打ち砕いたばかりか、裏切りまで働いた。こうして早い時期から、ュダヤ人とイスラーム教徒は、憎み合うようになった。

627年の戦いに勝利したことで、ムハンマドとその信者たちは、神が自分たちに味方していることを確信した。この新しい宗教は正しいのだろうか、と躊躇していた人々も、その迷いを捨てた。 630年には、1万人の信徒がメディナからメッカヘ進軍し、メッカは戦うことなく降伏した。ムハンマドはカーバ神殿に祭られていた聖像を破壊し、イスラーム教の最も神聖な神殿とした。ムハンマドの信徒たちの勢力と熱意を目の当たりにして、他のアラブの部族も、唯一の神を信じれば天国で救済されるという、この簡潔な教えを受け入れていった。メッカ征服のわずか2年後、ムハンマドは頭痛と体調不良に見舞われ、数日後に息をひきとった。その亡骸はメディナの家の庭に埋葬され、現在その地には、預言者モスクが建てられている。

ローマの滅亡

2012年10月19日 | 4.歴史
『137億年の物語』より ローマ帝国の繁栄と衰退

物まねが得意で乱暴な民族が築いた帝国が、限度をはるかに超えて権力にしがみつく。その時代に誕生したイエス・キリストはやがて救世主とよばれるようになる。

ローマ帝国はまさにハリケーンのように、誕生後、またたくまに巨大に成長し、すべてを破壊しつくし、やがて消えていった。その大きな渦を動かしていたのは、穀物と戦利品と奴隷だった。そして、勢いを支えたのは、富める支配階級が贅沢な暮らしを続けるためにふるった暴力だった。このハリケーンが去った後、ヨーロッパの風景は以前とはまるで違うものになっていた。中には、見る影もなく変わり果てた土地もあった。しかし、凶暴な古代ローマ帝国が長すぎた繁栄の後に残したものの上に、その後のヨーロッパの歴史は形作られていくのである。

古代ローマの人々が、紀元前600年ごろから、今日のイタリアの中央部を支配するようになった理由はいくつかある。彼らは強大な軍隊や、目新しい武器を持っていたわけではなく、自然環境に恵まれたわけでもなかった。むしろ、その土地が小麦のような多産な作物を育てるのに向かなかったため、豊かな暮らしをするには、古代ギリシアの人々と同じく、よその土地に目を向けなければならなかったのである。初期のローマ人は、楽に多くの収穫が得られるぶどうやオリーブを栽培し、地中海沿岸の他の地域との交易でそれらを売って、代わりに生活必需品を得ていた。



ローマ帝国の崩壊には、ゲルマン民族の侵入、モンゴルからのフン族の来襲、キリスト教徒の抵抗、鉛中毒、疫病など、いくつもの要因がからんでいる。歴史家は通常、ローマ帝国滅亡の年を476年としている。ゲルマン人の傭兵隊長オドアケルが、西ローマ帝国最後の皇帝ロムルス・アウグストゥルスを退位させた年である。とはいえ、オドアケル自身も、まもなく別のゲルマン部族である東ゴートを率いたテオドリック大王に敗れ、その後、テオドリック大王はイタリアの全域を支配下においた。

ローマ文明の特筆すべき点は、富める支配階級の際限のない欲求を満たすために、ひたすら経済成長を追い求めながら、これほどの長きにわたって存続できたことである。 65年ごろには、それ以上の領土拡大はほぼ不可能となり、状況はいよいよ厳しくなったが、この「アンシャン・レジーム(旧体制)」は、すばらしい才能を発揮して大国でありつづけた。図々しく、敵国から最上の技術や思想を盗んだ。貧民を兵士にしたり、土木工事に使ったりして押さえつけた。膨大な数の市民を、見世物や宣伝によって支配した。戦争によって他国の財宝を手に入れる見込みがなくなると、銀や鉛など、地中に眠る資源を利用するようになった。そして、少数派にすぎなかった宗教を乗っ取って国教とし、他の宗教や宗派は徹底的に弾圧した。

こうした戦略によって、ローマ帝国はその崩壊を引きのばしたが、後世、それらはさまざまな土地で一最初は争いの絶えなかったヨーロッパや、オリエントの砂漠地帯でーさまざまな形で繰り返される。そしてついには、世界中で。ローマ帝国の拡大と衰退によって、文明と自然界との関係は新たな段階へと進み、その土台の上にやがて近代が幕を開けるのだ。

組織の分化

2012年10月18日 | 5.その他
未唯へ

 71.7Kg。待望の71です。炭水化物抜きの成果でしょう。気を抜かずに、土日は歩きます。

GG=LLは歴史の最終形

 GG=LLは最終形です。これを2050年に世界に展開される。第10章の前半で表現します。

 その中に、個人の分化もあるけど、組織の分化、行政の分化もあります。どちらに分化するのはグローバルとローカルがあります。ローカルで分化した時は、グローバル側で押さえます。基本はEUでのThink Globally, Act Locallyです。これを階層化します。

仕事とか就職とか

 「女性が日本を救う」という、番組がありました。仕事か就職とかを活発化させて、所得を増やして、税金を納めること。女性管理職を30%までに引き上げて、一般女性のやる気を増すこと。それらが述べられていた。

 仕事をシェアするというオランダモデルを出していたが、仕事の中身が分からない。就職しかないのか。企業が前提となっています。それでもって、何を得るのかも分からない。

GG=LLのパターン

 GG=LLまでの5つのパターン、未分化状態、GとL、GGとL、GとLL、そしてGG=LL、それぞれが何を意味するのか、具体的なケースは何なのか。

 それと同時に、2050年は日本だけではない。世界がどういう状態になっているのか、すべてがGG=LLにはならない。ギリシャ辺りの方が有利かもしれない。日本が先頭を切っていればいい。

 個人がいろいろなグループに参画する。グループから見ると、個人が増えるということです。一人の個人が分化するということです。グループから見たときの個人の単位が基本になります。

 これと個人の近傍化との関係です。個人は自分のことだけでなく、周辺のことまで含めて見ていく。考えるのも周辺のことまで考えて、結論つけていく。それが新しい民主主義のベースです。第10章の後半は新しい民主主義にしましょう。

組織での分化とは

 これを組織に当てはめると、組織だけのことだけを考えるのではなく、社会全体をどうするかを考えていくことになります。組織は色々なところに属する。その属したところから、組織を分化させる。

 女性の活用の報告とか、NPOに参画するとかを逆に考えていく。NPOから考えると組織の分化した部分を活用する。

 そういうファンクション的な考え方。つまり、逆関数ですね。監視民主主義はこっちかというと逆の方に向かいます。今一、実態がつかめない。

 存在と無と一緒です。自分から見たときの世界が全てであり、世界から見た自分はないということです。それを自分というのは併せ持つということです。どちらから見ていくかで変わるが、共に正とする。

Hは本当に変わらないのか

 次期のポータルのような好条件で、Hが変わらないとなると、日本を変えることは無理ですよね。内なる世界としてだけ、存在させましょう。あなたたちは何のためにシステムを使っているのか。無駄なことです。では、何をしたらいいのか。

 そういう意味では市民の方が進んでいるかもしれません。ベースとなるゲーム化は実現しています。研究開発部署の時は、ベースができていたので、技術者のIT環境つくりは容易でした。Hもゲーム化からやっていくしかない。そのためにも経営者の意識です。

『137億年の物語』の大量のOCR

 137億年のまとめはできても、この先の数年の予測ができていない。連続でないのは確かです。今までの137億年の歴史の中からどのように法則を見つけるか。

 私の場合は個人です。個人の存在と無を法則にしています。だから、分化していくのです。未分化からグローバルとローカルができ、ローカルが活性化できないので、グローバルが巨大化した。

 ローカルは多様です。ローカルはグローバルの支援で活性化していく。ローカルとグローバルの循環が始まります。それらの均衡が崩れたときに、次が始まります。グローバルの制約の拡大で、主導権はローカルにわたる。

 グローバルのグローバルで、国が連合して、行政も連合します。同時に、ローカルは個人というベースの上にグループができてきます。そのグループは個人との間に、小さなグローバルとローカルになっていきます。つまり、ローカルに乗っかることになります。

 地域で、そのバランスが異なります。それが多様性を生み出します。その先に向かっていきます。その先の先はGG=LLの世界です。つまり、個人のことと全体がつながっていきます。これが歴史の究極です。

 これは、過去の歴史の中の分化と同じです。それは自然界で起こっていたことです。人間に対して、それは起こっていなかった。人間に対して、国に対して、行政に対して、分化が起こっています。