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ボリシェヅィキ革命の物語

『情報戦のロシア革命』より

一九一七年十月のボリシェヴィキ革命の物語はこれまで繰り返し語られているか、その焦点はグローバルな状況を抜きに、ロシア国内の諸事件に絞られているのが常である。「十月」とその帰結をそうした方法で検討することは、何も間違ってはいない。だが本書は、物事に別の光を当てて眺めようとする試みである。ボリシェヴィキ支配の初期の歳月は、ロシアと西側の間のダイナミックな相関関係を特徴としている。それはロシアの内戦期であり、西側か一方では新しい共産体制の弱体化を図りなから、他方ではそれを懸命に理解しようとした歳月であった。しかも、その全期間を通じて、ボリシェヴィキはヨーロッパに革命を広めようと努めなから、破綻しつっある自国経済の再生をかけた通商協定の追求をやめなかった。この相関関係を子細に検討すると、革命ロシア--およびその対外関係--はレーニンとトロツキーだけでなく、まことに多彩な人びとによって形づくられていたことか分かる。それはスパイや人民委員はもちろん、外交官、記者、非公式な仲介者、そして知識人や御都合主義の実業家、一般の旅行者たちである。本書は「十月」の物語であるとともに、彼らをめぐる物語なのである。

一国だけに閉じ込められれば革命の命脈は尽きる。共産党指導者らはそう確信していた。彼らはヨー口ッパ中の国々が間もなく、ロシアかペトログラードでしるした道に従うという希望に賭けていた。十月革命は、連合国と中央同盟国間の大戦がヨーロッパで猛威を振っている問にペトログラード--ロシアの首都サンクトペテルブルクはドイツ語の響きを拭い去るため改名されていた--で起き、世界列強はロシア情勢をいかに連合国側に利用できるか検討する場合を除いて、一九一八年十一月までは革命ロシアにほとんど考慮を払わなかった。ドイツは同年三月、東部戦線の陸軍諸師団を英米仏に対する西部戦線に転戦させるため、ブレスト・リトフスクでレーニンの政府と単独講和を結んでいた。一方、フランスと英国はたとえそれが共産政府を倒すことになっても、ロシアを対独戦争に引き戻そうとする努力を強化した。ドイツの降伏後ヨーロッパに平和が戻ると、西側政治家は共産主義の病原菌がロシア国境を超えてヨーロッパの只中に広がるのを防止することをようやく優先し、「ロシア」問題の中身は変容する。革命はドイツ、ハンガリー、イタリアで勃発したが、ロシアの共産党指導部にとっては残念なことに、失敗のうちにしぼんでいく。一方、西側連合国はロシアヘの直接軍事干渉と、反共ロシア人部隊への援助を行う。だか、一九一九年末にはこうした企ては困難に陥り、連合国は派遣軍を撤収。共産主義ロシアは国際舞台での最初の強度試験を生き延びた。

ロシア共産主義者は同時に、革命の輸出に傾倒していた。一九一八年、ドイツ転覆のため、非常に著名な指導者の幾人かを含む密使を送る。その翌年には、国外での共産党創立と世界資本主義打倒を目的とする共産主義インターナショナル(コミンテルン)をモスクワに設立。一九二〇年にはポーランドヘ赤軍そのものを送り込んだ。そして、期待したような「ヨーロッパ革命」が起きないと、レーニンとトロツキーは失望したけれども、自分たちの当初の賭けが勝ちに終わるという確信は変えなかった。

ヨーロッパの軍事力を現実的にどう計算しても、十月革命後のボリシェヴィキには分かなかった。もしドイツが一九一八年にロシアに侵攻していたなら、弱体で装備不足の赤軍はとうてい太刀打ちできなかっただろう。その直後の年月、もし西側連合国が全面侵攻で歩調を合わせていれば、やはり口シアは持ちこたえられなかっただろう。外的諸要因が、列強による中央ヨーロッパ東部への進出と革命国家の転覆を妨げたのは、共産主義者には僥倖であった。ロシアの経済的孤立を終わらせることが有益だと諸外国が次第に気づくようになった点でも、彼らはついていた。通商条約は一九二〇年、まずエストニアおよびスカンジナヴィアと、次いでその翌年、英国との間で締結される。

レーニンとトロツキーに率いられた共産主義者がペトログラードで権力を握ったとき、彼らは自らの政府が数日以上持ちこたえられるかどうか確信が持てないでいた。だが、このことが彼らの楽観主義をへこませることはなかった。ロシア人がこれほど容易に資本主義を打倒できるなら、他の諸国民が同じことをやってのけるのに時間はかからないに違いない。帝国主義と民族主義および軍国主義はいたる所で一掃されようとしている、そう共産主義者は高言した。ボリシェヴィキはグローバルな用語で自らのプロジェクトのあらましを描いて見せた。世界の労働者はあらゆる種類の抑圧からの解放を達成せんとしている。工業社会は幾世代にもわたり呻吟してきた人びとに対し、適正に支払い、養い、衣服を与え、そして教育を与えはじめるだろう。諸国政府は崩壊するだろう。市場経済は廃絶されよう。戦争に終止符が打たれ、人民は国王や司令官、僧侶や警官に妨害されることなく自らの諸問題を処理することになる。共産主義はまさに世界的に広がろうとしている。間もなく政府も軍隊も官僚機構も地上から消滅するであろう、と。
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仕掛けられた偶然

仕掛けされた偶然

 資料を見ながら、旅行のことを中心に入力していました。そこであるのは、やはり、偶然です。実際、すべてというときも偶然のすべてということになります。

 特に、仕掛けられた偶然です。ICE10に乗れなかったことは、あれはひっかけられたと思っています。私にEUに行くなということでしょう。EUに行くことで何かが起こることを避けるために、仕掛けたのでしょう。

 仕掛けられた偶然から意味を持たなければならない。トルコの旅行の直前に仕掛けられました。偶然は必然であることに裏返しです。仕掛けられる方も仕掛けられる。仕掛けたのは大きな意志です。

逆の見方

 逆にアーヘンでの一泊とDBへのクレームが発生しました。ICE10がなければ、スムーズにブリュッセルに戻って、DBに対しても感情を持たずに済んだでしょう。それがなければ、ホテルに泊まるにしても、すべて予約して、オドオドと振る舞ったでしょう。

 今回のことで、トラブルがあっても、どうにかするということが確認できた。私にヨーロッパ縦断を示唆している。これは逆に仕掛けられた偶然です。

トルコ旅行の時

 前回のトルコの時は、出発日に、私のブログに対して、会社からのクレームが入った。パートナーから落とさないとやばいと言われた。それを旅行中の15日間。ずっと考え続けた。奥さんに会社を辞めて、会社を攻撃する方に回ってもいいかと聞いたら、あんたの小遣い分ぐらいだから辞めてもいいと言われた。それで会社に対する態度が決まりました。自分のために、会社を使うということです。

本当に生きているのか

 こんな中で、すべてをまとめたいという活動を存在を掛けてやっています。おちおち、寝ている時ではない。すべての関係を絶って、やることです。仕事との唯一の接点も危ない状態です。頼らないようにします。

 それにしても、本当に生きているのかな。目を開けていても、実感がない。自分の感情がない分、人の感情がビンビン伝わってきます。なぜ、皆、この感情を生きることにつなげないのか。仕事をするふりだけです。自分中心に考えているだけです。それで焦って、人に押し付けて、それが自分のお仕事になっている。

 まあ、そんなことに振り回されたくないので、あえて、無視します。体を休めるだけで、寝ることは諦めましょう。すべての偶然を一点に集める。それしか、私にとっての希望はない。

偶然を生かす

 偶然を意識 �一冊の本で人は変わる �偶然に意図を感じる �偶然は私のために用意されている �偶然に従う

 偶然は必然 �偶然に身を任せる �偶然の持つ意味を冷静に見る �偶然はコントロールできる �強い心の表れ

 偶然を仕掛ける �意図を感じたら、行動 �自分への攻撃も含まれる �偶然を読み取る力 �真っ向から邪悪に向かう

 偶然と未来 �全てはありえない �μと一緒に考えたもので動く �偶然から未来を見る �未来は意図して作る
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