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ソビエト=フィンランド戦争とは

『独ソ戦争はこうして始まった』より

ソビエト=フィンランド戦争とは

 一九三九年十一月三十日に交戦がはじまり、一九四〇年三月十三日に講和となったソピエト連邦とフィンランド共和国との戦争は、歴史的名称として「ソビエト=フィンランド戦争」の用語が定着しているか、ソ連そして現在のロシアでは「冬戦争」と呼んでいる。また、ソ連とフィンランドは一九四一年の独ソ戦で再度交戦することになるので、それと区別するために「第一次ソピエト=フィンランド戦争」と呼ぶこともある。ここではあくまでソ連側、ことにスターリンの対処を取り扱うため「対フィンランド戦争」の呼称をもちいる。

 フィンランドも第一次世界大戦末期の一九一七年に革命に乗じてロシアから独立を宣言した国家だったが、独立の後押しをしたのは連合国側ではなくドイツだった。そのため第一次世界大戦後もずっとドイツ=フィンランド関係は親密であった。にもかかわらずヒトラーは浅はかにも、不可侵条約付属秘密議定書でフィンランドをあっさりとソ連の勢力範囲と認定してしまい、それがやがてはフィンランドをめぐる独ソ間ののっぴきならぬ対立を引き起こす原因になる。

 ポーランド東部侵入と併合、バルト諸国への駐兵がとんとん拍子に運んだところで、スターリンの次の目標はフィンランドということになった。そして十月の初めからモスクワでフィンランド側との間に、領土交換とフィンランド湾内の島の租借または割譲について交渉が行われた。この交渉でのソ連側の要求をまとめてみると、

  一、レニングラード保全のため国境をフィンランド側にあと二〇~二五キロだけずらす。

  二、フィンランド湾の保全のため重要ないくつかのフィンランド領の島をソ連に貸与もしくは割譲する。

  三、その代わりにソ連側は内陸の領土をフィンランドに割譲する。
 
 というものである。この、ソ連側の一方的な都合による領土交換要求にフィンランド側か応ずるわけもなく、十一月二十九日にソ連側はモロトフの名で国交断絶をつたえ、翌三十日早朝、ソ連軍は「フィンランド側からの砲撃に反撃するため」、一斉に空爆と砲撃にはいった。

 のちに国防人民委員第一代理グレゴリー・クーリクが証言しているように、レニングラード軍管区の部隊が対ポーランド作戦に参加しなかったのは後方の控えだったからではなく、次に予定した対フィンランド作戦の準備に専念するためだった。しかも軍管区司令官キリル・アファナショヴィッチ・メレツコフが準備の命令をうけたのは九月半ばというから、ソ連側の対フィンランド作戦はほぼ予定通りの行動だったといえよう。

赤軍の拙戦

フィンランド攻撃に投入された赤軍は、南側からカレリア地峡のフィンランド湾側に第七軍(ヤコブレフ指揮)、ラドガ湖側に第一三軍(グレンデル指揮)、ラドガ湖北方に第八軍(シュテルソ指揮)、さらにのちに第一五軍(はじめミ(イルーコヴッリフ、のちクルデューモフと交代)が新設される。中部フィンランドには第九軍(ヴァシーリー・チュイコフ指揮)、最北には北極海沿岸のニッケル鉱山の都市ペツァモ攻撃のため第一四軍(フロロフ指揮)が配置された。最初に投入された兵力は二一個師団と言われる。これら各軍の総指揮をとるのはレニングラード軍管区司令官メレツコフである。

だか喧伝された〝無敵赤軍〟とは裏腹に、赤軍部隊は随所で悪路と豪雪、そしてフィンランド側か構築した永久堡塁群と阻塞陣地帯にはばまれて撃退され、あるいは逆に包囲寸前の状態での退却が続出した。そして間隙を縫って行われるフィンランド軍のスキー部隊の狙撃兵による「ヒット・エンド・ラン」戦法に翻弄されてしまった。

もっとも極端だったのは、第九軍南下でフィンランド分断を狙って中部のスオミサルミヘと侵入した第四四狙撃兵(注一歩兵のこと。伝統的にこの名で呼ぶ)師団(ヴィノグラードフ指揮)で、ラーテ街道上に戦車、大砲、輸送車が一列縦隊をなして立ち往生し、そこを前後左右からフィンランド軍スキー部隊に攻撃されてほぼ全滅した。そして師団指揮官ヴィノグラードフと同師団の連隊長や大隊長はモスクワから派遣された赤軍最高政治委員メフリスの手で銃殺された。

もっとも南で最大の兵力が配置されたカレリア地峡では、赤軍は「マンネルヘイム線」と呼ばれるフィンランド側のコンクリート製永久堡塁群に前進をはばまれ、無駄な正面突撃を繰り返してはいたずらに損害を重ねるだけであった。これはフィンランド軍最高司令官カール・フォン・マンネルヘイム元帥が戦前から構築しておいた堡塁群で、ラドガ湖とフィンランド湾にはさまれたカレリア地峡を横断して約九〇キロにおよぶ。フィンランド側にしてみれば、すぐ南はレニングラードであり、ソ連側の攻撃がカレリア地峡に集中するであろうことは一目瞭然だった。しかしソ連側はこの要塞線の詳細をほとんど知らなかったことがのちに判明する。かくて数日間で終結するはずだった対フィンランド戦争は、年内にはとても決着せず、根本的な冬季戦準備の練り直しが求められる状況となった。
コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
奇妙な戦争の始まり (μ)
2012-10-23 22:40:18
この後に、フィンランドはドイツと共にペテルスブルグに攻め込んだ。ドイツ崩壊後はロシアからの条件でドイツとたたかった。
その時に、ロバニエミの町はドイツ軍に平地にされた。
それをア・アールトが町を再設計した。
去年、訪問した図書館はその時に生まれた。
 
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