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ゆったりした衰退から抜け出すには

GG=LLは未来予測

 GG=LLは未来予測です。2050年までの未来予測のシナリオをつくる。

マルチ・バース

 マルチ・バースができるということは、この宇宙全体が無限次元です。

個別にやることと集めてやること

 SNSで個別にやることに対して、集めることのメリットを示さないといけないのでしょう。集めることのメリットはつなぐということです。個別だけではムダが生じます。

 2年前の結論からすると、三段ループです。お客様-スタッフ、スタッフ-本部、本部-メーカーのスルー性です。当然、お客様-メーカーもその中に入れ込みます。これはサファイアの考え方そのものです。当然、地域とか経営者では異なります。それをどこまで織り込んでいくのか。

メーカーの立場

 あくまでも、Think Globally,Act Locallyです。グローバルは考えるだけです。ローカルが動き始めれば、いくらでも支援します。やっかいなのは、メーカーとHとの関係です。売ってもらっているのか、売ってやっているのか。

 ローカルはグローバルに対して、分化させないといけない。そこが曖昧だから、おんぶに抱っこになっています。

経営者ヒアリング手順

 経営者ヒアリングの手順は、前半、パートナーから今回の企画を説明します。その中に、2,3,4については、Hでどう受けていくのかを後半のテーマにします。

 元々、Hとしては、コミュニケーションをどうしたいのか。どっちの方向に行くのか、地域とかお客様との関係は微妙です。そうでないと、一連のメーカーからの施策がバラバラになります。

ルソーの散歩吟味

 ルソーの散歩をバスなどで読んでいます。

 「なぜ、こんなことをやっているのか。自己探求こそ、自分の残された時間を費やす課題」と結論している。

 「考えることは私にとっては苦痛だ。私を疲れさせて、悲しい気分にする。単に考えるのならいいけど、深く考えるとそうなる」

 「ひとりぼっちになって、自分自身をエネルギーの源にするようになった」「だが、その泉は汲みつくせない。私は自給自力で生きていける」

 またしても、言葉を与えられた。『告白』を借りてきましょう。

ゆったりした衰退

 アメリカも日本もゆっくりした衰退に向かっている。その理由はよく似ている。自分たちの努力を忘れている。努力できなくなっている。先を見えなくなっている。見ないようにしている。過去の栄光だけで生きている。

 それ故に、再投資できない。世界に対しては戦略できるけど、企業としては、国としてはどんどん衰退している。つまり、新しいインフラを構築できなくなっている。

 世界を変えるためには、それぞれの人が内なる世界でイメージしたものを集めてきて、それをエネルギーにして、外なる世界に向けていくということ。エコットでのセミナーもそういうことです。講師だけではダメです。皆に内なる世界を作り出さないといけない。

 そのまま、外なる世界にしようとすると、軋轢だけでおしまいになってしまいます。行動するのは最後です。内なる世界というのは、考えるベースです。束縛をすべて外して、考える。そこでカタチをつくるのが基本です。そうでないと、引っ張られます。そこで論理的につながっていないと、他とも論理的につながりません。
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サファイアの構成のメリット

我慢した節約

 我慢した節約はダメだというけど、今のように、我慢せずに、車で走り回っていることで、次の社会が描けるのでしょうか。こんなものは論理的にすれば、半分以下のエネルギーで済むに、皆で色々なことを考えれば、先が見えます。

 政府も自分たちでやらないとダメです。企業でエコと言っているものは、物を買わせるの尾が目的です。作って、買わせるにはエネルギーが必要です。それ以外のものがない。彼らを味方にしないといけない。交通体系とか地域インフラを含めて。

販売店の思い

 今まで、販売店への思いをカタチにしてきた。ここでは理念では通じない。それだと、販売店が幸せかどうか、地域の中で生きていけるのか。思いはもっと、大きいです。衛星配信にしても、販売店システム全体を理解した上でないと動けない。おっちょこちょいでは何の役に立たない。

 今のヒアリング対象ではシステム屋さんしかいない。システム屋は自分たちが生き残ることしか考えていない。自分たちの地域をどうするのか、自分の会社をその中でどう位置付けていくのか。そのことを考えて、やっていく時期に来ています。人任せにはできません。自分たちでやっていけるために、グローバルとして、道具を用意しました。

 道具を非難するよりも、自分たちで何ができるのか。それと合っているのか、合っていなかったら、自分たちはどうするのか。今のままで、いいなら、提供しない方がいいです。ポータルは刺激的なものです。といっても、社会ではもはや、現実になっているものばかりです。だからガジェットは使えるのです。

 こういうことを話す相手がいない。今のところ、わかるのは、地域を考えている人だけでしょう。あとは、先とか全体を考える人です。それをメーカーの人に提案したけど、わかる人はいない。少しわかってもらったのは、前の室長ぐらいです。だけど、これは真理です。それが証拠に、そちらの方に向かって動いています。

バラバラにやっている

 皆、バラバラなことをやっています。答えが見えていないのです。

 Tシステムにしても、メーカーとして決めたことだから、とりあえず、道具を作ればいいでしょう。販売店の人の思いはない。そこで、情報系を作っている人は、言われた部分だけを作っています。全体がどういう風に動くのかは聞かされていません。

 それをやっているマネージャーの方は、自分の部署が取りあえず、食っていけばいい。販売店の方のわがままを聞いていてもしょうがない。そんな感じです。こんなので作ったものが動くためにはどうしたらいいのか。スタッフの中に、お客様の考える心を入れるしかない。

 お客様からの要望、クレーム、つぶやきもその中に入れてしまう。店舗のパソコンの前で見ていてもしょうがないから、移動しながら気づけるようにしていかないといけない。常に考えられるようにしていく。お客様からの発信には応えられるようにする。

 Tシステムの中身は、お客様がいつ使うのという感じです。

情報は望めばやってくる

 私の場合は偶然に任せます。Tシステムの説明にしても、東京の連中がどういう反応をするのかをやれるチャンスが勝手に舞い込んできた。その点では、パートナーは天使だけど、相変わらず、優しくない。

サファイアの構成

 元々、ネットワークでも、H単独とメーカーとつなげるものをどうするかで悩んだ。サファイアでは後者を選んだ。その理由はHとメーカーとお客様をつなぐためです、だから、サファイアというリングをイメージした名前にしました。

 当然、理念が先行しています。販売店システム全体を考えるのだから、個別の利益ではないです。その中でも、自分たちのネットワークを作ろうとする自社店があるのは、一つの活力です。

 ポータルもネットワークと同様に、本部と店舗からメーカーとかお客様との関係に広げています。自社店でグループウェアとか使っているものを超えた存在になります。メーカーとのコミュニケーションを進化させます。そのなかで、社会でのSNSの機能も入れ込みます。

 当然、それでメリットのある会社とそうでない会社があります。全体としては、そういうつながりまで求められているということです。
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ヒッグス粒子の発見の意味

『ヒッグス粒子が読み解く「宇宙の謎」』より

ヒッグス粒子の発見には大きな意味が二つある。

 一つは、物に質量があるのはヒッグス機構によるとする理論が証明されたこと。この理論は一九六四年にピーター・ヒッグス博士が提唱したもの。それによると、誕生したばかりの宇宙空間ではすべての素粒子が質量を持っておらず、光の速度で飛び回っていた。ところが、誕生からわずかI〇のマイナスー三乗秒(一〇兆分の一秒)後、真空が冷えて相転移が起こり、隠れていたヒッグス場が突如現れた。「場」というのは空間の性質をいう言葉で、ヒッグス場はいわばヒッグス粒子の凝縮体が詰まった空間のこと。このヒッグス場ができたことで、素粒子たちに質量が生まれた。素粒子たちはヒッグス場が邪魔になって、動きがにぶくなった。それが質量の正体というわけだ。

 こうして、質量を得た素粒子はもはや光速で飛ぶことができなくなった。もちろん現在も同じ。ただし、素粒子にはヒッグス場を感じるものと感じないものがある。たとえば光子はヒッグス場を感じない。そのため質量がなく、光速で飛んでいる。ちなみに、アインシュタインの特殊相対性理論によれば、光速を超えて飛ぶ素粒子はない。

 ヒッグス粒子発見がもたらした二つめの大きな意味は、素粒子標準模型で存在を予言されている素粒子がこれですべて見つかったことだ。素粒子標準模型では宇宙には一七種類の素粒子があると考えられてきたが、ヒッグス粒子だけが未発見のまま残されていた。それが見つかったことで、理論の正しさが証明され、標準模型が完成したことになる。

●ヒッグス粒子はこんな粒子

 ヒッグス粒子は、素粒子標準模型が定める素粒子の一つ。素粒子とは、これ以上分割できない根源粒子をいう。周知のとおり、身のまわりの物質や私たち自身の体はすべて原子でできているが、原子は陽子や中性子と電子でできている。このうち電子はこれ以上分割できない素粒子なのだが、陽子や中性子は素粒子ではなく、クォークと呼ばれる素粒子からできている。

 ヒッグス粒子と電子は同じく素粒子であるとはいえ、いろいろ違いがある。電子がマイナスの電荷を持っているのに対して、ヒッグス粒子は電荷を持たない(電荷ゼロ)。また、素粒子にはスピンという、いわば「自転」のような性質があり。

 電子のスピンは+-1/2である一方で、ヒッグス粒子はスピンを持だない(ゼロ)と考えられている。さらに、両者の質量ははなはだしく異なり、ヒッグス粒子は非常に重く、電子の二五万倍もある。

 このような重い粒子が姿を現すためには、宇宙誕生時と同じくらいの超高于不ルギーな状態をつくり出す必要がある。しかも、ヒッグス粒子は出現してもほかの素粒子と反応し、一瞬で崩壊して別の素粒子に変わってしまうので、実際に現れてもそれを捉えることが難しいのだ。崩壊とは、粒子が壊れて別の粒子が生成されることをいう。

 では、どのようにして出現を確認するのかといえば、標準模型ではヒッグス粒子が崩壊してできる粒子対の種類が予想されており、衝突の際の生成物の于不ルギー、電荷、飛行方向などを測定しそれらのデータを解析することで、ヒッグス粒子ができたかどうかを間接的に特定するのである。

 しかし、解析には膨大な作業を必要とする。陽子の衝突回数も二〇一二年六月末現在、累積で一一〇〇兆回以上を数えた。それらすべてのデータ解析から、ようやくヒッグス粒子を捕まえたのだ。

●大統一理論から究極理論へ

 ヒッグス粒子は、素粒子標準模型(標準理論)に残された最後のワンピースの素粒子だった。それが発見されたことで、標準模型は完成したといえる。我々の宇宙への理解はまた一段階段を上ったといえるだろう。

 しかし、これをもって我々が宇宙のほとんどを理解したとするのは大きな勘違いだ。それどころか、宇宙が依然として広大な暗黒空間として広がっていることに変わりはない。というのも標準模型は、宇宙の法則のうちごく一部を説明する狭い理論にすぎないからである。

 我々の宇宙には四つの力、すなわち「強い力」と「弱い力」、電磁力、重力があるとされているが、これらは宇宙が誕生したとき同じ一種類の力だったと考えられている。それが、宇宙が冷えるにしたがって別の力に分岐した(ように見える)のだ。

 だが、標準模型では弱い力と電磁力の二つしか統一されておらず(電弱統一理論という)、強い力は別物扱いのままで、重力にいたっては力が非常に弱く素粒子どうしの相互作用にほとんど影響しないという理由で、初めから除外されている。

 とはいえ、宇宙に四つの力があることは厳然たる事実なので、いずれ四力の統一に取り組む必要がある。まずは、電弱統一理論と強い力を統一することが求められ、これを大統一理論という。

 この大統一理論では、超対称性という新たな考え方が必要だろうとされている。超対称性とは、いわば物質をつくる素粒子と力を伝える素粒子の垣根を取り払う考え方で、現在判明している素粒子すべてに、スピンが異なる超対称性粒子が存在すると予言されている。ただし、超対称性粒子は一つも見つかっておらず、LHCには次の目標として超対称性粒子の発見が期待されている。

 しかし、もしかりに超対称性粒子が見つかり、大統一理論が完成したとしても、前述のように重力は除外されたままだ。重力もほかの三力と同様に、力(重力)を伝える素粒子をキャッチボールすることで力がおよぼされると考えられている。重力の場合はグラビトン(重力子)が交換されると予言されているものの、グラビトンもまた未だ発見されていない。

 我々が宇宙の物理法則を完全に理解したといえるのは、重力を含め四つの力すべてを統一した究極の理論をつくり上げたときだろう。だが、その道は果てしなく遠いのだ。

 さて、続く一章では素粒子とはどのようなものか、素粒子の世界を図解で見ていくことにしよう。ただし、ヒッグス粒子については本特集で紹介したので省略する。
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超訳「哲学用語」

『超訳「哲学用語」事典』より

全体主義

 全体主義とは、個人に対して全体を優先させようとする思想です。具体的には、社会の全体を一元的に支配しようとする集権的な政治体制の形をとります。典型例としてはドイツのナチズムと旧ソ連のスターリン主義を挙げることができます。

 これらに共通するのは、イデオロギーの共有が求められること、国家機関よりも単独の政党が優越すること、カリスマ性をもった指導者による統合、合法的な殺戮などです。

 ハンナ・アーレントは、『全体主義の起原』において、この全体主義のメカニズムについて分析しています。彼女は、大衆社会の出現に伴う民衆の孤立化こそが、全体主義を生み出したと主張します。つまり、人々は互いを結びつけるイデオロギーを求めたのです。それに乗じたのがヒトラーやスターリンだったのです。

 そしてその状態を維持するために、指導者はイデオロギーの共有を強要し、恐怖政治を行ったというわけです。なお、全体主義概念は、とりわけ冷戦構造下、自由主義陣営が社会主義陣営を指す言葉としても用いられるようになり、一般に画一的な統制をもたらす管理社会全般を表す際にも使われます。

形而上学

 形而上学の原語は「メタフイジカ」です。これは自然学(フィジカ)の後(メタ)という意味です。もともとはアリストテレスの講義録を編纂する過程で生まれた用語だといわれます。つまり、自然についての書物の後に、それ以外の存在をめぐる一連の講義録を位置づけたため、こう呼ばれるようになったのです。アリストテレスの哲学では、存在をテーマにした学問が「第一哲学」であるとされています。

 このアリストテレスの「第一哲学」を、超自然的なものを説明するためのべースにしたのが、中世のキリスト教会でした。彼らのおかげで、メタフィジカのメ夕は、「超える」というニュアンスが強くなります。それに伴って、メタフィジカも「超自然学」という意味をもつようになるのです。

 超自然的原理に基づいて自然を分析しようとするのがメタフィジカ、つまり形而上学の意味になるのです。いわば自然の原理など度外視して、抽象的にかつ本質的に物事を考えるということです。それゆえ、形而上学はしばしば哲学と同じ意味に用いられることがあります。たとえば、宇宙の始まりについて、自然の原理を用いて分析するのではなく、神の意志や人間の精神から論じようとするのが形而上学です。

 啓蒙主義の時代を経て近代に入り、やがて人々が実証的な思考を求めるようになると、超自然的な思考を求める形而上学は役に立たないものの代名詞になっていきます。

 ちなみに、形而上の反対語は「形而下」です。形而上が精神的なものを意味するのに対して、形而下は物質的なものを意味しています。

正義

 通常、正義は正しいという意味で用いられますが、この語は古代ギリシアの時代から様々な形で論じられてきました。たとえば、現代の議論にも強い影響を及ぼしているアリストテレスは、共同体における他者との関係で正義をとらえ、その本質を平等であるとしました。

 この場合の平等には二つの意味があります。一つは「匡正的正義」と呼ばれるもので、損害賠償のように、破壊された均衡状態を元に戻すという意味での平等です。もう一つは「配分的正義」と呼ばれるもので、財の配分における平等です。人は、その価値に応じて、応分の財を受け取るべきだというのです。

 現代においてこの議論を「公正としての正義」という形で再提示しだのがロールズの『正義論』です。ロールズは、功利主義に基づいて財を配分していては、社会の公正が達成できないとして、正義論を提唱したのです。

 たしかに、弱肉強食の社会では強い者が多く取り、弱い者は常に少なくしか受け取ることができません。これでは正義とはいえません。そこで考案されたのが、「無知のヴェール」という思考実験でした。つまり、あたかも無知になるヴェールで覆われたかのように、自分の個別の事情を遮断した状態で、財の公正な分配を考えようというのです。

 ここでロールズは「正義の二原理」を提唱します。つまり、基本的な自由については、誰しも好きなように受け取れるかわりに、財については、最も恵まれない人が最大の利益を得られるように配分するというのです。

 しかし、ロールズの想定している個人は抽象的であるとして、むしろ共同体の美徳に基づいて、困っている人には手を差し伸べればいいとする批判が出てきます。これはコミュニタリアニズムの立場からする正義論として、資本主義が行き詰まる昨今、再び注目を浴びています。

現象学

 現象学とは、一般にフッサールによって提唱された哲学的立場をいいます。通常人間は、世界を見たまま感じたままに素朴にとらえようとします。つまり、目で見たものをそのまま受け入れて、理解した気になっているわけです。フッサールはこのような姿勢を、「自然的態度」と呼んで批判します。

 そうではなくて、心の中身を考察する上で、意識に与えられるがままの内容を記述せよというのです。それは目で見たままの内容とは異なるものです。

 そのために彼は、目の前の世界に対する判断をいったん中止し、それらをカッコに入れることで、心の中の純粋な意識に浮かんでくるものだけを信じるという方法を提案します。これをエポケー(―判断中止)といいます。そうしてはじめて真理に向き合うことができるのです。これは「現象学的還元」と呼ばれます。

 現象学はフッサールの後、フランスの思想家たちに継承されていきます。中でもメルロ=ポンティは、『知覚の現象学』を著し、現象学を身体論に応用しました。彼はフッサールとは異なり、世界を構成する主体として、意識に代えて身体を据えたのです
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