未唯への手紙
未唯への手紙
均一な日本を20に分割する
OCR化した3冊
『フランスハンドブック』
ゆれうごく世界のなかで変わるフランス
テロリストの温床?
環境のなかのテロリスト
社会的苦悩をかかえる郊外
巨大な氷山の一角
係争と暴力
パリでは抗議活動が少ない
善のための害悪
ミクシテが守る
内乱を演じている?
空間的正義と不正義
張リあいながらも互いにとりいれているいくつかの正義論
再配分の限界とずれ
空間的正義の総合的モデル
ヨーロッパ--はじまりの終わり?
中心部と周辺部
神なき大陸
変動する地理
2つのシナリオ
国際移動の複雑な地理学
貸借残高はしばしばつりあっている
「連通管」への反証
外国人が多いと、外国人嫌いがへる
帝国と世界社会のあいだ
ゾフトパワーのゆっくりとした出現
進行中の変動
自分ではどうにもならない矛盾におちいったフランス
『14歳からの資本主義』
「世界標準」を握った者が独り占めする? GAFAは「現代の神」か
GAFA--バーチャル資本主義が力をもつ時代
会社が果たす「安定」の役割
インターネットは、「資本主義の力」を加速させる
誰にもわからない「資本主義」の未来
過去の延長ではとらえられない「新しすぎるデジタル社会」
「資本主義」が「民主主義」を壊す
スマートフォンを使っているつもりで使われている
経済学も、数字にばかり目をうばわれてはいけない
「欲しい」は、どこまで自分の欲望か? 「自分で自分がわからなくなる」時代を生きる
「僕のお父さんは最高じゃない」--ジラールの欲望の三角形
「うらやましい」資本主義のおそろしさ
「エビデソスは?」即効性に飛びつき、逆に疲れる社会
教育を「経済効率」で測ったときのしっぺ返し
「不幸な逆転」から目をそむけない
もっとも手ごわい敵は自分?「過剰適応」をこえて
「歩みを楽しむカメ」のセンスを持て
「日本的な資本主義」を考える
インターネットは「共感」を雪だるまのように吸い寄せる
「シェアリングエコノミー」という考え方があります。
『一神教と戦争』
イスラームは国際社会と、どのように調和するのか
二一世紀、帝国は復興する
中央アジアとネーション形成の失敗
歴史の経験をたどり直す
右足を西欧文明に、左足をイスラーム文明に
共存のカギを握るトルコ
キリスト教の側からまず歩み寄るべき
利子と法人を否定して、経済発展できるのか
偏見の色眼鏡を取り去るには
右足を西欧文明に、左足をイスラーム文明に
『一神教と戦争』より イスラームは国際社会と、どのように調和するのか ⇒ 実際は、レバロンだと私は思っている。内にキリスト教徒が抱え、ヒスボラも存在している。そこで西洋文化の象徴である、ワイン作りを始めているソホリスにいくちゃんの写真集を渡しましょう。
右足を西欧文明に、左足をイスラーム文明に
橋爪 イスラームの伝統を受け継ぐには、まずトルコはどういうふうにできたのだろう、アッバース朝はどうなっていたのか、ファーティマ朝はどうなのかと、イスラームの秘密を理解して、彼らの政策運用や統治技術、十字軍が来た時の戦術、戦略などを残らず踏まえる必要があると思います。イスラームの哲学、歴史、文学を踏まえたうえで、右足を洋学(ヨーロッパの文明)に、左足をイスラームの文明に置いて、それを自分の頭の中で一度ぐしゃぐしゃにしてみる。そこまでしないと、何か新しいものは出てこないし、新しい発想も生まれないと思います。ISの人びとはそういう作業をまったくやっていませんからね。
中田 やっていないですね。
橋爪 拒否して、排除して、敵愾心(外に敵をつくる心性)を煽るしかない。とは言え、かつてヨーロッパもそういうことをやってきたわけで、とどのつまり、同じことをやっているだけなのです。ただ、強ければそれでいいかもしれない。弱いのに、現状を乗り越えて行こうとする場合、そのやり方はよくないでしょう。
中田 そうですね。ISが出てきたことで、シリアとイラクがかなり混乱を極めてきましたので、その意味では理論は追いついていませんが、対応は進んでいますよね。
いま、トルコにはクルド民族が六〇〇万人ぐらいいます。そこに六〇〇万人を超えるシリア難民が出て、トルコはその半分以上を受け入れているので、アラブ人がクルド人に次ぐマイノリティになっているんです。トルコの人口は八〇〇〇万くらいなので、トルコは複合民族国家になりつつある状況です。ケマリズム(西洋化、近代化のイデオロギー活動)の時にはトルコ人だけで、トルコ政府はクルド民族の存在も否定していましたが、AKP(公正発展党。トルコ国会の第一党)になってからは、クルド語の出版や放送を許可しただけではなく、クルド系の政党も認めるなどかなり変化しています。
日本の報道はすごく歪んでいて、クルド人がみんな反政府的なように報道していますが、実際にはトルコにおけるクルド人の受容はずいぶん進んでいます。そういう人たちは、クルド人を名乗らずトルコ人のように見せているのであまり目立ちませんが、トルコの中にクルド人は相当数組み込まれています。さらにいま、アラブ人がずいぶん入ってきて、アラブ化か進み、トルコは本当にコスモポリタンな国になりつつあります。
ということで理論はまだ追いついていませんが、現実のほうはだいぶ進んでいますので、卜ルコの国内の動きはすごく重要だと思います。トルコは西洋の最前線でもありますから、しっかりこれから見ていくべき存在でしょう。
共存のカギを握るトルコ
中田 イスラーム世界では徐々にトルコがイニシアティブを取り始めています。例えばロヒンギャ問題などにもトルコが傑出して発言していますし、パレスチナ問題についてもそうです。
イスラーム世界全体でいちばん人気があるのはエルドアンですから、本当に民主的に選挙をやれば彼がカリフになると思います。
橋爪 日本も一二○年ぐらい前に、台湾を領有し、そのあと朝鮮半島を領有し、南洋諸島を委任統治し、さらに満州国もつくって多元化し、しかもそれがみんな天皇のもとにいるという支配構図を作ろうとしました。その当時の構図は、いまのトルコの状態に重なりますね。当時の日本は、その多元化した支配構図を作ろうとして、「大和民族」と「日本人」を分けたのですよ。日本は、多民族国家だとされた。このことにふたをして、いまの日本人はまったく忘れていますね。日本の中のマイノリティは「在日」のカテゴリーに押し込まれて、さしてインパクトのない存在にされていますが、かつては人口の四割、五割が大和民族でない人びとだった時代があるのです。多民族国家日本はどういう存在なのか、まさに自分たちの課題として、みんな考えていたわけです。
その感度があれば、いまトルコで何か起こっているか、イスラーム世界の中でアラブやシリアがどんな苦労をしているのか、理解できるようになると思うのです。
中田 はい、おっしゃるとおりで、本来の右翼はそういうものであるべきだったのですね。幻想であったとしても、「八紘一宇」にはアジア主義というものがあって、普遍的なものをつくろうという理念があったわけです。たとえ現実がそうでなくても。いまは排外主義オンリーになっているので、あれは右翼とはいえません。しかもそんな排外主義に、賛成や反対を唱えるでもなく、よくわからないという人たちが中心になってしまっているのは、日本の貧しさだと思います。考えることを放棄して、さらに人文教養を崩していっている。そうなれば日本は滅びるしかないと思います。
そうしたいまの現実を見ていると、暗游たる気持ちになります。本来は日本がイスラームと西洋との橋渡しを促すような立場で話ができるといちばんいいのですけれどね。日本にはそういう異文化を学んできた伝統がありますので。
橋爪 そうすると中田先生は、イスラーム全体を取りまとめる中核国家として、トルコがカギになるとお考えなのですね。
中田 はい、西欧社会とイスラームの社会の間をとりもつに当たっても、トルコが大きな役割を果たすのではないかと考えています。ただし、イスラーム世界には、ご存じのようにスンナ派とシーア派の対立がありまして、対西欧よりそちらのほうが厄介だったりするわけです。その問題に対してもトルコは重要な役割を果たしていると私は思っています。
まず、トルコはシーア派と歴史的にも付き合いが長く、敵対しつつもうまく調整して付き合っていく技術を持っている。そこは非常に大きいと思います。
だいたい五〇〇年ぐらい前の時点で、ほぼスンナ派とシーア派のすみ分けができているのですが、少し歴史的な話をすると、いまのバグダッドはもともとペルシャ圏で、シーア派のいちばんの聖地であるナジャフはイラクにあります。ここをどちらが取るか、サファヴィー朝とオスマン朝が争って、最終的にオスマン朝が取ったわけです。
いまのイランの原型ができるのは、いまから七〇〇年前のイル=ハン国の時です。イル=ハン国はもともとモンゴルで、モンゴル人がイランに来たわけですが、これがまずトルコ化します。トルコ化し、そしてイスラーム化し、その後にシーア派化するという流れです。これがシーア派のイランの原型です。
その同時期に、モンゴル軍にバグダッドが取られます。これはイスラーム世界にとって大きなトラウマになりますが、その後にシーア派に取られることになる。その後、しばらくバクダッドは取ったり取られたりしますが、最終的にバグダッドはオスマン朝が取り、スンナ派のものになるということでいままでずっと来たわけです。
ところが、アメリカのイラク侵攻によって、スンナ派だったサダム・フセイン政権が倒され、シーア派政権ができてしまった。これは五〇〇年ぶりのことなのです。五〇〇年ぶりにイスラーム世界の中心のひとつであるバグダッドを首都とするシーア派の政権ができるという大事件が起きたわけです。
こういう歴史的な流れの中で、トルコはいままでシーア派との付き合いをやってきました。オスマン朝のトルコはスンナ派でしたが、シーア派の聖地のナジャフを抱えたまま五〇〇年間やってきたわけです。そういう意味で、シーア派とは敵対している関係でありながら、うまく付き合っていくという技術を持っているのがトルコ人なのです。つまり、シーア派とはまさに敵対的共存の文化を持っているのがトルコなので、スンナ派とシーア派の調整役、あるいは西洋文化との橋渡し的な役割を担うカギになると私は見ています。