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OCR化した8冊

『クルド人を知るための55章』
 クルドの対「イスラーム国」戦 拡大する領土と膨らむ独立の夢
 ISとシリアのクルド人 イスラーム過激派と民族主義
『現代中国を知るための52章』
 改革・開放40年と中国型発展モデルの功罪
 火薬庫の新疆ウイグル情勢 先鋭化するイスラム系民族の抵抗
 激増するエネルギー需要と環境保全 高度成長が引き起こす世界的波紋
 拡大する情報空間の世論 SNS「民意」をめぐるせめぎあい
 アフリカを覆う「中国の影」 加速する経済進出と高まる対中警戒感
『現代ブータンを知るための60章』
 観光事情 複雑な観光料金体系とエコツーリズム
 女性をとりまく生活環境 現代主婦のかかえる様々な問題
 水事情 深刻化する水不足
『第三帝国の到来 上』
 混沌への沈降
 献身の根源
『一帯一路からユーラシア新世紀の道』
 勃興する中国デジタル経済と日中経済協力の新たな可能性を探る
  質的転換を遂げつつある中国経済
  戦略的に重要なIT産業の分野で世界有数
  EV車開発競争の行方
  デジタルロードとなる運命をもつ一帯一路
『朝日キーワード2020』
 支持率低下するメルケル政権
 EUの移民・難民対策
 強まるEUの遠心力
『シンギュラリティの科学と哲学』
 衝撃の未来
  学習 学習形態の変化
   学校教育の中での学習
   オンライン授業
   脳へのダウンロード
   脳の増幅
  戦争 戦闘ロボット
   軍事装備
   無人兵器
   ナノウェポン
  遊び 仮想空間で遊ぶ
   ゲーム
   ギャンブル
  仕事 変わる仕事
   人手不足を補うAl
   人の仕事を奪うAl
   AIはしない仕事
   将来も残っている仕事
   新しく発生する仕事
   ロボット税
  ベーシックインカム 社会不安の防止策
   ベーシックインカムの特注
   AIによる職業盛衰と金銭的補償
  人間原理 人間に都合のよい宇宙
   ビッグバン宇宙
   ファイン・チューニング
   人間原理とは
  マルチバース 宇宙の根本
   相互作用力の統一
   超弦理論
   マルチバース
  ブラックホール 巨大な質量
   岩のコンピューティング能力
   ブラックホール・コンピューター
  ワームホール 光速を超える
   ワームホール
   光速を超える
  フェルミ・パラドックス 宇宙人はいるの?
   SETI
   ドレイクの方程式
   フェルミのパラドックス
『ギデンズ社会学コンセプト事典』
 持続可能な発展 Sustainable Development
 資本主義 Capitalism
 消費者主義 Consumerism
 家父長制 Patriarchy
 家父長制 Patriarchy
 コミュニティ Community
 家族 Family
 市民社会 Civil Society
 民主主義 Democracy
 国民国家 Nation State

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社会学コンセプト事典 家族

『ギデンズ社会学コンセプト事典』より
家族 Family
 [基本となる定義]
  血縁、婚姻、養子縁組などで関係性をもつ個々人から構成される社会集団で、その集団へのお互いの関与が共有されている。
 [概念の起源]
  家族という概念は、社会の概念と同じくらい古い起源をもっており、社会学者たちは、その始祖から今日に至るまで、家族に関して特別なこだわりをもっている。しかし今日の社会学者は、一つの普遍的なモデルがあるかのように「家族」について語ることはできない。血縁によらない家族、片親の家族など、さまざまな家族の形態が存在する今、社会学者はこの多楡吐を考慮して、「さまざまな家族」といった複数形を使っている。
  子どもたちが安定した、調和のとれた環境で育てられていた、かっての家族生活を「黄金時代」だとみなす考えはことごとく間違っていると示されてきた。たとえば、多くの政治家や解説者たちは、今日の家族をヴィクトリア朝時代の明白な安定性と比較しているが、19世紀のイギリスでは、死亡率が高く、平均的な結婚年数が現在より12年も短かったし、子どもたちの半数以上が、21歳になる前に片親を亡くしていたのである。またヴィクトリア朝時代の家庭のしつけは、今日のほとんどの人びとにとって受け入れがたい厳しい規則や肉体上の懲罰を基本としていた。中流家庭の妻たちは、多かれ少なかれ、家庭に縛りつけられており、その一方で、「尊敬される」夫たちは、しばしば売春婦のもとを訪れ、規則的に売春宿に通っていた。子どもたちが働くことも一般的であった。このように歴史社会学の研究は、私たちが常識と考えている歴史認識がしばしば、非常にノスタルジックで非現実的であることを喚起してくれる。
 [意味と解釈]
  今日の「家族」を定義することは、多くの困難を伴っている。それは一つの国民社会においても、世界のさまざまな社会においても、家族の多楡l生がみられることを、現代の社会学者たちが認識しているからである。世界のある地域においては、一世紀以上も存在してきた伝統的な家族構成が、今日でも比較的変わらない形で続いている。しかし、先進社会では人びとの家族編成に大きな変化が起こり、それが家族生活を研究するうえで、新しい方法を取ることを余儀なくさせているのである。
  先進諸国では、南アジアや西インド諸島出身の家族など、少数派のエスニックグループが存在するようになったことや、フェミニズム運動などの影響によって、家族の形態に大きな文化的多様性が生まれた。貧困階級、熟練労働者階級、そして中産階級と上流階級のなかでのさまざまなグループという持続的な階級分割が、家族構造の主たる多様性を支えている。ライフコースにおける家族経験の変化も、また多様化している。たとえば、ある人は両親がともに暮らす家に生まれ、大人になって結婚して、離婚するかもしれない。また別の人は、片親の家で育てられ、数回の結婚を経て、子どもをもつかもしれない。
  親や祖父母、大家族との結びっきも、以前より弱くなっている。それは家族のメンバーが、仕事の都合で国内外のいろいろな場所に移動し、もともとの家族との日常的コンタクトが少なくなっているからである。その一方で、現代では高齢まで生きる人が増え、三世代の「現役」家族、すなわち結婚した孫とその両親、祖父母が、緊密な関係で生活することもある。さらに、現代では以前よりも、家族の組織に性的多様性がみられるようになっている。西欧社会では、同性愛が次第に受け入れられてきたので、パートナーシップや家族も、異性間だけでなく、同性間のカップルや結婚に基づいて築かれるようにもなった。
  家族のタイプ、構造、実生活の多様性は、核家族に基づいてっくられた、広く行きわたっている理想化された家族形態の見解を追い越している。そしてこの、今や「伝統的Jiなった家族のタイプは、その支持者からは、子どもを育てるのに相応しい安定した場とみなされ、それを再活性化しようとする多くの試みがなされてきた。けれどもこの理想化は、家庭内暴力や子どもの虐待など、家庭生活のダークサイドを無視しており、核家族の説明としては不十分で、偏ったものである。比較的最近、先進諸国のいくつかで見られるゲイの結婚の法制化や、高い離婚率の結果として出現しているステップファミリーや混合家族を普通のものと考えることは、「家族」の理念と現実とのずれが、徐々に狭まってきていることを示している。
 [批判点]
  家族はお互いの助けと支えに根ざしている、という主流の考えが、疑問視されている。実証的研究によって、家庭生活における共通の側面として、不平等が指摘されている。すなわち、家族のあるメンバーは得をしており、あるメンバーは不利益をこうむっている、というのである。資本主義生産によって、家庭と仕事の領域は峻別されるようになり、それは男性と女性の領域、あるいは公と私の区別に反映された。現代の先進社会においても、育児や家事といった家庭の仕事は、主に女性の仕事になっている。女性がたとえ公の経済活動をしていても、である。さらに女性は、掃除や育児などの現実的な仕事をするだけでなく、家庭内の人間関係に気をっかったり、年老いた親類の世話をしたりするという、多くの感情労働[2]もまた行っている。
  フェミニストは、家庭生活のダークサイド、すなわち家庭内暴力や婚姻内レイプ、子どもの性的虐待などに注目してきた。こうした家庭生活の汚点は、長い間見過ごされており、社会学において家庭は、世知辛い世のなかからの避難所として、過度に肯定的かつ楽観的に描かれてきたのである。フェミニスト研究は、家庭の親密な私的環境こそが、ジェンダーによる抑圧、感情的・肉体的虐待の中心の場である、ということを示している。こうした一連の研究が、家族の神秘性を取り除くことに役立ったのである。
 [今後の見通し]
  家族研究の中心的特徴として多様性が示されてきたが、グローバリゼーションがさまざまな文化をより近づけたことによって、いくっかの一般的なパターンがみられるようになった。たとえば、G.サーボーンは、氏族や他の親族集団は影響力を失いつつあり、配偶者を自由に選択しようとする傾向が広まってきている、と述べている。結婚式においても、家族のなかでの決定においても、女性の権利がより広く認められるようになり、その一方で、以前は規制力の強かった社会において、男性および女性の性的自由のレベルが高まりつつある。子どもの権利の拡大、そして同性パートナーシップの許容度の高まりも、また一般的な傾向となっている。
  L.ウェアと研究仲間は、1981年から2001年までの公的な政府統計を分析し、核家族は長期的に減ってきている、という主張を検討した。2001年に、住民のおよそ3分の1は表面上「核家族」ということになっていたが、家族形態は非常に多様化しており、そこには片親、一人暮らし、複数の同居人、夫婦のみ、夫婦とほかの同居人、拡大化した核家族のタイプなどが含まれていた。しかし著者は、核家族が重要性を保ち続け、特に中年になっても核家族の形態のまま生活している人びとは、そのままの状態を続ける傾向にある、と述べている。もちろん、片親や一人世帯の増加の原因となるパートナーシップの破綻や離婚の増加を考え合わせると、核家族になる道筋、またそこから脱却する道筋というものもまた、非常に大きく変化している。
  養子縁組の家族が増えるにっれて問題となるのは、そのような家族をどう理解するかという点である。ネガティブな捉え方をするのか、あるいは、通常の家族のタイプとして、より広い視野で受け入れていくのか。M.プラニツとJ.A.フィーニィは、オーストラリアの研究において、養子縁組家族のメンバー自身が感じている、否定的な固定観念が、依然として存在していることを示している。それらの否定的な特性には、「協力的でない」「つながりに欠ける」「愛情が無い」といった点が含まれている。この研究は、多様な家族や世帯の形態を普通なものとみなそうとする動きに反して、「生物学的(血縁による)家族」の理想によってステレオタイプ化された力が依然として存在していることを例証している。

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社会学コンセプト事典 消費者主義、家父長制

『ギデンズ社会学コンセプト事典』より
消費者主義 Consumerism
 [基本となる定義]
  比較的富裕な社会に共通している生活様式で、消費財を絶え間なく購入することが、経済にとっても個人の満足感にとっても有益であるとして推奨する考え方。
 [概念の起源]
  消費者主義はおそらく、19世紀初めの産業革命までさかのぽることができるであろう。産業革命によって、生産される商品量が急激に増加して、より広範な社会集団に至るまで、消費を楽しむことができるようになったからである。近代の消費者として最初に現れたのは、上流階級と貴族階級であり、これらの人びとは、新しい贅沢品を買い求める最も大きな市場を形成した。19世紀・20世紀を通じて,顕著な消費者主義が社会のより多くの集団に広がっていき、20世紀半ばには、消費者主義は経済発展を特徴づける生活様式とみなされるようになった。
  こうした消費者主義の増大を促した一つの重要な原因は、20世紀初頭からクレジットがより簡単に利用できるようになったことである。20世紀末には、多額の借金を抱えながら生活することは普通のこととなり、社会的地位の競争は、次第に消費パターンに基づいて行われるようになった。1960年代以降、資本主義社会は、物質的なライフスタイル、財の購入願望やその利用を推し進める消費者主義を基盤とするようになった、と社会学者たちは論じてきた。これらの変化は、「消費社会」へと移行していった、といわれる。環境主義者たちは、こうした高度消費社会への移行が、環境に破壊的なダメージを与え、不必要な無駄遣いや持続不可能な営みを招いている、と主張する。
 [意味と解釈]
  産業資本主義社会は、大量生産システムに基礎をおいているが、それはすなわち、大量消費の存在をも意味している。商品やサービスは、買い取られ、消費されなければならない。もちろん、生産と消費は地理的には別の場所でなされる。商品は最も安い所でっくられるが、それが消費されるのは、最もよい価格で売られる場所であるから、両者は違った所で行われる可能性が高い。20世紀を通じて、産業資本主義社会の中心的な方向性は「生産パラダイム」から「消費者パラダイム」へと移行しており、今では、比較的裕福な社会を、「消費社会」や「消費資本主義」として特徴づけられたものとしてみることは、社会学での常識となっている。
  仕事は、アイデンティティ形成の過程では、重要性を失いつつある。それに代わって、消費行動が人びとに個人的なアイデンティティを打ち立てる機会を提供している。人は、さまざまな商品を買うことによって、より自由な選択と個性を与えられるからである。消費における中心的焦点と消費者主義のイデオロギーは、商品の交換価値を変化させる流行のシフトに基づいて、商品の迅速な入れ替え周期を促進し、その結果、より多くの浪費へとつながる。消費者が商品やブランドと一体化することは、消費を日常生活のルーティーンの中心に位置づけることになる。次に企業側も、生産の必要性を第一に考えて、消費者への気配りを後まわしにするのではなく、柔軟で差異化している消費者の要求に合わせて、開発・生産を行うように心がけている。これは、典型的には、「フォード式」といわれる生産方法の終焉と、ニッチマーケットに対応する、より柔軟な「ポスト・フォード式」生産方法への移行を表すものである。すなわち、労働者ではなく消費者が中心的行為者となっている。さらに、消費社会によって可能になる個人的なアイデンティティの構築は、生産に基づく社会的コンフリクトを中心から追いやり、シンボルとなる商品を通じて、より多くの社会集団を地位獲得競争に引き入れることとなる。このように、消費者主義と消費社会への移行は、経済的、政治的、文化的面での重大な変動期なのである。
  消費者主義はまた、思考の方法、すなわち、継続的に消費する願望を生み出すように働く精神性、あるいはイデオロギーでもある。消費に関する研究を行う社会学者は、消費の楽しみは製品を使うことにあるのではなく、物を購入する期待感にある、と述べる。人は雑誌をぱらぱらとめくったり、店のショーウィンドウをのぞいたり、世界中のウェブを検索して、実際に購入する前に製品を探し、欲しいという気持ちを募らせる。これは、現代の消費者主義の最も楽しく習慣性になる点が、製品を実際に使うことよりも、それを欲しいと思い、追い求めることにあるからだ、とC.キャンペルは指摘する。すなわちそれは、広告産業によって駆り立てられた願望に基づく、消費者主義の「虚構の価値観」であって、人びとが決して心から満足できない理由もここに存在するのである。
 [批判点]
  消費者主義の概念が、私たちの資本主義理解に新しい要素を加えたことは確かであるが、それが資本主義拡大の原因であるかどうかは、明らかではない。消費が生産を駆り立てている、という考えは、消費者側の要求に重点をおいた見解であるが、それは非常に疑わしいと考える者もいる。人びとを積極的な消費者へと変える願望や要求をっくり出す、会社側のマーケティング、あるいは販売促進のための予算は、莫大だからである。ここで問題となっているのは、このシステムのなかで誰が本当の権力を振るっているか、という点である--製造者か、それとも消費者か? 巨大な資本主義の多国籍企業が、実際に消費者の要求のなすがままになっている、というのだろうか。
  もう一つの批判点は、消費者主義そのものについてであって、それが社会の諸関係や自然環境を破壊するものだ、という点である。消費者主義は、欲望を「必要」へと変えることによって「作用」し、人びとにその「必要」を実感できるように働きかける。こうして、私たちが消費するファッションや新しい製品やサービスの果てしない流れがっくり出されていく。この必要と欲望との合体は、危険だと考えられてきた。それは、幸福がお金で買えるものであり、製品を購入するのは当然のことである、という誤った信念へと人びとを導くからである。そうではなく私たちは、欲望と必要とを切り離して、世界中のすべての人びとの本当の必要が満たされるように以前の状態にまで欲望を減らさなければならない。問題は、この「必要」をどう定義するか、という試みで手間取っていることであ石。必要というものは、文化によって異なっており、それらの相違をはっきりさせるきちんとした基準がいまだにないのである。
 [今後の見通し]
  消費者主義の概念とその結果である消費社会とは、社会学者にとって非常に実りの多いものであった。生産過程と消費パターンとを結びっけることによって、資本主義について、よりバランスのとれた理解が可能となった。たとえば、二つの要素をうまく取り入れたアプローチとして、「生産と消費のトレッドミル(足踏み水車)」理論がある。これは、モダニティが人間社会と自然環境との関係をどう変えてきたかを理解するために、産業化と資本主義経済と大量消費主義とを結びつけている。トレッドミルのイメージは、大量生産と大量消費のシステムが一度動き出したら、そこから降りるのは不可能になる、ということを示している。
  消費者主義は単なるライフスタイルだけではなく、ライフコース全体の特徴ともなっている。先進国では、このライフコースに第二の人生が含まれるのが普通となった。このことが特にあてはまるのは、イギリスでもその他の所でも、今日では多くの老人たちが若い年齢層よりも高い収入を得ており、以前より早い年齢で仕事から全面的に、あるいは部分的にリタイアするからだ、とI.R.ジョーンズと同僚たちは述べている。現在の老年世代は。1945年以降の消費文化を生み出すのに一役買った世代でもある。彼らは、最初の「消費者市民」であり、老年期に入っても、サービスの「受動的消費」に安住するのではなく、積極的に消費活動を続けている。この実証研究は、老年期の人びとが消費者主義にどのような影響を受けているか、またどのように消費者主義へと駆り立てられているか、そのさまざまな現状を詳細にわたって調査している。
  現在の傾向としては、「グリーン(環境にやさしい)」消費があげられるが、これは非常に広範にわたる包括的な概念で、明確な定義を与えるのが難しい、A.ギルヒと同僚たちは、イギリスのデヴォン州の1600世帯の質問票調査によって、グリーン消費の人びとがより持続可能なライフスタイルを求める動機を探った。その調査によると、彼らは四つのグループに分類される。環境主義傾倒者は、持続可能な消費に最もかかわる人びとで、地域で生産されたオーガニックのもの、公正取引による商品を購入し、廃物は堆肥にする。主流の環境主義者は、堆肥以外は同様の行動を取っているが、その一方で、日和見の環境主義者は、環境主義者と同じ行動を取ることはほとんどない。そして非環境主義者は、同様河行動のいずれをも、行おうとする気持ちがみられない。持続可能な消費活動の価値観と環境支持派の価値観とは結びついており、両者は政府に対して、グリーン消費から持続可能なライフスタイルまでの流れを推奨する努力をするように進言している。
家父長制 Patriarchy
 [基本となる定義]
  社会の領域や制度の一部、あるいは全体において、男性が女性を体系的に支配すること。
 [概念の起源]
  男性支配の思想は、多くの宗教が自然なことであり必要なこととして提示してきたこともあり、長い歴史をもつ。社会学において、初めての家父長制についての理論的な説明は、エングルスが、資本主義のもとで女性は男性の支配下におかれている、と論じたなかに見出される。資本主義は権力を少数の男性の手に集め、そのシステムがこれまで以上に富を生み出したことから、財産を男性の後継者に引き継ぐことによって、階級ばかりでなくジェンダーの不平等性をも助長した、というのがエングルスの主張であった。
  けれども、今日の家父長制理論の主流はフェミニズムから生じたものであり、とくに1960年代以降この概念が展開され、近代社会における男性支配の根強さを説明するために使われるようになった。ただし、概念の有用性に関してはフェミニズム理論のなかでも考えが分かれており、自由主義的フェミニズム、社会主義的フェミニズム、ラディカルフェミニズムの立場を含むさまざまな見解が出現している。「個人的なことは、政治的なこと」というフェミニズムのスローガンは、家庭内の領域が、男性支配を再生産する重要な場であると指摘するもので、以前であれば受け入れられなかった見解である。これまでと同様な女性に対する抑圧は、メディアにおける女性や少女たちについての性差別的なコメントや想定、描写などに、また公的・私的な場での男性による暴力や性的攻撃などに 日々見受けられる。20世紀後半には、実証研究が行われて、家父長制の概念が基礎づけられ、社会のさまざまな領域において、その多様な形態を探し出すことに貢献している。

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