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誰にもわからない「資本主義」の未来

『14歳からの資本主義』より 「世界標準」を握った者が独り占めする? GAFAは「現代の神」か 
「世界標準」を握った者が独り占めする? GAFAは「現代の神」か
インターネットは、「資本主義の力」を加速させる
 インターネットが作り出す「会社という場所がいらない世界」では、企業が担う役割の重要性が少しずつ小さくなっていくことでしょう。
 インターネットの登場で、企業はこれまで社内で行っていた仕事をどんどん外注できるようになりました。
 たとえば、会計や財務などの定型的な仕事が外注化されています。会計を外注した企業では、経理部門を大幅に縮小できるため、会社の役割がだんだん小さくなるというわけです。つまり、インターネットの影響の大きさを考えるときに、最初にあげられるのは、市場の役割の強化ということになるのだと思います。
 インターネットは市場の役割を小さくするよりも、むしろ大きくしているのです。
 インターネットは、競争圧力を強めています。
 今日では誰もが競争圧力にさらされるようになっています。徐々に徐々に、みんなが競争させられているのです。
 では、そのプラットフォームであるGAFA自身も競争しているのでしょうか?
  GAFAだけが、他のすべての企業や人々を激しい競争に放りこみながら、自らは脅かされることがない。
  巨大すぎて競争相手がいないため、高みの見物ができるからだ。
  インターネットの勝ち組は、他者には競争圧力をかけながら、自らは競争を回避できるというパラドックス(逆説)が生じている。
  インターネットは、かつて世界を動かしていた企業の媒介的役割を削減する原動力だという見方ができる。
  市場の力と非市場の力のうち、どちらかといえば、市場の力を増すものであり、その逆ではないと思う。
  もちろん、市場主導型ではない他の活動を促しているのも事実だ。比較の問題だ。
 先にも触れたように、企業には市場の競争の中で、従業員を守る役割がありました。企業間に競争がある一方で、企業内では協力関係もあり、そのバランスは守られてきました。
 しかし、インターネット技術の社会で新たに起こっているのは、競争の役割が協力の役割に比べて増大している、ということのようなのです。
 「アウトソーシング=業務の外部発注」の増加がその一例です。
 仕事の中のある過程を自らの企業内の人ではなく、他の会社や個人に任せるのです。企業は、ここでも、「市場」の論理で、少しでも安く仕事をしてくれる会社や人々に仕事を発注します。自社で行う必要のない業務をできるだけ外注するようにしていくのです。結果、ますます企業の中で、企業の外で、競争が激しくなります。
 もちろん、こうした競争が健全に行われることによって、人々がさまざまな能力を伸ばすというプラスもありますが、つねに不安定な状況に置かれることも考えなければなりません。社会全体に、不安が広がり、緊張が高まることを意味するからです。
 みんな自分の仕事が、世界の誰かにうばわれるかもしれないと、びくびくするのは、なんだか大変そうですね。
 インターネット技術は、純粋な市場原理をさらに加速させる一方、企業の役割を減少させ、多くの人々に厳しい競争を強いているというわけです。
誰にもわからない「資本主義」の未来
 個々の出来事の相互関係をグローバルな観点から理解するのは非常に難しい。
 うまく理解できない理由はたくさんある。
 複雑すぎるからかもしれないし、その変化が直線的ではないからかもしれない。
 経済学と気象学の有名な比較がある。
 私たちは自然の法則をよく知っているが、1か月後の天気を予測することは不可能だ。
 明日や2、3日後の天気を予測することはできても、1週間後、1か月後に「必ずこうなる」という予測はできないのだ。
 経済学にも同じことが言えるのではないだろうか。
 世界経済は全体を解明するには複雑になりすぎて、いまの経済学は限界に達しているのかもしれない。
 大きな歴史の流れは予測できないのだ。
 10年後の成長率や失業率を経済学者にたずねても、誰からも責任ある答えは出ないでしょう。それは、経済学が科学的でないからではありません。気象学者は1か月後の気象は予測できませんが、なぜ予測できないのか科学的に説明することができます。
 経済学者も同じなのです。いま経済学は世界全体を理解する天井に突き当たっている、という言い方もできるのかもしれません。
 2008年の金融危機は、多くの経済学者たちを混乱させました。
  10年後に、何が生き残っているか、誰にもわからない。
  アマゾンが世界でもっとも巨大な企業になると誰が予想しただろう?
  フェイスブックも、個人的な写真を掲載するばかげたものが、まさか世界をリードする企業になると誰が思っただろう?
  一方、新しいテクノロジーで世界をリードすると誰もが思っていたIBMなどの世界の巨大企業は瀕死の恐竜と化してしまった。
  テスラ(アメリカの電気自動車)は、はたして新しい自動車業界のリーダーになるのか、バブルで終わるのか?
  予測するのは本当に難しい。その理由は単純だ。
  企業が成功するかどうかは、キリンの進化と同じように、結果を見るまで誰にもわからない。
  これはシンプルな教訓だ。
 新たな産業、新たな分野、新たな需要は思わぬところから生まれます。
 もちろん、たとえば、いまのままで進めば、少子高齢化によって、老人の介護の需要なども増えるでしょう。
 またそこで、AIが活躍する分野も増え、さらに外国人を労働力として受け入れる流れにともなう「市場」も生まれていくことでしょう。そうした、人口動態に基づく予想などからある程度予測できることもあります。
 しかし、画期的で斬新な「商品」は予想を超えたところからもたらされます。
 そのことを頭にとどめ、予測できること、できないことを見極めながら、できる限りのことを考えるのは、大事です。
 たくさんの人々が生きる多くの国、多くの市場の相互関係は複雑すぎるため、経済学を気象学と比較する議論のほうがわかりやすいかもしれませんね。
 私たちが未来を予測する能力には限度があることを認めて、それを前提にして行動すべきだということです。
 世間には未来を予測する情報があふれています。
 けれども本当に、その予測が正しいのでしょうか?

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「シェアリングエコノミー」という考え方があります

『14歳からの資本主義』より 「欲しい」は、どこまで自分の欲望か? 「自分で自分がわからなくなる」時代を生きる
「僕のお父さんは最高じゃない」--ジラールの欲望の三角形
 「はじめに」で、「ケインズの美人投票」というお話をしましたね。
 それが「経済学」の分野から生まれた大衆消費社会への考察だとすれば、「文化人類学」の分野からも興味深い概念が生まれています。
 ルネ・ジラールというフランスの比較文化学者、思想家が提示した、「欲望の三角形」という考え方です。
 人の欲望というものは主体的なものではなく、往々にして他者の模倣であり、人が欲しいものを欲してしまうもの、そのとき他者は、同一の対象を欲望するライバルとなってしまう--、この主体と他者と欲望の対象との関係を「三角形」で表現したわけです。
 すさまじい情報化が進む現代社会は、無数のトライアングルの増殖があちこちに生まれ、その「模倣された欲望」が資本主義の原動力と言えなくもない気がして、おそろしくなってきます。
 技術が格差を拡大する状況について、あるトークセッションに参加したときのことです。その場に参加された方がこんな表現で、現代のSNS社会についての嘆きを口にされました。
  「インターネットで、SNS技術が進んで、わかってしまったのは、〝僕のお父さんは最高じゃない″ということなんです」
 この話は僕に強い印象を残しました。
 インスタグラムなどによってみんな「すばらしい誕生日」の画像を競ってアップしますよね?
 そのことによって、子どもたちの目にもさまざまな家庭のさまざまな豪華な誕生日、両親からのすばらしい贈り物などの光景がいやでも目に入ってきてしまい、いつの間にか比較してしまい……。自分の家で祝ってもらったパーティー、贈り物などに幸せを素直に感じられなくなっている子どもが増えているのではないか、という話です。
 これは、もちろん、素朴に子どもたちにとってもお父さんにとっても不幸ですが、実は子どもの話と軽く見てよいようなことではなく、大人まで含めて、ネット上でさまざまな情報が拡散していく社会では、そのすべての構成員がこうした感情にさらされ、「欲望の三角形」の中に、引きこまれているように思います。
 ジラールが最初に指摘した「欲望の三角形」は、もっと複雑な人間の感情への考察でしたが、先の「僕のお父さん」のように、こうした何気ない日々のSNSなどネット上で目にするものが与える影響は、徐々に深く刷りこまれていくものがあるように思います。
 人々の無意識にどう影響を与えていくか、心のあり方にかかわるものでしょう。
 そして実際、豊かな社会、大衆的な消費が広がる社会、さらにSNSで欲望が拡散される現代では、ジラールがこの概念を唱えた20世紀後半とは比較にならないほどに、ますますその現象は広がっていると言ってよいのかもしれません。
 「欲しい」はどこまで自分の欲望なのか?
 これもまた、自分で自分がわからなくなる……。欲望のかたちは、ねじれ、錯綜していくのです。
「不幸な逆転」から目をそむけない
 人間の社会は、なぜか、いつも不幸な逆転が生まれがちなのですが、資本主義というしくみ、現在のようにネットを含めた技術で高度化され、複雑化した資本主義というシステムは、いつの間にか、逆転、ねじれ、倒錯がおきてしまうのです。
  「自分で自分がわからなくなる」
 そんな状況に、誰をも招き寄せるような不思議な力を持っていると言えるでしょう。
 またさらに「市場」という場を通して集まる人間たちが作る、集団というものの力学についても考えなければならないでしょう。
 みんなもともとは善意を持っていたはずなのに、集団になるとうまくいかなくなってしまう、そんな経験をしたことかありませんか?
 「善意」の合計が、「善意」になるとは限らないのです。
 人間は集団になると、むしろなぜか逆の方向へ走ってしまうことすら多いのです。集団になったときに、本来目指したものから逆走する人間の性のおそろしさ。そして、残念なことに、現代の資本主義こそ、さまざまな逆転現象を引き起こすことが多いと言ってもよいでしょう。
 目的と手段が逆転するような事態がよく生まれます。
 インターネットなどで情報が拡散し、増幅していく中で、みんながよかれと思って一方向に走ることが、逆に皮肉な事態を招きかねない時代でもあります。これは簡単に解決法を提示することはできませんが、この感覚を、多くのみなさんと共有したいと思います。
「シェアリングエコノミー」という考え方があります
 分け合う、共有するという意味で「シェア」という言葉が市民権を得たのは、2000年以降のことかもしれません。低迷する景気、伸び悩む成長という停滞感の中、若者を中心に急速に広がっていきました。
 その概念は、先にもお話ししましたが、一軒家などを友人たちとともに借りて暮らすシェアハウス、そして部屋を貸し借りするAirbnb、アプリで車の空き状況を共有し効率的な配車システムを目指すUberなどへと展開しました。
 SNSを用いることで、市場経済が基本とする「個人の所有」とは異なる「共有」によるサービスの可能性を生んだのです。
 物質的な豊かさの中で育った若者たちは、みなさんのことですが、あまり強い物欲を持たない、と言われます。
 所有ではなく共有を、そしてその行為にも経済的な価値を見出だそう、というわけ「シェアリングエコノミー」分ける経済の功罪なのです。
 スリムに、スマートに--。いいことずくめのようにひとまずは思えますし、実際、既存の資本主義でカバーしきれない部分を補完するアイデアとしての意義はあります。
 しかし、ここでも、気をつけたいことがあります。
  「この人はいい人だから安くてもいい」
  「あの人は気に入らないから売りたくない」
 シェア、分けるという行為につきまとう人間関係の中で、いつの間にか、ある種の感情を売り買いするようなことになっていたとしたら、そこは注意しなければなりません。
 市場とは、金銭の取り引きにしか縛られない場所です。人間関係、感情などが強く支配する共同体などのあり方とは、正反対の場所であることも、実はその魅力のはずだからです。
 実際、海外旅行などで、見知らぬ土地へと旅したときに多くの人々は、まずは市場を訪れます。そこでは、誰もが、排除されることなくプレーヤーとなれるのです。お金さえあれば……。
 それもまた、市場の長所、ひとつの自由のかたちなのです。市場の論理に共同体の論理が入りこむことのプラスとマイナスを、私たちは見極めなくてはなりません。
 市場というものの意味は、誰に対しても同じ100円、100ドル、100ユーロを出しさえすれば、誰もが同じものを買える--。
 そうしたある意味ドライさこそが、すばらしさ、なのではないでしょうか?
 市場で取り引きされているものはお金ではなく信用だ、人間関係だ、という言い方は、うまくいっているときは美しい話に聞こえますが、ひとたび関係が壊れたとき、自らの首をしめることにもなりかねません。
 原点に返って、もう一度、「市場」とはそもそも何だったのか?
 考えるべきときが、きているのかもしれません。

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地域にある販売店の意味

豊田市の博物館計画
 東高の跡地に博物館を建てる計画があるみたい。そのミーティングがあると言うことで、歩いて行くことにした。場所を間違えたり、寄り道したりして、1時間半後に辿り着いた。舞台では、へんな連中が劇みたいなことをしていた。全然、博物館の企画とは思えない。そうそうに出てきた。
散歩での見聞き
 途中、フィリッピンクラブが閉店していたり、日曜日なのに西高生が普通に歩いていた。
 アイデアを記録するために、やはり、ICレコーダーを持って歩くことにした。
 2月後半に、スタバのブラックの発表があるので、名古屋に行こうと思っていたが、高速バスの時刻表に、2月末まで名古屋高速が普通なので、変則になっていることを知った。
散歩になじまないと
 来年3月に免許証更新。どうみても、視力が通らないので、運転できなくなる。となると、歩きが中心になる。そのために歩くことになじんでいこう。歩きながら、考える習慣を復活させよう。とりあえず、バス停までの往復。
未唯宇宙の意味
 なぜ、未唯「宇宙」なのか? 他者の世界のその先が「宇宙」。そこを見るため
地域にある販売店の意味
 なぜメーカーは地域に販売店を作ったのか その理由は配るため 中央集権の発想そのもの キーキー主体となった時には 方向が逆になる 地域が自立するために販売店がある メーカーは単なる補助 市民の自立とのアナロジー
 Google などを シェア企業としてみた時に 発想が逆転する 市民の自立、地域の自立 から メーカーを見ていく
 メーカーから見たときに最大の弱点であった 販売店が 強みに変わる。地域の行政経済と繋がっている地場での行動が正義となる
バカッターの罪名は「機密漏洩罪」
 スターリン時代にスターリンの悪口を言った者に対しての罪名。名誉毀損ではなく、政府が隠していたことを暴露した罪になるというパロディ。
 今回は、こんな連中が作っている、こんな連中しか集まってこないという実情をばらした罪。

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