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ヨーロッパ--はじまりの終わり?

『フランスハンドブック』より ヨーロッパ--はじまりの終わり?
欧州連合は、社会的・経済的であると同時に政治的・制度的である危機を経験しつづけていて、そのことが、もっと深いところで起こっていることの分析を混乱させている。例えば国内政治の場面で、とくに事柄が支配的であるとは言え、川底の流れに興味を持つのは無益なことではない。なぜなら、長年なかったことであるが、いまフランスの政界をヨーロッパ問題が分裂させているからだ。
中心部と周辺部
 ヨーロッパはまず、中心部と周辺部をそなえた発展する空間として、理解できる。やや変更をくわえれば、アラン・レノーの用語(1981年)をここで使うことができるだろう。中心部は、一枚岩でできた国々を結びつけ、封建制度の下書きをした2つの歴史の痕跡でもある2つの面をもつ「心臓」である。1つは、大型のあるいは中規模の都市を結ぶアムステルダムからボローニャまでの背筋。もう1つは、ロンドンやさらにはパリのような、国家に属しながら孤立している首都である。周辺部の第1のレベルもまた2つで、南西部と北東部である。スロヴエニアとエストニアが、そしてあるずれをもって「東欧」が、いかにして南西部のヨーロッパに接近したかを見るのは、強い印象をあたえる。この、生産システムと再配分の仕組みの根本的な再編成をへたすばやい変化は、生産の新しい文化に向けて社会的・経済的な新しい方向づけができなかったロシアの変化と比べると、驚くばかりである。ハンガリーとポーランド、そしてもっと小さい規模でチェコにみられた逆行的な傾向は、この地域の脆弱性を証明するものだが、この四半世紀の変化が新しい社会を創ったことを思えば、相対化されるべきであるし、その新しい社会が、この変化を自分からまねいたのではなくむしろこうむった人々に、郷愁を、そしてときには遺恨をよび起こしたとしても意外ではない。次には、もっと脆弱なだけでなく、より不安定な周辺部がある。[ギリシア、ブルガリアなどの]バルカン半島は長いあいだオスマン帝国が存在したという特徴があるが、苦労して社会的・経済的・政治的に一貫したモデルを打ち立て、民族主義の新しいページをめくった。ウクライナとモルダヴィアとベラルーシは迷い、卜ルコは乱気流のプロセスに入り、そのためにしばらく欧州連合から遠ざかる可能性がある。
神なき大陸
 しかしながら、地政学の浮き沈みを超えて、信仰の有無の分布図でわかるように、根本的な傾向はある連続性をもっている。全体としてヨーロッパは中国とともに、世界で、人間の形をした神々がもっとも衰退している地域である。チェコ、オランダ、フランスにおいては無宗教が大半となり、丙ヨーロッパ全体では、信仰や宗教組織への加入と倫理的信念との分離が、不断のリズムで強まっている。信仰の地理は、ある驚きを用意している。西ではカトリックとプロテスタントの対立をたどっていない。東では、同様に、カトリックと東方正教会とイスラム教の区別がはっきりしない。この地図が似ているのは、まさに中心部と周辺部の地図である。イタリアには特殊な状況が見受けられ、ヴァティカンが国の社会生活にあたえる影響のほかに、イタリア社会のもっと深い矛盾を示している。隣国と比べると、性的指向の自由の権利において遅れているだけでなく、デジタルでも遅れている一方で、20年前からポピュリズムの傾向のある政党が、さまざまな形で支配している。
変動する地理
 EU(欧州連合)との関係を示す地図は、非常に複雑である。ブレグジット(イギリスのEU離脱)で、EUを離脱する決定が可能であることがわかったのだが、それは多くの選択肢のうちの1つの面でしかない。容易にメンバーになれるだろうがそれを望んでいない、それでいて、シェングン協定[域内で国境審査廃止]に加盟することで、国境を低くするというEU加盟よりもっと強い関与をしているノルウェーやアイスランド、スイス、あるいはリヒテンシュタインのような国もある。反対に、多少なりとも現実的な加盟の要求もあったが、西ヨーロッパにおける世論の一部のためらいの前に、もっとも熱心な国もふくめてすべての志願国は実際プロセスの途中でしりごみした。他方、イギリスがとっていた、中であって外である姿勢は、ユーロを望まないスウェーデンとデンマークによって維持されている。そしてヴィシェグラード・グループ[以下の4か国の地域協力機構]の4国 (ポーランド、チェコ、ハンガリー、スロヴァキア)が連邦型ヨーロッパヘの回帰の計画をあたためているところ、原加盟国(ドイツ、フランス、イタリア、ベネルクス3国)においては、2008年には金融危機に対応して、緊急に確立された新しい連帯がフェデラリズムに好意的な動きを生じさせたが、それがとりわけユーロ圏におけるひとつの民主的政府への要請となって現れている。
2つのシナリオ
 すでに変動する地理で機能しているこの空間が、その政治的差異を容認し、強化するのを予想することができる。2つのシナリオが考えられ、そのなかでフランス人の選択が1つの役割を演じることになる。
 最初のシナリオ「終わりのはじまり」は、反ヨーロッパのポピュリズムが権力の座へ登場し、ヨーロッパ全体で連携することによる、欧州連合の崩壊である。最近の選挙の変遷をみると、それはありそうなことに思える。しかしながら、この見かけ上の収束は、西と東のナショナリズムの矛盾を強調することになるだろう。最初のケースとしては、欧州連合の予算への出資をこばみ、保護主義を選択して周辺を悩ませるだろう。次には、あらゆる超国家主義を拒否しつつ、中央の連帯を利用しっづけることがあるだろう。
 2番目のシナリオ「はじまりの終わり」は、「速度」の違いを形式化することだ。ユーロ圏の中心は、積極的な行動に出られるように自立し、周囲には、ついてくるか、のぞまない結果も受け入れるよう強要する。2つの別々のグループ、成功している中央の反ユーロの部分は、その理由から自動的な連帯を警戒するし、周辺部はまだ統一通貨を適用できずに、しばし、距離をおくだろう。決定要素は、ヨーロッパの中心が1つの声で話し、ある1つの国のほかの国々に対しての計画ではなく、ヨーロッパ全体の革新の力となるような共通の計画を提示する能力である。

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フランス テロリストの温床?

テロリストの温床?
 環境のなかのテロリスト
  2015年1月と11月のテロ事件のあと、テロリストの大半がフランス人で、多くの場合フランスで生まれていたことがわかった。彼らの経歴は、次のような特徴に要約される、よくある平凡なものだ。マグレブ[主としてかつてのフランス植民地のモロッコ、アルジェリア、チュニジア]からの移民の息子、平均的あるいは平均以下の教育、軽犯罪の前科、宗教心は薄く、最近になって過激化した、実行にあたっては決然として職人的。バリエーションもある。ジハーディストグループと直接的に知りあいだったり、間接的にしか出会っていなかったり、単独行為だったり、集団的行為だったり、だが態度は多かれ少なかれ自滅的である。地図はこの類似性と相違を報告し、リヨン、トゥールーズ、あるいはパリの庶民的地区における都市生活の重要性をきわだたせている。そこには、2つの異なる形態が見てとれるように思われる。1つは非常にローカルなもの、もう1つは紛争地への短い冒険をともない、そこで超国家的テロリスト組織とのかかわりをもつものである。共通なのは、住民の大半が貧しい都市環境での短い生涯だ。
 社会的苦悩をかかえる郊外
  困難な地区をターゲットにした「優先地区」の地図がここで説得的である。教育優先網(REP)も治安対策優先地区(ZSP)も、あるいはより一般的な地区の社会活動である都市政策優先地区(QP、フランスでは都市政策とよばれる)も、あきらかに大規模・中規模の都市郊外がほとんどである。さらに地図の背景を、「卒業資格なし」の分布が補強している。制度上の効果とは別に、この情報を「社会問題」の比較的信頼度の高い指標と受けとめることが可能である。
  それに、学業のドロップアウトに直面して、すぐ手のとどくところに答えがあることの理解を可能にする、もう1つの要素をつけくわえることができる。麻薬の売買である。庶民的郊外は、社会的苦悩とその苦悩の結果という二重の苦悩をこうむっている。それにもかかわらず、住民がメトロポールの高い生産性に寄与しているのだから「周辺部のフランス」[地理学者クリストフ・ギユイの、フランスはグローバリズムの恩恵を受けて繁栄しているメトロポールと、苦悩する周辺部に分かれているとする理論より]にはあたらず、うまくいっている郊外もあるという意見も聞かれる。だがそのことが、こうした地区の何百万人もの住民から、目をそらしていい理由になるだろうか? 彼らは、都市周辺部の邸宅でたえがたい「文化的治安の悪さ」に悩まされているという人々よりずっと数が多く、客観的にずっと脅かされているのだ。
 巨大な氷山の一角
  いっしょに見ることによっても、これら3枚の地図はぢちろん、テロリズムが生まれる場所についてのヒントを提供してはいない。テロの原因の一部は外国、あるいはヨーロッパの別の場所にもあり、特殊な複雑な問題をひき起しているからだ。遠く植民地主義の論理の影響も指摘できるだろう。また、少年たちが「男の価値」を簡単にすてられないことが指摘できるが、それは労働者の世界で長年支配的だったもので、学習やサービス、知的な仕事を軽蔑し、力関係を社会生活における調整役として重視するものだ。このカルトグラフの5人のテロリストは、巨大な氷山のおそるべき一角にすぎない。欠陥は概してインフラにかかわるのではなく、ましてやローカルインフラの影響にかかわるのでもない(都市のある地区の問題を、その地区のレペルで解決しようとすることは、方向づけの明らかな誤りであることを証明している)。庶民的郊外の統合的な開発を、メトロポールの政策と国の利益の重要な課題とすることが必要である--そう言った人びとがいる。だがだれがそれをするのだろう?
係争と暴力
 フランスは200年前から内部の紛争に悩まされているが、この状態からほんとうに脱したいと考えているのだろうか? 社会的暴力は姿を変えたが、依存としてある。それはたんに象徴的なもので、ほかの関与者と話しあう言語の1つなのだろうか?釈迦に深く根づいた、法治国家拒絶のしるしなのだろうか? 平和的な抗議活動の場所と暴力的な抗議活動の場所の比較が、ある観点をもたらしくくれる。
 パリでは抗議活動が少ない
  給与所得者の組合が組織する、ほぼつねに平和的なデモからはじめよう。近年のデモには、21世紀初頭から、はっきりとわかる変化が確認されている。都市の規模に対して、デモ参加者が少なくなっていることである。パリ盆地の都市はあまり意欲的でなく、パリの都市圏でも、人口が約10分の1のトゥールーズ都市圏よりわずかに参加者が多いだけで、直感に反する風景がある。西部と南部の公務員や学生の街が、北部と東部の労働者地帯にとって代わっている。
  パリの場合が特別な注目に値するだろう。ある時期のあいだ、デモの退潮は起こっていても、逆説的な現象によっておおい隠されていた。組合による抗議運動のもっとも激しいものが、全国レペルでありながら、パリにかぎって行なわれたが、実際にはイル=ド=フランス地域の動員は少なく、ほとんどが「地方の人々」だったのだ。反面、デモ隊の列のなかでは、議員たちにうながされて、有給で時限ストライキに参加した市町村の公務員が、最低人員を確保していた。共産党の衰退およびパリ・メトロポールの社会経済的変化によって、「赤いベルト[パリ郊外の共産党勢力の強い地域]」に政治的交替が起こり、抗議活動の勢力は徐々に減少した。時を同じくして、地方分権によって地元空間や地域圏が重要な権限の場となり、パリヘの集中という構図がくずれたため、パリ以外の地域における活動も重視されるようになった。組織的ではなく、一部偶然に左右される面もあるが、中小の都市は、これこれの日にデモがあるというとき、それなりの人数を集めることができる。これも分布図でみられるとおりである。
  だが、パリは新しいジャンルの表現で、ある程度の地位をとりもどした。ニュイ・ドゥブーのような市民の討論[2016年春、レピュブリック広場を占拠して討論などを行なった]、他の地域にさきかけて危機を強調するナントやレンヌでのように組織された破壊活動家による暴力、左派政党と組合組織の提携による儀式的なデモ行進である。反面、パリは、2015年1月のテロ事件に続く、政治的で、大規模で、声を立てない新しいジャンルのデモでも異彩を放った。
 善のための害悪
  変わったのはまた、都市化、あるいは開発の係争にかかわる善のための害悪というべき係争である。空間はそのとき争点であり、抗議が示されるのは、局地的で一時的あるいは長期的な行動による、係争地占拠の形である。これは1999年、シアトルにおける世界貿易機関閣僚会議に対する激しい抗議活動にはじまり、公共財産と機動隊を攻撃するような行為がふたたびみられた。フランスにおけるリヨン・トリノ間のTGV計画への異議申し立ては、あきらかに新しい路線に反対したピエモンテ地域から表明された、妥協しない一連の「No TGV」運動にならったものと位置づけられる。ノートル=ダム=デ=ランドの空港建設反対も、このタイプの運動と共通点をもち(環境問題。各地をめぐって、いざとなれば警察と戦う用意がある、ヨーロッパの活動家の存在)、40年前の、反軍国主義のデモ参加者によるラルザック・カルスト台地の占拠によく似ている。
 ミクシテが守る
  2005年の暴動は、自然発生的な動きのユニークなケースである。場所を庶民的郊外だけにかぎって、自然発生的な反発と組織的な破壊行為、そして政治的抗議行動との境界で行なわれた。この暴力的な行動の、ある意味偶発的な発生と、「ウィルス性」の伝播は、非常に異なる情報コンテクストで発生した、1789年夏の、村から村へと伝播した人恐怖のような出来事を思わせる。警察の暴力の告発という直接の原因を超えて、この動きは、往々にして社会移動の敗者(少女に対する少年。マグレブ出身者よりむしろサハラ砂漠以南のアフリカ出身者)の苦悩の表現であると解釈された。「社会のエレべーター」に乗れないこと(あるいはすくなくとも遅れをとっていること)が、労働者の子どもたちに不公平な形で打撃をあたえている。そして、それに反是する暴力もまた、非常に正確な一定の揚所の状況という視点で分析されなければならない。多くの大都市、とくにパリにおいては、分布図によると、ミクシテが融和的な効果をもたらしているのがわかる。というのも巾心部はこの暴力をのがれているからである。外見は平等に見える状況でも、恵まれない地域の若者は、彼らがどんな場所で暮らしているかによって違う。ある地区において社会的落ちこぼれが一様に起きている場合は、あきらかに絶望感と激しい反発をひき起こすこととなるだろう。
 内乱を演じている?
  西ヨーロッパの隣国と違ってフランスでは、社会的暴力がずっと続いている。そんなふうに見えるだけではない。実際、最近の警官への攻撃にも死をもたらす危険のある火炎びんが使用された。1968年とそれに続いた極左の学生による示威行動以降も、人種差別あるいは反ユダヤ思想による少なからぬ数の犯罪、管理者監禁、サボタージュの脅威、警察による暴力に対する抗議をともなって散発する労働者による暴力は、公共財産を破壊するまでに悪化しているのが観察され、とくに、全期問をとおして、組合の支援を得た農業従事者たちの一連の不法行為は、1999年、環境省を破壊することまでした。
  しかしながら、今日の暴力を1954年から1968年に存在していたような暴力に比べると、重要な違いに気づく。共産党とそれに近い組織による攻撃的な行動は、冷戦や植民地戦争のような中央政治闘争のなかに地位を占めていた。非合法の行動に参加し、同時に選挙で戦い、都市を管理していたのは、同じ人々だった。今日では、暴力は3つの意味で周辺化した。まず、農業運動を除いては、連続的に行なわれているのではないこと。次に、労働者運動の枠外にあること。組合のデモをよそおっているときも、多くの場合はそれに依存しているだけである。そしてこうした暴力行為が、ある特殊な問題が存在する地点で行なわれ、そこから社会全体に向かって象徴的な抗議のメッセージ、あるいはより一般的な不満のメッセージを送っていることだ。
  この暴力が政治的であることははっきりしているが、その正確な意味はなんだろう? 暴力的な抗議者たちがよく言うのは、「これが聞いてもらえるただ1つの手段」ということだ。彼らは、暴力で対抗するしかない権力の暴力を非難している。「ギリシア人たちは彼らの神々を信じていただろうか?」と、フランスの歴史学者ポール・ヴェーヌ[1930年生まれ]が著書のなかで疑問を呈しているが、フランス人も内乱を演じているだけなのか、それともほんとうに信じているのだろうか? おそらくその両方だろう。

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革命には数学者が必要だった

8.1はパートナーへのメッセージ
 販売店の役割を明確にして、いかに社会への影響力を増すのか。「得る」から「使う」への変革。
未唯たちが不意に現れた
 奥さんが珍しく、掃除機をかけていた。それも子どもが這いずり回りそうな箇所を中心に。もしやと思ったら、現れた。次は3月だと聞いていた。
 未唯の誕生日に対する準備をしていなかった。取り崩すしかないかな。リミッターがなくなりそう。24日のバスラのLV費用3700円は来月の生活費を前借りすることにする。
アイドルオタクの経費
 アイドルオタクの経費は平均10万円だそうです。写真集とかの雑紙と卒コンのLV位だから、1万円程度。握手会とかライブ遠征をイツになることやら。
字消しテープ
 字消しテープはMおのAir60が一番使いやすい。使うコツは力を入れないことです。
日本は「関東地方」なのか?メディア。宮町には関係ないこと。
 日本中が雪みたいな
 デイ・アフター・トゥモローのNYPLは寒かった。いっそのこと、東京が凍り付けば。
なんでもやりきる、いくちゃんはすごい!
 写真集もミュージカルも。そして、TTにもやり切っている。
次の変革のフランスから始まる
 次の変革のフランスから始まる気がしてきた。市民が一番確立するのはフランス。そして移民の影響。ムスリムからの影響がキリスト教に衝撃。それとフランス革命での「博愛」の精神。これらが絡み合って、本当の市民による、平等を求める変革が始まる。
 市民の自立の一番、反対側にいるのが日本。ものづくりとか 幻想に取り憑かれている、日本には市民がいません。その前提となる「博愛」、つまり公共が完全にありません。そして、民主主義も与えられたものです。これでは自立するわけがない。
フランス革命で「博愛」は何を意味したのか
 博愛のために戦うために銃はいらない。何がいるのか? もしかすると、レミゼでの コゼットへの愛。
 フランス革命の「博愛」は研究対象です。何を意味したのか? 誰が言い始めたのか? 当時何が足りなかったのか?結局、革命の成果はナポレオンに取られてしまった。その挙句のロシア遠征。ボロジノまで出かけて行って、若者は死んでいった。
 今の時代だったら共有の精神で、本来目指すところに向かえるかもしれない。
革命には数学者が必要だった
 フランス革命当時、若き天才ガロアは決闘でなくなる。もしかすると、彼が新しいコミュニティの概念を独創的な「群論」でもって作り出したかもしれない。祖の決闘が歴史の分岐点!
 銃をコミュニティに変えることができたら、6世紀のムスリムのように、自由と平等の共同体のウンマでもって 国を越えて 伝播していく

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