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社会学コンセプト事典 家族

『ギデンズ社会学コンセプト事典』より
家族 Family
 [基本となる定義]
  血縁、婚姻、養子縁組などで関係性をもつ個々人から構成される社会集団で、その集団へのお互いの関与が共有されている。
 [概念の起源]
  家族という概念は、社会の概念と同じくらい古い起源をもっており、社会学者たちは、その始祖から今日に至るまで、家族に関して特別なこだわりをもっている。しかし今日の社会学者は、一つの普遍的なモデルがあるかのように「家族」について語ることはできない。血縁によらない家族、片親の家族など、さまざまな家族の形態が存在する今、社会学者はこの多楡吐を考慮して、「さまざまな家族」といった複数形を使っている。
  子どもたちが安定した、調和のとれた環境で育てられていた、かっての家族生活を「黄金時代」だとみなす考えはことごとく間違っていると示されてきた。たとえば、多くの政治家や解説者たちは、今日の家族をヴィクトリア朝時代の明白な安定性と比較しているが、19世紀のイギリスでは、死亡率が高く、平均的な結婚年数が現在より12年も短かったし、子どもたちの半数以上が、21歳になる前に片親を亡くしていたのである。またヴィクトリア朝時代の家庭のしつけは、今日のほとんどの人びとにとって受け入れがたい厳しい規則や肉体上の懲罰を基本としていた。中流家庭の妻たちは、多かれ少なかれ、家庭に縛りつけられており、その一方で、「尊敬される」夫たちは、しばしば売春婦のもとを訪れ、規則的に売春宿に通っていた。子どもたちが働くことも一般的であった。このように歴史社会学の研究は、私たちが常識と考えている歴史認識がしばしば、非常にノスタルジックで非現実的であることを喚起してくれる。
 [意味と解釈]
  今日の「家族」を定義することは、多くの困難を伴っている。それは一つの国民社会においても、世界のさまざまな社会においても、家族の多楡l生がみられることを、現代の社会学者たちが認識しているからである。世界のある地域においては、一世紀以上も存在してきた伝統的な家族構成が、今日でも比較的変わらない形で続いている。しかし、先進社会では人びとの家族編成に大きな変化が起こり、それが家族生活を研究するうえで、新しい方法を取ることを余儀なくさせているのである。
  先進諸国では、南アジアや西インド諸島出身の家族など、少数派のエスニックグループが存在するようになったことや、フェミニズム運動などの影響によって、家族の形態に大きな文化的多様性が生まれた。貧困階級、熟練労働者階級、そして中産階級と上流階級のなかでのさまざまなグループという持続的な階級分割が、家族構造の主たる多様性を支えている。ライフコースにおける家族経験の変化も、また多様化している。たとえば、ある人は両親がともに暮らす家に生まれ、大人になって結婚して、離婚するかもしれない。また別の人は、片親の家で育てられ、数回の結婚を経て、子どもをもつかもしれない。
  親や祖父母、大家族との結びっきも、以前より弱くなっている。それは家族のメンバーが、仕事の都合で国内外のいろいろな場所に移動し、もともとの家族との日常的コンタクトが少なくなっているからである。その一方で、現代では高齢まで生きる人が増え、三世代の「現役」家族、すなわち結婚した孫とその両親、祖父母が、緊密な関係で生活することもある。さらに、現代では以前よりも、家族の組織に性的多様性がみられるようになっている。西欧社会では、同性愛が次第に受け入れられてきたので、パートナーシップや家族も、異性間だけでなく、同性間のカップルや結婚に基づいて築かれるようにもなった。
  家族のタイプ、構造、実生活の多様性は、核家族に基づいてっくられた、広く行きわたっている理想化された家族形態の見解を追い越している。そしてこの、今や「伝統的Jiなった家族のタイプは、その支持者からは、子どもを育てるのに相応しい安定した場とみなされ、それを再活性化しようとする多くの試みがなされてきた。けれどもこの理想化は、家庭内暴力や子どもの虐待など、家庭生活のダークサイドを無視しており、核家族の説明としては不十分で、偏ったものである。比較的最近、先進諸国のいくつかで見られるゲイの結婚の法制化や、高い離婚率の結果として出現しているステップファミリーや混合家族を普通のものと考えることは、「家族」の理念と現実とのずれが、徐々に狭まってきていることを示している。
 [批判点]
  家族はお互いの助けと支えに根ざしている、という主流の考えが、疑問視されている。実証的研究によって、家庭生活における共通の側面として、不平等が指摘されている。すなわち、家族のあるメンバーは得をしており、あるメンバーは不利益をこうむっている、というのである。資本主義生産によって、家庭と仕事の領域は峻別されるようになり、それは男性と女性の領域、あるいは公と私の区別に反映された。現代の先進社会においても、育児や家事といった家庭の仕事は、主に女性の仕事になっている。女性がたとえ公の経済活動をしていても、である。さらに女性は、掃除や育児などの現実的な仕事をするだけでなく、家庭内の人間関係に気をっかったり、年老いた親類の世話をしたりするという、多くの感情労働[2]もまた行っている。
  フェミニストは、家庭生活のダークサイド、すなわち家庭内暴力や婚姻内レイプ、子どもの性的虐待などに注目してきた。こうした家庭生活の汚点は、長い間見過ごされており、社会学において家庭は、世知辛い世のなかからの避難所として、過度に肯定的かつ楽観的に描かれてきたのである。フェミニスト研究は、家庭の親密な私的環境こそが、ジェンダーによる抑圧、感情的・肉体的虐待の中心の場である、ということを示している。こうした一連の研究が、家族の神秘性を取り除くことに役立ったのである。
 [今後の見通し]
  家族研究の中心的特徴として多様性が示されてきたが、グローバリゼーションがさまざまな文化をより近づけたことによって、いくっかの一般的なパターンがみられるようになった。たとえば、G.サーボーンは、氏族や他の親族集団は影響力を失いつつあり、配偶者を自由に選択しようとする傾向が広まってきている、と述べている。結婚式においても、家族のなかでの決定においても、女性の権利がより広く認められるようになり、その一方で、以前は規制力の強かった社会において、男性および女性の性的自由のレベルが高まりつつある。子どもの権利の拡大、そして同性パートナーシップの許容度の高まりも、また一般的な傾向となっている。
  L.ウェアと研究仲間は、1981年から2001年までの公的な政府統計を分析し、核家族は長期的に減ってきている、という主張を検討した。2001年に、住民のおよそ3分の1は表面上「核家族」ということになっていたが、家族形態は非常に多様化しており、そこには片親、一人暮らし、複数の同居人、夫婦のみ、夫婦とほかの同居人、拡大化した核家族のタイプなどが含まれていた。しかし著者は、核家族が重要性を保ち続け、特に中年になっても核家族の形態のまま生活している人びとは、そのままの状態を続ける傾向にある、と述べている。もちろん、片親や一人世帯の増加の原因となるパートナーシップの破綻や離婚の増加を考え合わせると、核家族になる道筋、またそこから脱却する道筋というものもまた、非常に大きく変化している。
  養子縁組の家族が増えるにっれて問題となるのは、そのような家族をどう理解するかという点である。ネガティブな捉え方をするのか、あるいは、通常の家族のタイプとして、より広い視野で受け入れていくのか。M.プラニツとJ.A.フィーニィは、オーストラリアの研究において、養子縁組家族のメンバー自身が感じている、否定的な固定観念が、依然として存在していることを示している。それらの否定的な特性には、「協力的でない」「つながりに欠ける」「愛情が無い」といった点が含まれている。この研究は、多様な家族や世帯の形態を普通なものとみなそうとする動きに反して、「生物学的(血縁による)家族」の理想によってステレオタイプ化された力が依然として存在していることを例証している。

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