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平等 「負の所得税」とベーシック・インカム

『経済と社会の見方』より

「負の所得税」とベーシック・インカム

 近年の格差の拡大にともなって、すべての個人に最低限の生活費を保障するベーシック・インカムの議論がますます盛んになっています。スイス、フィンランド、オランダ、カナダなど多くの豊かな国で、現実的な政策としての論議が進んでいるのです。

 日本でも数多くの著作が書店を賑わせていますが、経済学者である原田泰もまた、二〇一五年の『ベーシック・インカム--国家は貧困問題を解決できるか』において、日本でも採用すべき理由を説得的に論じています。

 ベーシック・インカムの議論にも多様なバリエーションがありますが、ここではフリードマンが提案した「負の所得税」の議論を紹介しましょう。フリードマンは一九六二年の『資本主義と自由』、一九八〇年の『選択の自由』において、誰にも分かりやすい単純で効率的な税・生活保護制度を提案しました。「負の所得税」という制度は、所得税と生活保護、あるいはベーシック・インカムとを一体化した政策です。

 普通、所得税はある一定の所得を越えると課税され、所得が高くなると累進的に税率が上がります。現在の日本では、一人暮らしなら二六〇万円、夫婦と子供二人であれば三八〇万円ほどが最低課税額で、それ以上の所得に一〇パーセントの税が課されます。反対に生活保護制度は、稼得能力がないと認められた場合に政府から給付金が与えられます。現在は一人あたり年間一八〇万円、三人家族であれば二五〇万円ほどです。

 話を単純にするために、ここでは二〇〇万円を境にした負の所得税を考えましょう。つまり二〇〇万円から課税が始まり、一〇〇万円がベーシック・インカムになるように設計するとします。この場合、例えば二〇〇万円以上の所得からは二〇パーセントの税を取りますが、反対に二〇〇万円以下の年収であれば二〇〇万円までの差額の五〇パーセントを補助金=生活保護費として支払います。こうすると、誰もが少なくとも一〇〇万円の所得をベーシック・インカムとして得ることができます。またどんなに少額であっても、働いた分についての半額は所得が増えるため、働こうとするインセンティブも残ります。

 現行の生活保護制度の受給要件では、地方自治体の職員が、本人が働けないことを確認する必要があります。そのため受給申請者に対して、「あなたは、本当は働けるんじやないですか?」というような、嫌がらせの質問を繰り返しているのが現状です。それだけでなく、いったん生活保護を貰えば、働いて給与を得ればその分だけ受給額が減るため、働くインセンティブは完全に失われてしまいます。いつか再び働けなくなって、受給を再申請する場合のことを考えれば、いったん生活保護費が支給されれば、働かないほうが賢明でしょう。

 負の所得税は、こうした人権侵害的な嫌がらせをなくして、誰でも働ける分だけ働くことを可能な限り保障しようとする制度です。高齢者に対する年金支払いも税金投入によって賄われる部分が増えています。国民年金が生活保護と同じように納税者負担によって維持されるなら、年金制度もまた生活保護の一形態として、経済弱者にのみ給付するほうが合理的です。

 現在の日本では、生活保護の支給額は月額て一万円ですが、高齢者の国民年金は五万円です。どちらも国民の最終的なセーフティネットであるにもかかわらず、制度はパラパラで相互に矛盾しています。こうしたムダで分かりづらい多様な制度に代えて、もっと行政効率が高く、透明な制度の構築を急がなければならないのです。

 ところで二〇一六年、スイスでは、すべての人にベーシック・インカムを保障するかどうかの国民投票が行われました。またフィンランドでは二〇〇〇人に六万円ほどのベーシック・インカムを与えて、個人行動への影響を確かめるという社会実験が行われることになりました。こうして北欧諸国などの豊かな小国からベーシック・インカム制度が普及することは、社会権保障の流れからすると自然なことなのでしょう。

人的資本の近未来

 最後に、フリードマンの時代よりも進んだ行動科学的な知見の一分野に、「人的資本」についての理論があります。人びとが教育を受けて、より生産的になる環境などを研究するという応用経済学、あるいは経済的な視点から見た発達心理学です。

 例えば、シカゴ大学のジェームズーヘックマンを中心とするグループは、アメリカでこの三〇年間に行われてきたリスク家庭の子どもへの早期介入教育の結果を分析しています。その結果、教育的な介入が早期であるほど効果は大きく、犯罪率、有職率、持ち家比率、婚姻率などについての経済的なリターンは一〇パーセント以上におよぶことを見出しています。

 経済的なリターンの大きさについては今後の検証を待つ必要がありそうですが、介入を受ける年齢が低いほどに大きな効果があることは疑いないようです。そして幼児期の環境改善効果が大人への職業教育よりも効果的であるなら、若年の母親への生活保護や無料託児施設などは、現行の新築住宅補助などよりはるかに優先されるべきです。

 負の所得税はすべての人をカバーすべきでしょうが、それでも優先順位をつけるなら、私の意見では若い人間が優先されるべきです。現実のシルバー民主主義では高齢者年金を軸にバラマキが行われますが、倫理的に考えれば、彼らには若い時代に蓄える時間もチャンスもあったはずです。また功利主義的に考えても、子どもとその母親を助けるほうが明るい未来につながります。

 民主主義政府は他の政治体制よりはマシなものですが、弱者保護を隠れ蓑にした特殊利権の拡大が践雇するなどの問題は顕著です。格差の拡大に対処するためには、弱者の保護にかこつけた場当たり的な法制ではなく、負の所得税のような明確な準則をもつ公正な政策を目指すべきです。
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