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図書館館員のための生涯学習

メーカーは分化できるか

 このメーカーで一番気になることは、自分たちだけを守ろうとすることです。組織を分化しないといけない。

 車だけではなく、インフラそのものを変えないといけない。その費用を膨大です。今までは、国から守られて、負担していない。その分、新しいものに取り組まないといけない。電気スタンドを設ければいいというものはない。

図書館館員のための生涯学習概論

 図書館館員のための生涯学習概論はバージョンは上がっていない。今、一番必要なのは電子図書館にどう取り組み向かです。図書館革命にしていくことです。社会を変えるための生涯学習という位置づけです。

 個人の営みのための生涯学習というのは、お節介です。何しろ、図書館活動を起点として、新しい社会を作り出すことです。社会革命のための生涯学習です。図書館戦争の後の姿です。知ること、共有することで、本は生きてきます。

コクヨのコミュニケーション仕事術

 コクヨのコミュニケーション仕事術の本を読んでいた。パートナーにしっかり身につけてほしいけど、本そのものは上司をどう理解するかというところが主になっています。パートナーは、自分自身を理解しないといけない。そこから始めないと答えが出てこない。

 それと役割をどう演じるか、それが本当に自分の役割と合っているかどうか。

電子図書館クラウド

 電子図書館クラウドで図書館はどう変わるのか。単に思い本を持ってこなくても済むだけではない。もっと大きく変わるはずです。インターネットの利用にしても、同じです。コンテンツそのものが電子化されたことで、本質が変わってきます。そのが故に、グーテンベルグ以来の変革と言っているのです。社会変革には欠かせないものです。

 その時に、変わらなければいけないのは、図書館員です。彼らの意識はあまりにも狭い。自分たちがどう役割を果たすのかに対して、被害者意識で対応することになりそうです。

 その意味では、地域コミュニティのなかでの専門家、人と情報をつなげるサーチャーであり、ライブラリとしての本です。

 今回のことは、多分、私に生き抜く力があるかどうかの確認なんでしょう。とりあえず、耐えています。

2035年のモバイル社会

 2035年のモバイル社会についての本を読んでいます。有識者というのは、なぜ、こんなにも創造力がないのか。モバイルというと、モバイルだけで考える、あまりにも狭い見識。

 先人たちは何を望んで、ネットとかデバイスを作ってきたのか。その夢をどう実現していくのか。デバイス一つとっても、今までの印刷物に変わることで、図書館みたいなものでどう加速させていくのか。市民の活動につなげていくのか。

 数学的な理論もそこに絡んできます。なぜ、もっと多面的に見えないのか、個人は本当にこのままでいいのか、何をするためにこれが生まれてきたのか、何をするために存在しているのか。

 より多くの人が生きていくためにどうしたらいいのか? 2035年には一世代変わります。その時に、今とおなじような、ていたらくでいいのか。モバイル社会としては、ゲーム化からコミュニティ化を堂々と述べることです。地域コミュニティを作るための条件です。
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そして「聖戦」が始まる 第2代正統カリフ

『世界史劇場 イスラーム世界の起源』より 第2章 正統カリフ時代

イスラムの統治

教祖の死後、ウンマ(教団)の解体を食い止めるべく粉骨砕身、滅私奉公で臨んだアブー=バクルでしたが、寄る年波には勝てなかったのか、はたまた心労のためか、在位たった2年で世を去ります。

彼の跡を継ぎ、第2代正統力リフとなったのは、ウマールでした。

「悪魔をも畏れて道を譲る剛勇の騎士」と謳われるほど腕っぷしの立つ人。

でも、きわめて真面目な人柄。

しかし、そんな彼の前途もまた多難でした。

ムハンマドが亡くなられてからまだ2年しか経っておらす、まだ地盤も固まっていないというのに、早くも2人目の指導者を失ってしまいました。

当然、ウンマ(教団)に動揺が走ります。しかも、半島再統一を成し遂げるため、軍は膨らみ切っています。

すでに「統一という目的」を達成し、用済みになったからといって、彼らをリストラすることはできません。

そんなことをすれば、たちまち軍乱が起こり、アッという間に共同体(ウンマ)は解体するでしょう。

ウンマの解体を防ぐためにも、肥大化した軍隊を養うためにも、ウマールに残された道はひとつしかありません。

それは、「外」に強大な敵を持ちつづけることです。「敵」は強大であればあるほどよい「敵」と闘いつづけることで、「内なる結束」が生まれ、同時に「軍を使用」することができます。

まさに一石二鳥。これしかありません。

彼の望むと望まざるとにかかわらず、アラビア半島を乗り越えて、対外膨張戦争を行わなければなりませんでした。

「アッラーは、キスラーやカイサルを与えると約束された! さぁ! 攻め取ろうではないか!」

ウマールは「外敵」として、ビザンツ帝国とササン朝を設定し、ただちに侵攻を始めます。

「イスラームを世界に広めるため!」などというのは、あくまで大義名分。

ホントは、自己崩壊を食い止めるためには、隣国を滅ばすことなど顧みず、「侵攻せざるを得なかった」と言うべきでしょう。

イナゴの大群が、畑を食い尽くして移動するのに似ています。

イナゴは、自分自身が食いつなぐために、人間が丹精込めて育てた農作物を食い尽くし、それにより人間が飢え死にしようがしまいが、知ったこっちゃありません。

イスラームの征服戦争は「聖戦」と呼ばれ、「聖戦で戦死すれば、その日、天国にいる自分を見い出すだろう」と訓えられます。

この言葉を耳にするたび、筆者は信仰の恐ろしさを感じます。

信仰にある者は、どんな罪深いことも、なんの罪悪感もなく、いやむしろ、正義感をもって実行に移します。

なんにせよ、「死を怖れぬ軍隊」ほど強い軍はありません。

聖地イェルサレムから始まり、商業拠点のダマスクス、穀倉地帯のメソポタミアと快進撃がつづき、10年としないうちに「肥沃なる三日月地帯」はアッという間にイスラームの支配下に組み込まれます。

この際、イスラーム軍は、右手にクルアーンを携え、左手に剣を持ち、「クルアーンか? それとも剣か!」

すなわち、「イスラームに改宗するか、それとも、今すぐここで死ぬか、どっちでも好きな方を選べ!」と迫ってきた--というのがありますが、あれは、のちのヨーロッパ人が捏造した都市伝説にすぎません。

イスラームは、征服した土地にイスラームを強制することはなく、貢納を強制してきただけでした。

これにより、「強制改宗」させられるのではないか、と戦々恐々だった被征服民たちは、「税金を払うだけで、今までどおりの信仰を守れるなら」と比較的スムーズに、イスラームの支配に甘んじていくことになります。

しかし、イスラームは、あまりにも短期間のうちに、あまりにも大きくなりすぎました。

歴史を紐解きますと、短期間のうちの巨大化した組織(国家)は、短期間のうちに崩壊、消滅していくものです。

しかも、アラビア人たちは、これまで異民族を支配した経験がありません。

今までのような、「同じ遊牧民に対する統治ノウハウ」はまったく通用しないでしょう。

一難去ってまた一難。

ここで一歩間違えれば、ふたたび崩壊の危機がおとすれます。

この新たに手に入れた領土をどうやって統治、運営していけばよいのか。

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