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コミュニティの情報共有に拘る

未唯空間の精査

 第一章から詳細の項目の精査を行っています。4つの文節からなります。入院までの10章まで終えます。入院中、完全孤独の中に住むための準備を四月を掛けてやります。

 見直しのポイントは、二つで一つの文章になるかどうか、そして、二つの文章が循環するかどうか。

新しい「印刷術」

 ルターにしても、グーテンベルグの印刷術との偶然から、宗教改革ができました。

 今は、新しい「印刷術」が起きようとしています。ここでどういう偶然が起こるのかを見ていかないといけない。これは社会の流れを変えます。本が社会を変えることも不可能ではない。

 タブレットは「印刷」の代わりです。その後ろにクラウドの空間が広がります。タブレットの反対側にはコミュニティのメンバーがいます。「印刷」されたものを持つことから、単なるゲームから、新しいコミュニティが出来てきます。人は考えれば、行動できます。

コミュニティの情報共有に拘る理由

 なぜ、コミュニティの情報共有に拘るかというと、それによって、コミュニティに参加した個人の分化を図るためです。

 これは、店舗コミュニティでは、地域コミュニティでも同じです。本来、共有な意識が確立していれば、もっと簡単にできるけど。。

 その元になるのは、共有化の考え方です。ヨーロッパのコミュニティとは順番は異なるけど。日本の場合は、個人の分化は、このカタチから変えていくしかない。ケータイのおかげで、ゲーム化まで来ているから、コミュニティ化のベースはあります。

 図書館のライブラリには、知識を蓄える文化は徐々に出来上がっています。それをシェアしながら、それぞれの個人が分化していくことです。このロジックの前提には、ライブラリとしての図書館があります。これはシェアの基本です。

個人の分化をトポロジーから考える

 このロジックが成り立つことを証明しているものがあります。それがトポロジーです。座標系から、ローカルとグローバルに分けて、ローカルの自由度を上げながら、多様性でもって、グローバルでの組み合わせをできるようにしている。

 近傍系である、コミュニティが全体をカバーリングすることで、全体の構造を柔軟なものにしていく。

 では、個人の分化をトポロジーで例えると、どういうことになるのか。一つの点に対して、色々な座標系とOn-to-Onになるということです。一つの点から見ると、バラバラだけど、それぞれの座標から見ると、多様な、大きな点になります。

 組織で言うと、一つの価値感にとらわれずに、色々な価値観を同時に持つことになります。その価値観がチェーンで拡がっていく。当然、人間は一つの価値観では生きていません。それを生かすモデルがなかっただけです。

 キリスト教の一神教の影響で、人間を一つの価値観に押し込めてきた。組織も自己完結ということで、一つの歯車として使っていこうとする。多様体の考え方からすると、それは単なる座標系になって、それ以上は何も進化しない。

 個人が分化することで、人間は進化していかないといけない。それを2030年あら2050年までに達成しないと、次の世界には行けません。

組織の存在と無

 私に存在と無があるのなら、組織にも存在と無がある。さらに言えば、社会にも存在と無があり、国にも存在と無がある。その観点から、どんな結論が出てくるのか。そこまでの想像力はまだ、私にはない。

 なぜ、考えることが必要なのか。それは無から存在をつなげるからです。その膨大な空間を考えることで埋め尽くす。人間はそれができることで変わってきたはずです。そこから未来が見える。

 存在だけ、無だけでは何もみえない。存在を自分のアピールに使う人が多くいる。無から始めないと。
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