未唯への手紙
未唯への手紙
個人の分化のイメージ
商品への拘りより社会を見ていこう
なぜ、商品に拘るのか。本来、そういう趣旨で作った会社でないのは分かり切っています。あくまでも手段です。
2015年のハイパーインフレ後には、国民はお金を持っていない。日銀がやけっぱちで印刷した価値のないお金では、買うことはできません。移動もなるべく、移動しなくすることになります。2050年のコンパクトシティで山間部の人が街に住むようになるまでは、移動は生活問題です。
少子高齢化を言うのであれば、それに合ったカタチを町全体で変えていくことになる。2030年のシェア化、2050年のコンパクト化に合わせて、交通をどうしていくのか、そこでの移動をどうしていくのかが、メーカーのいい街・いい社会を作ることになります。
市民コミュニティが主役になる
その時に、メーカーと行政だけではできてこない。市民コミュニティが主役なる。それに対応する店舗コミュニティと一緒になって考える形にしないと、スタッフが生きてこない。スタッフは単に売るだけ、修理するだけでなく、お客様に寄り添って、行くことです。
その時に、スタッフが負担にならないように、個人の分化で多様化しておくことです。スタッフは自分たちの生活とつながってくるから、当然、モチベーションは上がってくる。色々な意味で、お客様と接点を持たないと、役割を果たせない。
商品をシェアするとしたら、お客様の生活そのもの、プライベートな部分まで把握することが必要です。個人のわがままをどういうカタチで調整していくのかは、後方のコンピュータで計算できるけど、それを押し込むのはスタッフが必要です。
その部分をやっていけば、市民からの信頼は得られます。一緒に考える存在として、メーカーを扱うことが可能になる。つまり、市民とのインフラそのものをやっていく。その中で、電気だろうと、水素だろうと、割り振ればいい。
血尿は続いている
カテーテルは詰まるし、血尿で溢れている。だけど、遣り抜くしかない。どんなみじめだろうとも。その覚悟で出社を決めた。血尿しかないし、ちょっと踏ん張れば、尿道から塊が出てくる。そのうえ、パンツがない。
個人の分化のイメージ
個人の分化のイメージは私の未唯空間そのものです。7つのジャンルに分割している。本はどうなるのか、図書館の電子化は社会に何を提案するのか、歴史がどうなっていくのか、社会は、民主主義はどうなるのか、新しい数学はどうなものなのか。
当然、その中におまけのように仕事もあります。それらから得たものを各ジャンルに適合しています。個人の分化の一つの典型です。それの生活編まで入っています。
だから、色々なことを言う権限を私は持っている。専門家だけ、組織のある部署だけが述べるという世界ではない。人に限ってみると、与えられた職務だけということはありえない。そうでないと、社会を変える人は政治家しかいないことになる。それが今の日本を碌でもないものにしてきた。
気力で出社
まあ、気力でやるしかないでしょう。それにしても、寒い。足はガチガチに凍っている。いくら熱風を掛けても、風呂に入っても直りはしない。
入院中に直すことも考えよう。糖尿を治せば、治るものではない。糖尿自体は状態だから、治ることはない。
どうにか、フロアーに辿り着きました。バス停の前でポケットに何もないことを気づいて、家まで戻って、バス停まで歩いてきた。一時間後のバスに乗りました。バスの中はひたすら耐えて、名古屋に辿り着いた。トイレでパンツの替えて、ふだんの姿にしました。
なぜ、商品に拘るのか。本来、そういう趣旨で作った会社でないのは分かり切っています。あくまでも手段です。
2015年のハイパーインフレ後には、国民はお金を持っていない。日銀がやけっぱちで印刷した価値のないお金では、買うことはできません。移動もなるべく、移動しなくすることになります。2050年のコンパクトシティで山間部の人が街に住むようになるまでは、移動は生活問題です。
少子高齢化を言うのであれば、それに合ったカタチを町全体で変えていくことになる。2030年のシェア化、2050年のコンパクト化に合わせて、交通をどうしていくのか、そこでの移動をどうしていくのかが、メーカーのいい街・いい社会を作ることになります。
市民コミュニティが主役になる
その時に、メーカーと行政だけではできてこない。市民コミュニティが主役なる。それに対応する店舗コミュニティと一緒になって考える形にしないと、スタッフが生きてこない。スタッフは単に売るだけ、修理するだけでなく、お客様に寄り添って、行くことです。
その時に、スタッフが負担にならないように、個人の分化で多様化しておくことです。スタッフは自分たちの生活とつながってくるから、当然、モチベーションは上がってくる。色々な意味で、お客様と接点を持たないと、役割を果たせない。
商品をシェアするとしたら、お客様の生活そのもの、プライベートな部分まで把握することが必要です。個人のわがままをどういうカタチで調整していくのかは、後方のコンピュータで計算できるけど、それを押し込むのはスタッフが必要です。
その部分をやっていけば、市民からの信頼は得られます。一緒に考える存在として、メーカーを扱うことが可能になる。つまり、市民とのインフラそのものをやっていく。その中で、電気だろうと、水素だろうと、割り振ればいい。
血尿は続いている
カテーテルは詰まるし、血尿で溢れている。だけど、遣り抜くしかない。どんなみじめだろうとも。その覚悟で出社を決めた。血尿しかないし、ちょっと踏ん張れば、尿道から塊が出てくる。そのうえ、パンツがない。
個人の分化のイメージ
個人の分化のイメージは私の未唯空間そのものです。7つのジャンルに分割している。本はどうなるのか、図書館の電子化は社会に何を提案するのか、歴史がどうなっていくのか、社会は、民主主義はどうなるのか、新しい数学はどうなものなのか。
当然、その中におまけのように仕事もあります。それらから得たものを各ジャンルに適合しています。個人の分化の一つの典型です。それの生活編まで入っています。
だから、色々なことを言う権限を私は持っている。専門家だけ、組織のある部署だけが述べるという世界ではない。人に限ってみると、与えられた職務だけということはありえない。そうでないと、社会を変える人は政治家しかいないことになる。それが今の日本を碌でもないものにしてきた。
気力で出社
まあ、気力でやるしかないでしょう。それにしても、寒い。足はガチガチに凍っている。いくら熱風を掛けても、風呂に入っても直りはしない。
入院中に直すことも考えよう。糖尿を治せば、治るものではない。糖尿自体は状態だから、治ることはない。
どうにか、フロアーに辿り着きました。バス停の前でポケットに何もないことを気づいて、家まで戻って、バス停まで歩いてきた。一時間後のバスに乗りました。バスの中はひたすら耐えて、名古屋に辿り着いた。トイレでパンツの替えて、ふだんの姿にしました。
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会社の方針に対するミッション
会社の方針に対抗
この会社の2013年度の方針を聞きました。方針で致命的な部分は社会を見ていないことです。商品を愛していれば、いい街ができるのか。
いい街を作るには、町を見ないといけない。市民を見ないといけないし、商品を安くすることもあるけど、商品自体が町の活性化にとって、弊害になっていることを自覚しないといけない。この商品はあまりにも面積を取っているし、公共の交通手段を阻害しているし、事故とか保険を含めて、生活を圧迫している。
保険にしても、弱者の交通にしても、メーカーとして、どう対応しているのか。売ればおしまいではなく、生活そのもの入り込んでいくにはどうするのか。商品を作ること以前に、商品を使うことです。移動する手段を最低限にすることと、インフラへの負荷を減らすことです。
販売店の方針は待ちになっている
商品で、お客様と一番の接点を持っている、販売店の店舗に対して、方針が出されていない。これでメーカー方針と言えるかどうか。販売店はメーカーの方針待ちになっている。それが出ないから、各地域・各チャネルでバラバラのお客様との接点を持つことになる。
メーカーの方針を待って、一丸となって、社会にアピールすべく、スタッフを動かしたいけど、なにしろ情報がない。経営者はスタッフをお客様と近づけないといけない。そうでないと、CSもESもあったものではない。メーカーの方針には、お客様とか社会との関係で、販売店が何をすべきかがスポイルされている。
商品は面積を取りすぎ
道路に、100台の商品とそれに乗っている100人の比較した、写真を富山の高岡NPOが写していた。あまりにも、面積を取りすぎです。これが今後の社会です。
市民からは今後の社会をアプローチされているけど、メーカーからの答えがない。売る台数と利益率しかない。
富山のLTR?にしても、市役所として、皆の行き来を簡単にしようか、安くしようか、それで活性化しようかという試みを行っている。それに対して、メーカーも販売店も寄与していない。
お客様の声を聞く
ピンクのクラウンがいい社会を作るためのものではない。スタッフからお客様の声を集めれば、それが分かるはずです。それを知っていながら、商品を愛することに拘っているのは、本当に一番の会社のすることなのか。もっと、発想を大きくしないといけない。
いい街・いい社会を作る
社会を変えるにはどうするか、民主主義を変えるにはどうしたらいいのか、市民が自由に、安く生きられるようにするにはどうしたらいいのか。ローエネルギー・ローコストとシェア社会に向かうしかない。
いい街・いい社会に作るためにやることは、シェア商品を作ることです。どうしたら、一台の商品を有効に使えるのか、それをメーカーの発想から作り出すことです。
50年前以上の国民商品を作り出した。その当時は、国民にお金がなかった。国民商品の名前を公募した。皆の思いが集まった。それで、この会社は大きく伸びた。それによって、商品は買うことが当たり前になった。3Cとしてのあこがれが日本の消費を伸ばした。
お金というものはもっと、色々なことに使えるのに、それで終わってしまった。後追いで、インフラ整備に国家予算が投入された。
大きな車を追う時代になってきた。ベストテン商品の6台が軽です。道路も生活ももっと変えていかないといけない。ローエネルギー・ローコスト。
山林の中を走る三輪
山間地に公共バスを走らせるよりも、屋根付き三輪を走らせる方が安い。これを公共とみなせるかは体系だけの話です。街自体の交通体系を変えてしまえば、それは可能です。道に線を引くとか、GPSなのかもしれない。
ローコスト・ローエネルギーで移動することに楽しさは十分、味わせる。少子高齢化からすると、高齢者が免許がなくても、移動できるものにする。視力が落ちても動けるようなもの。私は次の免許を取れるかどうか予測できません。身近な課題です。
三輪とか電気を一つの体系するのであれば、道ごと変えていく。そのためのIT/ITSでしょう。それを豊田市でやれば、電気よりも、はるかにインパクトがあります。何しろ、山間部の多いところです。そのために、交通研究所が設置されている。結局、おいでんバスレベルです。
移動するための道具だから、あくまでもシェアです。人数が集まらないと出発できないとか、空気を運ぶバスではない。そのための採算性がどうのこうのとかで、行政を変なカタチを待ち込むよりもはるかに楽です。大量に動くところは、レンタサイクルのように使い、コンパクトなところはチェーン化してツーリングさせればいい。
この会社の2013年度の方針を聞きました。方針で致命的な部分は社会を見ていないことです。商品を愛していれば、いい街ができるのか。
いい街を作るには、町を見ないといけない。市民を見ないといけないし、商品を安くすることもあるけど、商品自体が町の活性化にとって、弊害になっていることを自覚しないといけない。この商品はあまりにも面積を取っているし、公共の交通手段を阻害しているし、事故とか保険を含めて、生活を圧迫している。
保険にしても、弱者の交通にしても、メーカーとして、どう対応しているのか。売ればおしまいではなく、生活そのもの入り込んでいくにはどうするのか。商品を作ること以前に、商品を使うことです。移動する手段を最低限にすることと、インフラへの負荷を減らすことです。
販売店の方針は待ちになっている
商品で、お客様と一番の接点を持っている、販売店の店舗に対して、方針が出されていない。これでメーカー方針と言えるかどうか。販売店はメーカーの方針待ちになっている。それが出ないから、各地域・各チャネルでバラバラのお客様との接点を持つことになる。
メーカーの方針を待って、一丸となって、社会にアピールすべく、スタッフを動かしたいけど、なにしろ情報がない。経営者はスタッフをお客様と近づけないといけない。そうでないと、CSもESもあったものではない。メーカーの方針には、お客様とか社会との関係で、販売店が何をすべきかがスポイルされている。
商品は面積を取りすぎ
道路に、100台の商品とそれに乗っている100人の比較した、写真を富山の高岡NPOが写していた。あまりにも、面積を取りすぎです。これが今後の社会です。
市民からは今後の社会をアプローチされているけど、メーカーからの答えがない。売る台数と利益率しかない。
富山のLTR?にしても、市役所として、皆の行き来を簡単にしようか、安くしようか、それで活性化しようかという試みを行っている。それに対して、メーカーも販売店も寄与していない。
お客様の声を聞く
ピンクのクラウンがいい社会を作るためのものではない。スタッフからお客様の声を集めれば、それが分かるはずです。それを知っていながら、商品を愛することに拘っているのは、本当に一番の会社のすることなのか。もっと、発想を大きくしないといけない。
いい街・いい社会を作る
社会を変えるにはどうするか、民主主義を変えるにはどうしたらいいのか、市民が自由に、安く生きられるようにするにはどうしたらいいのか。ローエネルギー・ローコストとシェア社会に向かうしかない。
いい街・いい社会に作るためにやることは、シェア商品を作ることです。どうしたら、一台の商品を有効に使えるのか、それをメーカーの発想から作り出すことです。
50年前以上の国民商品を作り出した。その当時は、国民にお金がなかった。国民商品の名前を公募した。皆の思いが集まった。それで、この会社は大きく伸びた。それによって、商品は買うことが当たり前になった。3Cとしてのあこがれが日本の消費を伸ばした。
お金というものはもっと、色々なことに使えるのに、それで終わってしまった。後追いで、インフラ整備に国家予算が投入された。
大きな車を追う時代になってきた。ベストテン商品の6台が軽です。道路も生活ももっと変えていかないといけない。ローエネルギー・ローコスト。
山林の中を走る三輪
山間地に公共バスを走らせるよりも、屋根付き三輪を走らせる方が安い。これを公共とみなせるかは体系だけの話です。街自体の交通体系を変えてしまえば、それは可能です。道に線を引くとか、GPSなのかもしれない。
ローコスト・ローエネルギーで移動することに楽しさは十分、味わせる。少子高齢化からすると、高齢者が免許がなくても、移動できるものにする。視力が落ちても動けるようなもの。私は次の免許を取れるかどうか予測できません。身近な課題です。
三輪とか電気を一つの体系するのであれば、道ごと変えていく。そのためのIT/ITSでしょう。それを豊田市でやれば、電気よりも、はるかにインパクトがあります。何しろ、山間部の多いところです。そのために、交通研究所が設置されている。結局、おいでんバスレベルです。
移動するための道具だから、あくまでもシェアです。人数が集まらないと出発できないとか、空気を運ぶバスではない。そのための採算性がどうのこうのとかで、行政を変なカタチを待ち込むよりもはるかに楽です。大量に動くところは、レンタサイクルのように使い、コンパクトなところはチェーン化してツーリングさせればいい。
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