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緊急外来

 また、緊急外来です。熱がまた、出ています。肝心のキンドルを忘れました。何のために、こんなところにいるのか。12時に終了しました。奥さんからは連絡なし。

 ちなみに、生き抜くことにしました。カテーテルは付けっぱなしにしました。
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図書館のネットワーク化

ネットワークの落とし穴

 〈貧弱な〉図書館同士が連携し、ネットワークを作ることの意味はほとんどない(本当は「まったくない」と言いたいのだが、ここではあえてほとんどない、と言っておく)。上記のような〈ネットワーク〉が、身近に数多く建設されたく充実した〉図書館を欠いたまま、貧弱な図書館同士の間でできあがったとしよう。そうなれば人々は図書館からはますます遠ざかっていくであろう。そしてそのことはかえって生涯学習の時代を遠くしてしまうであろう。身近に充実した図書館が建設されないままに、相互協力・相互貸借のシステムが完成してしまえば、地元の小さな図書館は次第に利用されなくなり、遠くの〈大きな〉図書館に相互貸借の申し込みが殺到し、利用が集中するようになるだろう。現に今、国立国会図書館がそうであるように、利用の集中する大きな図書館はきわめて〈利用しにくい〉図書館になってしまうであろう。もし仮に大学図書館が地域の公共図書館と相互協力の体制を作ったとするならば、利用申し込みの殺到する(国文学や歴史などの特定の分野に集中するはずである)大学図書館は学内の利用に対応できなくなるだろう。

 これらの大きな図書館では、当然殺到する相互貸借の依頼に忙殺されることになる。アメリカでは図書館間での相互貸借(ILLサービス)のための図書の郵送は、貸出の際にも返却の際にも無料である(切手を貼らなくてよい)が、日本ではこの郵送費が馬鹿にならない。大きな図書館では、ふくれあがる事務作業量と経費の負担に早晩耐えきれなくなるはずである。そしてもちろん、これらの〈負担〉は自館と自館の利用者には何のメリットもない。大きな図書館から小さな図書館に相互貸借の申し込みをするチャンスはほとんどないはずだからである。大きな図書館にメリットがなく、負担ばかりが増大していけば、いずれこうした大図書館から先に(国立国会図書館などはその立場上簡単に離脱できないだろうが)この〈ネットワーク〉から離脱しようとするだろう。大きな図書館が抜けた後に残るものは何か、想像することはたやすい。

 そして一方では、新しい図書館はなかなか建設されないことになるだろう。小さな図書館は(言うまでもなく現状では、予算規模の小さい自治体には充実した図書館を作る余裕がない)蔵書を充実していくことを〈サボる〉ようになるだろう。さしあたって〈間に合っている〉のだから新しい図書館は不要だろう、学校図書館をひとつひとつ充実させていく意味はないではないか、隣の町にそこそこの図書館があるのだから、遠くの町からでも相互協力で〈お取り寄せ〉ができるのだから、そういう言い訳が今から聞こえるようである。かくして多分、これらの〈相互協力〉のシステムは早晩崩壊するであろうし、崩壊しないのであれば無意味なシステムとして忘れられていくであろう。

ネットワーク形成への覚悟

 さらに見落としてはいけないことがある。ネット上ではすでにいくつもの書店がシェアを拡げている。現在では入手困難になったいわゆる古本の類も、ネット上では相当の確率で入手可能である。いわゆる電子書籍の市場も急速に拡大している。もちろんこれらは有料であり、利益が出るからこそさまざまな企業が参入するのである。いわゆるネット・オークションなども含めて、通常の〈読み物〉であれば、有料で利用できる可能性はどんどん大きくなっていくはずである。そしてその可能性が広がれば広がるほど、大きな需要が見込まれる〈通俗的な〉にこでも繰り返しておく。通俗的だから〈悪い〉という意味では決してない)ものについては、その単価はどんどん低下していくはずである。ごく常識的な意味で、ネット書店や電子書籍を利用できる人にとっては、それこそ上記のような中途半端な〈ネットワーク〉は不要なのである。

 ネットワークとは〈網の目〉という意味である。ひとつひとつの〈網の目〉が有機的につながり合って大きな全体システムを形成すること、これがネットワークというものである。そこではその網の目のひとつひとつが〈自律的に〉機能していなければならない。簡単なことである。図書館で言うならぱ、ひとっひとつの図書館が、新しい本を購入するたびにその目録情報をネットワーク上に公開し、廃棄図書・紛失図書が出るたびにその目録情報をネットから削除しなければならない。他館へ相互協力の申し入れをすることはもちろんだが、他館から申し入れがあった場合には〈速やかに〉適切な対応をしなければならない。ひとつの網の目がその作業を怠り、その網の目が綻んでしまったら、その綻びはあっという間に全体に波及する。少なくともひとつひとつの網の目にネットワークを機能させるための専門職員がいて、一定の予算が計上されて、網の目に決して綻びを入れないという覚悟が示されなければならない。ネットワークとは、単なるホームベーダの集合体ではない。参加するのも退会するのも自由なソーシャル・サイトでもない。ネットワークの維持には意外に多くの労力と予算と、それを維持し続ける覚悟とが必要なのである。

ネットワークの意義

 「読書活動の推進」だけを目標としたネットワーク(連携)にはほとんど意味はない。いわゆる読み物の提供だけを考えたネットワークは無駄であり、対費用効果はむしろマイナスであると言わねばならない。もしこのような形でのネットワーク化が志向されるのだとしたら、それは明らかにあらゆる意味での〈格差〉を是正しようとする方向性を持つものでなけれぱならないからである。ネット書店や電子書籍を利用することのできない人に、有料利用に大きな負担を感じる人に、近くに大きな書店や公共図書館のない過疎地の子どもたちに、障害者に、日本語がよくわからない人々に、そういう〈採算のとれない〉ケースについてこそ、本当の意味でのネットワークが必要である。そしてそういうネットワークは明らかにく高くつく。のである。安易に「公共図書館と学校図書館との連携」などと言ってはいけない。

 とりわけUNIT 41で述べたように、その地域の住民のすべてに、必要とするあらゆる主題に対して、十分な比較分析の材料を提供し、十分な選択肢を与えようとするならば、むしろ決してこのような中途半端なネットワークを構想してはならない。ネットワークの網の目を形成するひとつひとつの学校図書館、公共図書館、大学図書館がそれぞれ十分な蔵書を持ち、利用頻度の高いものについては決して他の図書館に頼らぬよう心がけ、どんなに小さなものでもよいから他の図書館から頼りにされるような独自の〈コレクション〉を作り上げ、相互貸借を申し込む場合には大きな図書館に負担が集中しないよう、なるべく小さな図書館へ申し込むように心する、もちろんネットワークの維持管理に万全を期し、そのための予算と人手とがすべての網の目に確保されている、そういうネットワークをこそ作り上げなければならない。

 改めて言うまでもないが、ネットワークの網の目は小さければ小さいほどよい。高校の数の半分しかない日本の公共図書館では、その網の目からこぼれ落ちてしまうしまう人が非常に多くなる。学校図書館は数だけはたくさんあるけれども、蔵書内容が貧弱であるという以上に、あくまでも〈学内利用〉が優先であるから、その学校に縁のない人が利用するには多くの困難がある。文部科学省は学校図書館の〈地域への開放〉を推奨しようとしているが、学内の需要にさえこたえられない図書館を学外へ開放してはならない。それは本末転倒である。大学図書館についても同様である。学内の資料要求にこたえられない図書館が安易にネットワークに参加してはいけない。貧弱な図書館がネットワークに〈頼った〉サービスをしてはいけない。図書館ネットワークは〈頼りになる〉図書館同士が、〈より頼りになるように〉形成しなければならないのである。

 もう一点、大事なことをつけ加えておく。 UNIT30において、私は「インターネット・リテラシーを身に付けるための練習場としての図書館」の必要性についてふれた。「これが読みたい」という本が特定されている場合はともかく、ネットワークが形成され、その中に含まれている検索可能な情報が増えれば増えるほど、慣れない者にはその情報検索は難しい。インターネットを使いこなしていくためには、慣れない者に対してトレーニングの機会が提供されなければならない。日本の教育にはこの視点が欠けている。巨大な情報システムを誰でもが使いこなせるように、〈そのための〉ネットワークをこそ一刻も早く形成すべきである。
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