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未唯空間をタテに見る

タテで見る

 歴史から見たときに、やはり、ナチですね。ナチがドイツになぜ、できたのか。そこでThink Locally, Act Globallyとつなげたことです。それで共和制に移って、民主主義に移って、その先を考えたときに、ローカルとグローバルという解析ができました。

 ローマの歴史のカエサル部分をブログで上げたけど、未唯空間と関係するのかは感性です。古代の歴史家がどういう考え方をしていたのかも分かります。

 ベースとなったもので、一番情報として少ないのは数学です。トポロジーの考え方だけです。その中に、ローカルとグローバルの考え方が数学の歴史の中で、やっと、19世紀になって、明確になったということです。

 空間の概念はトポロジーで全て変わりました。デカルト空間とかユークリッドの幾何の世界ではない。だけど、高校の教科書の中では、全然意識されていません。ユークリッドレベルで終わっています。後は計算式です。そんなものは数学ではありません。

 トポロジーで初めて、数学です。それを社会に適用するのは当たり前です。当然の考え方なのだから。そこでは、個人が点ではなく、近傍であることの意味が見えてきた。近傍でないと、個人からの空間ができない。この汎用性は大きい。

トポロジーの次

 トポロジーは次はどうなるのか。新しい世界に対して、民主主義に対して、非常大きな意味を持ちます。元の座標系の考えに戻ることはなくて、グローバルはさらにグローバルに、ローカルはさらにローカルになっていく。

 これは宇宙の姿ともよく似ている。そして、グローバルの端がローカルの端とくっつくのです。あたかも、トーラスのように。

図書館の先

 具体的という意味では図書館です。行政の中でも、図書館は特殊です。単に土日も開いているだけではないけど。反対側に本を買うという世界があり、それと借りるという世界が共存しています。マーケティングも共存しています。

 本がデジタルなることの意味は、CDがiTuneになったことのように、社会に大きな変化を起こします。本というものを、皆とシェアするという、英国から生まれた文化です。それは当然、図書館にも変化を起こさせます。

 そのための仕掛けを、図書館を見ることで、先を見ることができます。図書館を先を行く存在として、見ている人はいないでしょう。そのように見られる人はいないでしょう。だから、理解されない。それでいいんです。それが真実です。

静脈システム

 Webの世界は毛細血管という表現がありました。毛細血管から静脈を通って、心臓に向かいます。

 私がやりたいのは静脈システムです。
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心を軽くしたい

未唯へ

 身体がだるい。ウエストが張っています。空腹時の運動を行います。

 ブロッコリー対策でお茶漬けのりを買いました。

未来の姿

 未来の姿はやはり、駐車場がないことでしょう。車は全て同じです。そんなことに構っていられない。シェアしているものを洗い出しましょう。

未唯空間のタテの関係

 次はタテとの関係です。タテの関係のものをどのようにつなげていくかです。今週はタテをやった上で、フリーの金曜日にまとめです。

 アップはブログから未唯空間で行っているが、ダウンですね。これはまだまだやっていない。抽象的なところから具体的な方にいきます。詳細が未唯空間とどういう関係にあるのかを関係します。

 なにしろ、つなげましょう。ヨコよりもタテです。タテにつながれば、ヨコにできます。それだけの広がりがあります。

歴史を変える

 スティーブ・ジョブズなどが作ったモノを繋げていきます。フェイスブックのマークだけでもかなりのものがあります。それを繋いで、社会を変える方に持っていきます。

 スティーブ・ジョブスが歴史を変える。本当の意味はそこです。かれは変えるためのツールを作った。変えるのは皆の意思です。政治・経済まで持っていかないとダメです。

 一番つなげないといけないのは、数学の動きです。トポロジストには自明だけど、社会的には認知されていない。哲学も一緒です。いくら、ウィトゲンシュタインが民主主義の否定はするけど、どんな世界を作るかは市民に任されます。

心を軽く

 今は心をリリースできません。

 無印でボールペンとノートをまた買いました。これは心を軽くするものです。ノートは財布に入ります。ペンもポケットで十分です。

 iPadを使えるようにしましょう。iCluodも含めて、ジョブスの遺言です。あとは、フェイスブックとグーグル。ただし、持ち歩かない。自分を縛ることになります。

 やはり、1mイヤホンはいります。どこへ行ったのか。考えるようにするためには身軽にすることです。

 コートは不要です。軽いけど、雨などに気をつけないといけない。当然、バックもいらない。そうなると、ICレコーダとペンと因数分解だけです。

未唯空間へのアップ

 答はドンドン決まっているけど、やはり、詳細からのバックデータです。それと繋がないといけない。言葉はいくらでもシンプルにできる。だから、因数分解するのです。

 なぜ、中途半端なのか? 自分の存在を掛けることはない。中途半端です。誰かのためにやるのではなく、自分の仮説のためにやるのです。可能性を増やすのです。去年は範囲を広げました。

 アップするのは、あくまでも証明です。仮説に対する証明を行います。本15000冊の証明です。と同時に拡張を行います。

 それに対して、仮説が耐えられるかどうか。耐えられなかったら、仮説を変えていきます。一つ一つのことを丁寧にアップしていきます。今週一杯掛かるでしょう。これはずっと続けないといけない。仮説がずっと続きます。

 何が起こるか分からない。3.11みたいなもので変わることもあるし、小さなことで変わることも多い。本一冊でも大きな変化が起こるし、一つの気付きで全ジャンルが変わることもあります。新しい発見は大歓迎です。そのために、本を読んでいます。仕事もそのために行っている。
 その意味では、今の立場では色々な情報が入ってきます。仮説に対しての実証もできます。その答が正しいかどうかも検証できます。
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ロシアの崩壊と東部戦線の終結

『第一次世界大戦』より ドイツ優位への均衡解消

ドイツが迅速に勝利を収めることができなかったのは、ドイツが常に避けようとしてきた状況に置かれてしまったからである。二正面戦争である。二正面作戦を避けるということはまさに、シュリーフェン・プランの哲学であった。フランスとロシア双方と戦わざるをえなかった故に、フランスとの対決は、ロシアとの対決が実際に始まる時にはほとんど終わっていなければならなかった。東部戦線での戦争への注目が少ないことについては、ロシアの歴史家はつねづね不満を持っている。彼らは、東部戦線こそが重要な出来事の舞台であると見なす傾向がある。出口のないこの論争に深入りせずとも、ドイツ軍が一九一四年と一九一五年に手ひどい敗北を与えたとはいえロシア軍は崩壊しなかったし、ドイツ軍司令部は引き続き二正面の戦闘を強いられていたことは異論の余地がない。その不都合を減らすために、ドイツ軍は一方的に力を注いでいる時には、もう一方では守勢をとるようにしてきた。一九一四年と一九一六年に西部戦線に、一九一五年に東部戦線に力を注いだように。しかし結局、ドイツ軍は、いずれの戦線においても勝利を収めるのに十分な手段を集中することは決してできなかった……。ところが一九一七年は神聖な驚きを--ロシアを戦争から撤退させ一つだけの戦線の戦争に戻れる可能性を--もたらすことになった。

ロシアが一気に瓦解したのであれば、ドイツに大きな優位が与えられたであろうが、実際はそうではなく、ロシアの瓦解はゆっくりと段階的に進行した。そしてドイツは、それに乗じる術を知っておくべきだった。

ロシア革命は、ロシアの能力、戦闘意欲やドイツの姿勢に、どのような影響をあたえたのに。まず排除すべきは、ロシアの崩壊は予測できた、両陣営ともそれに備えておりそれぞれの計画の一部であった、という見方である。歴史家にとっては、ロシアは必然的に崩壊したのであって、その条件がすべて揃っていたことを示すのは容易いが、それは同時代の人々の感覚ではない。(少なくともその見解を知ることのできる一部の)ロシアの住民は一九一八年末からすでに戦争に嫌気がさしていたが、これは、程度は様々ではあるが、他の交戦国の住民についても言えることである。いずれにせよ、ロシアであれ、ロシアの外であれ、革命家たちは、スイスにいたレーニンのように革命的事件が近いとは全く思っていなかった。そもそも彼らは、そんなことをしても直ちに激しく弾圧されるだけだとして、反対していた。一九一七年二月二三日から二七日(三月八日から一二日)にかけてのペトログラードの暴動、後に「二月革命」と呼ばれるが、これはほとんど完全に自然発生的なものであり、とりわけ厳しい冬と乏しい食料状況に苦しんでいた都市の大衆から湧き出たものであった。三月二日の帝政の崩壊、というその結果は大きな驚きであったが、それはデモ隊というより、武器を持たない民間人に発砲することを拒否したペトログラードの守備隊の一部の反乱によるところが大きい。三月三日から自由主義的だが無能なリヴォフ公ゲオルギー指揮の下で設置された臨時政府にとって、そしてとりわけ、中道左派の人物で「民主的立憲的」歴史家の外務大臣パーヴェル・ミリューコフや、「十月党員」つまり中道右派の実業家の陸軍大臣アレクサンドル・グチコフにとって、起きたばかりの革命は、いかなる意味においても戦争からの離脱を意味してはいなかった。目標は依然同じだった。スラブ民族の領土をオーストリア・ハンガリー帝国から「解放」し、オスマン帝国からコンスタンティノープルと海峡を獲得することであった。

連合国、とりわけフランスでは、新聞がロシアで起きたばかりの革命についての満足感を表明していた。とりわけ非民主的だったロシアの同盟国であることは、戦争開始以来、民主主義のための戦いを掲げていた協商国の宣伝にとって具合が悪かったのである。ロシアが民主主義の陣営に入ることは、歓迎されないはずはなかった。その上、革命は愛国的なものとみなされていた。というのも、革命が、ロシア皇帝の側近の中に感じられたドイツの影響力にも終止符を打つたからである。これはまた、フランス史から多くを学んだミリューコフのような人物の感覚でもあり、彼は、フランス革命の時代と同じように、ロシア革命は国民的飛躍を先導すると考えていた。これは、かなり流布していた考えであった。フランスの平和主義者たちでさえ、ロシアにおける自由の勝利は喜びつつも、最初の段階においては、体制の変化がかえって徹底抗戦主義、盲目的愛国主義、ロシアーナショナリズムを助長してしまうのでないかと心配していた……。

中欧諸国の側でも、ほぼ同じことを考えていた。二月革命に直面して、ドイツ人の見解は分かれていた。すべての階層で一種の安堵感が広がったが、非常に曖昧な反応や深刻な緊張もひき起こした。ドイツは今や、「講和」から本当に「獲得」したいと思っていることは何なのかを言うようになった。というのも、ロシアがじきに戦争から離脱することは誰も疑わなかったし、この時点では、すべての一連の予測によって、イギリスが短期間のうちに潜水艦戦によって制圧されるであろうということを、世論が確信していたからである。右翼の側では、併合主義と「賠償」の壮大な計画が著しく台頭し、これは総司令部と、その主導権をにぎった人物ルーデンドルフのとりわけ効果的な政軍両面での積極主義に力強く支えられていた。中道派と左翼、彼らもまた、戦闘停止に達する可能性を信じていたが、次のことをいぶかっていた。ドイツに対する「損害賠償」を含めつつ、ロシア人が受け入れることができる講和を見いだすことできるだろうか。
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パワーポイントなんかいらない。

『スティーブ・ジョブス 驚異の伝説』より

「ヒアリング」とは何か。

 アップルに復帰し再建を始めたジョブズは、製品の絞り込みと同時に、複雑化、過剰化していた組織の統廃合に取り組んだ。それは、「スティーブされる」(解雇される)という隠語が生まれるほど猛烈な組織整理だった。

 しかし、手続きは短兵急ではなかった。ジョブズは一つひとつの部署や製品チームからじっくり意見聴取した。それがヒアリングだ。

 ヒアリングの結果、「必要だ」と判定されれば生き延び、「不要」と判断されれば居場所を失うのだから、ヒアリングにはみんな必死で挑んだ。自分たちの立場を訴えようと、懸命にプレゼンテーションを試みる。狭い会議室に入りきれない人数が押しかけ、時間をかけてつくり上げたパワーポイントを見せるのだ。

 しかし、ジョブズはすぐにパワーポイントの使用を禁止してしまった。

 アップルには無数の問題があった。重要なのは、自分たちの立場をパワーポイントで説明することではなく、問題を発見し、解決策を示すことだった。社員が説明し、ジョブズが話を聞くのではなく、互いに解決策を考える場がヒアリングだったのだ。パワーポイントなど不要だった。

 この時、ジョブズは「大切なことなら覚えているはずだ」とメモも禁じた。

 ジョブズには、会議の内容や問題点を頭の中にしまい込み、整理する力があった。それを社員にも求めたのである。厳しいようだが、本当に製品や仕事のことを理解していれば、メモなどしなくとも記憶できるし、メモを見ずに話もできると考えた。ジョブズはこうした真の理解と真剣さを部下に求めたのだった。

大切なのは人を巻き込むこと

 ジョブズはプレゼンの達人として知られるが、会議などでパワーポイントやスライドを多用するのは大嫌いだった。

 iPod開発に向けて、最終的にジョブズの了解を得る会議の席上でのことだ。開発担当者トニー・ファデルは、用意したモデルを見せる前に、当時のMP3プレーヤー市場をスライドで分析し始めた。プレゼンの常套手段と言える。

 だが、スライドがスター卜して一分間もたたないうちに、ジョブズはいらだちを隠さなくなった。スライドが必要なのは、自分の話していることがわかっていない証拠だというのだ。ファデルはスライドをすぐに打ち切り、モデルの説明に移った。するといらだちは消え、ジョブズはたちまち生き生きとしてきたという。

 ジョブズはスライドなどの機器を駆使した説明より、実際にものを見て、さわって話し合うことを好むのだ。

 ファデルがかつて働いていた家電メーカーのフィリップスでは、製品の開発決定までにはたくさんのプレゼンと会議が必要だったが、ジョブズには、そんな手続きは直感を鈍らせるものでしかなかった。

 「パワーポイントを使った講演は眠くなる」とは、ある講演の達人の言葉だ。

 パワーポイントによるプレゼンや講演はあまりにも完璧に準備されていて、聞く側の思考が入り込む余地がない。そのために眠くなってしまう。聴衆は、プレゼンや講演を聞きながら自分であれこれ思考をめぐらすことが楽しいのであり、思考が止まると、どんなに立派な内容でも眠くなるのを防ぐのは難しいという。

 ジョブズのプレゼンは完璧だと言われるが、それは聴衆の巻き込み方が完璧なのである。うかつに表面だけをなぞっても効果は少ないに違いない。合法的なやり方がないからだ。

 かつて音楽の違法ダウンロードが横行していた時代に、違法行為をなくすにはどうすればいいかを語った言葉だ。

 インターネットが登場した時、またファイル共有ソフトのナップスターが誕生した時、両者が結びつくことで音楽業界が大ダメージを受けると想像した人はいなかったはずだ。

 だが、実際にはナップスターや、その後継者的なサービスが続々誕生する中で、音楽の違法ダウンロードがあっという間に一般化し、その猛威は音楽業界を脅かすほどになってしまった。
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