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民主主義はどこへゆく

331.72『政治学論集』ハイエク全集より

民主主義の危機

 民主主義の概念がもっている意味は一つである。私はそれこそが、民主主義本来の正しい意味であると信じており、それを守るためには闘う価値があると考えている。民主主義はかつて暴政や圧制にたいする防護という役割を期待されたが、そのたしかな防壁であるということがまだ示されたわけではない。にもかかわらず、多数派が快く思わない政府を追いはらうための申し合わせとしては、民主主義には計り知れない意義がある。

 だからこそ、私は心ある人びとのあいだで民主主義への信頼が失われていくのを見て、不安が募るのである。これ以上見過ごすことはできない。民主主義という魔法の言葉があまりにも万能になってしまった。政府権力にたいしてはこれまでずっと制限が課せられてきたが、そうして継承されてきた政府権力にたいする制限は、その民主主義という万能の言葉の前にすべて崩れおちつつある。それとまさに時を同じくして、民主主義への信頼が失われつつあるという事態が深刻になってきた。またそうした信頼喪失の深刻化は、民主主義という万能の言葉の前に政府権力にたいする制限が崩れおちつつあるからこそでもあるだろう。民主主義の名においてだされる要求の多さに公正で理性的な人びとですら大いに不安に感じているので、民主主義にたいする深刻な反発が一つでもあれば、それだけでも本当に危険なものであるかのように時には思えてしまうほどである。しかし、民主主義の正しさにたいする信念を現在危うくしているのは、その基本概念ではない。意思決定の手続きについての民主主義のそもそもの定義が時代を経るうちにさまざまな意味を暗に含むようになってしまった。現在信頼を失っているのは、その上うに拡大した意味をもってしまった民主主義である。民主主義の基本理念が不信の原因ではなく、後から加えられてしまった要素が問題なのである。現在起きている事態については、すでに一九世紀において懸念する向きもあった。広く受けいれられることが可能な政治的決定にいたるためにもちいられていた健全な方法が、その内実としては平等主義的な目的を押しとおすための口実となってしまったのである。

 一九世紀に民主主義が登場したことで、政府権力の及ぶ範囲に決定的な変化がもたらされた。それまで数世紀にわたって行われてきた努力は、政府権力を制限することに向けられてきた。憲法が徐々に発展してきたことは、まさにこの政府権力の制限という目的に役立つことだったのである。それが突然、多数派を代表するものとして選挙で選ばれた者たちが政府をコントロールすればそれ以外の歯止めは必要ないという話になり、それまで憲法によって確立されてきたさまざまな予防措置はなくてもよいということになってしまった。

 こうして無制限の民主主義が生まれた。今日問題であるのは、適正な民主主義ではなく、この無制限の民主主義なのである。今日西側諸国で見られるのは、多かれ少なかれ無制限の民主主義である。たとえ無制限の民主主義に特有な現行制度が失敗であることが結局は判明するとしても、それで民主主義それ自体が失敗したことにはならない。私たりが糾った試みをしたというだけのことだ。このことを覚えておくことが重要である。私としては、政府の行動が必要だと広く合意された事柄については、すべて民主的な決定を下すことが平和的な変革には不可欠だと考えている。しかし、時の多数派が勝手に選んだ事柄であれば、どんなものでもそれを「共通の問題」として政府が取りあげるといったような政府形態は、忌まわしいことだとも感じるのである。

「全体主義的民主主義」への漂流を防ぐために

 ベテランの政治家たちは、私が今日の議会における手続きについて述べたことが間違いだとはいわないだろう。ただ、私はそれらが有害であり、避けることが可能だと思っているのにたいし、彼らは避けられないことであり、しかも有益だと思っているのである。しかし、それは制度化された脅しや腐敗であるといわれても、ベテランの政治家たちが感情を害する必要はない。というのも、そのような制度を維持している張本人はわれわれであり、こうした制度のなかで議員たちが有益なことを行おうとしたら、そのように行動せざるをえないからである。私が述べたような取引は、民主主義的な「行政府」では、たしかにある程度は避けられないことなのかもしれない。

 最高権力機関は本来、ゲームのルールを作成し、政府を抑制するものでなければならない。にもかかわらず、現行の制度は民主主義的な「行政府」を最高権力機関にまで押しあげてしまった。私が異議を唱えるのは、そのことにたいしてである。それが実際に起こってしまったこと自体が不幸なのではない。地方行政でそうしたことが起こるのは、おそらく避けられないことなのだろう。不幸だったのは、法を制定すべき最高権力機関のところでそれが起きてしまったということである。その法というのはそもそも私たちを圧制と恣意から守ることになっているはずなのに、そうした法を制定すべき最高権力機関で、「行政府」が最高となるという事態が起きてしまったのである。

 立法権を行政権から分離することが生みだす効果として、重要で望ましいもう一つのものは、これにより中央集権化と権力集中の動きを加速する原因を取りのぞくことができることである。立法と行政の権力を一つの議院に集中させてしまったことで、自由な社会ではどのような機関でも単独ではもつべきではない権力を一つの議院がもつ結果になってしまった。そうなると当然、ますます多くの行政的な任務がその機関にまでもちあげられることになり、その機関は特定の目的にそった法を制定して、特定の望みを満足させるようになる。もしも中央行政の権力が州や地方の行政府とたいして変わらないとなれば、全国的に均一の規制にしたほうが有利だと思われるものだけが中央の行政府で取りあげられ、現在中央の行政府が扱っている事項の多くが下位の行政府に委譲されることになるだろう。

 法の下での政府と多数派の代表に無制限の権力を与えることとは矛盾するという認識が一般的になり、すべての政府は法の下に置かれるべきだという理解が広まれば、中央の「行政府」にまかされるのは外交関係くらいのもので、これは立法行為とは明らかに区別される。そして、州や地方の行政府が税収のために個々の住民にどれだけ課税するかの方法については、中央の行政府と同じく、統一された法にその権限を限定される。そのような行政府は企業タイプの組織となり、その組織に利害関係をもつ市民の支持を求めて、互いに競争関係に入るだろう。市民は、払った料金にたいして最大の見返りを与えてくれる地方行政組織への支持を、そこへ移りすむことによって表明することができるのである。

 多くの人びとの目には、「全体主義的民主主義」と呼ばれてきたものの到来がもはや食いとめられないものと映っている。けれども、ここで私が述べてきたようにするならば、私たちは民主主義を守ると同時に、「全体主義的民主主義」への漂流に歯止めをかけることが、まだできるかもしれないのである。
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水戸は遠かった

旅立ち

 新しいスーツです。スタンダードという商標です。だから、旅立ちです。新しいスーツはごちゃごちゃしています。着れるようになるのに、10分以上掛かりました。新しいスーツは二年ぶりです。

 イヤホンはふつうの1mの両耳にしたけど、落ち着きが悪い。

拘らない人ばかり

 拘らない人はこだわらない。99.9%の人は拘らないでしょう。生きていればいいのだから。

 日本の哲学者は、なぜ、自分の言葉で考えないのか。そのための言葉とか概念を作らないのか。哲学は数学とか天文学と同様に、日々の積み上げの中で突然変異になる。

ネットに載せるもの

 単にネットを敷くのではなく、その上に何を載せるかが、次の課題です。大容量が今後の課題になります。そのために、Multi-Useセンターが必要です。Mu-センターです。どのように送るかは標準化して、グーグルのような部分を入れ込むことです。

因数分解

 未唯空間で、宗教と哲学をどのジャンルに入れ込もうか。哲学は数学にいれるしかない。先の姿はグローバルは更にグローバルに、ローカルは更にローカルに。その姿を前ジャンルに適用しましょう。

水戸は遠かった

 とりあえず、ホームにいた新幹線に乗れたけど、小田原から止まっているみたいです。上野21時発のスーパーひたちに間に合えば、あとはどうにかなります。

 新幹線が雨と風の世界に入ってきました。名古屋は過ぎ去ったのに、新幹線で追いかけています。追い越しています。新横浜には4分遅れで到着しました。新横浜に着いてからが大変。東京駅の間までに、新幹線が数珠繋ぎです。

 東京に30分遅れで着きました。上野に向かう電車で、目の前に座っている9人の乗客の内、5人がケータイで情報収集している。スーパーひたちの出発時間前に着いたけど、3時から、常磐線の特急は全て、運休だそうです。

 途中の橋を強風のために渡れないので、高速バスもダメだろう。常磐線の快速もそのために、出発できないとのこと。まあ、今日中にたどり着ければいいので、出発を待つことにしました。

 まだ、上野駅で再開を待っています。目処が立たないという、目処が立っています。意味もなく、奥さんに電話。まあ、奥さんの話のネタ提供です。11時に再開ということだから、着くのは1時ですね。

 電車はまた、荒川沖で止まっている。まだ、10駅あります。4時間40分遅れの快速とアナウンスされていた。本来は18時20分発だったみたいです。結局、1時半です。2時間半掛かりました。上野駅で2時間半まったので、5時間掛けての移動です。

 水戸駅で24時間マクドナルドが開いていたので、ビバリーヒルズのセット780円を夜中に買いました。ホテルで食べます。こんな晩飯です。

活き活きしたTMが見たい

 エレベータ前でやっと、TMと話せた。私に対しては、もっと顔を上げてください。それだけを頼みました。以前に比べると、顔が引きつっています。

トラブルの原因は誰

 出張をパートナーと一緒に行く時には毎回、トラブルが発生する。今回も、パートナーが大丈夫というから、大丈夫でしょう。

 確かに、上海、ギリシャ、エジプト、NZでは、私が行った後に、国家的なトラブルが半年以内に発生した。フィンランドに6月まで、トラブルが起こらなければ、私が原因ではない。

Gの話は長くて、意味がない

 Gは邪魔です。役に立たない。会議を6時前に終了させて、出かけようとしているのに、自己満足の話をダラダラと始めた。あの辺が名古屋の人との特徴ですけど。あくまでも、自分のための行動だけです。自分のことだけであり、メーカーの立場からです。

 そんなものは始まってしまえば、関係ない。Hにとって、どちらが先行きを考えられるかです。出発前に話し出した。これで、GMを信頼することは止めることにしました。

因数分解を続けている

 こういうときもアナログのツールは強いです。こういうときでも積み上げられます。

 一つ明確になりました。近傍系=同一価値観のコミュニティ。とすると、数学のアナロジーが使えます。その意味では多層化も同じです。多層化を使えば、別の価値観のモノで層を作れば、全体として結合できます。情報も全て、私の内にある。世界が内にある以上、そういうことになります。

5時間の評価

 この5時間の評価をします。結局、ホテルで考えるか、駅と電車の中で考えるだけの差です。やっていることは同じです。どこにいても考えられます。

 行動はシンプルにします。その実践ができました。情報に頼って、目の前から逃げない。

 因数分解のアナログさえあれば、どこでも考えられる。考えれば考えるほど、シンプルになります。あれほど、複雑だったところも、シンプルになると共に、他のジャンルへ拡大されています。

 仕事にしても、店舗の活性化で止めるのではなくて、地域の活性化に役立たせて、企業自体を変えていく。それ以降のことは社会のジャンルで考えます。考えても、自分でやるだけではない。
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春の嵐です

未唯へ

 Iさんは今朝、居たみたいです。バリスタの方をやっていたので、出てくるタイミングを逃した。昼に会えてよかったと言っていました。そんな話をしていたら、店長が後ろで笑っていました。

 夢:画面構成が変われば、仕事が変わるのか。効率がよくなるのか。

 今日は春の嵐だそうです。嵐を呼ぶ女。

 黒、水玉、黒

因数分解

 雑記は片付けたけど、因数分解の方は手が着いていない。明日は因数分解を新幹線の中で集中的に行います。何しろ、孤立と孤独の世界です。孤立と孤独に対して、それらの追求とかにキーワードを変えます。キャッチフレーズです。

営業はダメ

 ネットワーク会社の営業はダメです。毎回、元に戻ります。違うものに囚われているし、考えていない。

 ネットワーク会社の思考パターンは分からないけど、それを気にするのは、小さすぎます。言えるのは、考える視点です。重要なのは、H全体の思いを聞くことです。そこから出発します。「とりあえず、行くこと」を営業の中心にすると、工数でつぶれます。

 多分、営業のトラウマなんでしょう。しゃべってナンボ、行ってナンボ。これは部長からの教えなんでしょう。だから、部長も私は信用していない。

 同じことを半年間、行ってもしょうがないです。メリハリつけないと、思いは届かないです。300という数字をどう考えるかです。層別化するだけでなく、それぞれに対して、どのようなアプローチをしていくのか。相手からの視点に落さないといけない。

 自分が仕切りたい人には、相手からの反応は雑音と感じます。邪魔になります。Hというのは、思い通りになるものではない。ローカルから意見を聞かない限り、グローバルが動けないというのはサファイアです。
 
 キーになるのは、Hとの接点のネットワーク会社の営業です。いかに鍛えられるかどうかです。それとK社とシンクロさせるかです。

内なる世界のメモ

 2/3はすぐには影響しない。キャッチコピーでいかにまとめるか。言葉のゲーム。ゲーム化からコミュニティ化。内なる世界もそういうところに入ります。概念がまとまります。

 全てはキャッチできないけど、偶然で得たものから腰の部分を作ります。上の概念からやるしかないです。下からでは細かすぎます。これは未唯空間の構築でも同様です。

スマホのゲーム

 衣ヶ原の停留所で待っていた、3人とも、スマホをやっていた。何でこんなところでゲームをしているのか。

地域活性化をどう図るか

 核になる部分は政治的な要素が必要なんですね。自然発生した地域コミュニティに対して、どういう意識をつけるかがサファイアの役割です。そのために、全てをまとめています。サファイアが正しいということ、その先がどうなるのか。

 それを理解したからといって、地域活性ができるわけではない。地域コミュニティができるわけではない。価値観をどのように表現して、共有していくのか。これはコミュニケーション、コラボレーションの世界です。そこに存在を掛けられるかどうか。

 就職にしても同じです。それが既成であるかのようにやっています。こんな制度ができたのは、この最近です。国内のメーカーは25%ぐらいしかありません。サービス業が主になっています。組織に居るからといって、安心することはできません。

表現できます

 あなたは自分を表現できますか。私はできます。あなたは何を欲しているか、表現できますか。私はできます。あなたは誰ですか 私は表現できます。内なる世界の概念が生まれて、初めて、社会に提案する意味を求ました。

 自分を表現するキーワードを見つける旅を続けてきた。そこから次の出発をする。
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