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つながるへの反発

未唯へ

 一応、義歯は治しました。だけど、気分は変わりません。

つながるには

 あくまでも市民に向かっていかないといけない。そのための道具つくりです。そのときに行政を巻き込まないといけない。そんな心は何もなくて、メーカーがお客様情報を支配すると捉えられている。その分析に入ります。

ネットワーク展開のむなしさ

 ネットワークでやっていることが虚しい感じです。多分、パートナーも同じです。一緒に作り上げていく感覚があまりにもない。パートナーには本当に申し訳ない。同じ到達点を見ていない。今回の東京もその結果でしょう。

 何しろ、ネットワーク会社がだらしない。ネットワーク会社は動かさないといけない。部長もそうだけど、キッチリした、戦略的な仕事がされていない。従来の営業行為そのものです。

 今回のプロジェクトでは、ネットワークのことも含めて、Hから考えさせることです。それによって、ネットワークを自律させることです。設置するのが目的だと、中途半端で終わります。パートナーと私の目的の差は同じ直線上にはいるけど、方向が逆です。内から見るパートナーと外から見る私との差です。当然、ネットワーク会社へのアプローチも異なります。彼らは自分の範囲しか見ていない。

 ネットワーク会社の部長と昨日の担当が東京に行くから、内部での合意形成を依頼します。昨日のチーフの態度には不満足です。

お客様とつながる

 つながるでお客様情報をどうしていくのか、というところに対して、メーカー・お客様・Hの関係がどうなるかを、傍聴したGに聞きましょう。パートナーは、ネットワークよりもインタープリターに近いところにいるので、一緒に聞けるようにする。ネットワークだけでなく、OneToOneにも絡みます。そのなかに、Hがどう位置付けなれるのか。

 名古屋の人には、その発想はないでしょう。他人事で見ているはずです。自分のことをやっていればいい。だけど、これは自分たちの根底を揺るがすことです。ネットワークも同様です。それをどう使っていくのか、お客様のライブラリをどうしていくのか。販売店のライブラリを拡大していくのと、ライブラリをその中に入れるのとは、ポータルの位置付けも変わります。

 メーカー主導では、Hは納得いかないでしょう。2000万人を対象するのと300人を対象にするのとでは、発想も結果も大きく異なります。だから、Hの要望を聞いて、持っていくという、私のやり方をなぜ、使わないのか。つながるのポイントは、Hを信用していないことです。彼らは動かそうとすると厄介です。その分、自律的です。その扱いに迷っています。

 あくまでも、Hが考えられるようにしないとすることと、Hが何をしているのかを理解して、それを支援するというやり方にしていかないと動かない。対象がコミュニティになったときに、完全に適用できます。行政がコミュニティを支配することも、企業が利益をあげることもできません。新しい形態になっていきます。むしろ、コミュニティが行政とか企業をカバーリングする時代になります。それを2015年までに体制を取らないといけない。

ライブラリのときのアプローチ

 ポータルとかライブラリのときも、Hの自主性を引き出すことに力点をおきました。機能はメーカーが作るけど、あくまでも個別のHを支援するカタチをとりました。彼らが考えたコンテンツを入れられるようにした。考えられないHはコンテンツができずに、機能も使えない結果になった。

 これは従来のシステムと発想が異なります。だから、1/3止まりです。それで十分です。その中で、横浜のHのようにライブラリを拡大させた所もありました。ローカルが自分たちで考えて、やれることをやる。それをグローバルは支援していくカタチの有効性を習いました。

ネットワーク会社の営業のスタンス

 雑多なものを扱うことはグローバルから見ると大変です。それに対しては、パートナーのアプローチは正しいと思っています。事例を出して、Hに考えてもらうやり方です。時間を掛けて、横展開を図っていく。そうしている間に、インターネットの世界ではないけど、周りが変わって来るから、それに合わせる。

 ネットワークはそういう過程を経てきた。どう使ったらいいのかということには、難しい。多くの会社がこう使ったらいいという提案が起き、利用者が自分で工夫していきます。だから、彼らの発想を受け入れるものが必要です。

 本来、メーカーがやればいいけど、メーカーは接点を持っていない。本部との馴れ合いしかない。つながるのように、ものを作って、売りつける。自分たちの情報を集めて、加工したものを売りつけているというカタチに取られます。

 キャッチボールからすると、複雑性の方の持っていくカタチになります。Hがどう動くのかというよりも、お客様がどう動くのか。それを煩わしいと感じるのではなく、お客様とのキャッチボールとして感じられるかどうかです。ネットワーク会社の営業のチーフにないのは、その部分かもしれません。

 Hのためにやっているのではなく、自分たちのためにやっている。これは名古屋の人の共通の資質です。そこにパートナーのジレンマがあります。ジレンマを解決させないと意味がないです。

つながるへの反発

 今回のつながるへの反発は読み筋です。と同時に、どうしたらいいのかまで、2年前に答を出しています。集約に対して反発するのであれば、ユーザーが使えるようにして、お客様との接点の情報を増やしていくのがCRです。

 対象のデータベースをコンパクトにして、そのHのようにして、安心させることです。外付けすることは今後の活用からすると必要なのは確かです。どこかで、他と連係した方がいいと思ったときに連係させればいい。お客様といかに対応するかをHに考えさせるには、絶好に機会です。お客様と一緒になって、そのライブラリを育てる。その発想がない限り、メーカとHの関係が崩れます。

 メーカーへ集約する議論は10年前に行った。その時と社会そのものが変わってきているし、大量情報に対する処理能力が変わってきている。一番変わったのは、お客様の環境です。Hは拒絶すると、メーカーとお客様との直接の関係が進んでしまう。

 単に断るだけでなく、Hを仲介するカタチに切り替えることを提案しましょうか。それが、サファイア循環での考え方です。そのときに、ネットワークが主役になります。つながるを見ていても、マーケティングそのものを変えるという所には踏み込んでいない。いかに売るかがまだまだ、前面に出てきている。そこを見ていかない限り、答はない。そこから始まる世界を先導しないといけない。
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ニーチエの哲学批判

『日本の個性』より 「哲学読み解く日本の歴史」

そんなありもしない超感性的価値をあたかもあるかのように思いこませてきたのはなにかというと、ニーチエの考えでは、それはプラトン以来の「哲学」と、そのヴァリエーションといってよいストア以来の「道徳」とキリスト教に代表される「宗教」(彼は、「キリスト教は民衆のためのプラトン主義だ」といっています)にほかなりません。

したがって、ニーチエにとって「哲学」の本領は、「プラトン主義」にあります。そして、これこそがヨーロッパをニヒリズムに導いてきたのです。ニーチエは、このニヒリズムを克服し、文化形成の新しい方向を切り開こうとする自分の思想的企てを「プラトン主義の逆転」とよんでいます。つまり、彼はそうしたかたちでの哲学の克服を企てていたのです。

そして、その際彼が拠りどころにしようとしたのが、「ソクラテス以前の思想家たち」の「自然」の思想です。もともと彼は古典文献学(ギリシアーローマ文化を主として言語学的に研究する学問)の勉強をした人で、その最初の本『悲劇の誕生』(一八七二年)もギリシア悲劇の成立史の研究だったのですが、彼はこの悲劇の成立期と同時代に活躍したギリシア初期の思想家たちにも強い関心をもっていました。

彼はこの古代初期の思想家たちの「生きた自然」の概念を復権することによって、プラトン以来の超自然的思考様式--超自然的原理を設定し、自然をその原理によって形成される死せる材料(質料)とみる考え方(いわゆる物質的自然観)-を克服し、西洋の文化形成の方向を転換しようと企てたのです。

彼は、一八八〇年代後半に構想したその最後期の思想に「力への意志」という表題を予定していましたが、「力への意志」とはじつは「生命」と同義なのです。なぜそのまま生命といわないかというと、この時代に「生命」といえばだれしもショウペンハウアーの「意志」の概念、つまりまったく無方向無構造な生命衝動を思い浮かべるに違いなかったからです。

ニーチエも『悲劇の誕生』を書いた若いころには、このショウペンハウアーの主著『意志と表象としての世界』から強い影響を受け、その「意志」の概念を承け継いで「ディオニュソス的なもの」という独自の概念を形成したのですが、八〇年代に入るあたりから、幾分かはダーウィニズムの示唆もあって、生命についての考え方を変え、生命は決して無方向無構造な衝動ではなく、「常に現にあるよりもより強くより大きくなろうとする」という、明確な方向と構造をもったものだと考えるようになりました。この新たな生の概念に彼は「力への意志」という名を与えたのです。

ニーチエは、この名のもとに古代の「生きた自然」の概念を復権し、それを拠点にプラトン主義、つまり「哲学」を克服し、文化形成の新しい方向を模索しようとしたのです。

彼の影響を受けたハイデガー、メルロ=ポンティ、デリダ、フーコーといった二十世紀の思想家たちも一様に、自分たちの思想的営みをもはや「哲学」とはよばず、「哲学の解体撤去」「哲学の脱構築」「反哲学」などとょび、いわば哲学批判を企てるのですが、それも、これと似たような動機からでした。
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