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日本社会の企業社会化

『トヨタ人事方式の戦後史』より

豊かさの浸透

 企業社会が日本全体に果たした最大の功績は日本の隅々にまで物質的豊かさを浸透させたことである。企業とりわけ製造業企業はモノを大量生産することが存在意義であり、鉄鋼、造船、化学、電機、自動車、住宅、食品など産業基盤や消費に直結した企業の活動が盛んになるにっれて、国民生活の消費水準も向上した。まず食料供給が回復し、やがて冷蔵庫、洗濯機、テレビが普及した。自動車の普及も際だっていた。民間の文化住宅の供給と、住宅公団による当時としては快適で小ぎれいな集合住宅も増えていった。工場からあふれ出た豊かさは、労働者自身の豊かさとなり、自動車労働者自身が自動車を持てる状況を作り出した。

中産階級の誕生

 生産活動には労働者が必要である。工場の増設、生産台数の増大は大量の労働力需要を生んだ。トヨタ人事部とこれに協力する豊田市は、日本全国にリクルート部隊を派遣して、新規労働者の確保に奔走した。トヨタの労働は厳しかったが、ともかくもこれに耐えて正社員に採用された労働者には相対的高賃金と、高水準の企業福利が与えられた。彼らは、マイホーム、耐久消費財、自動車、子弟の教育費をまかなうことができた。特に農村出身で低学歴の次三男にとっては父親が経験した劣悪な社会・経済状況とは比較にならない社会的、経済的地位の向上を獲得できた。彼らは産業化の最大の担い手であったと同時に、最大の受益者でもあった。こうして形成された農村出身の労働者層はこれまでの上層、下層ホワイトカラーと合体して中産階級となって一億総中流社会が誕生した。

学歴社会化

 戦後は日本社会全体が前近代から近代へと移行した時代である。人間の評価基準が出生主義、所属主義から業績主義、達成主義へと変化した。この変化の焦点にあったのが学歴である。他方、良好な安定した雇用機会の増大は、労働者家計に対して教育投資の余裕をもたらした。もともと日本社会の全般的な高学歴志向は企業社会内部の厳しい学歴差別から始まったのではないか、というのが本書の仮説である。高学歴志向はまず、親のある種のステータスとして求められ、またもちろん子弟自身のさらなる社会的地位上昇への願望として追求された。こうして瞬く間に中卒層は実質的に消滅し、中等教育に属する高卒水準が8~9害Uを占めるようになり、短大、高専、4年制大学など高等教育卒業者も4~5害lに達した。このような高学歴志向は裏返せば学歴差別の蔓延であり、学歴社会の成立でもある。

会社人間化

 これらの諸動向、諸傾向を生きた人間として体現しているのが、会社人間である。彼らは高学歴の取得者であり、有名会社の社員であり、安定した生活を送ってはいるが、その存在は全面的に個別企業に依存している。会社の価値観を内面化して、会社の期待通りに生きることが自らの生き甲斐になる。生きるために働くのではなく、働くために生きる。目的と手段が転倒して、自身の余暇の充実や家族生活を顧みない、地域活動にも参加するゆとりがない。こうした企業内人生を生きるしかない会社人間が日本人の多数派になった。企業社会で発生・発達した「ジェンダー体制」は外部社会に溢れ出て、企業内性別分業り反転像である家庭内性別分業を帰結した。男の会社人間化は企業内外のジェンダー体制化によって何倍にも強化され、将来を担う日本人男女の価値意識とキャリアを著しく歪めた。会社人間は会社の利益や立場を市民社会の道徳や規範に優先させる。会社のために企業犯罪の隠蔽、歪曲、偽装に手を貸す社員が後を絶たず、職業道徳、市民道徳は地に落ちた。

一元社会化

 日本の高学歴化と学歴社会の成立は、初等、中等、高等教育として順位付けられた社会のなかで誰がどこに位置するかを敏感に区別しつつ、ある種の生得属性に転化した学歴順に人を差別する社会である。前近代段階には保持されていた地域的多様性や文化的多様性は消失して、いい学校に入って、いい会社に就職をすることが、日本人のほとんど唯一の目標になった。受験競争は過熱し受験産業が隆盛になった。大企業の社員でなければ人ではないような評価基準が作られるとともに、生き方の多様性を許容しない偏狭な一元社会をもたらした。戦前・戦中は天皇を頂点においた一元社会だったが、戦後は大企業トップが頂点に座る一元社会になった。地方文化、方言、郷土料理、地場産業など、この余波で衰退・消滅した非物質的資産の価値は計り知れない。人間類型の会社人間化と社会全体の一元化とは、相互に補強・補完しながら社会全体の無個性化、無表情化をもたらした。普通の範囲からはみ出す人間や独自に思考する人間には、ひどく生きにくい社会になった。
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