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バルカンはナショナリズムは超えられるか

未唯へ。今日は祝日です。あなたも休みですね。朝、5時から動き出しています。若干、めまいです。その時に、ノブの部屋の扉が閉まっていたのでおかしいと思ったら、ノブが帰っていました。ノブの部屋はリクが寝ているので、開けっ放しになっています。犬は引き戸を閉められない。

私は、仕事上では、係を超えれ、課とか部を超えて、部署と会社を超えてきています。そして、日本を超えて、世界に向かっています。この最近の関心事は中・東ヨーロッパです。

『ナショナリズム論・入門』311.3オオにバルカンのナショナリズムが描かれていました。ナショナリズムは超えられるか。

バルカンのナショナリズム

 「バルカンでは、新国家の建国が過去の話ではなく、これに伴うナショナリズムが現在の大きな問題である。国際法的にはセルビアの領土ながら、人口の90%以上をアルハニア人が占めるコソヴォでは, 2008年2月に独立宣言が出されたが、国際的な承認を得られず「未承認国家」の状態が続いている。コソヴォ独立には、国家主権の尊重か少数民族の自決権に基づく独立かといった問題が見られると同時に、新国家独立の新たな原理も提示されている。」

 二つの視点からバルカンのナショナリズムを考えてみたい。一つは、少し広い視点からヨーロッパの一角に位置するバルカンの近代ナショナリズムを西欧のナショナリズムと比較し、その特徴を検討する。もう一つは、19世紀後半期から20世紀初頭にかけて吹き荒れたバルカンの近代ナショナリズムと. 1990年代の一連のユーゴスラヴィア紛争以後に見られる現在のナショナリズムとを比較しながら検討する。そして、ナショナリズムを超える方向性を展望してみたい。

iPOD-nanoを本格的に使い始めています。nanoは日記帳になります。ターゲットはあくまでも<今>です。立体的な「未唯への手紙」です。ズボンのポケットに入れて、ICレコーダと同じような使い方をします。<今>に関することは、何でも入れ込みます。

デジカメ付きケータイは一気に拡大したけど、ビデオは難しいでしょう。映像が普及しないのは、「紙」の世界がないからです。写真のように、アルバム化ができない。アナログの世界とつながっていると、いざという時に強いですね。その役割をYouTubeが超アナログとして、果たす可能性があります。
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